『紅の扉』  〜ヴェルエル編 第三回

ゲームマスター:秋芳美希


 いらっしゃいませっ!
 ようこそ『バウム』の『緑の窓』へ。
 えっと、ヴェルエル世界へ行かれる方ですねっ!

 足元もおぼつかない暗闇の中、案内役のウェイトレスであるヤヤの明るい声が響く。ヤヤの指し示す世界は、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは未だ、それぞれが鎖国状態が続いていた。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏。その中で、変わらずのんびりと構えていたのは、セントベック統治者のフィルティ・ガルフェルト。体調が思わしくないのが、ユベトル統治者ミシュル・アルティレス。そして気分は安定してきたものの、どこかまだ危うさがあるエルセム統治者ソルエ・カイツァール。

 この状況下で、多くの異世界人たちがあらぬ疑いがかけられたまま各地の異国人収容所へと送られてしまう。
 さらにエルセムでは、未だモンスターの脅威はおさまらない。そんなエルセムで、ただ一つ好意的にささやかれる噂があった。それは、エルセム中心地から森に入ったモンスターは、『はちみつ色の少女に倒される』……というものであった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ……というものだった。

 実際、『ヴェルエル』世界に向かうには様々な制約があり、難儀な世界である。けれどその制約を乗り越え、ヴェルエル世界に向かおうとする来訪者たちは確かにいたのだ。そんな彼らに、
 ××おじゃましますぅ。『バウム』フロアチーフのララですぅ××
 という聞きなれた声がかけられる。その声の方向に向かった彼らに、ララの声が届けられる。
 ××ヴェルエル世界にご来訪ありがとうございましたぁ! 皆様のご活躍によって、『バウム』でも調査不能でした各勢力圏の情報がさらに明らかになってまいりましたぁ!××
 礼を伝えるララは続ける。
 ××皆様にはぁ、ヴェルエル世界関連の理解度にあわせて、利用技能を上昇させていただく仕様をご活用いただきありがとうございますぅ!××
 ララの示したその仕様とは、ヴェルエル世界に関る各種の設問に回答することで、ヴェルエル世界の理解度を測るものであった。すなわちヴェルエル世界をより理解することで、この世界で使える力が上昇するというものなのだ。その設問に回答する者たちにララは、
 ××有効な回答」とはぁ、正解でなくてもかまいませんー。ヴェルエル世界の土地柄や皆様の推察などによっては、様々に考えられることがあると思うのですぅ。ですのでぇ、その説明が理に適ったものであれば、「理解度上昇」数値に反映させていただきますぅ××
 と伝える。さらに、
××もちろん、この設問にご参加いただかなくても設定いただいた特殊技能数値が減ることはないのでご安心くださいですぅ。この数値は次回以降にも反映されますのでぇ、ご活用くださいですぅ××
 と伝えたのだった。そうして行く準備をそろえた者たちに、ヤヤが声をかける。
「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界におでかけになりますか?」
 頷く者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。
「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」
 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。緑の深い世界が目の前に広がった。




○セントベック首都ベック_ベック飛行場《E22事件中心地/4の月24日/18:00》

 濃い緑の髪をした異世界の乙女リュリュミアが乗るのは、七色に淡く輝く巨大な『しゃぼんだま』である。リュリュミアが乗る『しゃぼんだま』は、未確認飛行物体として警戒され、セントベック警備隊の警戒網に囲まれていた。警戒網の一つ、セントベック航空警備隊戦闘機の風圧にさらされたリュリュミアは、この時すっかり目が回ってしまう。
「……何か聞きたいことがあったら聞いてもらってもいいですけどぉ、あまり難しいことはわかりませんよぉ……」
 意識がもうろうとしつつあるリュリュミアをのせた『しゃぼんだま』が、ゆっくりと夕闇迫るベック飛行場の地に下りてゆく。そんなリュリュミアを乗せた『しゃぼんだま』が突然消えた。
「な、何!?」
 驚くセントベック警備隊員たちの目の前に、『しゃぼんだま』は再び現れる。
「やはり……というところか」
 つぶやいたのは、暫定的に未確認飛行物体警戒網の統括責任を任された男だった。男は、統治者付護衛長官でもあるライアンである。ライアンは、「住人が消える」事件に、このしゃぼんだまが関係があると考えていたのだった。
『しかし消失事件では人は消えたままだ……関連づけるのは早計か』
 ライアンは片手に銃を握ったまま、腹心の警備隊員たちに合図を送る。その合図に頷く5名を連れ、『しゃぼんだま』から現れた乙女に近づいていった。

 ライアンが近づいてゆくと、ふらつく足をふみしめてしみじみとつぶやく乙女の声が届く。
「う〜ん、地面の上はやっぱり落ち着きますねぇ。おかげで、頭の痛みがとれましたよぉ」
 船酔い感覚のある頭も左右にふった乙女リュリュミアは、明るい緑の瞳でライアンたちを見つめた。
「えへへっ、突然消えてビックリしましたかぁ」
 場違いなほど友好的な言葉がリュリュミアから発される。ライアンは驚きながらも、その言葉の意味するところに表情を引き締めた。
『……今の消失……自分の意志で消えている、ということか?』
 警戒するライアンに、リュリュミアはのんびりと言う。
「実はリュリュミアは、『バウム』っていう別の世界から来てるんですぅ」
 出身世界はそれぞれあるが、リュリュミアにとっては『バウム』が第二の故郷ともいってよい存在であったのだ。一方、ライアンは彼なりの知識でリュリュミアの言を解釈していく。
『……“リュリュミア”というのは、この乙女の名か。“バウム”“別の世界”……乙女の“普段住む場所”を差すようだな』
 そんなライアンの解析をまったく気にしていないリュリュミアは、自分の事情を先に説明する。
「ここに居られる時間も決まってるみたいでぇ、だからいきなり居なくなっても心配しないでくださいねぇ」
 こうしたリュリュミアの一言一言をライアンは慎重に解析を進める。
『消失は自分の意志ではない……本国からの帰還命令のようなものに従っている、ということなのか? これは表面上警戒は解いた方が得策だろう』
 そしてライアンは右手の銃を懐に収めると、リュリュミアの前で片ひざをついた。
「まずはご心配感謝致します。わたしはライアンと申す者。このセントベックでの警備を任されておりますゆえ、あらためてご無礼をお許しいただきたい」
 ライアンは正規の身分はあかすことなく、リュリュミアに敬意を示す。すると、
「もちろん許しますよぉ。やっぱり、お話しする方が楽しいと思うんですぅ」
 と、敵対心のまったくないリュリュミアが笑顔で即答していた。この時、彼らの周囲を囲むライアンの腹心たちは、変わらずリュリュミアに銃口を向けているのだが、リュリュミアはそのことを無頓着なほど気にしていなかったのだった。
「……ところで、リュリュミアとおっしゃる異国の方。貴殿のセントベックにおいでになった理由と、貴殿の本国“バウム”なる異国について詳しくおうかがいしたいのだが」
 現在は統治者付の護衛長官の地位にあるが、元所属したセントベック警備隊においても高位に就いていたライアンである。ライアンは、“バウム”という場所の動向に注意を払う必要性を見極めていた。一方、対するリュリュミアは警戒心は皆無のまま、正直に自分の経緯を説明する。
「えっとお。セントベックに来たのはぁ、セントベックをみてみたかったからですよぉ。そしたら赤い髪の人がいてぇ、お話しようと思ったのですけどぉどこかに行っちゃいましたねぇ」
 セントベックには観光気分で訪れたリュリュミアである。リュリュミアの説明に、
『このリュリュミアという乙女、のんき者なのか、それともくわせ者なのか?』
 とライアンや腹心たちが困惑する中、
「んーと、あとは『バウム』のことですよねぇ。『バウム』のことはここへの入り口、としかわからないですぅ。案内してくれるララとかヤヤなら知ってると思うんですけどぉ」
 と、リュリュミアの語る『バウム』についての説明は、ライアンにとってはまったく理解不能といってよかった。
『……総合的にみて、リュリュミアなる人物に害はないが、“バウム”なる異国がどういう場所なのか……リュリュミア本人に事があれば“バウム”なる異国がどう出るものなのかもわからん……どうしたものか』
 対応に苦慮したライアンが政治的な問題に発展する前に、セントベック統治者フィルティ・ガルフェルトに報告する必要性を感じはじめる。その時、思いついたようにリュリュミアが言った。
「あぁ、今ここに居るのはリュリュミアだけですけどぉ、他にも何人かこっちに来ているんですよぉ。出会ったら、仲良くしてあげてくださいぃ」
 その一言にライアンが凍りつく。
『この乙女の他にも、“バウム”なる異国から来ている者がいるのか?』
 『バウム』の真意がわからない以上、戦慄を覚えるしかない一同の前でリュリュミアが軽いあくびをする。
「ふわわ。話ばかりするのも飽きてきましたねぇ。そろそろ戻る時間かもしれないしぃ」
 消失を警戒して緊張感の高まる一同に、リュリュミアは言う。
「今度は外をいろいろと観てまわるのもいいかもですぅ。誰か案内してくれるといいんですけどぉ。さっきの赤い髪の人とか駄目ですかねぇ。それなら待ち合わせの約束をしてもいいですよぉ」
『赤い髪……フィルティ様のことか? 統治者と知っての言葉なのか?』
 重度に警戒するライアンの脳裏では、様々な計算がなされていた。
『そうかといって“バウム”なる場所の情報が少なすぎる……このまま先のように消失されてしまっては、この乙女からの情報も引き出せなくなる……』
 様々な状況を想定したライアンは、一つの結論に達する。
「わかりました。では3ヶ月後の正午にこの場所においでになりませんか? セントベック料理をご用意しておきましょう。その時、ご指名いただいた赤い髪の者が案内できるかどうかは確約できませんが……どちらにしてもこのセントベックを十分ご案内できる者を用意させていただきますよ」
 3ヶ月の猶予があれば、“バウム”より来訪している者たちの情報収集を行った上でフィルティの判断が仰げると確信したライアンであった。そんなライアンの回答に、リュリュミアが笑顔になる。
「わかりましたぁ。それじゃあ、また今度ですぅ」
 その言葉を残してリュリュミアの姿が再び消える。リュリュミアの姿が次に現れるのはいつか。はたまた再び現れることはないのか。消失事件の謎は解けぬまま、異国の地『バウム』という新たな脅威にさらされたセントベックであった。
《E22事件中心地/7の月24日/12:00》



○ユベトル異国人収容所《N24/5の月25日/21:00》
 ユベトルの首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所。その施設に捕らえられた異世界の少女と少年が収容されていた。捕らわれた二人は、『バウム』に帰還することで別の機会を作ることも可能であったのだが、彼らは進んで元の地に戻っていた。

 気品のある顔立ちをしたアリューシャ・カプラートは、亜人の父親と、人間の母親の間に生まれた少女である。垂れた白色の猫の耳と尻尾は、亜人種である父からの遺伝が多く現れたからであろう。本国にあれば、可憐であろうその姿も、ヴェルエル世界のユベトルにおいては異形の者である証となってしまっていた。そんなアリューシャの姿を大きなリボンで隠してくれたのは、婚約者の少年アルヴァート・シルバーフェーダだった。彼の尽力もあって、アリューシャは異形の者である扱いは受けることなくユベトルの異国人収容所にいた。
『危機的状況に陥ったとしても、一旦バウムに戻ることで形勢を立て直す機会が与えられるのだけれど……今は……わたしが入れられたのと同じ房にいたおばあさんの話を聞きたいの』
 アリューシャが再びこの収容所に現れる時、その姿は一瞬消えることとなる。だが、同じ女性用の専用房ですすり泣く老婆は、まったくそのことに気づいてはいなかった。
「あんたもまた……なのかねぇ……かわいそうに……かわいそうに」
 同じ言葉を繰り返すばかりの老婆に向かって、収容所の見張り役から罵声が上がる。
「辛気臭せぇことばっかいってると、仕事を増や……」
 けれどその先の言葉は、何故か途中で寝息に変わってしまう。
「おや……?」
 係官の様子に老婆が不思議に思いながら顔を上げる。と、そこにはだらしなく眠りこけた見張り役の足先が見える。
「おやおや……これは一体、どうしたことだい?」
 驚く老婆に向かって、透き通った少女の声が届く。
「もう大丈夫ですよ。見張りの方は眠ってしまわれました。何を話しても怒る者はいませんから」
 優しい声に励まされて老婆が辺りを見回すと、先に心を癒してくれた音楽を聞かせてくれた少女の笑顔を見つける。
「あんたは……今日つれてこられた、かわいそうな子だね」
 老婆の言葉に、少女アリューシャが頷く。
「はい。かわいそうなのかどうかは、わたしにもわかりませんが」
 可憐な姿がどことなく頼もしく見えた老婆は、アリューシャに礼を言う。
「さっきはいい歌をありがとうよ。久しぶりに故郷を思い出したよ。いい国だった……あの国は」
 そこまで言った老婆は、
「そうそう……見張りはあんたが眠らせてくれたのかい?」
 と、見張り役の眠りを不思議に思う老婆の言葉に、少女アリューシャは大きなリボンを飾った頭を傾げる。
「さぁ……。きっと見張り役の方もお仕事でお疲れなのではないでしょうか?」
 実際、檻の外にいる見張り役達は、アリューシャが『眠りのルビー』で眠らせたものだった。けれど、自分の力をこの老婆がどう感じるのかわからない為、明かすことは避けるアリューシャだった。そんなアリューシャの隠したいことがわかるのか、
「まぁ、そんなこたぁ、どうでもいいさね。こうしてあんたとゆっくり話しができただけで十分さね」
 と、老婆が始めて眉間の皺をゆるめて言った。その安堵の言葉に、アリューシャは老婆の信頼を得たことを気配で感じていた。その老婆に、アリューシャがおだやかに問う。
「ねぇ、おばあさん。さっきわたしに“あんたもまた……なのかねぇ”とおっしゃっていたでしょう? よく聞こえなかったから……気になるの。もう一度聞かせてもらえますか?」
 老婆の聞き取れなかった言葉を、はっきりと聞きたいアリューシャ。その真摯な声色に、老婆が暗闇の中でため息をつく。
「あんたも……殺されるのかねぇ……と言ったのさ。収容所の噂でしかないけどねぇ」
「噂? どうしてそんな噂があるのでしょうか……?」
 アリューシャの疑問に、隣の房から中年女性の声が届く。
「収容所につれてこられた若い娘からいなくなるのさ。尋問だとか言ってつれてかれて、そのまんま。帰って来た者なんかいやしないからねぇ」
 中年女性の言葉に、数人の頷く声が上がる。
「あの……この収容所にはどれくらいの方がいらっしゃるのですか? あと皆さんいつ頃この収容所に入れられたのかうかがってもよいですか? ……それと入れられた時の様子とか」
 アリューシャの質問に、収容所の同じ階にいる女性たちが口々に語ったのだった。
 アリューシャはこの経験によって多くの情報を得ていた。この収容所に現在収容されている女性は35名。中年から老齢にいたるまでの女性であるという。男性の方は房が分かれているため詳細は不明であるが、やはり中年からの者が多いらしいという。また皆の捕まえられた時期は皆ばらばらであったが、ユベトル鎖国政策がとられた時期以降であるのは確実であった。若い娘ではない収容者たちは皆、定例どおり尋問室での尋問を受けた後で、収容所の労働に従事させられているという。尋問を担当する収容所係官は、見た目はひ弱そうな男と体長が2メートルはある頑強な体格の男の二名であるという。
「あたしらだって、別に好きでこの国に来ちまったわけじゃないのに……まったく災難続きってのはこのことだね! あたしらを異国人だって怪しむんなら、あの収容所係官二人の方がよっぽど怪しいってもんさ」
「あの……その二人のどういったところが怪しいのでしょうか?」
 アリューシャの質問に、中年女性たちは言う。
「あいつらの肌の色、普通じゃないよ。あんな緑っぽい肌をした奴、このヴェルエル世界じゃ見たことないね!」
「悪いこたぁいわないよ、明日の尋問の前に逃げられるなら、とっとと逃げちまいな!」
 女性たちの言葉に、アリューシャは深く考え込んでしまっていた。そんなアリューシャのいる収容房の檻が突然の衝撃音とともに崩壊された。
「!? 一体何が……?」
 思わず身構えたアリューシャの体が、突然背後から抱きしめられる。
「良かった……無事で……本当に良かった……」
 その声は、アリューシャにとって大切な人の声であった。
「ア、アルバさん!?」
 けれど、暗がりの中で見え隠れするその人の扮装に、アリューシャが絶句する。
「その姿は一体……?」
 アリューシャの驚く声にあわせて、他の房から見守っていた中声年女性収容者たちから忍び笑いがもれ始めていた。

 アリューシャの前に現れたのはアリューシャの婚約者、青年の容姿を持つ少年アルヴァート・シルバーフェーダであった。彼は、アリューシャが『バウム』より収容所に舞い戻る決断をしたのを確認すると、同じ収容所内の男性専用房に舞い戻る決意を固めていた。
「……大事な剣と笛を奪われたうえ、戻る先は収容所の房の中……まあ、そんな状況でも、剣と笛は『バウム』ですぐに取り戻せたし、脱出もできるからどうでもいいけど……俺をアリューシャを引き離したことは引き離したことは許せない!」
 アルヴァートは、自分をこの環境におとしめたすべてに怒りを感じていたのだ。
「たとえ血の川を作ることになってでも、俺は正々堂々アリューシャを探し出して取り戻してみせる!」
 強い意志のもと彼が収容所の男性専用房に戻った時、ヴェルエル世界においては彼の姿は一瞬だけ消えていたことになる。しかし、幸いなことに暗がりの独房では誰に気づかれることもなかった。彼が持つ装備が手元に戻っていることも。そして彼の扮装に変化があることもまた同様であった。
「……とはいえ、剣一本や魔曲ではできることは限られてるしな……やっぱり、女子収監所にもぐりこむには仕方ないのか……」
 と苦渋の決断をして用意を整えたアルヴァートである。まずは装備を取り戻したことを気付かれる前に魔曲演奏で自分の見張りの看守を眠らせることにした。
 男性専用房から見張り役の方向へと響く、涼やかな音色。静かに眠りを誘う音色に、見張り役たちは警戒よりも先に寝息をたてはじめていた。一方、アルヴァートの奏でる演奏に驚いたのは、同じ房に収容されていた男性収容者たちであった。
「おい、おまえ、その格好!? それにここに来た時は何も持ってなかったんじゃ……?」
「その説明は後だよ。鉄格子の側にいる人たちも、ちょっと下がっててくれる?」
 澄んだ声で収容所の男性たちを自分から下がらせたアルヴァート。そのアルヴァートは、手にした笛で聖剣「ウル」に魔曲を聞かせると、「ウル」は高速振動剣と化す。その剣を、アルヴァートが握った。
「いくよ。聖剣『ウル』っ!」
 涼やかに歌うかのようなアルヴァートの気合いの声と共に、聖剣「ウル」の刀身が震える。さらに彼の首にまかれたチョーカーが呼応すると、激しい衝撃音が辺りに響き渡った。
 キィィィィィィィィィィン
 この音の後、アルヴァートのいた房はもとより、音の進行方向にあった房の鉄格子は跡形もなく消え失せていた。
「ここでの今の威力はこの程度はいけるのか。音の進行方向は、剣の切っ先と考えてよさそうだし……小物相手は、大して力をかけずに軽くあてるのを心がければ何とかなりそうだな」
 本来の全力全開の力が出せるならば、収容所ごと吹き飛ばせる威力があるアルヴァートの複合技である。軽い技の使い方は、彼の今後の課題といってよかった。そんなアルヴァートがふと視線を足元におとすと、見張り役たちが今は気絶して房の外に転がっていた。
「うん。これで見張り役から鍵を奪う時間は大分はぶけたみたいだね!」
 その見張り役たちの中から、アルヴァートは房の鍵を取り上げる。そして、自分が開いた房でざわめく男性たちに鍵を投げつけた。
「キミたちが逃げるかどうかはキミたちに任せるよ! オレは、キミたちの逃亡を助ける余裕はないんだ。鉄格子の空いてないとこの人は、キミたちで助けてあげて」
 そのまま走り出そうとするアルヴァートに、収容者の一人が声をかける。
「あ、あの、あなたは……」
「オレはアルヴァート。異世界人だ。オレを邪魔するような真似をするなら、容赦なく叩きのめよ。殺さない程度にね」
 鬼気迫るアルヴァートに、絶句しながらも収容者は口を開く。
「そ、その……あなたはどちらに?」
「女性用の収容施設!」
 アルヴァートはきっぱりと言ったものの、その正確な位置は『バウム』での情報ではわからないでいた。そうかといって見張り役たちが全員気絶している今では、叩き起こすことも難しいと思われた。困惑するアルヴァートに、助けられた男たちが女性房への通路を丁寧に教えたのだった。

「……それで、このような格好をなさっているのですね」
 アリューシャにしみじみと言われて、アルヴァートが赤面する。何しろ、この時のアルヴァートの姿は、看守の制服の上着と、『バウム』の服飾サポートで持ち込んだロングスカートで女性看守に変装したものであったからであった。さらに髪型もポニーテールにまとめて、少しでも青年アルヴァートのイメージは消してきたのだ。
『う〜〜〜すっごい不本意だけど……女子収監所に目立たないようにもぐりこむには仕方なかったんだよね……アリューシャと合流するためだったんだもん……一時の恥ぐらいは我慢するよ……』
 この扮装でこっそりとアリューシャの元を目指して進み、無事合流を果たしたのである。
「……それにしても、ここにくるまで欠片も疑われなかった……俺、男なのに……」
 母親似の女顔に密かなコンプレックスを持つアルヴァートが落ち込んでいると、忍び笑いをしている女性たちから声がかかる。
「あら、あんた男だったのかい? てっきり、そっちのカップルかと思ってたよ。おアツいねぇ、ってさ」
 そんな中年女性の声をさえぎるように老婆が声をかける。
「それよりも……早くその娘を逃がしておあげ。きっと明日にも殺されちまうよ……」
 老婆の言葉を受けて、アリューシャがアルヴァートを見上げる。
「逃げるなら……」
 そんなアリューシャの声をさえぎったのは老婆だった。
「優しい子だねぇ。わたしらはもう年だし足も遅いよ。足手まといにしかならないよ。それにこのユベトルって国にいる限り、どこに逃げてもまたみつかっちまう……この収容所にいたなら、わたしらは殺されることはない……あんただけでも逃げておくれ」
 男性房とは違い、女性たちはもう覚悟を決めているようであった。そんな彼らの元に近づく足音があった。
「一体、何があった!! 男どもが逃げてるぞ!! 女はいるのか!?」
 その声を聞いた女たちが、アリューシャにささやく。
「早くお逃げ! 今の声は、尋問を担当する収容所係官の一人だよ!」
 
 異世界人の二人ならば、一時帰還も可能なユベトル異国人収容所。
 捕らえられた異世界人の危機は、一旦『バウム』に帰還することで解消する。表出場所も、アイテムも、その能力すらも、『バウム』を通じて新たになるのだ。異世界よりの来訪者が選ぶ道は、まだこれからだった。
《N24/5の月25日/22:30》



○ユベトルの小国ナニク《N11/5の月24日/12:00》

 何か異質な力で体調を崩しているらしいユベトル勢力圏の統治者であり、勢力圏内の小国スフォルチュア国の女王ミシュル。完治は未だ遠い女王と面会を果たし、様々な疑惑を胸に刻んだ異国人の青年がいた。長身で筋肉質の青年、ディック・プラトックである。そのディックが自分の故郷であるヴェルエル世界へ向かう時、再度向かったのはユベトルであったはずだった。

「……あれ? ここはどこだ?」
 本来ならば、自分はユベトル首都ユーベル_ユーベル宮殿の前に現れるはずであった。けれど、彼が現れた場所は緑豊かな土地であった。濃い緑に覆われた木々が続く場所。その中にたたずんだディックは踏み荒らされたあとのある足元を確認する。
「どうやら人里を離れた場所ではないようだな。そのうちに人も来るだろ。そうしたら、ここがどこか聞いてみるか」
 人気がないのはそれほど長い時間ではないとディックは予想していた。その予想に違わず、荒々しい声が聞こえて来る。
「急げ! 急げよ!!」
 ディックがその方向を見ると、ミニスカート姿の男たちが針金の巻かれた巨大な器を荷馬車に乗せて運んでいた。その後ろには、切りそろえられた長い丸太を運ぶ荷馬車が続く。
『男のミニスカ……首都ユーベルとはちょっと違う柄だけど、ここもきっとユベトルなんだろうな』
 忙しそうな彼らに声をかけることは、一瞬ためらわれたがこのままこうしているわけにはいかないとディックが声をかける。
「すいません! ここがどこか教えてもらえないか!」
 ディックの声に止まったのは、丸太を運ぶ荷馬車の男だった。男は、ディックの姿を見ながらおおらかに応じる。
「あんたぁ、スカートの柄からしてユーベルんとこの人だね! 調査か何かかい!?」
 この時の男の顔が、友人にうり二つであったためディックが思わず声を上げる。
「あれ? ジョルジュ? ユーベルにいたんじゃないのか」
 ディックの言に、男から笑い声が上がった。
「あっははは! ユーベルのジョルジュは俺の親戚さ。一族中でもそっくりって評判のな。あんたぁ、ジョルジュの知り合いかい?」
 ディックが頷くと、男が馬車にディックを誘う。
「ジョルジュの知り合いなら、俺の知り合いも同然だ! 俺はジョゼってんだ。よろしくな。用事が調査だってんなら、乗った乗った!」
 男に誘われるままに、ディックが荷馬車に乗り込むと砂煙をあげて荷馬車が走り出していた。
「このばかでかいバリケードを張るのはもうちっと先でさぁ」
 陽気な男の声を聞きながら、ディックは数々の状況に感謝していた。一つは女王謁見の時と同じ姿をしていた為、怪しまれなかったこと。二つ目は、ディックの呼び声に応じてくれた相手が友人ジョルジュの親戚であったことなどである。
『下にジーンズなのは、謁見に無作法だったかもしれないが……スカートは用意していて正解だったよな。それにジョルジュ……何だかよく助けてもらえるよな』
 状況はわからないものの、ディックは自分の目的のためにはかえって好都合なのではと考え始めていた。そのディックが、ジョルジュの親戚からそれとなく集めた情報によると、この国はエルセムとの国境がある小国ナニク。現在、男たちが国境に張られたバリケードを強化する作業をするのだという。
「ミシュル様が統治者となられる前に使われていた国境のバリケードは、もうほとんど残ってやしないんでな」
 ジョゼが運ぶ大きな丸太は、この緑深い林の木々と同じ高さほどもあった。その丸太は、森の木の足りないところを補うものなのだという。そうして、そんな“ばかでかい”バリケードを張らなければならない原因は、ユベトル統治者ミシュルの防御魔法が衰えたことによる国境対策なのだといった。それらを確認したディックは隣国の情勢変化が気になって聞いてみる。
「国境にこれだけ大きなバリケードを張るのは……隣の勢力圏エルセムは今、そんなに不穏な動きをしているのか?」
 調査目的の名目で情報収集するディックに、ジョゼは呆れ顔で応じる。
「ああ? モンスター除けに決まってるだろ? 何せエルセムはそいつで大変だって噂だ。他国を攻めてる余裕なんてないだろ。こないだもエルセムから国境を越えたモンスターが来やがって大変だったんだぜ。だから、ユーベルで行政官吏役をしていらっしゃるプリュス国王からの直々のおたっしで、こうして対策に乗り出してるってわけよ!」
 ジョゼの言葉は、ディックにとって驚きの連続であった。
『小国ナニク……国王のプリュス……ってことは……』
 “プリュス・ナニク”。この名は、ディックには忘れられない名であった。本来自分が、調査しようと見定めた男。表面上は温和ながら、女王ミシュルの側にいて不穏な動きがうかがえた官吏であったのだ。
「そのプリュス国王は何時頃ミシュル女王の傍にあがるようになったのかい? 国王が不在じゃあ、国も困るだろう?」
 ディックがさらにプリュスに関する調査を進める。
「プリュス国王が官吏に上がったのは、ミシュル様が統治者となられたのと同じ頃よなぁ。国王が不在の間はご母堂のプリシラ上皇が統治なさっておられる。ナニク王国は、それなりに安泰ってもんさ。国王不在で困るのは、ミシュル様のところだろ。スフォルチュアって国は……」
 そこまでジョゼが語った時、ディックの乗る馬車はエルセムとの国境に到着する。
「悪い。話はここまでだ。しっかり調査して、報告してくれよ。あ、ユーベルに戻ったらジョルジュにもよろしくな!!」
 ジョゼと別れたディックは、国境にバリケードを張ってゆく男たちの作業を見ながら考えをまとめていた。
『プリュス・ナニク……あの疲れた行政官吏が国王だとは思わなかったな……というか、ユベトルは小国家が同盟を結んだ連合勢力圏。行政機関に彼らが入り込むのは当然といえば当然なのかもしれないな』
 ディックが調べた上では、プリュスの人となりは良好といってよかった。現在作られている国境のバリケード補強も、数々の状況を重ねて考えればプリュスが宮殿であれほど疲弊していたのも理解できる。ディックは、自分のたてた仮説が崩れるのを感じたが、プリュスの真意がつかめたことは大きな収穫を得た実感していた。
 ディックは思う。
『プリュスではなくても、誰かがなんらかの目的で女王を今の状況に陥らせたのは明白だ。
謁見の時、ミシュルに近づいただけでしおれたハーブ、きっとミシュルの近くに何か目に見えないものがハーブをしおれさせたのかもしれない』
 謁見の時、その存在はディックの目には見えず、そして何も臭いも違和感も与えなかったのだ。
『ミシュルの周辺、またはミシュルのベットの下とか天井とかに何かミシュルの体調を悪くするような何かがあると思う。それもハーブが急にしおれだすほどに強い何かがある……もしかしたらそれは魔法の部類かもしれない、あるいは機械の部類かもしれない』
 ディックは、ミシュルをそんな体にし、ハーブをしおれされた強力な何かがあることは確信していた。できるならば、強引にでもハーブに眠りのエキスの含ませ城内に送り込み、側近達を眠らせた後でミシュルをあの場から移動させたいと思うほどに。ディックがそんな最終手段に出るのかどうか。
『そうそう、プリュスや官史達にもハーブを届けないとな。疲れ気味なので疲れを取れるハーブティの差し入れも忘れないようにっ、と』
 そんな計画をたてた後、ディックの体はこのヴェルエル世界のユベトル勢力圏ナニク王国より消えていた。この後、彼がどの場所に現れるのか、それは誰にもわからなかった。
《N11/5の月24日/15:00》



○エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所《K14/5の月30日/12:00》

 可憐な容姿をした青年ジニアス・ギルツと、一見ごく普通の可愛い少女ラサ・ハイラル。二人は、ヴェルエル世界のエルセムにおいて本来ならば『モンスター退治の英雄』であって当然の活躍をした異世界人である。しかし二人は、『異国人』であるという理由だけで、助けたエルセム兵士たちに捕らえられてしまっていた。彼らは自分たちを尋問する兵を説得しようと試みたのだが、かえって大きな誤解が生まれてしまっている。その誤解とは、エルセムで暴れているモンスターは、ジニアスらの国より来たものだというものであった。その誤解が解けないまま、彼らはエルセムの異国人収容所へと送られる。そこでさらに厳しい尋問を受けるというのだ。

「まぁ、いきなり異世界人つっても信じられないよなぁ」
 ため息まじりの青年ジニアスに、
「なんか話がどんどん面倒臭くなってきたなぁ……」
と同じくため息をつきながら応じたのは、本来の姿に戻った少女ラサだった。やや透けたの姿のラサに、ジニアスが応じる。
「まずは、異世界人と異国人の違いを証明しないと駄目って事か? 話がややこしくなったけど、俺らの事を理解しようと努力してくれている訳だし……もう少し交渉を頑張ってみるか」
 そんな二人が相談する場所は、『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』。半ば恒例となりつつある彼らの反省会は、この場所で行われていた。
「そうだよね。兵士さんも現状を何とかしたいのは、ボクらと一緒だと思うんだよね。エルセム住人のためにも、収容所にいる異国人のためにも早いとこ事件を解決しないとだよ」
 ラサにせかされるものの、ジニアスには“異世界人”と“異国人”の違いを証明する方法には、まだ迷いがあった。
「ララとかヤヤとかに了承を得てから、一緒に来てもらえれば異世界人であるという証明は簡単にできるだろうけど、下手すると住人消失事件の犯人にされそうだし、信頼関係できるまでは、やらない方が無難だよな」
 様々に考えるジニアスが自分の考えを口にする。
「……というか、連れて行けるかも謎だし」
 とつぶやいた時、
 ××おじゃましますぅ××
 という、『バウム』恒例の声がかかった。
「あ、ララさんだ! ジニアスの声、聞こえてた?? ちょっと、一緒に行かれるかどうか教えてくれるかな?」
 ××はいぃ。お二人のご相談内容が聞こえて来ましたのでぇ、ご説明にうかがってますぅ××
 呼ばれなくても飛び出てくるララの声が、二回も続くとなるともう二人も慣れたものですぐに本題を続ける。
「ぶっちゃけ、ジニアスが言ってたみたいに、『バウム』の誰かってヴェルエル世界に来られるものなの??」
 元気よく聞くラサに、ララの声が謝る。
 ××すいません〜。『バウム』の店の者は、誰もヴェルエル世界にうかがうことはできないのですぅ××
 ララは、その理由を説明する。
 ××『バウム』自体は、流動する世界に不干渉であることで安定を保っているのですぅ。『バウム』が特定の誰かに直接的に干渉すると、世界全体のパワーバランスが崩れて、関連する世界はもとよりこの『バウム』自体も消滅する可能性があるからですねぇ××
 そしてララは、かつて流動的に変化する世界に干渉してしまったウェイトレスとウェイターがいたことを例にあげた。
 ××時空間の移動はもちろんですがぁ、その土地の流動的な歴史に関ることは大変精密な作業の上、高度なアフターケアも必要になりますぅ。干渉してしまった彼らは、時空間のひずみに飲み込まれた可能性があるのですぅ。ですのでぇ、『バウム』の店の者は、特に安定の確認された世界でない限り、異世界を訪れたり干渉したりできないシステムになっているのですぅ××
 ララの回りくどい説明に、ラサが頭を抱える。
「えーっと、それってとにかく『バウム』では店員が行けるとこと行けないとこがあって、ヴェルエル世界は行かれないとこ、ってことだよね!」
 ××その通りですぅ。基本的に『緑の窓』からつながる世界には、直接行くことができないのですぅ××
 そんな彼らの会話を聞いていたジニアスが聞く。
「直接できない、っていってもまったくできないってこともないんじゃないか?」
 ジニアスは、『バウム』の過去の干渉事例を考慮して確認する。
 ××そうですねぇ。『バウム』自体に何か問題が発生した際に、直接みなさんの思考にコンタクトさせていただいたくことはあかもしれません〜。それは緊急の度合いにもよりますがぁ、よほどの事がない限り、各世界で行動中の皆様にご連絡することはありません〜××
 そんなララの説明を聞いたジニアスがうなる。
「となると、『バウム』以外の方法で異世界人って証明をしなきゃならない訳だが……むぅ」
 考え込むジニアスに、ラサが触れられないまでも脇をつつく仕草をする。
「もう行こうよ! ……異国人を無実なのに、収容所にいつまでも閉じ込めてたら、それこそ戦争沙汰になりかねないしね」
 エルセムの異国人収容所の現状を心配するラサは言う。
「本当は、ボクとジニアスとで、独自に行動して魔物退治しながら、住人消失事件の原因を
調査させてもらえれば理想だけど、ボクら自身がエルセムの人にとって不信人物に他なら
ないって事だから……まずは、彼らに信頼してもらえるように頑張らなきゃね!」
 自分の理想を語ってジニアスを元気づけようとするラサ。そんなラサに笑顔を向けたジニアスが言う。
「そうだな! ヴェルエルは高度な物質文明世界だから、分析技術とかも高度だろうし……」
 そこまで語ったジニアスは思いついたように言う。
「ってことは、この世界に存在しない物質を持っていればこの世界の人間ではないと信じてもらえるかも……」
「うん! それってグッド・アイディアだよ!!」
 顔を見合わせて親指を上げるジニアスとラサ。そんな二人の前に、ヴェルエル世界の緑の大地が広がった。その世界に向かう二人の背後で、
××すみません〜、お使いになる特殊アイテムは登録してくださいぃ。それとぉ、ご本人の手を離れると消えてしまうアイテムもありましてぇ……何で消えてしまうかというとぉ……××
 と説明する声が上がったのだが、残念ながらその声が彼らの耳に届くのは、この回の来訪が終わってからであったのだった。

 エルセム村落より遠く離れた地に移送された二人。二人の送られた地は、エルセムの中でも一番厳しい気候として知られる場所であった。
「くーっ、すっかり忘れてたけど、ここってかなり寒くないか?」
 防寒具は用意していないジニアスが震えながら、青いリュックを背負った白ネコのぬいぐるみを見やる。
「ラサの方は大丈夫そうだな」
 白い毛並みのぬいぐるみに“完全同化”中のラサが頷く。
「もともと暑さ寒さは関係ないもん♪」
 こういう時ばかりは、精神体のラサがうらやましいと思うジニアスに、いきなり銃がつきつけられる。
「おい! おまえたち、今、一体、何をした!!」
 銃をつきつける兵たちに、ラサがつぶやく。
「あ、やっぱり一瞬消えたの、わかっちゃったんだ」
 生きているかのように動く“白ネコぬいぐるみ”のラサ。そのラサにも銃は向けられる。
「おまえたちの世界からモンスターが来たのは聞いている! も、もしや、ゲイル様のおっしゃるとおり、おまえたちがモンスターでも呼び出す所業をしていたのか!?」
 この状況に、ラサがあきれ返る。
「ボクたちがモンスターを呼び出すってぇ?? 誤解もそこまでいくと何だかなー」
「ああ。作為ってヤツを感じるよな……そういや、ゲイルってソイエの義兄だっけ?」
 ゲイルとは、ジニアスたちの行動を“自国のモンスターが逃げ出したのが許せないから退治に来ているのだろう”と断じた男である。
「……てことは、エルセム上層部で、俺たちの情報操作を進めているってのか?」
「んー?? そうなのかも」
 ジニアスの言葉に応じたラサは、目の前にいる兵たちの不穏な空気を読んでジニアスの頭に飛び乗る。
「こっちの兵の説得は、ジニアス、よろしくね!」
 と、ラサが再び応援モードに入り、ジニアスが『まかせろよ』と親指で応じる。だが、肝心の説得を行うには、いくつか越えなければならない点が残念ながら足りなかったのであった。

「今まで俺たちは異国人と思われていたようだが、俺たちは異国人ではない! まして、モンスターを呼び出すなんて、ありえない!」
 寒さも吹き飛ぶ勢いで、熱くジニアスが演説する。
「まずは、俺がその証明を見せよう!」
 そう豪語したものの、説得に利用しようとしたアイテムを自分の背中に現出させることができなかった。
「あ、あれれ? ちょっと待てよ」
「……もしかして、忘れてきちゃった?」
 心配顔の白ネコぬいぐるみに、ジニアスが肩をすくめる。
「そのようだな……というか、特殊なものは必要ならば毎回用意しとかないといけないみたいだ……」
 どこかで“すみません〜”と謝られている気がするジニアス。その背中が銃口で押された。

 ジニアスとラサとが押し込められたのは、エルセム村落より遠く離れた地マノメロという地域に立つ収容施設であった。元は研究所であった施設には、研究室の扉が外され、急ごしらえの鉄格子が代わりに取り付けられていた。
「何だか、収容所っていうわりにはずいぶん綺麗なところじゃない?」
「やたらと明るいしな」
 強めの白い照明があたり、薬の香りが漂う室内には、埃一つ落ちていない。その光景は、ラサに一つの記憶を呼び覚ます。
「収容所なのに……薬の香りがこれだけ強いって……病院みたい」
 つぶやくラサは、ジニアスに叫ぶように言った。
「この収容所、今も何か研究に使われてるよ。じゃなきゃ、こんな薬の香り、するわけない!」
「……ラサ……」
 ラサをなだめるようにジニアスが抱きしめる。そのラサの記憶は、ジニアスにとっても辛いものだったのだ。二人はそのまま、収容所の一室に押し込められる。と、周囲の部屋からラサを奇異に思う者たちの声が上がる。
「見ろ! あのネコ」
「ぬいぐるみみたいなのに……しゃべるわ!」
 ラサ自身はこの収容所で情報収集をしようと思っていたのだが、それは大変なことなのかもしれないと感じ始めていた。

 エルセムには異端の者として周知されてしまったジニアスとラサ。二人が捕らえられたのは、元研究所であったというエルセムのマノメロ異国人収容所。この収容所では、今も何かの研究が行われているらしい。彼らが次にどう動くのかは、まだ誰も知らない。
《K14/5の月30日/14:00》


○エルセム首都郊外《J06郊外/5の月40日/21:30》

 今も不穏な状態の続くエルセム。そのエルセムのセム宮殿において、エルセムの統治者ソルエ・カイツァールと公式な直接交渉を行った異世界人がいた。竜の角と翼、そして尻尾を持つ竜人の異世界人クレイウェリア・ラファンガードである。5の月の半ば過ぎに行われた異形の者との初会談は、残念ながら成果の上がらないまま“再招待”という形で中断されることとなる。その中断を進言したのは、ソイエの義兄ゲイル・カイツァール。ゲイルは、セム宮殿に現れ消えた異世界人トリスティアを『住人消失事件』の犯人と断じ、さらにモンスター退治を行った異世界人ジニアスとラサとを“モンスターを呼び出す”犯人と断じた男であった。

 セム宮殿での会談後、仮の居住地でもあるエルセム郊外に戻ったクレイウェリア。そんなクレイウェリアの元に、統治者からの招待は一向に届かなかった。その間、ソルエの様子など気にならない訳ではないクレイウェリア。エルセムの森に入ったモンスターは、『はちみつ色の少女に倒される』……という噂も耳には入るものの、無為に刻だけが過ぎていってしまっていた。そんな夜半に、クレイウェリアのいる郊外で突然叫び声があがった。
「モンスターが出たぞ!!」
 その声に、自警団に所属する者たちが銃を手にして外に飛び出してゆく。クレイウェリアに家を提供した家主もまた銃を手にしながらクレイウェリアに声をかけた。
「では、わたしも行きますが……あなたのお力も借りられませんか?」
 『はちみつ色の少女』の噂は、エルセム郊外の住人代表でもある家主ゼフも知っていた。しかし森の外であるこの区域では、その少女の助けは期待できないのだ。ゼフは、クレイウェリアの実力もよく知った上で、相談すれば頼りになると確信していた。そんな家主ゼフの頼みに、クレイウェリアは立ち上がる。
「当然! 何だかんだでズ〜ッと世話になりっぱなしで、体がなまってたとこだよ! それに、ここがモンスターの襲撃を受けちまっては会談どころじゃないからね」
 先の会談ではソルエに、やれ大事がどうだ小事がどうだと偉そうな高説を述べた以上、ク
レイウェリアの姐さんとしては黙ってやられるつもりはなかった。自らにとっての「大事」である今、自分の主義を実践する機会である。
「世の為人の為、人々を困らせるモンスターってヤツを退治するしてやろうじゃないか!」
「ありがとうございます!」 
 そのままモンスター出現方向に走り出そうとする家主を、クレイウェリアが制する。
「とは言え、このクレイ姐さんも、何の考え無しに戦うほどお安い奴じゃないからね」
 家主を止めたクレイウェリアが、自分のモンスター退治計画を伝えていた。

 エルセム郊外の夜は暗かった。必要最小限の光しか使わない家々。道を照らすのは、自警団の個人が照らすランプの光だけだった。
「……ランプったって、なんだこの光る巨大ナメクジみたいな虫は……!」
「懐虫がめずらしいようですね。特に改造されたこの懐虫コミネジは、手で持たなくても貼り付けるだけで、好きな方向を照らし出してくれますから……」
 走りながら、エルセム特有の生物を説明する家主。その進行方向に、元来ヴェルエル世界に存在しないモンスターの咆哮があがった。
 クレイウェリアがモンスター退治に到着した時、すでにモンスターは自警団の人々に包囲さされつつあった。
「……これが、エルセムを荒らしてるモンスターなのかい」
 暗闇の中、懐虫ランプで浮き上がるのは全身体毛でおおわれた巨大な人型をしていた。その人型モンスターは、数十体でこの郊外を襲ったらしい。
「じゃ、家主さん! 打ち合わせどおりみんなにモンスター3〜4匹に銃を撃ち込んで“生体索敵機”とやらを発動してもらって!」
 家主ゼフが頷いて団員に指示を送ると、すぐに団員たちからの報告があがってくる。
「だめです! 動きが速すぎて、銃をあてられた者はまだ一人もいないそうです! すでに負傷者も出ていて、この場所に追い込んだのが精一杯とか」
 郊外の自警団は、地域を守るために一般民が自主的に集まった集団である。実際のモンスターに遭遇して、冷静に昇順をあわせられる者など少なかったのだ。
「仕方ないね。まずは、モンスター3〜4匹、銃を撃ち込みやすいように弱らせてやるしかなさそうだね!」
 報告をうけて指を鳴らすクレイウェリアが、モンスターに向かって飛び出してゆく。その姿を見た自警団の誰もが、頼もしい助っ人の存在に安堵の息をついた。
「クレイウェリアさんだ!」
「見かけはモンスターみたいだが、強いこの人が来たなら安心だ!」
 怪我人を運ぶ者たちにも希望の光がともる中、クレイウェリアの戦いは始まった。

 クレイウェリアがモンスターたちの中心に飛び込むと、人型モンスターの目の色が変わる。
「何だ? 目の光り方が変わったようだな」
 同時に、ただ闇雲に暴れ回るだけであったモンスターが、クレイウェリア目指して集中してくる。しかも、モンターたちから放たれる殺気は、先まで自警団に向かっていたものとは明らかに違った。
「こいつらが本気になった? いや、このあたいを狙っているようだね!」
 郊外に現れたモンスターのすべてが、クレイウェリアを狂ったように狙ってくる。モンスターの鋭いツメがクレイウェリアの頬に傷を作る。
「上等! ヌルイ戦いってのは、あたいも嫌いなんでね!」
 クレイウェリアは全身に闘気をまとい、指先に闘気を集中させる。
「はあああっ!」
 気合いと共に、放たれる拳。刃のごとき一撃に、モンスターの一体が倒れる。
「右方向、一体が体勢を崩したぞ! 打てぇ!!!」
 クレイウェリアの技にダメージを受けた一体に、自警団から銃弾が命中した。そうして、生体索敵機のデータ確保に十分な3体が打たれたのを確認したクレイウェリアが、竜人に古くから伝わる武術『聖竜覇王拳』で残りのモンスターをすべて叩きのめしていた。

 銃を撃たれたモンスター3体は、ワザと逃がされていることを知らず、其々別方向に逃げ出していた。クレイウェリアは、その中の一体を遠巻きに追跡していた。
 追跡するクレイウェリアは前提として、元来ヴェルエル世界に存在しないモンスターが「現れた」以上、その「出現」地点には何らかしらの秘密が有る筈と考えていた。
『出現地はもしかしたら、異世界間ゲートかも知れませんし、モンスターの集う巣かも知れない。その仮説で言ったら、モンスターの活動範囲は「出現」地点を中心にしている可能性があるってもんだ』
 この仮説は、家主ゼフも賛同したものだった。
『こう3体バラバラに逃げてるってことは、出現地ってところに帰巣本能が働いていないってのか? ……それとも』
 様々に仮説をたてながら追跡するクレイウェリアは、郊外の林の中に見慣れない形をした巨大な生物らしき物体を見つける。
「……あれは……何だ?」
 懐虫で映し出されるのは、大蛇を思わせるフォルム。暗がりの中、全体像まではわからなかったが、宙に浮いているようにも見えるその物体が高速で林の奥へと消えてゆく。クレイウェリアがその存在を追うかどうか一瞬迷う間に、突然目の前のモンスターが苦しみ出す。
「ヴ……ガアァァァ!」
 頭を抱えてのたうちまわるモンスター。その体が異臭を放ちながらとけてゆく。
「これは一体?」
 その様子を見守るしかないクレイウェリアの前で、モンスターの体は骨も残さず消えていた。ただ、モンスターのいた形跡だけは、郊外の土の上に確かに残る。
「モンスターのいた証拠はこれだけ、か。おそらくは、残った他のモンスターも同じ最後だろうね。とにかく、これはとっといた方がいずれ役には立ちそうだね」
 焼けて溶けた飴を思わせる粘着性のある物体の一部を掘り起こしたクレイウェリア。クレイウェリアは、辺りの葉にそれを包むと懐に入れた。

 翌日、早朝からモンスター出現の報で集まった正規兵たちがモンスターの現場検証にやってきていた。骨も残さずにとけたモンスターの体は、彼らによって回収されてゆく。その作業の最中ずっと事情徴収をされたクレイウェリアであった。その事情徴収からクレイウェリアが解放されたのは、昼も回った時刻であった。すでに撤収作業に入っている兵たちの中から、クレイウェリアは現場の指揮官らしき一人を見つけて声をかけた。
「ちょっとあんた」
 呼び止められた指揮官は、眉をひそめながらクレイウェリアを見る。
「あんた、とは……この私のことか」
 異形な者から声をかけられるだけでも気にくわないところを、クレイウェリアの態度がさらに指揮官の気分を逆なでしたらしい。それでも、クレイウェリアの活躍を数多く聞いたため、クレイウェリアに振り返る。
「話があるならば、手短に言え。モンスターに関する事情徴収の方は、部下が十分行ったはずだ」
 肩をいからせる指揮官に、クレイウェリアは一通の手紙を手渡した。
「この書状をソルエに渡してくれないか」
 それは、うやむやになっていた再会談をうながす書状であった。
「何事も筋を通すのが、あたいの流儀だ。今回のことで報告したいこともあるしな」
 クレイウェリアの言葉に、指揮官の眉間の皺が深くなる。
「……事情聴取した内容以外にか?」
 慎重に確認する指揮官にうさんくさいものを感じたクレイウェリアが、大きな胸をそらせて言う。
「当然。この件は、エルセムの今後にかかわることだからね。ソルエ以外に報告したくないんだよ」
 実際のところクレイウェリアの言う報告とは、口実であるところが大きかった。
『異世界人がモンスター退治した件について、筋を通したいのが主旨だけどね。まあ、あの大蛇についても……大蛇の方は証拠もそろってないんだけどね』
 だが、クレイウェリアの言を指揮官は別の意味にとったらしい。
「了解した。この書状、確かに届けよう」
 クレイウェリアから受け取った書状の証明書までも残し、指揮官らは郊外を去っていった。
 そして、クレイウェリアに再会談の日時を決める書状が届き、再会談が実現するのはこのすぐ後のことであった。
《J06事件中心地/6の月10日/9:00》


○エルセム首都郊外《J06郊外/5の月40日/14:00》
 エルセム中心地から森に入ったモンスターは、『はちみつ色の少女に倒される』。この噂の元となったのは、異世界人の少女トリスティアである。トリスティアは、エルセム兵のモンスター索敵個所を見極めると、先回りをしてモンスターを退治するという術を極めていたのである。そしてトリスティアは、一旦『バウム』に戻った後も、同じ場所に現れることを選んでいた。

「こんにちは! また買い物に来たよ!」
 はちみつ色の短い髪をした少女トリスティアが、森にほど近い一軒の店に顔を出す。
「お、この声は、前に来てくれた子だね。今日もお父さんのお使いかい?」
 野営用品も置いているこの店の主人は、視覚に障害のある老人である。
「うん! 今日もいっぱい頼まれているから、いっぱい買っていくね!」
「そうかい? ありがとうよ」
 元気よく答えるトリスティアに、老人は人のよい笑顔を向けた。
 モンスター退治の英雄として噂されるトリスティアには、もう一つの顔がある。それは、エルセムを鎖国に追い込んだ『住人消失事件』の犯人としての顔である。エルセム全土の生体索敵機を装備する住人には、トリスティアの容姿が最大級の指名手配犯として知れ渡ってしまっていたのである。
 店内であれこれと必要物資を籠に入れるトリスティアに老人は言う。
「最近、ここいらではモンスターがでても、『はちみつ色の少女に倒される』っていうから安心になったよ。お嬢ちゃんも安心して買い物ができるだろ?」
「うん! そうだね!」
 老人の世間話を照れくさく思いながらも、トリスティアが食料を中心に商品を選んでいく。その中で、トリスティアは不思議な生物らしい模様の入った缶を見つけて老人に聞く。
「おじいさん、この光る虫の絵が入ってる缶は何?」
「おや? 懐虫を知らないのかい? まあ、子供にあまり持たすもんでもないがね」
 と、老人が説明するところによると、缶の一つは懐虫コミネジ。説明によると懐中電灯のようなものらしい。もう一つの小ぶりの虫が入ったものは、懐虫コネジ。こちらは、缶を開けると同時に強い光を放ちながら空を飛ぶ信号弾になる虫が入っているという。
「そっか。じゃあ両方買うね!」
 意外なところでほしいものを見つけてトリスティアが喜ぶ。
『そっか、ヴェルエル世界っていうのは自然との共存がモットーだからね。……というか、エルセム自体は、機械文明よりも生物で代用できるものは、生物優先で発達してきた地域ってカンジだよね』
 トリスティアは、野営中に事故や遭難などのトラブルが起こったとき救援を呼ぶ道具を調達したいと思っていたのだ。
『これで信号弾ゲットだね! ついでに何だか便利そうな懐中電灯まで手に入れたよ』
 気をよくしたトリスティアが、どうしても見つからない品の所在を聞いてみる。
「あと、無線機みたなものって、ないの?」
 エルセムの技術力なら、それくらいの物の調達はそんなに難しくないのではないかと思っていたトリスティア。そのトリスティアの前で老人の顔色が変わった。
「“無線機”……と言ったかね?」
 念を押す老人に、トリスティアは心の内で『しまった』と思う。
「……え? そんなこと言ってないよ。虫除け、って言っただけだけど?」
 とっさに苦し紛れの品を言ってみる。トリスティアにとっては意外性のあるエルセムの文明である。何が地雷になるのかわからないのだ。
「そうかい、そうかい。“虫除け”だったね。そいつはこっちだ。虫によって違うけど、どれがいいかわかるかい?」
 丁寧に教えてくれる老店主に、トリスティアは小さな胸をなでおろす。そのトリスティアに老人は薄くなった髪をなでながら言った。
「“無線機”とか聞こえたもんだから、てっきりお嬢ちゃんが『異国人』なんじゃないかって疑っちまったよ。すまなかったね」
「ううん。はっきり言わなかったのも悪かったんだよね! 気にしてないよ!」
 表面上、笑顔を保ちながらもトリスティアは思う。
『……そっか、無線機とかって、エルセムの人は使わないのか。じゃ、代わりに何を使うんだろ?』
 トリスティアは、小さな買い物一つにも、文化の大きな壁を感じていた。

 この物資の調達が終わった後、トリスティアは始めて助けた村に向かっていた。この村は、かつてジニアスとラサが助けた村でもある。
「今まで何回もモンスター退治してきたけど、どうもこの村が襲われる頻度が一番高いんだよね」
 移動には、エアバイク型AI『トリックスター』にまたがるトリスティア。軽く宙に浮く機体は、エルセムの森を傷つけることなく進んでいく。目標の村落に到着するまで、そう多くの時間はかからなかった。
 その周りは自然を愛し、自給自足で生活する村民たちが住む村落である。トリスティアは村につくと、まず村民の一人に声をかける。
「あのさ、この村の責任者に面会をしたいんだ。ちょっとモンスターについて、話したいんだけど伝えてもらえるかな?」
 エルセム一般市民の白衣とは違い、素裸に近い姿をした若者がトリスティアに頷く。そして一つの家に向かって走って行った。ほどもなく中年女性が、満面の笑顔を見せて現れる。
「ようこそ! シラセラ村へ! わたくしは、この村の村長でクニミ・ノーハと申します」
 クニミと名乗った女性は、トリスティアの前でうやうやしく頭を下げる。
「あなたが、『はちみつ色の少女』ですね。あなたを見た若者が、間違いないと申しておりました。何度も村を助けていただき、ありがとうございました」
「……ボクのこと……信用してくれるの?」
 トリスティアは、ヴェルエル世界を訪れて始めて自分を信用してくれる者に出会っていた。
『そういえば……今までみんな……ボクのこと、すぐ疑ってたんだよね』
 そう思うと悲しくなってしまうトリスティア。その気持ちがわかるのか、クニミがトリスティアを抱きしめる。
「もちろんですよ。今まで何のお礼もできず、申し訳なく思っておりました」
 クニミの言葉を聞きながらトリスティアは、この村に来ることを選んでよかったと感じる。そして、先の店で購入したばかりの救援用の虫缶を渡した。
「またモンスターに襲われたりしたら、これでボクを呼んでね。すぐに駆けつけるから」
 まだ涙声になってしまうトリスティアは、クニミに約束する。さらに救援を呼ぶための虫缶を複数渡して言った。
「よかったら、こっちは他の村に配ってあげて」
 この缶から出る虫の信号弾によって、モンスターに襲われた人たちが直接トリスティアを呼べる手段を確立しようとしたのだ。用件を伝え終えると直ぐにトリスティアは『トリックスター』に乗って立ち去ろうとする。それを慌てて止めたのはクニミであった。
「それではわたしたちが何もお礼ができません。……あなたは、この後どちらに行かれるのですか?」
「うん。ボクは変な疑いがかかってる犯人みたいだから、また兵士に捕まらないよう森に潜伏するつもりだよ」
 その言葉を聞いたクニミが、やや強引にトリスティアを引き止める。
「そんな事をうかがいましたらば、このまま森に行かせるわけにはまいりません。まして、モンスター退治を続けていただけるのならば、なおさらです」
 きっぱりとクニミは言う。
「どうぞ、この村にご滞在ください。それでなくても、モンスターがこの村に出現する回数が増えております。このままでは、村の存続が危ういのです。このシラセラ村は、現エルセム統治者ソイエ様のご母堂がお育ちになられた村だというのに……」
 意外なところで、ソイエとの接点を見つけたトリスティア。そうして、シラセラ村を中心にモンスター退治を続けるトリスティアが、モンスター襲来前には大蛇が出没するらしいという噂を耳にするのは間もなくのことであった。
《I05(エルセム村落)/6の月10日/9:00》


 様々な土地で、様々な人々、そして様々な事象に出会う者たち。
 彼らはまた『バウム』へと帰還する。
 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。
 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。
 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられていた。

参加者有効技能一覧
戻る