「石の導きのもとに」
第四回

ゲームマスター:高村志生子

 さああ、さああと街を雨が濡らす。アンナ・ラクシミリアはそれがこの国のありふれた気候だとわかっていても、跳ね上がる泥汚れを掃除したくなって顔をしかめていた。
「埃が舞うのとどちらがよろしいですかしらねえ」
 ぶつぶつつぶやきながらにぎやかそうな酒場の扉を開いた。ルリエが回復して建国祭の開幕が目前となったせいだろう、予測通りその酒場はたいそう混み合っていた。アンナは店のアルバイトとしてもぐりこんで、目的を達せられそうな人物を探っていた。
『やはり同年代以上でないと知らないですわよね。あの人たちあたりなら何か知っているかも……』
 知りたかったのはシェーラの過去だった。乳母の線はなくなったものの、なにか秘密があることは間違いないだろう。それも城にかかわるような。やや歳はいっているものの、美人呪い師なら知っているものの一人や二人、見つかるだろうと思っていた。しかしそれは思ったほどうまくはいかなかった。どうやらシェーラが城下に現れたのは、本当にごく最近だったようなのだ。先見をしてもらったものは幾人か見つかったのだが、いずれもここ数か月の話だった。正確には、顔をさらしだしたのがスルファが死んで以降の様だったので、それ以前の情報が出てこなかったのだ。もちろん城とのかかわりなど知っているものはいなかった。それだけ正体を隠していたということだろうか。ただその能力については、自己申告しているものより強いようだ。アンナたちには身近な人間の未来しか見えないと言っていたが、実際はもう少し強いようだ。ならば城主にすら敬意を払われる呪い師として城に招き入れられることはあり得るだろう。やはりスルファを占ったのはシェーラなのだろうか。アンナは給仕をしながら頭をひねっていた。

 マニフィカ・ストラサローネはシェーラの部屋を訪れていた。占ってもらうためではない。これまでの調査から浮かび上がったある仮説の下、真偽を問いただすというより、真意を問いただすためだ。シェーラにもその思いは伝わっているのだろう。平静を装いながら、いつもの余裕は姿を消していた。
「わたくしは故郷では人魚の王族に生まれているのですが、一族ではその血統を守るために、古来から近親婚はありふれたものでしたの。ですので嫌悪感というものはとくにはないのですが、多くの世界ではタブーとされていることも知っておりますわ。その点、この世界ではどうなのでしょう」
「近親婚……」
「ええ。具体的に誰がとは申しません。一般的な風習として、この世界ではどう考えられているのかと思いまして。呪い師であるあなたならばそういったことにも詳しいでしょうから、よろしかったら教えてはいただけません?」
「それは……この世界においても禁忌とは、されて……いるわね」
 マニフィカはシェーラがかつてのスルファの愛人であり、ティルドの実の母親、つまりティルドはシェーラとスルファとの間にできた子供であり、サリィにとっては異母兄にあたると予測していた。その思いは今の落ち着きのないシェーラの態度によって確信へと変わっていた。異母兄妹であるティルドとサリィが結婚するということは、すなわち近親婚をするということだ。マニフィカ自身はそのことに快も不快も感じてはいなかったが、世界によっては禁忌とされていることも承知していたので、あえて問いただしていた。
『やはり禁忌でしたか。では、サリィ姫とティルド卿の婚姻も本来はタブーということ。一途にティルド卿を慕っているサリィ姫には酷な真実ですわね。もっとも知りさえしなければ幸福にはなれるのでしょうけれど』
「で、でもそれがどうしたのかしら」
 とってつけた笑みを顔に張り付けたシェーラがマニフィカに問い返す。マニフィカは穏やかに微笑み返しながら小首をかしげてみせた。
「異世界のことを知るのは、わたくしの好奇心故と思ってくだされば結構ですわ。ある世界の古の賢人は、良い結果をもたらす嘘は、不幸をもたらす真実にまさると言ったそうですの。その真実が不幸を招くなら、隠し通すことに否はありません。シェーラ様はいかが思われます」
「……協力してくれるというわけかしら」
「すべてが丸く収まるのであれば。ルリエ様は、いずれサリィ姫に城主の座を譲るお気持ちでいらっしゃるそうですの。サリィ姫とティルド卿が結婚されるということは、すなわちティルド卿が次代の王になるということでしょう。それが、あなたの、贖罪にもつながるならば」
「いつかではだめなの!」
 とっさに発せられたシェーラの叫びに、マニフィカがかすかに眉をひそめた。シェーラはぎくりとしたように体の動きを止めた。沈黙が漂う。やがてシェーラが沈んだ声で伝えた。
「マニフィカ様、あなたのお考えは多分あっていらっしゃる……。贖罪なのかは……わからないけれど。禁忌はやはり禁忌ですもの。そのでも望むことが正しいかは……なんとも言えないわね。自分を裏切る行為でもあるし。望まない未来を避けようとして、策を弄するなんて。それでも……私にだって見たくない未来はあるもの……なんでこんな能力に目覚めてしまったのかしらね。目覚めなかったら、もしかしたら生き続けることもなかったかもしれないのに」
「……」
 それは子をなしたことか。子を捨てたことか。スルファに捨てられたことか。禁忌の婚姻を画策する罪悪感によるものか。そこまでの判断は断片的なシェーラの言葉ではできなかったが、ただ、死んでいた方が良かったということと同義の言葉は、とても悲しく響いた。シェーラは顔を背けていたが、その頬には確かに涙が流れていた。
「シェーラ様、生きてこその幸せですわ。あなたの望みが我が子を城主にすることならば、沈黙も選びましょう。ですから、くれぐれも早まった真似をしないでくださいませ」
 それは死に急ぐなというつもりの言葉だったが、シェーラは不意に貌をゆがませた。それはマニフィカに一抹の不安をよぎらせた。

 城では回復し建国祭に向けて忙しく動き出したルリエの体調はもう大丈夫と見極めたビリー・クェンデスが、警護をジュディ・パーカーと交代して、自身はティルドのもとに向かっていた。
 そのティルドは、疲れがたまっているのか自室で休んでいるところだった。睡眠不足は続いているのだろう。ソファに深く身を沈めて、目を閉じ深くため息をついていた。そこへビリーが飛び込んでいって陽気な声を上げた。
「まいど!話は聞かせてもろたで!なんぞ、よう眠れんみたいやな」
 ルリエの介護を通じてビリーへの信頼を深めていたティルドは、突然の来訪に驚きはしたが、すぐに苦笑を浮かべながら素直にうなずいた。
「なんだろうな……不思議な夢を見るようになって。夢を見るというか、誰かの記憶を覗き見ているような、そんな感じでな。毎晩ではないんだが、いや、むしろ時間を問わないというか。それで余計に疲れてしまったみたいだ」
 ビリーはティルドの顔を覗き込んで、疲れの浮かんだ顔ににっこり笑いかけた。
「だいぶんお疲れモードの様やなぁ。仕事熱心なあんさんやからいろいろ頑張りたいやろうけど、何を為すにしても心の健康は大切やで。逆に言えば、寝不足では本来の力は発揮できんいうわけや。それでちょいと治療してやろうおもうてやな」
「治療?」
「とりあえず短時間でも熟睡することや。夢のことで悩みもあるようやけど、落ち着いて話をするにしてもや、元気にならんことには思考がネガティブな方向に行ってしまうからな。それはあかん。物事を解決するには最後まで立ち向かう気力と心構えが必要や。さあさ、ついてててやるからゆっくりせえ」
「しかしルリエ様をお一人にするわけにも」
「それならジュディがついているから心配せんとき。実は看病している間に気が付いたこともあるしなぁ。はっきりしたら教えたるわ。あんさんにも嬉しい話やろうから楽しみにしてな」
「嬉しい話?」
「ボクはその道の専門やないから、そこは他の人にまかせなあかんけど。楽しみがあると思っとき。ほらほら横になって」
 ぐいぐいとベッドに押しやり、疲労回復の指圧を施し始める。そこへリュリュミアがやってきた。ティルドがベッドに横たわっているのを見ると、リュリュミアは晴やかに笑った。
「ティルドさん、お休みですかぁ?それならいいものをさしあげますぅ。私の花粉で作った匂い袋なんですけど、これがあると気持ちよく寝られるんですよぉ。なんだかあんまり眠ってないみたいですものねぇ。寝なきゃだめですよぉ」
 そういって枕元に匂い袋をそっとおく。匂い袋からは甘い香りが漂ってきて、険しかったティルドの顔にもわずかながらほっとしたような色が浮かんだ。
「ああ、確かにいい香りだな」
「ナイスやで、リュリュミアさん」
 触れている体からも力が抜けたのを感じて、ビリーが二かっと笑った。リュリュミアもニコニコしながらベッドに腰かけた。リュリュミアの香りとビリーの指圧が効いてきたのだろう。しばらくして静かな寝息が聞こえてきた。穏やかな寝息に2人がほっとした時だった。ティルドが何かに驚いたようにがばっと起き上がった。
「ティルドさん?どうしたんですかぁ」
「なんや、せっかく寝たと思ったら。また夢かいな」
 ティルドはこわばった顔で荒い息をついていた。ビリーとリュリュミアがその背に手を触れる。優しくさすられて落ち着いてきたのだろう。大きく息を吐くと、弱々しく笑みを浮かべた。
「すまない、驚かせたな。しかしあれは何だったんだ……」
「どんな夢を見たんや」
 ティルドに夢見の力が目覚めたのは間違いないだろう。胸元でわずかにムーンストーンが光を発していたことにビリーは気付いていた。リュリュミアはただただ心配そうにティルドの顔を覗き込んでいた。ティルドは軽く頭を振ってぽつりぽつりと口を開いた。
「またルリエ様が襲われる夢なんだ。襲われるというか、まるで自分がルリエ様を襲っているかのようだった。誰かがまたルリエ様のお命を狙っているんだろうか……」
「ルリエ夫人を?犯人になりそうなやつに心当たりはあるんか」
「……」
「ティルドさん?言いたくないんか……?」
「憶測で話はあまりしたくないんだが……あれは、多分……あのシェーラという呪い師だ」
「なんであのお人が、ルリエ夫人を狙うんや」
「……わかりたくない」
 ティルドはあえて、わからないではなくわかりたくないという表現を使った。うすうす気が付いていたこと。シェーラの力の影響で己が夢見の能力に目覚めたこと、そしてたびたび見るシェーラの過去と思しき夢。それが指し示すものはただ一つ。自分がシェーラと先代城主の間にできた子供であるということだった。それはティルドには受け入れがたいものだった。
 苦悩するティルドの背中をあやしながらビリーが言った。
「わかりたくない、か。どんな立派なお人かて、悩みの一つや二つはあるもんや。愚痴くらいならなんぼでもボクが聞いたるさかい、休まなあかんで」
「そうですよぉ。リュリュミアも、占いはできませんけど、お話を聞くことはできるんだからぁ。話してすっきりしちゃいましょうよ」
 再びベッドに寝かしつけながら口々に告げる。ティルドは手で顔を隠しながらしばらく言葉を探しているようだった。リュリュミアが気をほぐそうとして、自分から話を始めた。
「そういえば、ティルドさんには好きな人っていないんですかぁ」
「好きな人?」
「恋愛対象としてですよぉ。お仕事に真面目過ぎて、あんまりそういうこと考えないようにしているみたいだから、どうなのかなぁと思って」
 ティルドがわずかに苦笑した。
「私は跡を残す必要もなかったからな。せっかく城の騎士に選ばれたのだから、任務を全うできたらそれでよかったんだが」
「それだけが理由なんかい」
 ビリーの突込みに、再びティルドの顔が曇った。
「義父も義母も言わなかったが、私が望まれない子供だったというのは小さい頃から感じていて……勝手にそう思っていただけかもしれないが、孤児だった事を知ってから、それがずっと心に引っかかっていて。跡継ぎを儲ける必要がないなら、結婚とかも考えなくてすむかと。城に上がった時はだからそれを口実にできると……実際、いくつか見合い話を断っているんだ」
「子供を作りたくないいうわけやな」
「そうだな。義理の家族に愛されなかったとは言わない。ただ、何かが足りないんだろうな」
 リュリュミアがつんつんとティルドの頬をつついた。
「恋愛は子供を作るばかりじゃないんですよぉ。もっと気楽に考えなくちゃ。誰かを好きになるって、それだけで素敵なことなんですからぁ」
 ぷうとふくれるリュリュミアにティルドが再び苦笑した。
「そうだな……わたしはまだまだ子供なのかもしれないな」
「なにいうてはるんや。真面目なだけやないか。それは決して悪いことやあらへん。けど、しならない堅い木は、、強風を受けた時、ぽっきり折れてしまうもんや。それはあかん。生きてる限りは生き続けなあかん。そのためにはネガティブにならんことや。ルリエ夫人がいい例やあらへんか。命に関わるような怪我からもちゃんと立ち直った。ボクは手助けをしたけれど、なにより本人に生きたいという強い意志があったからや。サリィ姫のため、民のため。その中にはあんさんもおったと思うで。思われているなら、一人ぼっちにはならへんよ。血のつながりだけが家族やあらへんやろ。それは養家で育ったあんさんが一番わかっているはずや」
「ああ、ああ、そうだな」  やがて再び眠気が襲ってきたのだろう。ティルドがうとうととしだした。その眠りは深く、リュリュミアとビリーの見守る中、悪夢にさえぎられることはなかった。

 アメリア・イシアーファはいつものようにサリィのもとに警護という名目で訪れていた。サリィはアメリアにお茶をふるまいながらも、どこか上の空のような様子を見せていた。
「シェーラさんのことを気にしているのぉ?」
「え、あ、うん……。やっぱりね、あの占いをどうしても信じられなくて。本当にそうなったら嬉しいとは思うんだけど。だってずっと好きだったんだもの。この気持ちに嘘はないから」
「相変わらずティルドさんは何にも気付いてないみたいだけどねぇ」
「ふふ、そうね。でもそんな真面目なところも好きだし」
 はにかんだ笑みが痛々しく見えて、アメリは意を決してサリィの手を握った。
「ねぇ!いっそのこと、ティルドさんに告白しちゃおうよぉ」
「え、ええ!?」
「建国祭の準備で忙しいのは分かってるけどぉ、ティルドさんみたいな人はこっちから押さないとだめだと思うのぉ」
 サリィはアメリアの発言に真っ赤になってうつむいてしまった。アメリアはその肩を抱き寄せながらささやいた。
「勇気を出して、ね?今の私の願いはねぇ、建国祭でサリィと一緒に結婚式を挙げることなのぉ。私だけ幸せになるなんてできないよぉ。せっかく親友になれたんだもん、サリィにも幸せになってほしいのぉ」
「アメリア……」
「ティルドさんは真面目な人だからぁ、サリィが本気だってきっとわかってくれると思うのぉ。そう信じよ?とにかく伝えなかったらなんにも始まらないよぉ」
「そう……ね」
「そうと決まったらさっそくアタックだよぉ!」  サリィの手をぐいぐいと引っ張って歩き出したアメリアの心は弾んでいた。

 久しぶりにぐっすり眠れたティルドは、元気にあれこれルリエの指示のもと建国祭の準備にいそしんでいた。まだ夢見のことを気にしているのか、それは端からはややカラ元気にも見えるものだった。アルトゥール・ロッシュは頭を抱えながら適当な頃合いを見計らってティルドを休憩に誘っていた。
「今日はだいぶん顔色も良いけどね。適度な休憩をとるのも役目だよ。君が休まないとほかの人も休めないしね」
「ああ、それもそうだな」
 病み上がりのルリエは言うに及ばず、城内の使用人たちにも働きづめを強要していることに気づいて、ティルドは素直にアルトゥールの進言に従った。もともと準備は途中まで終わっていて、あとは最終確認くらいしか残ってはいなかったのだ。サロンで淹れてもらったお茶を飲みながら、アルトゥールは先日から話したくてたまらなかったことをティルドに告げていた。それはもちろんアメリにプロポーズしたことだった。鈍感と言われるティルドも、他人の祝い事には素直らしい。明るい笑顔で祝福を述べていた。
「結婚か!それはおめでとう」
「ありがとう。アメリアとはこの一件が終わったら結婚しようと言っているんだ。そうだな、建国祭で式をあげられたらいいな」
「……そうだな。いずれにしてもおめでとう。祝福を言わせてくれ」
 屈託のない笑顔に、アルトゥールが気恥ずかしくなる。照れ紛れに思い出したことをティルドに言った。
「結婚と言えば……あの呪い師、シェーラだっけか。彼女がサリィ姫と君が結婚する未来を見ているそうだぞ。知っているかい」
「え……いや」
 きょとんとしてしまったティルドに、アルトゥールはアメリアから聞いていた話を思い出していた。アメリアはサリィから、シェーラがこの先見をティルドには知られないようにしているらしいと聞いていたのだ。知らなかったのは確かなようだ。だがそれがなぜなのかはまだ分からなかった。
『シェーラはティルドを何に利用しようとしているんだろう』
 なんにせよ、友情を感じている相手が不可解な陰謀に巻き込まれているらしいというのは面白くないものだ。アルトゥールはさりげなく話題を振った。
「まあ、サリィが君を慕っているというのは……城のみんなが知っている事実だけどな。彼女の思いに気が付いていないのは、当の君くらいだよ」
「慕っているといっても、兄のようにだろう。それくらいはちゃんとわかっているさ」
 ティルドの返答に、思わずアルトゥールが肩を落とした。そこへアメリアに引っ張られたサリィがばたんと飛び込んできた。
「アメリア?」
「ティルドさん、サリィがあなたにお話があるそうですよぉ」
「姫?」
 アメリアは真っ赤な顔のサリィを前に押し出すと、アルトゥールの手を引いて一歩下がり、成り行きを見守る表情になった。サリィはちらっとアメリアを振り返ったが、ウインクを返されると意を決したようにティルドを見上げた。
「姫、どうかされましたか」
「私、あなたに伝えたいことがあってきたの……好き、です。愛しているの。兄としてではなく、一人の男性として。お願い私と結婚して」
 ティルドは一瞬面くらったようにサリィを見つめ返していた。サリィは真っ赤な顔のまま、手を組み合わせて答えを待っていた。その真摯な態度が、サリィの気持ちを雄弁に物語っていて……ティルドは蒼白になってサリィに背を向けてしまった。
「申し訳ありません……それはなりません」
「なぜ!?私のこと、妹のようにしか見ることはできない、の……。私はずっと前から男性としてのあなたが好きだったわ。それとも他に好きな人が……いるの?」
 サリィは思わずティルドの手を取ったが、それは素早く払われてしまった。思いがけない反応にサリィが呆然とする。ティルドははっとして咄嗟にサリィを見たが。すぐさままた目を背けて手で顔を覆ってしまった。思いがけない結果にアメリアとアルトゥールも焦る。特にアメリアはサリィのショックを想いやって、ティルドに叫んでいた。
「どぉして!サリィは一途にティルドさんだけ見ていたのにぃ。ティルドさんだって、決してサリィのことは嫌いではないのでしょぉ?だって、2人は結婚するんだって、占いにも出てるんだものぉ。なのに、どぉしてそんなひどい態度をとるのぉ?まるで嫌っているみたい……」
「嫌っているわけではない!」
 さすがにティルドが振り返る。しかしサリィと目を合わせることはなかった。苦しげに目を伏せたまま、ティルドは誰に言うでもなくつぶやいた。
「私は真実を知りたい……想像が当たっているなら、姫と結婚するわけにいかないことは分かってもらえるはずだ。姫……決してあなたを嫌っているわけでも、他に思う女性がいるわけでもないんです。ただ……結婚だけは駄目です……おそらく」
「おそらく?いったい何があると。あの占いは何だというの!?」
 サリィの悲鳴にも似た問いに応えは帰らなかった。

「サリィ、サリィ」
 泣きながら廊下を走っているサリィの後をアメリアとアルトゥールが追う。やがて息が切れたのだろう、廊下の端にもたれるようにサリィがうずくまると、アメシアがしっかりと抱き着いた。甘い夢を見ていたアメリアとアルトゥールにとっても、ティルドの拒絶は痛いものだった。アメリアはしばらくサリィと一緒に泣きじゃくっていた。やがて泣くのにも疲れたのだろう。サリィはしがみついてくるアメリアの頭をそっと撫で始めた。
「ごめんねぇ、ごめんねぇ」
「アメリアが謝ることじゃないわ……なんとなく、予感はあったもの……。あの占いがあまりにも都合が良すぎて。浮かれなかったと言ったら嘘にはなるけど。ねえ、ティルドの言っていた真実って何かしら」
「え?」
「シェーラに関することかな。彼女は何かにティルドを利用しようとしていた節があるんだ。ティルドはそれに気づいていたんだろうか」
 アルトゥールの言葉に、サリィとアメリアが不思議そうに顔を見合わせた。
「彼女の正体が鍵なのかもしれないな」
「そうね……私もその真実が知りたいわ。私がどうしてあんな風にティルドに拒絶されなきゃならなかったのか、でなきゃあきらめがつかないもの」
 サリィはアメリアの胸に頭を持たれかけさせた。小さな嗚咽をこらえているさまは、アメリアの涙をさらに誘った。それに気づいたのか、サリィがそっとアメリアの耳元でささやいた。
「真実がどんなものかはわからないけれど、あの真面目なティルドがひどく苦しむようなものだもの、どんなものであれ、私は受け入れるつもり。だから、ね。アメリアは幸せになってね」
「サリィ?」
「アメリアはちゃんと想いをかなえてね。結婚を取りやめるなんてしないでね」
 そういって、サリィはまた涙を流した。

 ルリエのボディーガード役に戻ったジュディは、塔が実はいわくつきのものではないとわかったことで、せっせと付き従いながら常に周辺に気を配っていた。塔の隠し通路はふさいだとはいえ、城全体を探したらいくつそういったものがあるかわからないのだ。それにすべてをふさぐのはいざというときのことを考えたら良くないことも確かだった。しかし襲撃犯が見つかっていないこと事も確か。地道に張り付いて身辺警護に当たる以外、今のジュディに思いつく道はなかった。
「ソウソウ、このところ、忙しくてキチンとお食事、取られていないデショウ」
「え、そうだったかしら?でも大丈夫よ。ビリーの治療がとっても良かったのね。以前より食欲とかあるくらいよ」
「ときどきクアイ悪そうにシテいるの、見かけてマス。それに……」
「なぁに?」
「サリィ様トモ、あまりお話しされてないデス。お食事ぐらい、一緒にサレマセンカ?せっかくマタ仲良しに戻ったノニ」
 ジュディの発案に、ルリエがそういえばと思う。療養中に見舞いは受けていたが、食事は共にはしていなかった。ベッドから解放されたらされたで、忙しくなってすれ違いが続いていた。ルリエは顔を輝かせてうなずいた。
「それはいい案ね。じゃあさっそく、今日の夕食でも共にしようかしら。ジュディ、伝えてきて……」
「それはダメね!前の時のようなことがあったら、ドウしますか!」
 そばを離れた隙をつかれて主人を襲われたのは、ジュディには苦い記憶だった。ルリエはそこで懐からビリーに渡されていた呼子笛を取り出した。
「こんなことに使ったらいけないかしらね」
 そればビリーが火急の時に駆け付けられるようにと、ルリエや、サリィ、ティルドに渡してあったものだった。ルリエは肩をすくめたが、呼ばれたビリーは話を聞いて快く伝言役を引き受けてくれた。
「ええでっせ。家族が仲いいのはええことやもんなぁ。そうそう、その席にボクも同席さしてもらえへんやろか」
「かまわないけれど、なにかあるの?」
「うっふっふ、めでたい話があるさかいにな。サリィさんにも聞いてもらいたいんや」
「そう」
 その夕食の席。ビリーの言うめでたい話がどういうものか聞く前に、ルリエは目を真っ赤にして意気消沈しているサリィに驚いてしまった。
「サリィ!どうしたの、そんなに泣きはらした目をして……」
「お義母様……ふふ、何でもないの。ちょっとね」
「ちょっとなんて顔ではなくてよ。私には話せないこと?」
 サリィは小さくかぶりを振った。そしてそっと父親の形見だというもらったムーンストーンのネックレスとテーブルの上に置いた。
「せっかくいただいたものだけど、これはお返しします」
「まあ。あなたも気に入っていたでしょうに。それにこれは……」
「わかってます。ティルドの持っているものと似ているから、下さったのでしょう。でも……だからこそ持っているわけにいかなくなって」
 そこでサリィはまたわっと泣き出してしまった。ルリエがおろおろとサリィを抱き寄せた。
「私ね……ティルドに振られてしまったの」
「え、まさか」
「本当よ。私と結婚するわけにはいかないって、はっきり言われちゃった。でもそうしたらあの占いはどういう意味だったのかしら」
「姫様……オイタワシイ」
 そばで控えていたジュディも、失恋の痛みはよくわかっているだけに、自分のことのように悲しい気持ちになってしまった。
 そこへ給仕が食事を運んできた。なぜかシェーラがその手伝いをしていた。サリィははっとしてシェーラに詰め寄った。
「あなたはティルドを利用しようとしているって聞いたわ。あの占いに関係あることなの!ティルドには私と結婚する気はないって言ったのに」
 シェーラはすました顔で心配そうにしているルリエに微笑みかけ……。
「何をするデスか!!!!」
 ぎりぎりまで何気ない様子でいたシェーラだったが、ジュディの目はごまかせなかった。サリィを抱きしめたままシェーラは、身を乗り出してきたルリエに向かってナイフを突き出したのだ。だが寸前でジュディに止められる。腕をねじりあげられ、痛みに耐えかねてシェーラがナイフを取り落とす。ビリーが慌ててそのナイフを取り上げる。サリィがルリエに抱き着いた。ビリーも急いでルリエの様子を調べ始めた。幸い怪我はしていないようだが、ルリエの顔色は真っ青にになっていた。
「ああ、急に立ったらあかんで。あんさんの体は、あんさん一人のものとちゃうんやから」
「そうデス!前にルリエ様を襲ったのもあなたデスね。この殺気には覚えがありマス!」
「だって……あの子が城主になるためにはお腹の子供が邪魔なんだもの!」
「お腹の子供?」
 口を滑らせたシェーラが唇をかむ。ビリーがジュディたちにうなずいてみせた。
「ボクが言おう思うてたんはそのことなんや。ショックで成長が遅れていたみたいやけど、ルリエさんのお腹には子供がおるんや」
「まさか、スルファ様の……?」
 ルリエが思わず自分のお腹に手をやる。子宝には恵まれなかったと思っていたのだが、直前に妊娠していたのだろう。サリィが驚いた顔を喜色に変えてルリエにしがみついた。
「あの子って、ダレのコトですか。姫様?」
 ジュディが気になったことを拘束しているシェーラに問いかける。シェーラは苦痛に顏を歪ませていたが、その問いには答えようとはしなかった。そこに騒ぎを聞きつけたティルドがやってきた。マニフィカと一緒に食事をとっていたのだろう。マニフィカも一緒にやってきた。状況を見て取ると、2人ともそれぞれの思惑に顔をしかめた。
「あなたがルリエ様を狙うのは……あなたが私の母だからか」
「え!?どういうこと」
「シェーラ殿がティルドの母君?……まさか」
 戸惑っているサリィと、真相に気が付いたルリエ。傍観を後悔しているマニフィカと苛立っているティルド。
 窓の外ではまた雨が降り出していた。