「平和の歌」 第4回

ゲームマスター:いたちゆうじ

 レルネーエン世界の中心にそびえたつ塔。
 その塔の頂上に向かって、一人の青年がゆっくり階段を踏みしめ、下の階から上の階へとのぼりつめていく。
 青年の名は、リスキー。
 魔法の天才である彼は、独自に開発した「歌」の魔法を使って、子供たちの魔法の力を向上させることに成功した。
 だがリスキーの行為は世界に混乱をもたらし、力を与えられた子供たちも内部分裂を起こして争いを始め……結果、リスキーは支持者を失って孤立する危機に陥った。
 そんなリスキーの精神に、邪悪な何かがとりついた……。
 いま、塔をのぼるリスキーは、もはや好青年の顔ではない。
 目つきは険を帯びて、全体に焦燥感が漂っている。
 そして、口もとに浮かぶ不気味な笑み。
「ふふふ。歌ってやるぞ、憎しみの歌を……世界中の人間が争うようになる……大人も子供も、だ。世界は混沌に包まれ、負の力が塔に集まる……」
 その声は、明らかにリスキーの声ではなかった。
 しわがれた声に、古代のなまりが強く出ている。
「ね、ねえ、どこに行くの? 大丈夫なの? 何かに心を支配されているみたいだよ……」
 リク・ディフィンジャーはリスキーの後を追って階段をあがってゆく。
 だがリスキーには、リクの声など聞こえていないようだった。
「世界は……支配される……偉大な力に……」
「この人は完全に心を支配されてしまったの? 理性をなくしてしまったの?」
 深い疑問を胸に抱きながら、リクはリスキーを追うのだった。



 そのころ、リスキーの力で魔法の力を飛躍的に向上させられた男の子たちは、街中の、自分たちがつくりだした真珠の城に閉じこもって、ガタガタ震えていた。
 リスキーの呼びかけに応じて、自分たちの理想の国をつくろうと団結したかに思えた子供たちだったが……。
 予想もしなかった、男子と女子の分裂が起きてしまった。
 魔法の力を面白がった男子が、女子のスカートをめくるなどのイタズラを繰り返したことがもともとの分裂の原因だったが……。
 それでも、誰かが女子を煽動しなければ、これほどはっきりした分裂にはならなかっただろう。
 いま、トリスティアの率いる魔法少女隊は男の子たちの閉じこもる真珠の城を取り囲み、ものものしい雰囲気に包まれていた。
 すさまじい表情で、下唇をかみ、真珠の城をみつめる女の子たち。
「よし、兵器の準備はバッチリだね」
 指揮官を務めるトリスティアは、女の子たちが魔法でつくりだした恐るべき兵器の数々を点検し、明るい笑顔を浮かべた。
 魔法で作った砲台群や、コショウ爆弾を乗せた投石器が攻撃準備完了の状態で設置されている。そして大空には、魔法で呼び出したカラスの大群がひしめいている……。
 カアカア! カアカア!
 カラスは鳴きわめいた。
「この城に閉じこもっている男の子たちは、新しい国づくりの中核を担っていた連中だね。ここを撃破すれば、闘いは終わる……」
 トリスティアの胸には、感慨が満ちていた。
 思えば、何と長い道のりであったことだろう。男の子たちにスカートをめくられ、衝撃のあまり言葉を失ったときから、彼女の闘いは始まったのだ。
 ナイフを振りかざして男の子たちを追いかけ、スカートめくりを撲滅させた、あの日々。
 そして、魔法少女隊を結成し、新しい国をつくろうとする男の子たちをふるえあがらせた、電撃の作戦。
 長い闘いが、いまようやく終わろうとしている。
 この闘いが終われば……終われば、どうなるのだろう?
 ああ、そうだった。
 女の子たちを中心に、レルネーエンをよくする運動を起こすのだった……。
 トリスティアはメガホンを取り出し、魔法少女隊に呼びかけた。
「さあ、あともう少しだよ。女の子や大人たちにイタズラして回ったと思えば、今度は子供だけで理想の国を作ろう、と。そうやって何か枠を作って、その中で自分たちさえよければいいっていう、そんな男の子たちの考えが気に入らない! だから、ボクたち女の子が中心になって、お年寄りの力になったり、人に迷惑かける大人たちを止めたり、家事や街の清掃を手伝ったり……そうやって、自分たちの魔法の力で、大人も、子供も、お年寄りも、みんなが幸せに暮らせるレルネーエンを作ろう!」
 トリスティアがオーと腕を振り上げると同時に、女の子たちからワーッと歓声があがる。
 ワーッ! キャー!
 興奮のあまり失神してしまう女の子も出ていた。
 運命とは、何と数奇なものだろう。スカートめくりをきっかけとして、レルネーエン世界の一大改革運動が始まろうとは……。



「むむむ。トリスティアさん、本気ですね……」
 城の窓から外の様子をうかがっていたアクア・マナが唇を噛む。
 前回の襲撃で、真珠の城の外にいた男の子たちはみなどこかに追いやられてしまっていた。一説によると、少女賢者エリカの開いていたコンサート会場に追い込まれ、エリカの癒しの力に取り込まれてしまったらしいが……詳しいことは定かでない。
 いま、この城の中にいる男の子たちは、理想の国をつくろうという熱意に燃えていた中核メンバーだったはず。
 ……しかし。
 いまや男の子たちはすっかりおびえ、女の子たちの襲撃にガタガタふるえあがるのみ。
 アクアは、拳を握りしめた。
「トリスティアさん。あなたは何を考えているのでしょう? あなたのいっていることは本気なのでしょうか? 私は、もう……」
「アクアさん、お願いだよ〜。トリスティアをどうにかしてよ〜」
 アクアの足もとで、男の子たちは哀願の声を繰り返していた。



 一方、リスキーが頂上に向かって進んでいる塔の入り口には、七賢者のハゲアと、エクスブローン、そしてエルンスト・ハウアーの3人が集合していた。
「リスキーはこの中にいる……間違いない」
 ハゲアは強くうなずいた。
「精神を支配する魔法は、支配される相手よりも強い魔法の力を持っていなければ効果を発揮しない。リスキーは若いが、魔法の力は我々賢者にも匹敵する、大天才だ。そのリスキーの精神を支配することのできる存在とは、何なのか?」
 エルンストはハゲアとエクスブローン双方の目を慎重に観察しながら言った。
「さあ……だが、これだけはいえる。リスキーをさらにうわまわる魔法の力を持った存在だと」
 ハゲアは硬い表情で塔を見上げて呟いた。
「エルンスト、本当はおぬしも知っておるのではないか?」
 エクスブローンがエルンストを斜めにみていう。
「何を、かな?」
 エルンストは首をかしげた。
「ここでのんびり話している場合ではない。ときは一刻を争うのじゃ。この塔は強力な魔法で守られている……。破壊などするのは容易ではない。リスキーは頂上へと進んでいる。どうするか、じゃ。中に入って追いかけるか?」
 ハゲアはエクスブローンとエルンストの間に割って入って、問いかける。
「うむ……一度探検したわしにはわかるのじゃが、この塔を包む魔法の力は、内部に潜りこめばますます大きく感じられるようになる……。中に入っていくのは危険、なのじゃ。特にいまは、この塔に世界中から力が集まってきている……うかつに内部に入りこめば、わしらでさえ、魔法が使えなくなるかもしれん」
 エクスブローンは険しい目つきで言った。
「ふっふっふっ。魔法の使えなくなった賢者など、ただのジジイじゃからのう」
 エルンストは笑い出した。
「冗談をいっとる場合か……」
 ハゲアがたしなめるが、エルンストは笑いをやめない。
「わしは中に入るぞ……。お前たちは、塔を外側から探ればいい。宙に上がれば、頂上にまですぐに行けるじゃろう」
 エルンストは塔に入ろうと、ハゲアたちに背を向けた。
「待て。おぬし、何をするつもりじゃ? おぬしはわしらとは身体が違うようじゃが、それでも中に入れば危険にさらされるぞ」
 エクスブローンが問うた。
「虎穴に入らずんば何とやら。わしはこの塔の秘密を探る。内部から、力の流れを感じ取って……」
「そうか。なら、これをあずけよう」
 エクスブローンは黒い布に包まれた何かをエルンストに渡した。
「これは……」
 エルンストが包みを開けると、そこから出てきたのは、謎の多面体。この塔の内部でリクが発見したものだ。
「いよいよ危険になったら使うがよい。さて、わしらも行こうか」
「うむ」
 ハゲアとエクスブローンは宙に浮きあがる。
 いっきに塔の頂上まで行ってみようというのだ。
「ふっ。ジジイ二人が宙にのぼる。天に召されようとしているようにしか、みえんわい」
 多面体を懐におさめたエルンストは、笑いながら塔の中に入っていった。
「何だか、地獄に入るような心地じゃわい」



 真珠の城を取り囲むトリスティアの魔法少女隊。
 先ほど、女の子主導の世界改革宣言を発したトリスティアが、さらに男の子たちに最後通牒をつきつける。
「あーあー、とてつもなくスケベでいやらしい男の子たち、聞こえますかー? えー、ボクたちの要求を伝えるよ。まずはイタズラしたことを、ちゃんとみんなに謝る! 魔法の力を子供だけでなく、みんなのために使う! お年寄りや困っている大人には親切にして、女の子にはやさしくする! 以上の要求が受け入れられない場合は、男の子たちが好き勝手やりっぱなしのまま作る、自分たちだけの理想の国なんて……なんて……」
 と、ここでトリスティアは深く息を吸い込んだ。
「みーとーめーなーいーよー!!!!!」
 ワー! キャー! カアカア!
 女の子たちの歓声と、大空を舞うカラスたちの鳴き声が、辺り一面にとびかう。
 大騒ぎした女の子の中には、くるくるまわって互いの額をうちつけ、鼻血を吹いて倒れてしまう子たちまで出てきた。
「さあ、男の子たち、どうするの? まだボクたちと闘う? それとも降伏する? そろそろちゃんと決めなきゃダメだよ☆ うおおおおーえーい」
 だだだっ
 キーック!
 威勢よく走り出したトリスティアが、真珠の城の城壁に強い蹴りをくらわす。
 ワー! キャー! カアカア!
 ぶっしゅうううううううう(鼻血)
「ハアハア……ハアハア」
 はしゃぎすぎたトリスティアが次第に息を荒くする。
 真珠の城に閉じこもっている男の子たちからは、何の応答もない。
「ちょっと待ったー!」
 ディック・プラトックがトリスティアたちの前に立ちふさがった。
「うん? キミは?」
「とてつもなくお転婆でじゃじゃ馬な女の子たち、よく聞くんだ。男の子と女の子が、このまま対立してていいのかな? そりゃ、男子の行き過ぎた行動には怒り心頭っていうのもわかるけど……今まで一緒に勉強したり遊んだりしなかったか? その時はどう思ってた? みんな本当は友達なんだ。そうだろう?」
 しーん。
 ディックの呼びかけに、女の子たちは水をうったようにしずまりかえった。
 よし、いい感じだ。
 ディックはギターを取り出し、カラカラとかき鳴らす。
「ヘイ、ヒートアップ!」
 しーん。
 女の子たちは黙りこくっている。
「よく聞くんだ。男子には俺がよーっく言っておくから、だからさ……仲直りするきっかけ作ってもいいよな? ホラ、このままだとカッコイイ彼氏とかできなくなっちゃうぞ〜」
 最後の一節で、ディックはニカッとさわやかな笑みを浮かべた。
 ラララララララララ♪
 ディックのギターが軽快な音を奏でる。
 しかしトリスティアは言った。
「ディックのいってることはよくわかるよ。でも、ボクたちだってこのまま対立してていいと思ってるわけじゃない。だからこそ、男の子たちにいま、最後の決断を促しているんだよ。ボクたちと闘うのか、それとも降伏……仲直りするか。でも、みてよ、男の子たちはお城の中にこもったきりで、何もいってこない。これはどういうことなの? ボクはガッカリだよ。呼びかけにもこたえない男の子たち。頭の中では、またスカートめくりのことを考えているかもしれない。いや、もしかしたらもっとひどいことを……」
 トリスティアは真珠の城をびしっと指さし、合図を出した。
「もうダメだよ。突撃ー!」
 そのとき。
「そこまでです!」
 カラーンカラーンカラーン♪
 どこかから鐘が鳴り響き、かたく閉ざされていた真珠の城の城門が音をたてて開いた。
 その中から、出てきたのは……。
「アクア!」
「トリスティアさん……不思議なめぐりあわせですね。この世界で、私とあなたが闘う運命になろうとは……」
 アクア・マナは正面からトリスティアを見据えて、言い放つ。
「ちっ。何をおっぱじめるつもりだ? この子たちに俺の言葉は届かないのか? それとも……何なら通じる?」
 ディックは腕組みをしてため息をつき、考えこんでいた。



「ねえ、待ってよ。リスキー、どこまでのぼるのー?」
 リク・ディフィンジャーは塔の頂上に向かうリスキーを必死になって追いかけていた。
 ハアハア。ハアハア。
 疲れ知らずに思えるリスキー。追いかけていたリクは、次第に息が切れてきた。
 あれ? そういえばボク、どうしてこの人の名前を知ってるんだろう……。
 リスキー。その名前をリクはいつの間に覚えたのか? 謎だった。
 もしかしたら、この人の魔法の力が、ずっと追いかけていたボクに不思議な影響を与えたのかも……。
 青年の身体から漏れ出ている魔法の力は非常に強く、側にずっといるだけで、何らかの影響を及ぼすのだろう。
 これほどの強い魔法の力を持っているのに、なぜこの人は意識を支配されてしまったのか?
 リクにはそのことが不思議だった。
 この人は、きっと天才派なんだ。それなのに、なぜ?
 そのとき。
 リスキーが最後の階段をのぼりつめ、ひとつの扉にゆきあたった。
 ぎいい……。
 リスキーがその扉を開けると、ごうごうという風が吹きこんできた。
「ここは……」
 リクは目を丸くした。
 リスキーとリクは、塔の頂上にたどりついていた。
 そこは、まさに地上を遥かにみおろす高みにあり、風の吹きすさぶ音がやかましかった。
 屋根を持たない、塔の頂上。
 リスキーはゆっくりと、地上をみおろす縁にまで歩いていった。
「危ない! 落ちちゃうよ。柵もないんだから……」
 リクは慌てて追いかけた。
 リスキーは大きく腕を広げ、深く息を吸い込んでいるようにみえた。
「いったい何が起きるの!?」
 リクは運命がいまとびはねようとしているのを感じ、ぶるっと身震いした。



「はああああああ……」
 塔の下層では、危険を覚悟で内部に入り込んだエルンスト・ハウアーは、床に座りこんで目をつむり、全身全霊をかたむけて塔全体の力の流れを探知しようとしていた。
 ぎいいいいい!
 塔の中をうろついていた小鬼が、エルンストに襲いかかる。
「えーい、中断は却下じゃ!」
 ドゴーン!!
 エルンストが手を振ると、小鬼の身体が宙に吹っ飛んで、天井に頭を埋めた。
「ほおおおおおお……」
 瞑想するエルンストの身体が宙に浮き上がり、ふわふわと浮遊する。
 きいきいきい
 がーがー
 塔をうろつく魔物たちが、浮遊するエルンストを取り囲むように群がった。
 だが、そいつらはエルンストに何もしようとしない。
 エルンストが数体の魔物に発揮した力に驚いて、恐怖の感情を抱いているためだ。
「みえる、みえるぞ、恐るべき力の流れが……世界中にある負の力が、この塔に吸い寄せられている。負の力だけではない、いまや魔法の力全般を吸収しつつあるようじゃ。これは……」
 その瞬間!
「うおお、これは、これはこれはこれはこれはー!」
 エルンストの中で時間が逆流した。
 遥かな過去にさかのぼり、塔の起源がエルンストの意識の中にたちあらわれる……。
「むうっ。はあ!」
 エルンストは、くわと目を開いた。
 キーーーーン!
 浮遊するエルンストの身体から金色の光が放射され、驚いた魔物たちは闇を求めて逃げ惑った。
「はあはあ……わかったぞ、この塔の正体が。何ということじゃ……」
 一瞬。ほんの一瞬だが、エルンストは、この塔をつくった存在が、この塔の秘密を読まれぬようかけていた魔法の鍵を解除し、塔を包む時間の流れを読み、過去を探ることに成功したのだ。
 もっとわかりやすくいうと、ものの起源、そのものがいつどのようにつくられたかを読み取る魔法が、功を奏したということになる。
 エルンストが魔法の鍵を一瞬だけでも解除できたのは、この塔をつくった存在が、いまあることに意識を集中させているためだった。
 だが、その存在は、エルンストが塔の正体を読もうとしたことには、すぐに気づいたに違いない。
「やれやれ。この塔をつくった奴を倒さなければ、奴の秘密の一部を知ったわしは、奴につけ狙われ、消去されてしまうに違いないわい……」
 エルンストは荒い息をつきながら、塔の上方に顔を向けた。
 意識を飛ばせ。ハゲアたちに連絡をとるのだ……。



「アクア……! ボクとやるの!? なぜ?」
「トリスティアさん……私もあなたと闘うことを望んでいたわけではありません。ですが、いまやあなたは魔法少女隊の指導者。子供たちの分裂は、あなたの行動に負うところが大きい……。混乱を収拾するために、私はあなたと闘います。闘いで負けた方の組織は無条件降伏して組織を解体する。そして、勝者も敗者を寛容に許す……ということで、いいですね?」
 アクアは、トリスティアの瞳を正面からのぞきこむ。
 トリスティアも、決して目をそらさない。
「アクア……犠牲を最小限にしたいということなのかな? それならボクにもわかるよ。よーし! アクアが負けたら、男の子たちは国作りをやめて、ボクたちの理想に協力してもらう。いいね?」
「ええ。私は、男の子たちの代表となることを頼まれています。この闘いの結果が意味することについては、納得してもらうつもりです。それにしても、トリスティアさん、あなたの理想、とは? いつの間にそんな理想を持ったのですか……」
 アクアとトリスティア。
 いま、この二人が決着をつけるときがきたのだ。
 というわけで。
「はい、私の登場です」
 しゅぼんという煙とともに、ミズキ・シャモンが現れた。
「は〜」
 登場と同時に、ミズキは気をためた。
「陰陽術、萌えいずる氷の樹!」
 ミズキが親指を地につきたてると、地のその部分がぷくっと膨れて、植物の芽のようなかたちをしたものが萌えでてきた。
 よくみると、その芽のようなものは、すきとおった氷でできている。
 霜柱とみわけのつかない、不思議な氷の芽であった。
「はーーーーーーーー」
 ミズキが両手で胸を叩くと同時に、氷の芽は瞬く間に伸び上がり、苗木となり、さらに大きくなり……巨大な樹木となって、氷の風をそよがせた。
 カア! カア!
 カラスたちはあまりの寒さに、どこかにひっこんでしまった。
「お次はこれでもどうぞというわけです」
 ミズキは刺激臭のする液体の入ったお皿を取り出すと、氷の樹の根元にぴとっと垂らした。
 すると。
 しゅるしゅるしゅる。
 瞬く間に液体は広がり始め、氷の樹の根元を包みこんだ、巨大な湖となった。
 つーん。
 液体の湖が放つ、異様な刺激臭。
 人々は、思わず鼻をつまんだ。
「こ、これは硫酸!」
 アクアは戦慄した。
 そう、ミズキがつくりだしたのは、硫酸の湖。
 その湖のただ中にそびえる、氷の樹。
「さあ、お二人とも、あの樹の上へ」
 ミズキに促され、トリスティアとアクアはそれぞれ、氷の樹の上へ移動する。
「はーい、それではー」
 ミズキは胸の上で、腕を交差させ、バッテンをかたちづくった。
「いま、飛行アイテム及び飛行魔法の力を封じる結界をつくりました。あなたたちは、その樹の上から地上には戻れなくなりました」
「えっ! どういうこと?」
 トリスティアは目を丸くした。
「こういうことです。ほら、ここに時計が」
 ミズキが取り出した時計が、ときを刻む。
 チクタクチクタク……。
「30分後に、氷の樹は溶け、硫酸の湖にあなたたちは飲み込まれることとなります。それまでに勝負を決めてください。どちらかが勝てば、飛行封じの結界を解除します」
「なるほど。そういうことですか……ところでこの技の名前は?」
 アクアは問うた。
「ふふ。よくぞ聞いてくれました……」
 ミズキは感動に胸を震わせながら説明する。
「これは……そう、『硫兇氷樹闘』という闘いの方式なのです……」
 硫兇氷樹闘。
 その発祥は蒙古中央部で盛んに行われていた兇氷闘である。
 厚さ約1cmという薄い氷の張った湖等を選び、そこでいつ凍りが割れるかもしれぬという恐怖の中で戦うものであった。氷を割らずに動くには卓越した体術が必要とされたものである。
 そして、後の時代に三次元的な動きを加味するために樹などを模した氷の上で戦うようになったのが、この硫兇氷樹闘である……。
 現代において恐怖で身の縮む様を『薄氷を踏む思い』と言うのは、硫兇氷樹闘の闘いの経験から生まれた言葉であるという。
「以上、民迷書房刊『銀盤の騎馬民族』より、ですわ」
 ミズキはニコッと笑った。
「ところで、世界の危機なのですが……そのことについては、また闘いが終わった後にでも説明しましょう。いまはとにかく、あなたたちが決着をつけないことには混乱の収拾がつきませんからね」
 ミズキは、時計を示した。
「すみませんが、もう闘いは始まっています。あと28分ほどで氷の樹は溶けるということで」
「アクア……本気でいくよ」
「トリスティアさん、あなたはいつだって本気でしょう?」
 トリスティアが宙を飛び、ナイフをアクアに突きつける。
 だがアクアは、その攻撃をかわし、霧を身にまとう……。
 ついに、死闘が始まったのである。



「リスキー! いったい何を始めるつもりなの? 何にせよ、全然本気じゃないでしょ?」
 リクは、塔の頂上でリスキーに呼びかけていた。
「君の目的なんてよくわかんないけどさ、そんなものに身体も精神も売っていいわけ!? 他人の力を借りなきゃ自分の目的も果たせないの!? そういうのってね、他力本願っていうのよ。自分が本当に達成したい目的があったなら自分の力を信じて頑張ろうよ! 怪しげな力にすがって寄りかかってどうするの? もし、何か苦しいこととかあったらさ、遠慮なく言ってよ。まだ会って数十分だと思うけど君の力になる。だから、戻ってきてよ……リスキー!」
 地上に向かって何かを歌おうとしたリスキーが、リクを振り向いた。
 その目は、ぼんやりとしていた。
「……あっ、きみ、違うんだ、俺の意志なのか、何なのか……信じられないものにつかまってしまった……こいつはいったい、何なんだ?」
 リスキーの口から、苦悶の言葉が紡がれる。
「リスキー! まだ完全に支配されたわけではないの?」
「そう……わからな……フハハハハハ! 無駄だ無駄だ。地上の連中は、子供のお守りでおおいそがしときている。実力のありそうな奴らはくだらん決闘で時間をつぶしてる始末だ。この塔の上の儀式を阻止にやってきたのは、おぬしだけとは。一人で、何ができる? これからだ、これから始まるのだ」
 リスキーの言葉が途中から別の、しわがれた声に変わったのでリクはドキッとした。
「お前は誰だ! どうしてその人にのりうつったんだ? これから何を始めようというんだ?」
 リクの呼びかけを無視して、リスキーは再び地上をみおろす姿勢になる。
「待てい! ここに阻止にやってきたのは一人だけではないわい!」
 地上から宙に浮き上がって塔の頂上を目指していたハゲアとエクスブローンが、リスキーの前に現れた。
「フハハハハハ! 七賢者などと、くだらん制度をつくったものだ、この時代の甘ちゃんどもは!」
 リスキーが手を振ると、ハゲアとエクスブローンの身体が大空の彼方に吹っ飛ばされた。
「うお……」
 ハゲア、エクスブローンはともに高空で身体を丸めると、リクたちのいる塔の頂上に向かって再び移動し、リクの側に舞い降りた。
「と、とりあえず、むぎゅう!」
 リクはハゲアとエクスブローンに抱きついた。
「わわっと。そんなことをしとる場合か! しかしおぬし、よく生きていたな。この塔には魔物が出たというのに」
 エクスブローンは呆れ顔でリクをみつめる。
「エヘヘ、平気だよ。危険には慣れっこだもん」
 リクは得意そうに鼻をこすったが、すぐにまた険しい顔つきに戻る。
「あそこにいるリスキーをどうにかしなくちゃ!」
「しかし、わしらにもどうにもならんのだ。リスキーを支配している力は、非常に大きいのだ。そう、わしら賢者の力を軽く越える……」
「賢者の力を軽く越えるなんて、そんなことがあるわけ……」
「あるんじゃよ。おぬしはいま、巨大な例外をみている」
 ハゲアは汗をかくハゲ頭をハンカチでぬぐって、リスキーをじっとみつめた。
 いまやリスキーは結界を張り、周囲に誰も近づけなくさせている。
「はああああああああああ」
 リスキーは深く息を吸い込んだ。
 歌う構えだ。
「ぼーん、ぼーん、ぼーん。街が燃える、人々は焼け、嘆き悲しむ、ぼーん、ぼーん、ぼーん」
 ……。
 リクは、きょとんとしていた。
「何、あれ?」
「憎しみの歌じゃ……」
 ハゲアは魔法の結界を張り、リクが憎しみの歌の影響を受けないようにした。
「塔の頂上からあの歌を全世界にふりまくけば、どうなるか。塔の力にとって歌の効果は増幅させられる。世界中の人々が互いを憎しみあい、争いを始める……そして……」
 エクスブローンも緊張のあまり目に涙がにじんでいた。
「ああ、貴様ら全員憎しみのー、お前嫌いだ死んじまーえーとー、ぶっ殺しー刑務所でー断頭台♪」
 表情に富む、リスキーの歌唱。
 あらゆる歌を歌いこなす彼は、歌の魔法の力で、人々を互いに憎ませ、争わせることも可能なのだ。
「そんな……世界はどうなっちゃうの? ボクは彼を止める!」
「よせ! 近寄ってはいかん。危険じゃ」
 ハゲアとエクスブローンは、リスキーに飛びかかろうとするリクを必死でおさえつけた。
 そのとき。
「はああ〜。あなたはここで何をしているの?」
 ふわふわと宙を漂うしゃぼん玉に乗った女性が、塔の頂上で憎しみの歌を歌うリスキーに近寄ってきた。
「あらら。歌ですか? でも、まあ、何だかあまり楽しくない歌ですねー。もっと楽しい歌を歌って下さいよぉ」
 リュリュミアはちょっと顔をしかめてイヤイヤをするように首を振ると、宙を漂いながら、リスキーの周囲をぐるぐるとまわった。
「気に入らなければ、刺してもいいさ。殺ってもいいさ。そうだろう? 刃は、ボクらの理想をかなえる玩具さきみに身体を開かせる最後の鍵さ」
 リスキーは憎しみの歌を歌い続けるが、リュリュミアは全く平気な顔だ。
「どういうことじゃ? あの女には憎しみの歌がきかないようじゃが……」
「うむ。もしかしたら、あの者に、事態を解決するヒントが隠されているかもしれんのう」
 ハゲアとエクスブローンがささやきあうのをよそに、リュリュミアはリスキーの周囲を旋回し続けた。
 一方で、憎しみの歌は世界中に振りまかれてゆく……。



 風が、リスキーの歌を運んだ。
「う、うおおー!」
 憎しみの歌を聞いた人々は、胸をかきむしって悶え苦しみ、険しい顔つきとなって、隣人を殴った。
 ボグォ!
「うおおーやったなー」
 右の頬をうたれた隣人は、すぐさま相手の左の頬をうちかえす。
 ボグォ!
「バカヤロー!」
「ブッ殺すぞー!」
 人々は次々に殴りあいを始めた。
 殴りあいだけならまだよいが、魔法を使って互いを攻撃しあう者もできていた。
「くらえ、火炎の竜巻!」
「何の、氷の旋風!」
 魔法と魔法がぶつかり合い、火花を散らす。
 街に、爆発音が次々に巻き起こった。



 憎しみの歌は、氷の樹の上で闘っているアクアとトリスティア周辺にもふりまかれた。
「ああ、これは……」
 憎しみの歌を聞いたトリスティアの頬が真っ赤になる。
「むっ?」
 アクアも憎しみの歌に影響はされたが、トリスティアほどではない。
「き、きー!」
 トリスティアは魔法でつくりだした千本のナイフをアクアに放った。
「くうっ、トリスティアさんは影響されやすいですからね……この憎しみの歌、あなたには大変有利にはたらきそうですね」
 アクアは予想外の事態に動揺しそうな自分をおさえながら、呪文を唱えた。
 ぴきーん!
 アクアの周囲の氷の枝が伸びてきて、アクアを守るように包み込む。
 カン、カン!
 トリスティアの投げつけた千本のナイフは、かたい氷の枝によって次々に弾かれた。
 だが、やがて氷の枝にもひびが入る。
 パリーン! ガラガラガラ
 崩れ落ちた氷のかけらを身にまといつかせながら、アクアはトリスティアにタックルをかけた。
「憎しみの歌は、あなたに有利に作用している。ですが、この氷の樹という舞台は、水氷魔法の使い手である私にとってはなかなかやりやすい環境なのですよ……」
「ぐうっ、アクア! やっちゃうぞ、殺しちゃうぞ、グサグサグサー」
 憎しみの歌の影響を受けているトリスティアはわめきながらアクアの身体をつかみ、氷の樹の幹にうちつけた。



 二人が死闘を繰り広げている氷の樹。
 その樹を包み込む、硫酸の湖。
 氷の樹は刻一刻と溶けゆき、硫酸の湖に沈んでゆく。
 アクアとトリスティア、二人の決闘を固唾を飲んで見守る魔法少女隊。
 その少女隊の脇に、少女賢者エリカの姿があった。
「リスキーが、憎しみの歌をふりまいています。子供たちだけでも、助けなければ」
 エリカの背後には、コンサート会場に追い込まれていた男の子たちの姿があった。
 みな、エリカを追いかけてここまでやってきたのである。
「光のシャワー!!」
 エリカの振り上げた人差し指から、強烈な光が辺り一面に放射される。
 その光を浴びた子供たちは、憎しみの歌の影響から守られることになる。
 光は真珠の城も包み込み、中に閉じこもっている男の子たちを憎しみの歌から守った。
「これで子供たちが憎しみを抱く危険はなくなりますね……」
 エリカがホッと息をついたとき。
「はああ〜バタッ」
 魔法少女隊の一人が、ため息をついて地面に倒れた。
「えっ? どうしたのです?」
 エリカは驚いて倒れた子を助け起こす。
「急に頭が痛くなってきて……魔法の力も弱ってるみたい……」
「あっ、私も……」
 バタッ、バタッ。
 次々に女の子が倒れていった。
「あれ、そういえばボクたちも……」
 バタバタバタ!
 男の子たちも倒れ始める……。
「こ、これは? 憎しみの歌からは防御されているはずですが……はっ、まさか」
 エリカの顔が青くなった。
「これは、リスキーによって魔法の力を急激にあげられたことに対する、副作用!? ちょうど、歌のききめが切れ、魔法の力がガクンと落ちたときに発生するもののようですね」
 エリカは慌てて、子供たちの介抱にあたった。



 ガシャーン、パリーン!
 アクアのつくりだした氷の刃を、トリスティアは次々に拳で打ち砕く。
「アクア、ボクは、きみを殴るかもしれないよ、刺すかもしれないよ、たとえそれがボクの望みでなくても〜」
 トリスティアはすっかり影響された憎しみの歌を口ずさみながら、アクアにまわし蹴りを放つ。
「トリスティアさん、戦闘中におしゃべりもよくないですが、歌うのもよくないですよ!」
 アクアはひときわ大きな氷の槍をつくりだすと、トリスティアに向かって突き出した。
「えっ、うわー!」
 トリスティアの身体が槍に貫かれた……かに思えた。
「ダーメダメ、ダメ〜」
 アクアの背後にトリスティアが立っていて、ナイフを相手の首筋に突き当てていた。
「えっ、これは?」
「気づかなかったの? ボクは幻影をつくりだして、ずっと動かしていた……。アクアがやっつけたのは、その幻影なんだよ」
「くっ……さすがですね、トリスティアさん」
 アクアは座り込み、観念したような顔になった。
「さあ、やりなさい」
「うん……やっちゃうよ、ごめんね……あれ?」
 トリスティアは、急に顔をしかめた。
 激しい頭痛に襲われる。
「あっ、あっ、あっ……」
 目がくらくらするのを覚えながら、トリスティアはアクアの身体にしがみついた……。
「トリスティアさん、どうしたんです? あっ」
 トリスティアが氷の樹の上から転げ落ち、しがみつかれていたアクアもまた、転落し……。
 二人の身体が、硫酸の湖に沈みこんだ。
「あらら。ともだおれですか」
 ミズキ・シャモンは鼻をつまんだまま湖をのぞきこみ、困ったような顔をした。



 一方、塔の頂上では。
「理由なんてないのさ、殺したいから、血が欲しいから、でも本当は理由はないのさ、ただ壊したいだけさ、いやそれも違うのさ♪」
 憎しみの歌を歌い続けるリスキーは、次第にやつれていくように思えた。
 全身が汗びっしょりとなり、いまにも倒れそうだ。
「むう。感じる……この塔に、世界中から負の力が集まってくる……。人々の憎しみあいがもたらしたものじゃ」
 ハゲアは戦慄した。
 いまや、レルネーエン世界の中心にある塔には負の力が集積され、ごうごうと渦巻いていた。
「キレる奴は美しく、キレるからこそ冴え渡る……うっ」
 ついに歌の途中でリスキーは口をつぐんだ。
 体力が限界に達しているのだ。
「もう我慢できない! う、うわー」
 リクは、制止するハゲアたちを振りきって、リスキーに突進した。
「歌うのをやめて! 休むんだ」
 リクはリスキーを抱きかかえた。
 リスキーは意識を失ったのか、リクの腕の中でうなだれる。
「むう。あれは!」
 エクスブローンの指差した方角に、黒い何かがわだかまっていた。
「ハハハハハハハハハハ!」
 その何かが、たからかに笑ったとき。
 ぴかっごろごろごろごろごろごろ!
 塔の上空で巨大な雷鳴が鳴り響き、その音はレルネーエン世界の隅々にまでゆき届いた。
「くっ、やはり……阻止できなかったか……」
 ハゲアは無力感を感じつつも、その存在に向きあった。
「よみがえったな……ヘル・ドラーゴ」
 エクスブローンも呟く。
 塔の上空に浮かぶ、その黒い影は、古代の魔導師の衣装をまとい、杖を振りかざしていた……。



 アクアとトリスティア、二人の身体が沈み込んでいった、硫酸の湖。
 ピキーン!
 その湖の液面が、一瞬にして凍りついた。
「あれれ? これは?」
 ミズキ・シャモンは驚いて、凍った液面をちょっと踏んでみる。
 湖全体が、凍りついているようだった。
 パリーン!
 凍りついた湖の一部が砕け散り、トリスティアを抱えたアクアが現れた。
「私は水氷魔法の使い手。硫酸の湖に沈んだところで、傷つきはしません」
 アクアはそっとトリスティアを地面に降ろした。
「うう〜むにゃむにゃ」
 トリスティアは失神しているようだった。
「さすがですね。しかし、トリスティアさんはあのとき、なぜ急に変わったのでしょう?」
 ミズキの問いに、アクアは答えた。
「おそらく、リスキーの歌の力の副作用でしょう。トリスティアさんはリスキーのライブに参加して、子供たち同様、魔法の力を引き上げられていた……。そして、その歌の効き目がなくなったとき、激しい頭痛に襲われたのです。同様の現象は子供たちにも起きているはず」
 アクアはトリスティアの身体に毛布をかけてやった。
 リスキーは、聞く者の魔法の力を飛躍的に向上させる歌を開発したが、その歌は、特に子供に対して大きな効果を発揮するものだった。
 影響されやすいトリスティアは、例外的に、子供たちと同様魔法の力を高めさせられたのだが……そのため、子供たちと同様、歌の副作用にも襲われることとなったのだ。
 憎しみの歌にもトリスティアは影響されたが、憎しみの歌は、あくまでも心を混乱させるもので、魔法の力を高める歌とは別だった。
 冷静に状況をまとめなるアクアに、ミズキが口を開く。
「要するに勝負の結果は、どちらが勝ちとすればいいのでしょう?」
「どちらが勝ちでも構いません。もうそんなことをいっていられない事態になってきましたよ。人々が憎しみあい、負の力を発しています」
「アクアさん、あなたは、知っていたのではないですか? トリスティアが、幻影をつくりだしていたことに。それなのにあなたは、敢えて負けようとした。なぜです?」
 ミズキの問いに、アクアはうつむいた。
「子供たちの分裂と、それによる混乱を収拾できれば、それでよかったのですよ、私は」
「なるほど」
 そこに、子供たちがやってきた。
「うん? みなさん、倒れていたのではないですか?」
 アクアは気づかうように子供たちをみた。
 子供たちは激しい頭痛に耐えながら、アクアの周囲に集まってきた。
 真珠の城から出てきた子供たちもいる。
「実は、城の中にいた男の子たちを、俺が説得したんだ。男の子たちは女の子に謝罪し、女の子たちもそれを受け入れた……。もういい加減、闘うのがバカバカしくなっていたからな。さあみんな、これからフォークダンスでも踊ろう」
 ディック・プラトックはたき火を起こし、自らの演奏で子供たちに踊ってもらおうとした。
「ちょっと待って下さい。世界が危機なんですってば」
 ミズキがディックを止める。
「そうでしたね。先ほど雷鳴がしたようですが、何か邪悪な存在が世界のどこかに現れたように感じます。どうしましょうか」
 アクアは世界の中心、塔のある方角に顔を向けた。
「おそらく、ヘル・ドラーゴが復活したのでしょう。私にもだいたいのことは察しがつきます」
 エリカがアクアたちの側にやってきた。
「ヘル・ドラーゴ……どうすれば古の大魔法使いを倒すことができるのです? かつて世界を危機に陥れたほどの存在を?」
 アクアはエリカに尋ねた。
「私が知っているのは……集団魔法ですね」
「集団魔法?」
「しょせん、一人の人間が使う魔法の力はたかが知れています。集団魔法とは、大勢の魔導師たちが魔法の力をひとつにあわせて、巨大な効果を発揮するものです。ですが、みながみな、全く雑念なく想いをひとつにして念じなければ効果がないため、成功することは稀です」
 エリカは、遠い目になった。
「かつて、ヘル・ドラーゴが世界を支配しようとしたとき、善なる心を持った魔導師たちが想いをひとつにし、集団魔法の力でドラーゴをおさえこみました。ですが、そのような奇跡はめったに起きないものです……」
「子供たちなら、できるのでは? 子供の心は純粋です。子供たちが想いをひとつにすれば、集団魔法の力を発揮できるかもしれません。男子と女子が仲直りしたいま、世界中の子供たちが力をあわせて……」
 ミズキは熱っぽく語ったが、エリカは首を振った。
「子供たちを、ドラーゴの力に対抗させるというのですか? そんなことをさせるわけにはいきません。ドラーゴが反撃すれば、子供たちはみな死ぬことになります。危険が大きすぎます」
「しかし、このままでは世界は……」
 ミズキがそこまでいったとき、子供たちの一人がポツリといった。
「ねえ、リスキーは? さっきの憎しみの歌、リスキーが歌ってたんでしょ? リスキーは、どうなっちゃってるの?」
「リスキーは……おそらくもう生命はないでしょう。ドラーゴに利用され、全身の力を使いきっているはずです」
 エリカの言葉に、子供たちは騒ぎだした。
「そんな!? リスキーは、ボクらの兄貴なんだ。リスキーが死ぬなんて、嫌だ! 嫌だ!」
「あなたたち……」
 エリカは驚いたようだった。
「この子たち、まだリスキーを慕っているのですか……」
 アクアもまた、子供たちの反応を意外そうにみていた。
 どうすべきか。
 世界中に邪悪な力が満ちるのを感じながら、アクアは考えこんだ。
「もうすぐトリスティアさんも目を覚ますし、相談してみましょうか?」



「フハハハハハハハハ! まさかこの時代に、ワシが復活できようとは。その若造は自分の才能がどんな影響を及ぼすか、といったことには無頓着だったようじゃな。天才だとは思うが、世界規模で物事を考えられない魔導師なんて、笑われるだけじゃ」
 復活したヘル・ドラーゴは、塔の上空を漂いながら、高らかに笑っていた。
「くっそー、許さないぞ、この人を利用するだけ利用して……」
 リスキーを抱きかかえるリクは、いまいましげにドラーゴをにらみつけた。
「その青年はもうすぐ死ぬ……。逃げないのか? おぬしも一緒に死ぬか?」
 ドラーゴはリクをせせら笑った。
「はああ〜この方、まだ死んではいませんよ。体力を回復させられれば、また歌うことができるかもしれませんね〜。もう精神の支配も終わったようですし〜」
 リュリュミアが宙を旋回しながらリクに語りかける。
「うう……逃げるんだ、みんな」
「リスキー!」
 意識を取り戻したらしいリスキーの言葉に、リクは耳を傾けた。
「あれには勝てない……たとえ俺が歌う力をいま取り戻しても、俺一人が歌うのではダメなんだ……」
「ラララ〜なら、みんなで歌えばよろしいのでは? あなたは知っているでしょう、憎しみの歌よりも、もっと素晴らしい歌を」
 リュリュミアは、今度はリスキーに語りかける。
「知ってるさ……だが……俺は、ここで死ぬ。自分のしたことの責任をとるつもりだ」
「何いってるの? 何でここで死ぬことが、責任をとることになるの?」
 リクの叫びが、虚空に響く。




「ハゲア、聞こえるか? ドラーゴは、古代において封印されたとき、いつの日か自分がよみがえることを予言した……。この塔は、ドラーゴの邪悪な意志が、自分を復活させるためにつくりだされたものなんじゃ。そう、この塔は、世界中から負の力を集め、その力でドラーゴを復活させる装置だったのじゃ……。ドラーゴが、なぜこの時代のこの時点に目をつけたか、わかるか? リスキーが、歌の力で世界中の子供たちの魔法の力を高めたからじゃ。レルネーエン世界全体の魔法のバランスが一時的に狂った未来のこの時点にドラーゴは注目し、リスキーの力を利用して、巨大な負の力を集めさせようとしたのじゃ……」
 エルンストは必死に思念を送りながら、最悪の事態に備えて何をすべきか、考えた。
 エルンストの手には、エクスブローンからもらった、謎の多面体がある。
 この多面体は、かつて、ドラーゴが自らの魔法の力を増幅させるために使った道具だという。
 この多面体を使えば、エルンスト自身の力を無限大にまで増幅させられるかもしれない。
 しかし、本当にやるべきか?
 ドラーゴは、自分の持つ力と性質が同じで、なおかつ自分に匹敵する力には戸惑うはずだ。
「やれやれ。英雄なんぞになるつもりはないのがじゃのう」
 エルンストは多面体を握りしめ、世界を救う賭けをやってもいいかと、自問していた。


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