「石の導きのもとに」
第五回(最終回)

ゲームマスター:高村志生子

 ルリエ殺害未遂の罪でシェーラが投獄されて数日。気のよさそうなシェーラが義母を狙ったことも原因の一つではあったが、それ以上に、初恋の相手であるティルドが実の兄であった事実に手痛いショックを受け、ふさぎ込んでいたサリィだった。ビリー・クェンデスが部屋を訪れた時も、暗い顔で窓から外の降る雨をぼうっと眺めていた。
「泣きたかったら、思いっきり泣いたらええんやよ」
「ビリー……。私が泣くのもなんか違うような気がして。ティルドの方が辛いだろうから」
 あからさまに無理が見える笑顔に、ビリーがちっちっと指を振った。
「傷ついたのはあんさんかて同じやろ。初恋は実らないってのは、まあ、一般論で言えばありがちな話やけどなぁ、だからって辛くないわけあらへんやんか。大いに悲しみ、うんと涙を流しなはれ。それは大切なことやで?」
「私が、悲しんでもいいのかしら……」
 ビリーは窓枠によじ登ると、ぽむぽむとサリィの頭を撫でた。
「悩んで悲しみ、楽しんで喜ぶ。人生なんてそんなもんやで。だから素晴らしいんや。そう思わへんか」
 頭をなでる優しい感触にサリィはわっと泣き出した。ティルドへの思いが一途であっただけに、思いがけない真実に戸惑い、己の恋が決してかなってはいけないものだと思い知らされその悲しみは深くサリィを傷つけていた。諦めなくてはならない恋は、思いの深さだけ辛さがあり、けれどわがままを言うわけにもいかない事実に思いが板挟みになり、その苦しみがすべて涙となって流れていた。
「……姫」
 止まることのないと思われた涙は、しかしかけられた声にはっと途切れた。
「ティルド!あ、ごめんなさい、これは……」
「いえ。私がもっと早く気付いたことを告げていたなら、姫をこんなに悲しませることもなかったでしょう。申し訳ありません」
 避けられていると思われるほどに見なかった顔だ。ティルドは疲労の色濃い顔を悲しげに微笑ませていた。
「ティルドは、いつからあの人が自分のお母様だと気づいていたの」
 サリィの問いに、ティルドはほっと溜息をついた。
「あの瞬間まで、確証はなかったんです。ただこれが」
 そういって懐からムーンストーンのネックレスを取り出した。
「彼女の夢を私に見せていたようなのです。最初は夢見の力だとは思いませんでした。けれど普通の夢というにはあまりに違いすぎて。信じたくはありませんでしたが」
「自分の出生を……?」
「訳ありで捨てられたのだということは分かっていましたが……理解しているつもりでしたが。知らない方が良い真実もありますね」
 苦々しい顔は、父でありながら父と呼べなかった悲しみか、母を母と呼びたくない怒りか。ビリーは足をぶらぶらさせながら優しい声音で2人に言った。
「この世界では恋愛と結婚が即結びつくわけやないようやけど、ある世界では恋愛の成就の結果として結婚があるそうやよ。そうして赤の他人が家族になるんや。あんさんらは兄妹やから結婚はできんのやろうけど、血の繋がりがあるんやから、結婚という過程を経なくても家族になれるんやで」
「家族……私に兄を名乗る資格があるんだろうか」
「お姫さんは、ティルドさんが兄やったらいややろうか」
 ビリーの問いにサリィがぶんぶんと首を振った。そして傍らに立つティルドの手を取った。
「恋は、確かにかなわなかったかもしれない。けれどティルドを嫌いになったわけじゃないもの。家族だというのは嬉しい話だわ。むしろ私の方が妹でいていいのかしらって思う。何にも知らずに夢を追っていた娘なのに」
「姫に罪があることじゃありませんよ」
 ティルドがサリィの手を握り返す。触れた手の暖かさに、サリィの涙腺が再び決壊する。ティルドにぎゅっとしがみついて泣きじゃくるサリィを抱き留めながら、ティルドも何処か安堵の色を顔に浮かべていた。

 ジュディ・バーガーはルリエを狙った犯人、シェーラを捕まえられたことに大きな喜びを感じていた。これでボディガードの役目は終わってはいたが、シェーラの処遇が決まっていなかったため、城にはまだとどまっていた。
「ジュディ、機嫌がよさそうだな」
「ア、ティルドさん!ハイ、なんと言っても、2人分の命を助けられましたカラネ。イエ、間接的には3人でしょうか」
 廊下ですれ違ったティルドに声をかけられて、ジュディがウキウキと返事を返した。ティルドが怪訝そうに首をかしげた。
「3人?」
「ルリエ様とお腹の子供と……これ以上罪を重ねないとイウ意味では、シェーラさんも救えたカナァ、と」
「ああ……」
 壁に背を持たれかけさせて、ジュディはわずかに苦笑を浮かべた。
「正直イウと、シェーラさんの、もうこれ以上、ルリエ様やサリィ姫が狙われることはないという言葉が嘘ダッタのは、悲しいデス。でも真実がアキラカになって、シェーラさんもモウ罪を重ねる必要はなくなったデショウ。それだけでもよかったデスよね」
「……そうだな」
 ティルドの表情もいささかこわばっていた。その頬をちょんとつついたのはリュリュミアだ。
「なんだか怖い顔してますねぇ」
「リュリュミ……ア!?」
 リュリュミアが素早くティルドの頬にキスをしたので、されたティルドはもちろんのこと、目撃してしまったジュディもぎょっとしてしまった。赤くなって戸惑っているティルドに、リュリュミアはぴとっとくっついてはしゃいでいた。
「リュリュミアは優しいティルドが好きですよぉ。そういえばサリィさんとの結婚はなくなったんですってね。ならリュリュミアと結婚しませんか?」
「は?????」
 唐突なプロポーズにさしものティルドが目を丸くする。リュリュミアはそんなティルドをしばらくじーっと見つめていたが、やがて1人何かを納得したようにうなずいた。
「あ、今他の人のことを考えましたねぇ。なぁんだ、ちゃんと気になる人がいるんじゃないですかぁ」
「本当デスカ!」
 秘かにティルドを異性として思っていたジュディが、思わずティルドに詰め寄る。ティルドは目を白黒させながら言葉に詰まっていた。リュリュミアはどこまで本気だったのかわからない風情で立ち去りながらティルドに告げた。
「自分の気持ちには正直にならないとだめですよぉ。もうすぐお祭りが始まりますしねぇ。リュリュミアはみんなでお祭りを楽しみたいですもの。結婚式もありますしねぇ」
「ああ、そうだった」
「忘れちゃダメですよぉ。リュリュミアはフラワーシャワーでお祝いをするつもりなんですぅ。ティルドさんもジュディさんもお祝い考えないとですねぇ」
「そうだな」
 忘れていたわけではないのだが、気分的に素直に浮かれられなかったのも確かだ。ティルドは困り顔のまま頭を掻いた。ジュディがつんつんとティルドの肩をつついた。
「気になる人がイルって、ソノ、本当ですカ」
 もじもじと問われてティルドが再び目を丸くした。それから淋しそうにうつむいた。
「……恋愛感情を持っているという意味では、いないな。そうじゃなくて……あの人のことが、な」
「アノ人?あ!……シェーラさんのことデスカ」
「ああ……」
 正体がわかる前から、自分を捨てた実母には複雑な感情を抱いていたのだ。シェーラがルリエを殺害しようとしたのが己を城主にするためだとわかって、そのかたくなな思いはより深くなったようだ。シェーラの動機がゆがんだ母性愛だとわかっていたジュディは、愛のためならばすべての罪が許されるわけではないとわかっていても、ティルドをこのまま放っておくことなどできなかった。
「アイに、行かれてないそうデスネ」
「彼女にか?私が会っても、な。何を言えというんだ」
「モチロン、罪は償わなくてはナリマセン。我が子のタメ、であっても、人を殺そうとシタのですカラ。ケレド……このまま、彼女を忌避シテいたら、ティルドさん、辛いママね」
「私が?」
 ジュディは窓に近づいて外を眺めた。外は相変わらずの雨模様だった。
「ジュディも本当の両親を知りマセン。育ててクレタ両親はモチロン大好きですし、イッパイ感謝してますケド。生んでくれたママにアコガレがあるのは本当デス。ダカラ、ティルドさんの本当の親がワカッテ、よかったなって。その愛情は間違いだったカモしれないけど、許すことはできまセンか。ティルドさんだけデモ」
 ジュディの真剣な気持ちが伝わってきて、ティルドは黙り込んだ。ジュディはティルドの肩をガシっとつかんで熱弁をふるった。
「許すって、強さの証でアリ、優しさでもアルんです。強さと優しさを兼ね備えているのは、ジュディが目指すヒーローの姿ネ!ジュディは優しいティルドさんが好きデス。そこに強さも持ってほしいデス。母としての愛が罪をオカサセたのですカラ、子であるティルドさんだけでも受け止めてあげてクダサイ」
「……それでは身内に甘いと批判されてしまうんじゃないか」
 ジュディは綺麗なウインクを送ってよこした。
「そんなの笑い飛ばすネ。そんな人間臭さも、ジュディは大好きヨ♪」
「人間臭い、か。それもありな話なのか……」
「もちろんデス!親子なんですから、ネ。ジュディは、ティルドさんに幸せになって欲しいデス。デキタラ、シェーラさんと一緒に」
「一緒に、か」
 ふっと遠くを見つめたティルドの目には、ある種の決意が宿っていた。

 シェーラが投獄されている石牢は城の地下にあった。差し入れを持ったマニフィカ・ストラサローネと一緒に牢に向かっていたアンナ・ラクシミリアは、軽く肩をすくめてつぶやいた。
「それにしても荒唐無稽な話ですこと」
「荒唐無稽ですか?」
「シェーラのしでかしたことですわ。近親婚を回避するのではなく、様々な罪を犯してまで進めようとするなんて。先見の能力で観たものはいったい何だったのでしょう。そうまでしてしか変えられなかった。自分のためではないのでしょうね」
「そうですわね……」
 やがて地下につくと、石牢の中でシェーラは放心したように座り込んでいた。マニフィカは見張りの兵を下がらせると、シェーラに優しく呼びかけたが、シェーラは口をつぐんで顔をそむけただけだった。その態度にカチンときたのか、アンナが厳しい声で問いかけた。
「あなたはすべての罪をかぶってでも変えたい未来があったのでしょう。その覚悟があったと思うから、多くは尋ねません。わたくしが聴きたいのはただひとつ。その未来は変えられましたの?」
 シェーラはのろのろと顔を2人に向けると、泣き出しそうな顔で首を振った。
「私はすべてを失敗したのよ。初めからこの街に戻ってきたりしなければよかったわ」
「変えられなかったと?おそらくティルドのためなんでしょうけれど。彼は破滅するのですか」
 シェーラは瞬間きょとんとした顔をした。それから首をかしげた。
「破滅……なのかしら。私にはよくわからないわ。答えを出すのはあの子だもの」
「まったく。事故に見せかけて前城主を殺してまでしたことがそんなあいまいな答えですか」
「私はあの人を殺したりなんかしてない!」
 アンナの言葉を聞いて、シェーラががばっと石柱に飛びついて叫んだ。その顔は涙にぬれていた。マニフィカはそっと持ってきた毛布を差し出して言った。
「その話、詳しく聞かせていただけませんか。おそらくスルファ氏の死がすべての始まりだと思うのです。その真実を知っているのは、あなたただ1人でしょう」
 シェーラは差し出された毛布に手を伸ばすことはせずに、顔を両手で覆って泣きだした。
「わたくしは後悔してますの。傍観者であろうとしたことを。真実を知らなければ、幸せになれる人がいると思い込んで。もう少し深く考えていたならあなたの心情をもう少し推し量ることもできたでしょうに。なぜあなたが焦ってルリエ夫人を殺そうとしたのか……夫人が身ごもられているのは、男子なのですわね。正妻から生まれる、正統なる後継者。違いまして」
「ええ、そうよ。サリィ姫が成人する前にその子供は生まれてきてしまう。そうしたならいかに姫とあの子が結婚しても、あの子が城主になる事はない。父親に生まれることを望まれなかった子供なのに、城主になる権利を持った子供なのに。私が身分のない女だったばかりに、親子して捨てられることになって」
「子供ができたから捨てられたのですか、あなたは」
 シェーラは泣きながらずるずると床に頽れた。
「スルファ殿は小心だった。女遊びはいくらでもしていたけれど、たぶん誰も本気で愛してはいなかったのでしょうね。縋りつこうとする者は容赦なく切り捨てていた。私も子供という枷ができた途端に捨てられたわ。それでも愛していたの。だから産んで……枷であっても、その子を殺すことはできなかったから、秘かに養子に出して、私はこの街を離れて。先見の能力に目覚めたのはそのあとのことよ。様々な街を流浪の呪い師として旅しながら、多分夢を見ていた。いつかこの街に戻って、親子で幸せに暮らす夢を。結婚してサリィ姫が生まれたことはもちろん知っていたけれど、姫なら跡は継げない。それで安心していたのね。それが再婚して、不安になってこの街に戻ってきて……見てしまったの」
「何をですの」
「あの人が……心の臓を止めて死に至る未来を」
 マニフィカがわずかに眉をひそめた。
「ではスルファ殿が亡くなられた原因は」
「誰も悪くないわ。ただの病気……私が怖がらせて死期を早めたというのなら、私の責任と言えなくもないけれど。それは否定しないわ。もしかしたら、愛していた分どこかで恨んでいたのかもしれない」
「スルファ殿にあなたはなんと告げたのですの」
「この国では呪い師は賓客としてもてなされるの。私もそうして城に招かれて、近々天罰が下るだろうと告げたわ。逃れようのない死が訪れると。正体ははじめはばらすつもりはなかったのだけど、怯えるあの人をみて気が高ぶって気がついたらばらしていたわ。そして新しい城主には私たちの子供がなると見てもいない未来を告げた。あの人、私に子供ができていたことは忘れていたみたい。でも顔を見てその子供が誰であるか気が付いたようね……。わかっても、本人に何の落ち度もなく、後ろ盾もしっかりしている騎士をむやみに追い出すことはできなかったようだけど。それとも本当の子供とも気が付かずに可愛がっていたあの子に、愛情を持ってくれていたのかしら。城下で様子をうかがっていたけれど、あの子が追い出されることはなかった。だからルリエ様の子供のことは分かっていたけれど、その前にあの子が城主になってしまえば、と」
「それだけですの?」
 アンナの厳しい声音に、シェーラはさっと身をひるがえした。
「それだけよ」
「どうにも、それで禁忌とされている近親婚を画策するというのは納得がいきませんわ」
「見た未来があったからだろう」
 そこへ静かにティルドの声が響いた。さっと視線が集まる。ティルドは静かにその視線を受け止め、シェーラと対峙した。シェーラは苦しげに視線をそらした。
「ティルド様、どうしてこちらへ。今まで会いに来られなかったと伺っておりますが」
 マニフィカの問いに、ティルドはわずかにうなずいた。
「責任の一端は私にもあるのだろう。なら、会うべきじゃないと思っていた。どんな態度を取ればいいのかもわからなかったしな」
「……恨んでいらっしゃいますの」
「……」
 ティルドは答えなかったが、沈黙はアンナに破られた。
「わたくしはあなたがシェーラのことを悪く言うのは聴きたくないですわね。仮にも実の母親なんですもの」
 それは親思いのアンナらしい意見だった。ティルドはわずかに表情を緩ませた。
「私たちのことは、きっとこれからが始まりなんだろうな。それを確かめに来たんだ」
「始まり?うーん。結局、シェーラが見た、避けたかった未来って何なんでしょう。ま、いずれにせよ、罪は罪として償わなくてはなりませんけれど。そうですわね、いろいろ同情すべき点もありますし、死んだ城主のことが無実なら城外に追放とか」
「それは私が言わなくても、本人がわかっているはずだ」
「でも、それは!」
 シェーラが悲痛な声を上げた。ティルドが緩くかぶりを振った。
「だから、始まりなんだと。あなたが見た本当の未来もそうだったんだろう?」
「ごめんなさい……ティルド」
「謝る必要なんてない。『今』の私には必要なことだろうし」
「そう、そうね。そうだったわね」
 マニフィカはしばらく思案していたが、始まりという言葉にはたと表情を変えた。
「処罰が追放なら……ついていかれる気ですの」
「身柄を見張るものも必要だろう。それに、跡継ぎ問題が落ち着くまでは私はこの城にいない方がいいだろうしな。個人的にも、夢見の力を導いてくれる人は必要だし」
 長く離れ離れだった母子が共に放浪の旅に出るという。罪の意識を抱えたまま。わだかまりが消えるまでどれほどの時間がかかるのかマニフィカには分からなかったが、不幸なだけではないような気がした。少なくとも、シェーラが変えようとするほどではないと。
「そうですわね」
「ティルド……姫の護衛をしていた女性をここに呼んでくれないかしら」
 唐突にシェーラが言った。不思議そうにするティルドに、瞳はまだ涙にぬれていたが、シェーラはどこか吹っ切れたような笑顔を見せた。
「罪滅ぼしの一つもしておかないとね」

 地下から戻ったマニフィカは、まっすぐにルリエのもとに行ってスルファの死の真相を伝えた。ルリエは病死であったことに安堵の表情を浮かべた。
「不幸な事件や自殺などでなくてよかったわ。この子にも幸せなことでしょう」
 柔らかな笑みでおなかをさするルリエに、マニフィカは約束を果たせた実感を感じていた。肩から力を抜いて満足の笑みを浮かべたマニフィカに、ルリエがネックレスを差し出した。それはサリィがルリエに返したムーンストーンのネックレスだった。
「約束を果たしてくれてありがとうございます。これはそのお礼に……。サリィにはもういらないものですし」
「良いのですか」
 様々な思いが注がれた石は、窓から差し込む光を受けて光り輝いていた。いつの間にか雨はやんでいたらしい。空に昇った満月が優しく石を照らしていた。マニフィカはそっとネックレスに手を伸ばした。

「アルトゥール、アルトゥール!!」
「アメリア!あの女に呼ばれていたって?大丈夫だったかい」
 アメリア・イシアーファは興奮に顔を上気させながらパタパタと駆けてきて、その勢いのままアルトゥール・ロッシュの腕の中に飛び込んだ。
「うふふ、あのねぇ、うふふ」
「なんだかとてもご機嫌だね、アメリア」
 アメリアはキラキラした目をアルトゥールに向けると、ぎゅっと抱き着きながらアルトゥールに告げた。
「あのねぇ、私たちにも子供ができたんだってぇ」
「え、えっ!?本当かい?」
「シェーラが教えてくれたのぉ」
 それを聞いてわずかにアルトゥールの顔が曇った。
「シェーラが?まさか、まだなにかたくらんで……」
「ああ、そういうことか」
「ティルド?」
 アルトゥールが振り返ると、小箱を手にしたティルドが立っていた。
「どういう意味だい」
「罪滅ぼしの一つだと言っていたんだ。そうか、君たちも親になるのか。おめでとう」
 アメリアがはっと気がついたように体を起こした。
「そぉだ、サリィにも言ってこなくちゃ」
 そしてまたパタパタと駆けだしていった。その姿が通路の向こう側に消えてしまうと、ようやく実感がわいたのか、アルトゥールはぐっと両手を握りしめて、喜色を満面に上らせた。ティルドがその手に小箱を押しつけた。
「これは?」
「結婚祝いだ。ないと困るだろう?」
 小箱の中身はアメジストの指輪だった。
「アメジストには魔よけの力があるそうだ。これからの君たちに幸せがあるように、と思ってな」
「ありがとう。ルリエ夫人からも、建国祭での式の許可をいただいたし、これで準備は万端だな」
「……式には私は参加できないが、遠くからいつでも君たちの幸せを願っているよ」
 アルトゥールがその言葉にひょいと眉をひそめた。
「参加できないって、なぜなんだ」
 ティルドはそれには答えずに、静かに微笑んだ。
 そのころアメリアはサリィの祝福を受けていた。
「まあ、本当なの?男の子?女の子?」
「シェーラからは、それは生まれてからのお楽しみって言われちゃった。でもぉ、どちらでも元気に生まれてきてくれたらうれしいなぁ。家族が増えるって素敵なことなんだねぇ」
 サリィはうなずきながらも少しだけ複雑そうにしていたが、己の喜びに浸っているアメリアがそれに気づくことはなかった。
 そして建国祭が始まった。ルリエの懐妊を聞きつけた民が、解放された城の広場に集まって口々に祝福を述べていた。各種の式典もrつつがなく進み、城下町もお祝いムード一色だった。この国には珍しく天気の良い日が続き、誰もが喜びをかみしめていた。
 そんな中、城でアルトゥールとアメリアの結婚式が執り行われた。指輪の交換が交わされ、誓いのキスが互いに贈られる。純白のドレスとタキシードに身を包んだ2人はとても幸せそうだった。リュリュミアが盛大にフラワーシャワーを降らせている。アメリアのブーケは無事にサリィの手に収まった。
 参列者にはサリィのほかに、ルリエやジュディたちの姿もあったが、ティルドとシェーラの姿はなかった。
 その頃、ティルドたちは城が良く見える丘の上に立っていた。
「式に参加しなくて、本当に良かったの?」
「幸せを祈ることなら、遠くからでもできるさ。だからいいんだ」
 それはおそらく、かつてシェーラがティルドの幸せを祈ったように。しばらくそうして佇んでから、ティルドはシェーラを促して歩き出した。
「さあ、行こう……お母さん」
「っ、そうね」
 城ではロッシュ夫妻が指輪のアメジストを陽の光にかざしていた。そのキラキラとした輝きは離れていくティルドにも見えていた。ティルドは懐からネックレスを取り出して同じように光にかざした。還る日を夢見て。石の導きを信じて。