「誰がための物語」

第三回

ゲームマスター:秋月雅哉


●会談一週間前
 国王カインの提案した、レジスタンスと国王側による、ドラグニールの内乱を平定するための会議。
 使者に立つよう通達を受けたランスと、手伝いを申し出たセレンは落ち人の一人一人に会いに行った。
 大勢の中では率直に言えないかもしれない意見や、個人的に聞きたいことがあったら答えるつもりだったのだ。
「狂王などというあだ名は、生半可なことではつけられないだろう」
 話したいのであれば応じる、と答えたレジスタンスに所属するジェルモン・クレーエンにランスが頷きを返す。
「まぁもともとちょっといかれた王様ではあったんだが。統治自体はしっかりやってたよ。……あいつの父王は父王で、ある名君であり暴君だったからな」
 ジェルモンがその言葉に軽く片眉をあげた。どういうことか、とまだ言葉を交わしていないカインや、ドラグニールという国を知るために問いを発する。
「この国では予言が重要視されるっていうのは、レジスタンスでも話題になってると思うんだが」
「あぁ、聞いている」
「狭苦しい世界なんだよな、実際。血筋とか関係ないんだ。予言で、お前の子は次の王だって言われたら授かった瞬間手放さなきゃならねぇ。よその世界では胎に子が宿るのが普通らしいが……ここでは赤子は親が魂を作り、守護龍が体を作り、聖堂に送り届けられる」
 ジェルモンは静かに耳を傾け、止められないということは彼にとってこの情報は全くの無益ではないのだろう、と考えたランスが言葉を続ける。
「王弟フィリエルの母親は落ち人だったんだ。天界の出身だといっていた。竜人とは違った、鳥みたいな翼があってな。いつも穏やかに笑ってる人だったよ」
 第二王妃として迎えられ、前王は深く彼女を愛したのだという。だが、二人の間にできた子供は母体に宿った。それがフィリエルだった。
「母体に宿るという観念がないもんだから、お産で命を落としてな。生まれた子が、本来女としてしか生まれない銀の髪の持ち主で、神龍主にとっては禁忌とされる双子で、第二王妃は異端の魔女とされた」
 そして反魂の法で一度息を吹き返した後、ドラグニールで最も重い火刑に処されたのだ。死産したフィリエルの弟と一緒に。
「双子が禁忌なのか?」
「普段は違う。だが、神龍主で双子が生まれると、そいつは対になる邪龍主だってことになって処刑されるな。邪龍国が待ち望んでいる存在さ」
 そんで、とランスはため息をついて話を続けた。
「第二王妃は国王に、誰が敵になっても貴方はこの子を愛してあげて。私の愛する子の子を、貴方だけは護ってあげて。そう言い残して処刑された。でもなぁ、愛が深すぎた国王にはその願いは届かなかったのさ。フィリエルを疎んじ、憎み、カインを子守につけて禁域に幽閉した」
 そして攻めてくる邪龍国との戦いの場に、フィリエルは四歳のころにはたった一人で差し向けられていたという。
「四歳の子供が軍勢相手に戦えるとは思えんが」
「神龍主の歴史っていうのは、戦いの歴史だ。んで、フィリエルは歴代神龍主の記憶を全部受け継いでた。あいつは確か……二十四代目の神龍主だな」
 神龍主の魂は神龍によって加護とも呪いともつかぬ力で聖別されている。他の特権階級の者は次代が必要なためその都度聖龍によって選ばれるが、神龍主と邪龍主は同じ魂が流転を繰り返し、出会うたびに殺し合うのだ。
「なんでも、初代神龍主がこの世界を作ったらしい。火炎龍主、水龍主、風龍主、土龍主と力を合わせてな。風龍主は今いなくて、水龍主は歴代ドラグニールの国王、火炎龍主は近衛騎士団長、土龍主は多くは宰相として国にかかわるがセレンは今のところ公的な力は持たない」
 邪龍国では創世の使徒は邪龍主であり、世界にとっての不倶戴天の敵は神龍主だといわれていて、この二国は同盟国と協力して創世のころからいがみ合ってきている。
「調停の儀だが。王が職務を果たし、暴虐を停止するならば退位は必要なくなるな?」
 退位させても次の王は誰かという問題が残る、とジェルモンの指摘にそうだな、とランスはうなずき。
「レジスタンスの連中は民主による統治を訴えてるみたいだが……王政に慣れた国でそれがすぐになるかは怪しいもんだな」
「護られることが当たり前の連中には、その当たり前の部分しか見えぬ。護るために大切な存在を喪わなければならなかったという痛み、悲しみも被保護者には理解できぬ。王の苦悩は民にはわからぬものだ」
 王は弾圧によって何を求めていたのか、レジスタンスは抵抗によって何を要求していたのか、言葉をきちんと交わす必要がある、とジェルモンは思いを巡らせる。
(我々は獣ではないのだ)
 お互いの要求がなんなのかをクリアにする時間が欲しい、そのうえで妥協が必要な点も出てくるだろう、という言葉にランスはうなずきを返す。
「国王側も妥協案をださにゃならん。日取りが決まったら改めて知らせに来る。邪魔したな。ビリーにもあっていくかな、レジスタンスにいるんだろ?」
「あぁ、国王側についたものとも、接触しているようだったな」
「んじゃまぁ、追い出されはしないかね」
 またあとでな、とランスは軽く片手をあげて挨拶するとジェルモンと別れてビリー・クェンデスのもとに向かった。

「悪しき宿命を背負った王弟が、世界を救うために自己犠牲を発揮して、しかし感謝はされなかったことが今回の内乱の体幹でっか?」
 ランスから事情を聴き、フィリエルや、世界に関する内情を聞いてビリーは眉根を寄せた。
 第三者である落ち人からすると、カインの怒りも、民衆の嘆きも、ランスの苦悩も納得できるものがあったのだ。
 しかし、あまりにもやるせないという思いを抱かずにはいられない。
「予言を絶対視することは、そういう世界なんやろうけど……自己犠牲に対する態度がなぁ。世界のために殉死した人に、あまりにもむごくないやろか」
「まて、まて」
 ランスが珍しくひきつった顔をした。ん? とビリーは首をかしげる。
「フィリエルは死んでねぇ。っつーか、あいつには本来されるべきだった死の予言がされてねぇから死のうにも死ぬことができねぇ。天の国に幽閉ってか塔に引きこもってるってか。とりあえず、死んでねぇ。カインの前であいつが死んだとかいうなよ? まとまるもんもまとまらねぇし全員処刑される」
 それほどまでにカインのフィリエルへの思いは強いのだ。追悼式典や記念碑を立てるなどして功績を認めることで和睦の道を、と考えていたビリーはえろうすんません、と素直に謝る。
「幽閉されてるってことは、その関門を突破すればフィリエルは戻ってこれるんでっか?」
「……カインが善政によって民に愛され、子宝に恵まれて幸せに生涯を終えるって予言がされてるんだが、どう考えても世界から予言が乖離してるからな。フィリエルが世界を滅ぼすって予言も、無効にはなってるかもしれん」
「不老不死なら、フィリエルにも信条をすこーし曲げてもらってカイン王の生涯が終わるまでこっちに戻ってきてもらうことはできひんのやろか?」
「まぁ、特権階級は富に恵まれる分短命だからな。俺もカインも余生はあと十年もないんだが」
「え!? ランス卿死んでしまうん? いや人は死ぬもんやけど」
「三十路はぎりぎり超えられるだろうが、四十路は確実に無理だろうなぁ。爵位や王位を継ぐのが十になるかならないか、十五すぎりゃ子の一人や二人はいて、三十五くらいで死ぬ。ま、こんな感じだな」
 身分制度の隔たりを埋めるように、ドラスでは平民は五百年以上の寿命が約束され、特権階級は短命なのだと聞いてビリーは目を丸くする。
「そないにころころ王様が変わったら、落ち着くものも落ち着かなそうやけど」
「ま、名君として素質を水龍がこめてるからな。ものすごく乱れはしないみてぇだが。……謀反人の予言をされる奴は、歴代に何人もいた。本人は王を敬愛してた場合すらある。国を守れば王を裏切り、王についていけば世界を裏切る。国も世界も大事に思ってなくても、きっと愛した奴とかを天秤に乗せて、それでも予言を覆せなかったんだろうな」
「……そんなに強制力があるんでっか?」
「そうさなぁ……ビリーは運命を信じるか?」
 たとえを考えるようにランスが顎に手を当てる。ビリーもまた答えを探した。
「世界の修正力、とでもいうのかね。タイムトラベルなんかで、よくあるらしいんだよ。世界にとっての重要人物を殺しても、どこか別の場所で同じ思想が生まれる。逆に助けても、近い未来必ず死ぬ。そういう因果みたいなのがな。ドラスはそれがことさらに強く、個人個人の魂に刻まれている。生まれるということはカミサマの掌で役割を演じるってことなのさ、この世界ではな」
 カミサマとランスは皮肉気な口調で語った。この世界の神は、趣味が悪いと言いたげだった。
「理性ではわかってても、わだかまりが双方に残ったらまたよろしゅうないこと、おこりそうやなぁ。レジスタンス側でもなにか、カイン王とフィリエルにできることがないか話し合ってもいいやろか? 国王サイドより、民の生の声が聞こえると思うんや」
「あぁ。カインも、これから先をどうしたらいいか考える足掛かりが欲しいと思う。ぜひ広く深く民の意見を拾ってきてくれ。俺は顔が割れてるからな。どうしてもおべっかになる」
「そこは広く浅く、か狭く深く、やろ」
 ちゃっかりした要求にビリーが思わず笑みを浮かべる。ランスもまた、ふてぶてしい笑みを返した。
「そりゃ片手落ちってもんだぜ。両方とるのが男だろ?」
「やるなぁ、ランス卿。わっかりました、協力しましょ」

 萬智禽・サンチェックの元にはセレンが赴いていた。
「近衛騎士団長がレジスタンスと通じているというのは不自然すぎると考えるのである。王国兵士とレジスタンスの衝突で死傷者が出たりすれば、その損害は極めて理不尽なのである」
 普通はそう、考えるよね、とセレンは小男のふりをするために布をかぶっているサンチェックの言葉にうなずきを返す。
「でもね、レジスタンスはカイン様を警戒してるし、退位を迫ってるし、もしかしたら殺したいほど憎んでるかもしれないけど……義兄様とは進んでは争わないと思う」
「なぜであるか?」
「義兄様はね、多分カイン様が迷いなく世界を滅ぼすって決めたら、殺してでも止めてる。殺して止まらないほど世界が憎いなら、腹をくくって自分も死出の旅へ出ると思う。そうしなかったのは、カイン様が悩んでたからだと思う」 二人のきずなは、ボクにはよくわからないけれど、とセレンはすこし寂しそうに微笑んで。
「レジスタンスは農民の集まりなのに、どうして国王軍が手を焼いていたか、想像がつく? ちなみに国王軍は五万を常駐、レジスタンスは百人もいないんだけど」
「……見逃されている部分が、多かった?」
「明言はしてないけどね。近衛騎士団は義兄様と、義父様の、主の本音以外には従わないっていう人柄にひかれて集まった人たちだから。多分そういう手回し、あったと思う」
「なるほど……」
 だから、近衛騎士団長が直々に使者になることになったのか、とサンチェックは布の下で巨大な目を閉じた。
 そしてカインは、その見逃しを黙殺することで、自分が止まるか、止められるか、それとも盛大に世界を壊すか、自分で自分と世界を傍観していたのかもしれない。
「過去の落ち人は無事に任務を完了できたのであるか? 状況が解決すれば、記憶を取り戻してこの世界から去っていけたのか?」
 自分の記憶は存在意義だ。何かを成すためによばれたのに、何ができるかわからないのでは役に立ちようがない。自分が何をできる人物なのか知りたい、というサンチェックにセレンは首をかしげた。
「落ち人は本来、偶然世界が重なった時、段差につまずくように世界を渡ってしまう人のことなんだ。それで、記憶喪失になったりしたって話は聞いたことがない。でも、それがカイン様のしかけた術なら、元の世界に戻ることも、記憶を取り戻すこともできると思うよ。カイン様や義兄様、フィル……王弟と、昔異世界を巡ったこともあるし」
「……王族の大事は、国の大事ではあるが……いまいち、国王と近衛騎士団長の立ち位置が見えてこぬ」
「そうだね、あのお二人は本心を全部語るタイプじゃないし。会談に臨むかどうか考えているなら、これは覚えておいてほしいんだけど……聞いてくれる?」
「聞かせてくれるならば拝聴しよう」
「カイン様はね、予言に縛られない世界が見たかったんだと思う。自分の力で明日を勝ち取り、理不尽に命を終えることがない。そんな当たり前が欲しかったんじゃないかな。当たり前に、当たり前をあきらめなくちゃいけなかったフィルの、与えられるはずだった幸せ。それを民に、あげたかったんだと思うよ」
 ボクの想像だけどね、と肩をすくめるセレンにサンチェックは思案する。
「そして義兄様は、そんなカイン様の夢を守りたいんだ。二人とも、守れなかったことを後悔してる。だから、同じ喪失を自分がもう二度と繰り返さないように。同じ悲しみを、誰かに背負わせないように、二人で決めたんだと思う」
「……この世界では戦があると聞く。この機に乗じて敵国の密偵が潜んでいるとも限らないのである。民の声を聞くと同時に、そういった外敵から、微力ながら国を守る手助けをしたいのである」
 まだ調停の場を整えるには時間がかかるのであろう? と問うサンチェックにセレンはうなずいた。
「うん、開催を提案しただけだから、まだかかると思う。この国を見て、助けたいって思ったら。会議に同席してくれると、うれしい」

 サンチェックと別れたセレンは、火と赤銅亭に滞在しているマニフィカ・ストラサローネに会いに行った。最初にあった時、弟子入りを申し込まれた縁から、セレンのほうでも彼女を気にかけていたらしい。
「まぁ、お越しくださってうれしいですわ」
「こんにちは。ちょっと相談があってね。もしかすると、前に君がお願いしてた弟子入り、何とかなるかもって」
 カイン様が和睦を提案したし、落ち人を処刑するために探す法令を撤回したから、とセレンはマニフィカをみて柔らかな笑みを浮かべる。
「本当でございますか? 気にかけていてくださったんですね。ランス卿とはあの後お会いしましたが、セレン嬢とはそのままだったので……正直忘れられているかと」
「覚えてるよ。命の恩人だもん。義兄様も、すごく感謝してて。できるだけ力になりたいよねって屋敷で話してたんだ」
「まぁ……ありがたいことですわ」
 カインが目指す世界、ランスが暴君といわれてもカインに従い続ける理由。歴代神龍主の非業の人生。先代の王と第二王妃の悲恋。
 長い話になったが、セレンはマニフィカに語り、マニフィカは相槌を打って熱心に耳を傾けた。
「板挟みという難しい立場を甘受しながら、模索を続けていたのですね……カイン王の圧政にも、民を思う心があったから……だからこその、圧政だった……」
 王に諫言を恐れず、それでも行いが正されなければ忠義として諸共死ぬ覚悟。
 民衆だけでなく、王家も苦しんでいたことを知りマニフィカは茫然としたようにため息をついた。
「まるで、いろいろな想いが複雑に絡み合った糸玉のようでございます。これを解きほぐすのは至難の業ですね。誰もが禍根を断つ必要性を理解しているのに、その方法がわからないとなると……」
 レジスタンスとの和解をカインが持ち掛けたのは、もしかして機が熟するのかを待っていたのだろうか、とマニフィカは内心首をかしげた。
 何をもってカインが機が熟したと判断したのかはわからない。そもそも、その推察が当たっているのかどうかすら、伝聞ではわからない。
「神龍のアミュレットを、通信機のかわりにすることはできないでしょうか? どちらの派閥にも属さなかった落ち人や、レジスタンス側の落ち人と、国王側の落ち人。……どの陣営も、密に話し合わなければ、せっかくの調停の機会を逃してしまうやもしれません」
 カインの人となりは会ったことがないマニフィカにはまだわからない。けれど言うは易し、行うは難し、を貫き通そうとするランスが信じるならば、ランスを自分は信じようと決める。
 そして彼の手伝いをするには、落ち人同士の協力が必要だとも思ったのだ。
「同じ加護を受けているから、他の人より強固な縁はあると思う。うまく共鳴させれば、カイン様が願った通り天界への門が開くことができるんじゃないかってくらい、そのアミュレットは強い力を持ってる」
 自分を取り巻く神龍の気配を感じ取り、同調し、目を使って辺りを見回すように、同じ気配の持ち主を探すことを意識するといいかもしれない。
 そんなアドバイスを受けてマニフィカは気を探る。点在した光のイメージをつかむことができた。
「私のほうからも、落ち人たちに話を持ち掛けてみます」
「ありがとう、マニフィカ。助かるよ」

 アンナ・ラクシミリアの部屋を訪ねたセレンは、アンナにも事情を説明し、マニフィカからメッセージが届いたら可能な範囲で自分の意見を述べてほしい、と頼んでみる。
「国王について噂を集めてみましたけれど……批判的というか、落ち着いて平和に暮らしたいという声ばかりでしたわね。でも、そうですか……そういう真意があったのですね」
「ボクの想像でしかないけど……ものすごく外れてるってわけでは、ないと思う。僕の知ってる義兄様とカイン様なら、そう考えるだろうなって」
 フィリエルが自分から去ったということ、戻る意思がないということ、戻ってくれば国が滅びるということ。
 それでもカインが再会を望むなら、カインがフィリエルの元へ行くしかないとアンナは考えていた。
 それが叶うなら生贄にささげられるのでなければ、協力しようとも。王が立ち去った世界をどう動かしていくかは、また別の話だ。
 けれど。
「フィリエルが帰ってくることができて、それが世界を滅ぼさないなら……フィリエルの存在を、民が認め、受け入れれば……そちらの方が幸せなのかしら」
 名君の資質を備えていたカイン。そして彼は余命いくばくもない。いずれ次の王が立ち、国が続いていくなら。無理に政権交代をする必要はないのかもしれない。
 むしろ、革命に革命を重ねるよりは、国に骨休めの時間を与える必要がある。民はそれでなくても疲弊しているのだから、新しい国づくりをするのはもう少し後のほうが、理想といえば理想だ。
「折衷案の見直しをしなくてはなりませんわね……」
「まだ、会議には時間があるから。君たちの意見を、考えて。それで、聞かせてほしいんだ。この世界、頭かたいし融通が利かないから」
「わかりました。善処しますわ」

 姫柳 未来はセレンの話を聞いて一つ頷いた。
「人を疑うより、人を信じたいって思うから、招待を受けるよ。話を聞かせてくれてありがとう、セレン」
「ううん、何から話したらいいかわからなくて、分かりにくかったらごめんね」
 国王やレジスタンスに対して、今現在希望はあるかな、とセレンが問うと未来は唇に指をあてて少し黙り込んだ。
「二つくらいある、かな」
「聞かせてもらえる?」
「一つは、国のために犠牲になったフィリエルに対して、国民はもっと感謝してほしいってこと。王の逆鱗に触れたのも、それが原因みたいだし」
 もう一つは、国民に対してカインに弾圧をやめてほしいということ。
 未来はその二つを王とレジスタンス、ひいては国と民の間で話し合いたいと提案する。
「うん、カイン様と義兄様にはその点、しっかり伝えておく。義兄様経由でレジスタンスにも伝わるはずだよ」
 マニフィカの発案した、落ち人同士の相互コミュニケーションのことも言い添えて、落ち人同士で何か問題点や解決策を見つけたら伝えてほしいと告げると、異世界では学生をやっていた未来は制服のしわを直した後うなずいた。
「わかった。何かの縁でこの世界に招かれたわけだしね。できるだけのことをしなかったら、みんな、きっともっと後悔するから。最善を尽くすよ」

「カインが落ち人を『呼んだ』?」
 シェリル・フォガティはランスの言葉を聞いて片眉をあげた。
 もし万が一、元いた世界で、自分のことを大切に思ってくれている人がいたとしたら、今頃その人は途方に暮れているのだろうか、と喪った過去に思いをはせる。
「あたし自身が『存在しなかった』ことにされて、今ここに『いる』のは彼のわがままってこと?」
「まぁ、突き詰めればそうなるだろうな。元の世界での時間を止めてるくらいなら、あの男ならやりかねんが……それはそれで、自分のわがままにどれだけの世界を巻き込んでるんだよっつー話だわなぁ」
 お怒りごもっとも、とランスはカインのかわりに頭を下げた。軽い態度の癖に、妙に真摯さが伝わるのがランスらしさなのかもしれない。
(今のあたしには記憶がない。何者だったのか、家族や大切な人がいたのかすら、分からないんだ……それが、もしかすると意図的だった?
 自分の件は一大事なのに、他人の件になればどうなろうとかまわないって、少し悲しい考えだわ。悲しいし、さびしい)
 時間は巻き戻らないから、しでかしたことは仕方ないか、と思う反面、カインに心から同調することもできないシェリル。
「……選ばずに済んだなら、カインは幸せだったのかしら。世界と、弟と。並び立たないものを、天秤に乗せられたんでしょう?」
 ランスの話しぶりから、カインはフィリエルのことを大事に思っていたのだろうということは推測がつく。
 だからこそ、この暴虐なのだろうと。
 どうふるまうかは立場にもよる。どこに生まれるか、どんな風に育つか、誰の子供として生まれるかは自分では選べない。
「レジスタンスの要求を呑んで、カインが退位するとして、代わりは誰が?」
「そこなんだよなぁ。レジスタンスは農民の集まりだ。民のためを思うことはできても、外交や軍備に長けた人材はいねぇだろうし。レジスタンス側についた落ち人も、帰れるなら帰りたいだろうから革命者として残るのは子羊ばっかりなんだよなぁ」
「誰かに譲っても構わないものならそういう選択肢もあるだろうけど……そうすると国が立ちいかない?」
「難しいだろうな。死んだ親父殿なら政治にも詳しかったが、俺は剣しか能がねぇし、セレンは王として立つには奥ゆかしすぎる」
「駆け落ちできるなら、駆け落ちもありなんだろうけど。カインの本音ではフィリエルを選びたかったんでしょ? 世界よりも。つらい場所からの逃げ道があるなら、それを選んで使うのは『生きる』ことに対する義務よ!」
「駆け落ちって……お前さんその手の話が好きなのか?」
「ランスは嫌い?」
「俺は遊びは好きだが本気の恋愛はしたくねぇ。重い。カインを負ぶうので精いっぱいだ」
「この国のことは、話を聞いて少しだけわかった。フィリエルのことをもう少し詳しく知りたいわ。彼に感謝している人たちもいるだろうから」
「んじゃ、会議の日付が決まったらまた会いに来るわ」
「えぇ、わざわざどうも」
「美人とはもっと色気のある話をしたいんだがね」
「あら、お上手」

 ランスは街を歩いていて公園でぼうっとしている少女を見つけて、声をかけた。記憶が確かなら彼女とも一度面識がある。
「どうも、お嬢さん。俺のことを覚えてるか?」
「覚えてますよぉ。お金をくれた人ですねぇ」
 日当たりがよく、緑が豊かな公園で過ごしていたリュリュミアは偉丈夫を視界に認めるとおっとりと挨拶をした。
「気が付いたんですけど、お水を飲んで、日向ぼっこしてると案外お腹が減らないものですねぇ」
「……いきなり倒れるのは勘弁してくれよ。栄養失調にならない程度には物を食ってくれ」
 のんきな感想にランスはたくましい肩をわずかに落とした。何か購入して食べさせるべきか、と屋台を探す。
「花の種は、食べられますかねぇ」
 持ち物に入っていたらしい種子をみつめながら、することもないから公園の隅にいくつか植えてみようか、なんて考えたりもして。
「えーっとな、落ち人のアンタに頼みたいことがあるんだが」
「リュリュミア的には、ただいるだけなので、そぉっとしておいて欲しいですぅ」
「……元の世界に戻りたいとか、思わねぇの?」
「ここは居心地がいいですしぃ。強烈に戻りたいっていう根っこになる記憶も、ないですからねぇ」
 殺されちゃうのは、嫌だけど抵抗して怪我をするのも嫌だ、と答える少女を少し意外そうに男は眺めて。
「すまん、それでもやっぱり聞いてほしい。どうするかはアンタ次第だけど」
「……聞くだけならいいですよぉ」
「感謝する」

 セレンとランスが落ち人への通達を終えた後、マニフィカは落ち人同士の独自ネットワークを作り上げることに成功する。
 それぞれが見たこと、感じたこと。ランスやセレンから聞いたこと、街で集めた噂。
 すべてが統括され、やがて調停の話し合いの日は近づく。
 誰かのために紡がれた物語は、もうじき終わる。