フィアレルの希望 第1回

ゲームマスター:高村志生子

 うっそうとした森の中は、昼間でもうす暗く、徘徊するモンスターの咆哮でお 世辞にも静寂とは程遠い。グラント・ウィンクラックはそんな森の中で、装備し た招武環を木漏れ日に振りかざしていた。
「さすが噂に聞くモンスター生息地帯だぜ。怪しい気配がいっぱいだな」
「そうね。まあ修行をするにはちょうどいいわ」
 宝生院夕月が同意する。
 いまのところ取り立てて遭遇してはいないが、いつ遭遇するかわかったもので はない。気を抜かないようにしながら二人が森の中を進んでいくと、ふいに前方 から強い光が差し込んできた。
「なんだ!?」
 グラントがあわてて駆け出す。夕月もあとを追った。
 二人の長い黒髪が風になびく。少し走ると、そこでは一人の少女がモンスター と戦っていた。夕月が愛用の刀に手をやった。
 少女は魔法を使うらしく、指輪をはめた手を前に突き出していた。そこから光 が発していて、対峙するモンスターは光に阻まれて少女に近づけないでいるよう だ。
 しかし少女は長いことさまよっていたのだろう。軽装の顔には疲労の色が濃く 浮かんでおり、今にも倒れそうだった。それを見て取って、グラントが破軍刀を 呼び出した。
「でやぁあっ」
 2mは超える長刀を軽々と振り回す。少女の気がそれ、光が消える。すかさず 襲い掛かってきたバッファローが、少女を食らおうと巨大な牙が生えたあごをが ばりとあけた。そこにグラントの一撃が入った。
 がきりと牙と破軍刀がかみあう。力は拮抗していた。押してくる力をささえな がらグラントが叫んだ。
「今のうちに逃げろ!」 「で、でも」 「あたしたちにまかせて行きなさい!」
 夕月が少女の前に回りこんで言った。グラントがすきをついてバッファローを なぎ払う。いったんは退いたバッファローが、一瞬の間をおいて体当たりしてき た。とがった2本の角がグラントたちを狙っている。少女を背にかばいながら、 グラントはモンスターの攻撃にそなえた。
 と、いきなりモンスターの様子が変った。戦意が喪失し、どうやら混乱に陥っ ているようだ。グラントたちがいぶかっていると、木の陰からエルンスト・ハウ アーが姿を現した。
「ほれ、ワシの魔法はどうじゃ」
 やせ細った老人は、ひょうひょうとした声でモンスターに呼びかけた。
「グ、グォオウ」
 見た目にはわからなかったが、エルンストは指にはめた影の指輪から恐怖をバ ッファローに送り込んでいた。精神的ダメージを与えられてバッファローがのた 打ち回る。すかさずエルンストがグラントに指図した。
「今じゃ!」
「よし!」
 バッファローの戦意喪失に乗じて、グラントが攻撃に転じる。空を切り裂いた 破軍刀がバッファローの横腹に入った。エルンストは「恐怖」の魔法をやめ、精 気を奪い取り始めた。夕月得意の居合い抜きがバッファローの体躯を切り裂く。 グラントも2度3度と巨大な体躯をなぎ払う。バッファローはしばらくあがいて いたがやがて沈黙した。
「大丈夫じゃったかな、お嬢ちゃん」
「怪我はないか」
 少女は恐怖が残っているのか、へたりと座り込んだまましばらく黙っていた。 グラントが安心させるように笑いながら話しかけた。
「どういういきさつでここにいるのかしらねえけど、女の子が一人で出歩くには ここは物騒だぜ。家はどこなんだ?」
「い……え……?」
 問われて少女が目を見開いた。しばらくしてそこから大粒の涙が溢れ出し、グ ラントとエルンストをあわてさせた。
「お嬢ちゃん?」
 エルンストがひざをついて少女の顔をのぞきこんだ。少女はとまどいながら軽 く頭を振った。
「家って……あたし、どこから来たのかしら。あたし……あたしは……誰なのか しら」
「誰って、まさか記憶がないのか?」  グラントも驚いてひざまづいた。少女は半分うわごとのようにつぶやいた。
「ああ、でも逃げなきゃ。奪われちゃいけないもの。逃げなきゃ……逃げ……怖 い」
「ふむ、頭を怪我しておるようじゃな。そのせいで記憶が失われたんじゃろう。 どうも追われているようじゃが」
「だとしたら余計に放ってはおけないな。正直女の子が一人歩きするには物騒す ぎる森だぜ、ここは。よし、俺がアンタを安全なところまではただで護衛してや るぜ。安心しな」
 グラントの言葉に少女はまだどこか不安そうにしながらも、こっくりうなずい た。
「そうと決まったらまず食事かしら」
 夕月が励ますかのように明るく言った。
「さいわい肉がそこにあるしね」
「……モンスターを食うじゃと?」
 エルンストがいやそうに受けた。グラントが笑い声を立てた。
「バッファローの肉は町じゃ珍味として評判がいいんだぜ。よし、さっそく解体 するか」
「それならお嬢ちゃんはこっちにくるんじゃ。あまり見て気持ちのいいもんじゃ なかろうからな、火でも起こそう」
 エルンストに背中を押されて少女がととと、と歩く。そんな様子を夕月は優し い目で見ていた。

               ○

 町の冒険者の宿屋で、手助けしてくれる仲間の準備を待っていたマリーにリュ ーナが話しかけてきた。
「実家が盗賊に襲われて、しかも妹さんが行方不明だなんて大変ね……。どれだ け役に立てるか分からないけれど、協力させてくれないかしら?」
 マリーがうっすらと笑みを浮かべた。
「ありがとう。人手はあると助かるわ。よろしくね」
 リューナは背中のコウモリの翼を軽くはばたかせてからマリーの正面に座った 。
「ところでちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
「あなたの家が襲われたこと、心当たり、ある?妹さんが持って逃げたって言う 家宝のこととか」
「シークスに狙われるほどの値打ちものだとは思えないのだけど……」
「でも家宝なんでしょ?」
「多分、カナンの指輪のことだと思うわ」
 リューナはマリーが話してくれそうだと、身を乗り出した。
「なにか特別な品なの?」
「特別といえばそうかしら。その昔、時の国王に下賜された魔法具なのよ。うち が繁栄していたころの話ね」
「あらすごいじゃない。それがなんで没落しちゃったの?」
「うーん……」  マリーが言いよどんでいると、リューナはさりげなく話を進めた。
「なにか理由があるんでしょ」
 マリーは少し声をひそめて言った。
「カナンの指輪には対の魔法具が存在していたらしいのよ」
「対の魔法具?」
「ええ。リュナイのサークレットというものなんだけど、それが数代前に盗み出 されてしまったらしいの。それで信用をなくして没落しちゃったってわけ」
 リューナはなるほどと相槌を打ちながら問いかけた。
「対だなんてなにか特殊な力でもあるのかしら。言い伝えとか残ってないの?」
 と、それを聞いてマリーが少し困った顔になった。リューナは期待を込めて言 葉を待った。
「単体でもじゅうぶん魔法具として使えるのだけど……そろうと数倍もの力を引 き出してくれるそうよ」
「それだけ?」
 どこかはぐらかされているような感じがして、リューナの言葉に力がこもった 。マリーはあいまいな笑みを浮かべていた。
「魔法使いの家系なのに、私にはあまり才能がなかったから。あまり興味とかな かったの。それ以上のことは覚えていないわ」
「ってことは、なにかあることはあるのね」
 そこへリリエル・オーガナが話しに加わってきた。
「ねえ、マリー。ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い?」
「リーンを探すのにあたしの新式対物質探索機が役に立つと思うの。それでね、 そのためには彼女の持ち物が必要なのよ。なにか持ってないかしら。できたら髪 の毛とかあるといいんだけど」
 肩あたりまでが黒い水色の半そでに同色のミニスカート、白いロングブーツに 身を包んだリリエルは、はきはきとした口調で携帯型の機械を取り出してきた。 マリーは珍しそうにそれを見ながら、首を横に振った。
「あいにくそういうものは持っていないわ」
「そう、それじゃマリーのでもいいわ。姉妹だもの、類似したものを探せばきっ と見つけ出せるわよ」
「そうね。それで良ければ……」
 マリーは話がそれたことにほっとした様子を見せていた。リューナから視線を そらし、持っていた剣ですばやく自分の髪を一房切り落とした。
「これでいいかしら」
 リリエルが手渡された髪を機械にセットする。機械が情報を読み込み始めた。
 と、そこへ助っ人を名乗り出てくれた一団がやってきた。
「お待たせ。なにしているんだい」
 アルフランツ・カプラートがリリエルの手元に目をやる。リリエルが機械をち ょっと持ち上げた。
「これでリーンの居場所を調べようと思って」
「ふうん。あ、そうだ。マリーの持っている剣って、確か魔法具だったよね」
 アルフランツの問いにマリーがうなずいた。
「うちから持ち出してきたものだから。ま、私が魔法を使えることってめったに ないけれど」
「ちょっと貸してもらえないかな」
「いいわよ」
 アルフランツはマリーの剣を手にすると、精神を集中させた。アルフランツを 中心に風が集まる。猫っ毛の銀色の髪が風にあおられてふわりと浮かび上がる。 力の手ごたえを感じて、それを一点に集中させる。宿の中なのにびゅと突風が吹 き、そばにいたリューナやリリエルが髪を押さえた。
「うん、使えそうだな」
「あなたの横笛が反応していたみたいだけど?」
 同じように髪を押さえていたマリーが指摘する。アルフランツはマリーに剣を 返して、自分の横笛を手に取った。
「使えるんならいいんだ。森に行く前に確かめておきたかったんだよ」
「あなたは風の魔法が得意なのね」
「うん、まかせておいて」
「期待してるわ」
 マリーが笑った。他の冒険者たちもどやどやとやってきて、出発の準備は着々 と進んでいた。

                ○

 同じ頃、先に森に出発していた人物もいた。アクア・マナは同行していたリュ リュミアを振り返った。
「シークスの一味がリーンさんを追っているんですよねぇ。だからきっと追跡の 痕跡が残っていると思うんですぅ。まずはそれを探しましょうねぇ」
「そうですねぇ」
 リュリュミアも同意して、あたりを見渡した。うっそうとした森は暗く、生物 の気配がぴりぴりと来た緊張感を持ってたちこめていた。アクアは行方不明にな って数日経つというリーンの体調を案じていた。
「川でもないかしら」
 アクアは手にした氷皇杖でまずは近くの水場を探した。幸い小さな小川が近く を流れており、そこには明らかに最近人が通ったと思しき痕跡が残されていた。 リュリュミアがシークスを警戒して蔦の鞭を持ちながら指差した。
「あれはどうでしょうねぇ」
「調べてみましょうかぁ」
 さっそくアクアとリュリュミアは、手分けしてあたりを捜索し始めた。すると ほどなく焚き火の跡を発見した。アクアがひざまづく。5本に束ねられた金髪が 動きにあわせてさらりと揺れる。と、人の気配を感じて、アクアはぱっと立ち上 がった。
「誰だ!」
 問いかけてきたのはグラントのほうだった。アクアは敵か見定めようとしなが ら、問い返した。
「それはこちらの台詞ですぅ。こんなところにいるなんて怪しいですねぇ」
「俺はここでモンスター狩りをしていただけだ。そっちこそ」
「わたしは人を探しに来たんですよぉ。15歳くらいの女の子を見かけませんで したかぁ?金茶の髪の女の子で、リーンって言う名前なんですけどぉ」
「リーン……?」
 グラントの後ろに隠れていた少女がそれに反応した。
「思い出したのか?」
「あ、あなたがリーンさんですねぇ!無事でよかったですぅ」
 アクアが喜びを顔に浮かべる。リュリュミアも顔をほころばせてうなずいた。
「シークスに捕まっていたらどうしようかと思いましたよぉ」
  「あたし……リーンって言うの……?」
「思い出したわけじゃないのか」
 グラントが残念そうにつぶやいた。アクアが首をかしげた。
「なんですかぁ。もしかして記憶が?」
「怪我しているんだ。そのせいらしいんだが……シークスって言ったな。貴族狙 いの盗賊団だろ、確か。この娘を追っているって、奴らなのか。逃げなきゃって 、それだけ覚えていて、この森の中をさまよっていたのを助けたんだが」
「怪我ですかぁ?ちょっと見せてください」
 アクアはグラントの言葉に、用意しておいた医療用具を取り出した。それで応 急手当をする。食事をしたせいかリーンは大分落ち着いているようだった。その 様子にほっとしながら、アクアはリーンに告げた。
「町ではリーンさんのお姉さんが、あなたを探そうと準備しているんですよぉ。 ここはモンスターが多くて危険ですしぃ、シークスがいつやってくるかわかりま せんからねぇ。早くお姉さんのところに行きましょうねぇ」
「姉……?」
「どうしたのぉ?」
 姉と聞いてリーンが微妙に顔をゆがませる。あまり喜んでいるようには見えな い様子に、リュリュミアが若草色のワンピースのすそをふわりとさせてリーンの 前にかがみこみ、そっと顔を覗き込んだ。
「わかんない。わからないけど……頭が痛い……」
 頭を抱えて座り込んでしまったリーンに周囲があわてた。
「少し休ませたほうがいいですねぇ」
 アクアはすぐにでも連れて行きたいのをぐっとこらえて、リーンの肩を抱いた 。霧氷珠を使って回りに濃霧の結界を張り、モンスターの目をくらませる。いつ しかリーンは泣き出していた。それが頭の痛みによるものかは周りにはわからな かった。

               ○

 マリーたちは準備が整うとすぐに町を出立した。町を覆っているモンスターよ けの結界から出ると、そこには自然豊かな、それでも緊張した世界が広がってい た。アザクの森に近づくにつれ、その緊迫した雰囲気は強くなっていった。
「アザクの森に行ったことはあるのかい?」
 アルフランツの問いにマリーは首を横に振った。
「モンスター狩りするにしても、あそこはちょっと危険すぎるでしょう。だから 行ったことはないわ。噂だけ」
「有数のモンスター生息地帯だもんね。調子はどうだい、リリエル」
 リリエルはさっそく機械を操っていたが、どうも調子が良くないらしい。顔を しかめていた。
「この森って、他より魔法の気配が強すぎるみたい。それが邪魔してるのよね。 人間なら感知できると思ったのだけれど」
「ああ、リーンは人一倍高い魔力を持っているから。そのせいもあるかもしれな いわね」
 マリーの言葉にリリエルのしかめつらがますますひどくなった。
「どうしようかしら」
「とりあえずシークスの奴らが来ているんだろう。そこから足取りが追えないか 」
 ディック・プラトックが宿屋の主人に借りた棒を振り回しながらリリエルに言 った。
「奴らも当然モンスターと戦っているだろうし、それなら痕跡が残っているはず だぜ」
「そうね」
 ログレインの屋敷からアザクの森に入るには都合の良い場所は、マリーが調べ ていた。その方向を中心に調べることになった。さっそく調査を開始する。姫柳 未来は森に入るなり、購入しておいたステッキをかざした。
「魔法には魔法ってね」
 風の魔法で周辺の「音」を探る。とたんにはっとして仲間たちに警告を発した 。同時に坂本春音のペットの犬の豆太郎が激しく吠え出した。
「豆太郎、どうしたんですか?」
 春音はそのただならぬ様子に緊張をみなぎらせた。
「来るわ!」
 未来の言葉と一緒に木陰からジャイアイントアントの群れが姿を現した。
「ち、数が多いな」
 ディックが舌打ちする。先頭の1匹があごをがちがち言わせながら襲い掛かっ てきた。それをディックが棒で突き戻す。未来が風の刃を呼び出して攻撃を仕掛 けた。
「ギャア」
 どうやら風の魔法に弱いらしい。1匹が吹き飛ばされた。しかしひるむことな く今度は両側から別の一団がやってきた。
「流星キーーーック!」
 掛け声とともにトリスティアのけりが炸裂する。ショートブーツがジャイアイ ントアントの堅い表皮に食い込む。ひっくり返った後ろから別の一体が姿を現し た。
「しつこいな、もう」
 まるでわいてくるかのような集団に、トリスティアも負けじと気合をこめた。 身軽にモンスターの群れの中を移動しながらキックをくりかえす。未来とアルフ ランツは風の魔法で攻撃をしていた。
 攻防は長く続いた。倒しても倒しても現れる集団に未来がいらついていると、 おそろいの制服を着た春音が攻撃をかいくぐりながら近寄ってきた。
「ねえ、向こうでも戦いの気配がするみたい」
「え?」
 自分たちのことで精一杯だったのだが、豆太郎が走り出していた。その先でも モンスターの咆哮が聞こえていた。
「マリー!」
 ディックがそれに気づいてマリーを呼んだ。
「誰かいるみたいだぞ!」
「シークスかしら。それとも……」
 期待をにじませた声でマリーが応じる。とりあえず目の前のモンスターを何と かしなくてはならないのだが、一蹴の隙がマリーに生じた。それを見逃さず、1 体が飛び掛ってきた。
「あ!」
「危ない!」
 間一髪、トリスティアの攻撃が間に合った。どうと倒れるジャイアントアント の体をひょいと避け、トリスティアが促した。
「とにかく向こうに行ってみようよ」
「そうね」
 戦いながら少しずつ場所を移動してゆく。やがて少し開けた場所に出た。と、 とたんにざわめきが大きくなった。
 そこでは男たちがやはりジャイアントアントの群れと戦っていた。合流したこ とで混乱が大きくなる。しばらくはとにかくモンスターを蹴散らすことに誰もが 集中していた。
 長く続いた戦いもやがて勝てないと見込んだのか群れが引いてゆくのをきっか けに収束した。しかし緊張はほどけなかった。男たちがモンスターと一緒に姿を くらませようとしたからだ。リリエルが機械の反応のなさにはっとした。
「魔法の気配があるわ。シークスじゃないの」
「ほお。俺たちを知っているのか」
 リリエルの言葉に男の一人が立ち止まった。ディックが懐に手をやった。
「よくもうちを襲ってくれたわね」
 マリーがきっとシルドナをにらみつけた。シルドナは酷薄な笑みを浮かべてい た。
「あの家の者か。逃げた娘の姉妹か」
「妹はどこ!」
「まて、まだ奴らも見つけてないようだぞ」
 男たちの集団にそれらしい姿を発見できず、ディックがマリーに言う。未来が 風を呼んでシルドナを吹き飛ばそうとした。
 しかしシルドナの攻撃のほうが早かった。雷が周囲に落ち、木々が音を立てて 倒れこんでくる。とっさに全員が避けたものの、攻撃はまだ続いていた。しかも その攻撃はマリーに向かっていた。
「姉とは好都合な。人質になってもらおうか」
「簡単にやられはしないわよ」
 マリーが剣を構える。が、シルドナの目を見たとたんに体がしびれてしまった 。シルドナのサークレットが怪しく光る。様子がおかしいことに気づいた春音が マリーの体をどんと叩いた。
「これでも食らえ!」
 春音のおかげで体の自由を取り戻したマリーが頭を振っているところへ、シル ドナが閃光を放ってきた。入れ違いにディックが懐から取り出した水風船をシル ドナに投げつけた。
 それはシルドナの上で弾け、中身が一味に降り注いだ。強烈な眠気が男どもを 襲う。ディックが投げたのは眠り薬だった。眠気にやられてばたりばたりと一人 一人倒れていく。だがまともに浴びたはずのシルドナだけはしゃんとして立った ままだった。
「そんなものが俺に効くものか」
「ばけもんか、奴は」
 ディックがあきれてつぶやくと、シルドナの表情がわずかにゆがんだ。
「カナンの指輪は必ず手に入れる!」
「やっぱり」
 目的を知ってマリーが目を細めた。シルドナが再び雷を呼んだ。今度の狙いは ディックだった。横っ飛びになってそれをよける。未来とアルフランツが同時に 風の刃をシルドナに向かって放った。
 だがその攻撃はシルドナにあっさり防御されてしまった。眠りに落ちた子分た ちを飛び越えてシルドナが迫ってくる。未来がとっさにコショウを風に乗せた。
「くっ」
 他愛ない攻撃だが、目潰しにはなったようだ。瞬間、シルドナの動きが止まる 。すかさずトリスティアがマジックナイフをシルドナに向かって投げつけた。
「ちっ」
 マントをばさっとひるがえらせてナイフを叩き落とす。そしてもう一度、雷を 繰り出してきた。
「あ?」
「きゃああ」
 その雷は大地をえぐった。と、それが作用したのかどうか、いきなり足元に大 きな穴が開いた。ジャイアントアントの巣穴がそこにあったものらしい。しかも 生い茂った草木に阻まれてわからなかったが、近くは小さな崖になっていた。度 重なる雷攻撃でもろくなったのだろうか。穴からそこが崩れだし、マリーたちの 体はたまらず下に向かって落ちていった。

               ○

 しかしどうやらそのおかげでシルドナ一派とは離れられたようだ。崖下でしば らくもがいていたマリーたちは、ほっと一息ついていた。
 春音の回復魔法で傷を癒してもらい、一息ついたあと、周囲の探索に乗り出す ことにした。
「川があるわ」
 未来の探知で小さな小川に出た。そこにあった野宿の痕跡に、ディックが色め きたった。
「奴らかもしれないけど、リーンって可能性もあるよな」
「豆太郎、匂いをたどれる?」
 春音が豆太郎に匂いをかがせる。豆太郎はふんふんとあたりをかいだあと、一 点に向かって勢いよく走り出した。
「追うわよ!」
 春音の号令に全員が従う。それからどれくらい走っただろう、前方に望んでい た気配を感知して、リリエルが嬉しそうにマリーに告げた。
「反応があるわ。あなたに似ている……多分リーンよ」
「本当!?」
 果たして前方に数人の人影を見出して、マリーが安堵の色を顔に浮かべた。
「リーン……な、なに!?」
 呼びかけに相手も反応したようだった。が、お互いを確認する前にあたりの様 子が急に変った。もともとモンスターの気配でいっぱいだったのだが、それとも また少し違う。乳白色の霧のようなものが一行を包み込む……と思えたのはマリ ーだけだった。みなそれぞれが違う気配を感じ取っていた。
「蔦が襲ってくる!?」
 親しんだ植物に襲われる幻覚を見ているのはディックだ。春音と未来は、そろ って迷宮と化した学校の中をさまよっていた。トリスティアとアルフランツもそ れぞれに別々の幻影を見ていた。
 幻覚に襲われたのはリーンたちもだった。モンスターに敏感なエルンストが、 混乱しているアクアやリュリュミアたちを叱咤していた。
「これ、しっかりせんかい。これは幻覚じゃぞ」
 ぷうんと軽い羽音が聞こえる。幻覚はウスバカゲロウの仕業だった。エルンス トだけがそれに気づいていた。
「あ……あ……」
 リーンが見ているのは在りし日の光景だった。
 それは、姉が家を出て行ってしまう日の。天気の良い日で、銀の髪が光を受け てきらきら光っている。その後姿にリーンは手を伸ばしていた。
「……様、マルグリット姉様!行かないで!」
 その声にはっとしたのはマリーだった。
「いるの?リーン、そこにいるのね?聞こえたら返事をして」
 幻覚に混乱させられてリューナがマリーに襲い掛かる。アクアがリュリュミア と戦う。ウスバカゲロウは人間が倒れるのを待っていた。しかし急激な力の奔流 を受けて、ウスバカゲロウたちは追い払われてしまった。
「マルグリット姉様?」
「リーン……無事でよかった」
 モンスターを追い払ったのはリーンの結界魔法だった。多少の芳香が残ってい たが、しだいに薄れて消える。それにつれて幻覚に惑わされていた者たちも正気 を取り戻した。
「今さらなにしにきたの!」
「家が、シークスに襲われて、あなたが行方不明だって聞いて。それで……」
 正気に戻ってはじめて聞いたのは、リーンのきつい言葉だった。マリーはまっ すぐににらみつけてくる視線に耐えられないのか、軽く目を伏せ横を向いていた 。
「リーン、記憶が戻ったの?」
 夕月が驚いて問う。それにも答えられないほど、リーンは激昂していた。
「姉様が出て行ってしまって、あたしがどんな思いをしたか……。それに、姉様 は家のことなんてどうでもいいんでしょ。気になんてしないでよ」
「私は……」
 返す言葉もなく、マリーが黙り込む。アクアがなだめるようにリーンの肩に触 れた。
「リーンさん、お姉さんはあなたを心配したんですよぉ。そんなに怒らないで? 怪我に触りますよぉ」
「カナンの指輪はあたしが守るの。たとえあの男がリュナイのサークレットを持 っていても」
「え?」
 リーンの言葉にマリーが顔を上げた。リューナが記憶をたどってリーンに問い かけた。
「リュナイのサークレットって、リーンが持っている魔法具と対とか言う?」
「話したの?」
 リューナの言葉にリーンが表情をこわばらせた。
「対の魔法具で、力を増幅させる効果があると言うことはね。でもちょっとまっ て。シルドナがあのサークレットを持っているって本当なの?」
「……間違いないと思うわ。だってそう感じたんだもの。実物を見たのは初めて だったけれど、この指輪と共鳴していた。そう感じたの。だからよけいに奪われ るわけに行かないわ」
 リーンは指にはめた赤い石のついた指輪をぎゅっと握り締めた。
「そんな……よりによってシルドナなんて奴があのサークレットを手に入れてい たなんて」
 マリーも言葉をなくしていた。リューナがここぞとばかりに身を乗り出した。
「どんな問題があるの?まあ、盗賊がより強い力を手に入れたら問題はあるでし ょうけど」
「そ、それは」
 リーンも黙り込んでしまった。沈黙がしばらくその場を支配する。しばらくし て思い切り不自然にリーンが話題を変えてきた。
「ところであたしいったいどこへ逃げてきてしまったのかしら。ずいぶんと魔力 の高い場所みたいだけれど」
「アザクの森よ」
「の中でも、ずいぶん奥まったところに来てしまったみたいね。モンスターも多 いし、魔力が満ちているみたいだし」
 リリエルが沈黙している機械を操作しながら答えた。リーンがそれを聞いてぎ くりとした。
「まさかコート渓谷なんじゃ……」
「え、まさか」
 マリーも顔色を変えた。
「聞いたことのない地名だな。なにか問題でもあるのか?」
 グラントの問いに、姉妹が再び沈黙する。やがてマリーがぽつりと言った。
「ただの言い伝えよ。気にしないで」
「そんな風に言われたら余計に気になるじゃない」
 リューナが突っ込んだが、姉妹は黙って背中を向けた。
「サークレットを奪い返さないと」
「リーン?」
 リーンのきっぱりした声にマリーが目をしばたかせた。
「そうよ。あれはもともとうちのものだったんだもの。二つがそろったら、家の 再興だって夢じゃないわ。あたしならあれをまともに扱えるかもしれないし」
「そりゃリーンの魔法の才能は信じているけど。無茶はしないでよ」
「マルグリット姉様は黙っていて」
 切り捨てられてマリーが再び黙る。気まずい雰囲気に、周りのものたちもかける言葉に思案した。

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