フィアレルの希望 第3回

ゲームマスター:高村志生子

 シークスの一行が引き上げていった理由はわからなかったが、シルドナがリー ンに何かしたことは確かだ。ディック・プラトックはマリーに抱えられているリ ーンの様子をうかがってから言った。
「とにかくここは危険だろ。まずは安全な場所に行った方がいいぜ」
「そうね」
 そこへ気絶していたウルフが息を吹き返し、襲いかかってきた。
「危ない!」
 宝生院夕月がすかさず愛用の刀・風雪をひらめかせた。それを機に残りのウル フたちも次々に飛びかかってきた。マリーはリーンの体をディックに託すと、夕 月と一緒になって剣を振るい始めた。
 攻防はしばし続いた。戦いながら場所を少しずつ移動させていく。やがて少し 開けたところまで来た。そのころには追いすがるモンスターもいなくなり、一行 はようやく一息つくことができた。
「ウルフ相手なら問題ないのに、なんか悔しいわ」
「夕月?」
 刀を納めた夕月が眉をひそめて言う。少し怒った様子の夕月に、やはり剣を納 めてほっと息をついていたマリーが首をかしげた。
「だってそうじゃない?なんか軽くあしらわれたみたいで気に入らないわよ。こ れでも剣の腕には自信があったのに。剣じゃ魔法にはかなわないって言うのかし ら。マリーはどう思う?」
 問われてマリーも顔を曇らせた。
「魔法の有利な点は、遠距離攻撃ができることだわ。魔法剣ならともかく、通常 の物理攻撃するには、相手の間合いに入らないとだめでしょう。とくにシルドナ は魔法の達人だし。どう隙を作るかよね」
「隙ねぇ……それしかないのかしら」
「魔法で全体攻撃をされたらよけようもないし。けど幸いというのかしら?見た ところシルドナは攻撃も防御も魔法で行っているみたいじゃない。うまく間合い に入れたら、夕月の居合術が効くんじゃないかしら」
「魔法防御ってどのくらいの効果があるのかしら」 「シルドナクラスになれば相当なものだと思うわよ。少なくとも飛びナイフをた やすく落とすくらいだもの。必殺の一撃をあたえるくらいでないと」
「そうね」
 夕月が真剣な顔で作戦を練り始める。そこへリュリュミアがちょこちょことや ってきた。
「マリーさぁん、わたし、ちょっと森の中で薬草を探してくるわねぇ」
「薬草?」
「植物のことには詳しいのよぉ。探せば気付け薬になるものがあると思うのぉ」
「ああ、そうね。お願い。気をつけてね」
「はぁい」
 リュリュミアはさっそく茂みの中に分け入っていった。
 ディックはぐったりしているリーンの体をそっと横たえた。リーンの顔色は青 く、意識は全くないらしい。ディックは痛々しそうにその姿を見やった。
「きっと心も体も疲れ切っているんだろうな」
 つぶやきながらそっと手をかざす。はめられた指輪からぽぅっと暖かな気配が 出、リーンの体を包み込んだ。ディックの得意とする「癒しのタッチ」だ。無表 情だったリーンの顔が、わずかにゆるんだように見えた。それに気をよくしてな おも魔法をかけ続ける。意識は戻らなかったが、やがてリーンが大きく息を吐い た。
「傷はどうかしら」
 リューナが横たえられたリーンの髪をかき上げた。そこにはくっきりと赤い咬 み跡が残されていた。
「やっぱりこれが怪しいわよね」
「シルドナがなにかしたっていうの?」
「そう。ちょっと、だからって一人でシルドナに会いに行こうなんて考えないで よ。まずはわたしがこの傷を調べてみるから」
 リューナは自分の魔法器鑑定能力で傷跡を調べ始めた。
「なんとなく暗示とか魔法をかけられたような感じがするのよね。そう……全体 的になにか特殊な気を感じるわ。うまく言えないんだけど、なんだか雑多な「気 」を感じるの。リーンのものだけとは思えない、不思議な気配」
「雑多な気……」
「シルドナが吸血鬼だったとしたら、これはきっと刻印よ。これを何とかしない 限り、リーンは解放されないじゃないかしら」
「吸血鬼の僕になっているっていうことね。でも傷を治したくらいでどうにかな るとは思えないけれど」
 様子をうかがうのをやめて、リューナがあごに手をやりながら考え込んだ。
「マリーは吸血鬼の言い伝えとか知らない?襲われたけれど助かった人の事例と か。魔法使いの家系なら、その手のことにも詳しい資料が残っていそうだけれど 。滅多にいる存在じゃないし」
 マリーがふるふると首を振った。
「血を吸われて僕になったというのはわかるわ。けど、それから助かった事例な んて聞いたことないわ。元をたたないとだめなんじゃないの」
「つまりシルドナを倒さないとだめってこと?」
「おそらくは……」
 マリーが苦々しく眉をひそめた。
「様子はどうだ」
 佐々木甚八がくちゃくちゃとガムをかみながら、なぜかペットのソラの後ろに 隠れながらやってきた。マリーが顔を上げて甚八と視線を合わせると、甚八は慌 てて顔を背けた。それを不思議そうにマリーが見ていると、甚八は苛立った口調 で口早に告げた。
「君はリーンに嫉妬しているのか」
 見た目10歳くらいの甚八に図星を指されて、マリーがさっと顔色を変えた。 魔法を使いながらディックが気遣わしげにマリーを見やった。
「家を出た理由さ。リーンは家督を継ぐのは君だと思っているようだが、周囲の 評価は違っていたんだろう」
 マリーがきゅっと唇をかみしめた。
「ええ、そうよ。ほら、歳が近いでしょう。だからいつも比較されていたわ。は っきり口で言われなくても、子供ってけっこうそういうのに敏感じゃない。ずっ と居心地が悪かったの。だから自分の道を自分で選んだのよ」
「つまり逃げ出したわけだ」
「逃げたんじゃないわ!それが最善の道だと思ったから……だから」
 言葉尻は小さくなる。うつむいてしまったマリーは、リーンの柔らかな金茶色 の髪をなでた。甚八はなおもソラの後ろに隠れながら言葉を続けた。
「才能は確かに妹の方があるんだろう。けれど魔法ってのは体質的な技能だけが すべてじゃないだろ。学術的な面も多分に必要なんだ。それで補うことを考えら れたら、家を出なくてもすんだんじゃないのか」
「コンプレックスなんて、簡単には消せないわよ……」
「人の価値は才能では決まらない。リーンは君に家にいてもらいたいんじゃない のか。もちろん魔法の才能の差は承知の上のはずだ。その思いを無にしないため にも、今一度きちんと妹と向き合うべきだ。けじめをつけて、あらためて自分の 道を求めればいい。家に戻るのか、旅を続けるのか。ほかにも道があるかもしれ ない。自分の可能性は自分で広げないとな」
 マリーは黙って自分の指にはめられたカナンの指輪を見た。赤い石が静かに光 っている。うまく言えないもどかしさにマリーが立ち上がろうとすると、甚八が 顔色を変えた。
「わー!寄るなよ。どうして女性ってのは皆、美しいんだ。こうして離れていて もドキドキするんだ。ちくしょー、女性なんて、女性なんて……」
 半分、涙声になっている。そのかわいらしい反応に、マリーがふふっと笑った 。
「自由に生きたい気持ちは強いけれど、それにリーンが納得してないなら仕方な いわね。シルドナを倒して、リュナイのサークレットを取り戻して。その上で私 の気持ちをきちんと話さないと」
 座り直したマリーに安心したのか、甚八もうなずいた。
 リーンの顔色はだいぶん良くなってきていた。戻ってきたリュリュミアが薬草 を煎じながらにっこり微笑んだ。
「落ち着いてきたみたいねぇ」
「そうね、良かった。どうなるかと思ったわ」
「さて、できた」
 いかにも苦そうな色をした液体をリーンの口に持っていく。マリーが頭を支え 、口を開かせる。気付け薬を飲まされたリーンは、瞬間むせかえってからゆっく り目を開いた。
「リーン!」
「あたし……どうしたの?」
 まだどことなくぼうっとしているリーンに、リュリュミアが残りの薬を飲ませ る。よほど苦かったのだろう。ごほごほ言いながら跳ね置き、再び倒れ込んだ。 それをディックがあわてて支えた。
「大丈夫か」
 無言で顔をしかめているリーンに、ディックが再び魔法をかけた。
 しばらく苦さに耐えていたリーンの顔をマリーがのぞき込んでいる。心配が伝 わったのだろう。ディックはリーンを支えながらマリーを振り返った。
「マリーも疲れているみたいだな」
「私なら大丈夫よ」
 それが強がりなことは傍目にもよくわかった。ディックは苦笑しながらマリー に向かって手をかざした。マリーの心から不安が消えてゆく。ほっと息をついて 、マリーが口の端に笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 二人の間に挟まれていたリーンが、ゆっくり体を起こそうとしていた。その顔 を見て、リュリュミアが不思議そうな顔になった。
「薬がたりなかったかしらねぇ」
 気づいたはずのリーンだが、どこか視線が定まらない。こわばった表情に、デ ィックとマリーが顔を見合わせた。
「呼んでる」
「え?」
 ぽつりと言われた言葉に、3人が顔を見合わせた。と、すっくとリーンが立ち 上がった。甚八が慌てて逃げる。リーンは無表情に宙の1点を見つめていた。
「ちょっと、どうしたの、リーン」
「行かなきゃ」
「行くってどこへ。リーン、リーン!?」
 不意にリーンの姿が消えた。転移魔法を使ったのだと気づいたのは、一瞬の間 があってからだった。
「どこへ行っちゃったの……?」
 マリーの呆然としたつぶやきだけが空に残された。

                    ○

 リーンが転移したのはシルドナの元だった。腕組みし待っていたシルドナの前 にリーンの姿が現れる。シルドナがにやりとしてその手を取った。が、すぐに顔 を引き締めた。
「指輪はどうした」
「マルグリット姉様がもってるわ。渡してしまったの」
「ち。入れ違いか」
 リーンの返事にシルドナが舌打ちする。そして背後を振り返った。
「おい、ルーク」
「呼んだか」
 ルーク・ウィンフィールドが呼ばれてやってきた。銃剣を持ち、無愛想な顔に 感情はない。そんな様子を気にもとめないで、シルドナが命令した。
「連中はいまごろこいつの行方を捜しているはずだ。カナンの指輪とこいつの身 柄を引き替えにする要求文を渡してこい」 「そんな大事な仕事を、新入りの俺に任せていいのか?」
「初仕事だな。モンスターを退治しながら連中にあって来なきゃならないのはそ れなりにたいへんだろうが、これくらいこなせないきゃ足手まといなだけだ」
「わかった」
 短くうなずくルークを尻目に、シルドナが再びリーンに向き合う。リーンは淡 々とした様子で立っていた。
「さて、こいつはどうしようか。使えることは使えるな。……貴族の娘、か」
 最後のつぶやきに、行きかけていたルークがふと立ち止まった。
「貴族になにか思い入れがあるのか」
「気になるのか」
「いや。ただ、シークスが貴族ばかりをねらうには、なにか理由があるのかと思 っただけさ」
 シルドナが薄い笑みを口の端にはいて、軽く沈黙した。それから半ば独り言の ように告げた。
「俺の母親が貴族の娘だったからさ。吸血鬼と通じて俺を生み、俺がガキの頃に 死んでしまったがな。父親のしれない子供の俺を追い出した連中への仕返しみた いなもんだな」
「吸血鬼とのハーフ?」
 ただ者ではないと思っていたが、予想外の答えにルークが反射的に答えていた 。それはシルドナの声にかすかな悲嘆を感じたからでもあった。
「家を追い出された俺を迎えにきた父親に会って、その血に目覚めるまでは俺も 知らなかったがな。なかなか便利だぞ?けど、足りない……もっともっと多くの 力が俺は欲しいんだ」
「それなら精霊界の扉の封印を破ればいいわ」
 そこへリーンの声が割って入った。シルドナがいぶかしげに問いかけた。
「精霊界の扉の封印?」
 現在のフィアレルでは、精霊の存在は伝説と化していた。魔法の源が精霊であ ると信じられてはいたが、その姿を見た者はいないのだ。優れた魔法の使い手で あるシルドナも例外ではなかった。思いがけない言葉に、シルドナの目がおもし ろそうに細められた。
「そんなものがあるのか。それはどうしたら破れる」
「その昔、うちの祖先が時の国王に命じられて封印を施したの。それに使われた のがカナンの指輪とリュナイのサークレット。だからこの2つがそろえば、逆に 封印を破ることもできるはずだわ」
「封印の扉はどこにある」
「このアザクの森のコート渓谷に。詳しい場所まではわからないけれど、精霊の 力の作用が複雑に絡み合って残っているはずだから、魔法の使い手であれば容易 に探し出せると思うわ」
「力を倍増させてくれるとは知っていたが、この対の魔法具にそんな秘密があっ たとはな。おもしろい。精霊そのものの力を手に入れられたら愉快じゃないか。 おい、ルーク。なにがなんでも指輪を手に入れるんだ。行ってこい」
 力を欲することにどん欲なシルドナの声に歓喜がこもった。

 マリーたちの元にシークスの要求が来たのはそれからまもなくだった。リーン の行方を案じていたマリーが、予想通りの展開にため息をもらした。
「やっぱりシルドナの元にだったのね」
 リューナがマリーの袖を引いた。
「シルドナはどうしてそこまで対の魔法具に執着するのかしら。リーンは魔法使 いにしか意味を持たないって言っていたけれど、そろうことでなにか特殊な力を 発揮するの?」
「だから、持ち手の力を倍増させてくれるって……」
「それだけ?良かったら私に指輪を調べさせてもらえないかしら。魔法器鑑定の 能力を持っているのは知っているでしょう。なにかわかるかも」
「そ、それは」
 マリーがぎくりとした様子になった。リューナがさらにつっこむ。
「マリーは忘れたって言っていたけれど、うそなの?何を隠しているの」
 仕方なさそうにマリーが口を開いた。
「うちの言い伝えよ。祖先がこの対の魔法具を使って、精霊界の扉の封印を施し たらしいの。だから今のフィアレルでは精霊の姿が見られないんですって。封印 を施したくらいだから、もしかしたら逆に破ることもできるかも。その辺は私に はよくわからないけれど」
「そんな大変なもの、シルドナなんかに渡すわけにいかないですよぉ。偽物を作 ってそれを渡したらどうですかぁ」
 言い出したのはアクア・マナだった。
「見た目が似ている指輪に私の魔力を付与すれば、ごまかせると思うんですよね ぇ」
 しかしマリーは肩をすくめただけだった。
「リーンが言ってたじゃない。指輪とサークレットが共鳴していたから、シルド ナがサークレットを持っていることに気づいたって。シルドナもそうだと思うわ 。そんなことでごまかせる相手じゃないわよ」
「遠目にそれらしく見えればいいんですよぉ。渡すのはリーンさんの身の安全を 確認してからでないとだめですよぉ。反応自体はマリーさんが持っていればでる でしょぉ。まずは先にリーンさんの身柄をこっちに渡してもらわないとぉ。いい ですかぁ、本物は絶対にシルドナさんなんかに渡しちゃだめですよぉ」
「どうせ没落した家だもの。シークスにおそわれたって事は広まってしまってる し、指輪を渡したって私はかまわないわ。ただリーンさえ無事なら……」
 アクアがぶんぶんと首を振った。
「そんな弱気じゃだめですよぉ。指輪を渡したって、リーンさんを無事に返して くれるかどうかわからないじゃないですかぁ。最後の切り札なんですからねぇ。 みんなで力を合わせればリーンさんはきっと助けられると思うんですぅ。それま で気を抜かないで下さいねぇ。それに精霊界の扉の封印、ですかぁ?そんな大事 な秘密のあるものを渡すのは危険すぎますよぉ」
「わ、わかったわ。とにかく交渉場所に行きましょう」
 勢いに気圧されて、マリーが手をひらひらとさせた。
 まずはアクアの意見を受けて、指輪の偽物を用意する。それを持ったアクアが 意気揚々と指定された交渉場所に赴いた。もちろんマリーも一緒だ。他に坂本春 音と姫柳未来がこっそり同行していた。  指定されたのはシークスが拠点としているらしい、森の中でもとくに奥まった 場所だった。うっそうとした木々が暗い影を落としている。手近な場所に小さな 崖もあり、リーンを連れたシルドナがその上に立っていた。周囲をルークたち手 下が取り囲んでいる。リーンは縛られてはいなかったが、その腕をきつくシルド ナに掴まれていた。
「リーン!」
「マルグリット姉様……」
 リーンの姿を見てマリーが叫ぶ。リーンは弱々しげな笑みを浮かべてマリーを 見た。
 今にも駆け出しそうなマリーを制して、アクアが前に進み出た。その歩みを止 めたのはシルドナの声だった。
「指輪は持ってきたか」
「ここですよぉ」
 すかさずアクアが手を前に出す。アクアの魔力で赤い石が光を放つ。それを見 てリーンの表情がわずかに変わった。シルドナはそれに気がついてか知らぬ振り か、ただ皮肉げな笑みを浮かべた。
「……それをこっちへ放れ」
「リーンさんの解放が先ですよぉ。傷つけたりしたら承知しませんよぉ。そんな ことしたら……これを砕きますぅ!」
 その手に乗るものかとばかりにアクアが言い放つ。シルドナがくつくつと笑っ た。
「そんなことができるのか」
「もちろん本気ですよぉ。リーンさんの方が大切ですからねぇ」
「そっちこそ人質を取り返したら、指輪を渡さない気なんじゃないのか」
「そんなに指輪が欲しいですかぁ?力の増幅にしか役に立たないって聞きました よぉ。どうしてそこまで欲しがるんですかぁ」
 アクアが話している間、春音と未来は気づかれないように回り込んで崖に上り 、シークス一味の背後についていた。木々がうまく姿を隠してくれる。そっと様 子をうかがうと、先頭にリーンを捕まえたシルドナ、その背後を守るように一味 が集まっていた。それぞれの意識はアクアとの交渉に向かっているらしい。潜ん でいる2人に気づく気配はない。2人は無言で顔を見合わせ、うなずきあった。
 タイミングを計って、未来が隠し持っていたコショウを取り出した。それを空 中に勢いよくぶちまけると、風を呼び出してシークスの方に飛ばした。
「わ、な、なんだ」
「へくしゅ!」
「敵襲か……くしゅん!」
 風に舞い乗ったコショウが一味に降りかかる。不意にくしゃみに襲われた一行 があわてふためく。混乱に乗じて春音が駆けだした。
「リーンさんを返してもらいますよ!」
 制服のスカートがひるがえる。未来がぱしっとステッキを春音に放る。それを 受け取ると、春音は蜂の大群を呼び出した。蜂の群れはコショウ攻撃で混乱して いるシークス一味に、ぶぅんと低い羽音を立てながら襲いかかっていった。
 混乱のさなか落ち着いているのはシルドナとルークだけだった。手下どもは無 視して、ステッキを返してもらった未来がシルドナに立ち向かった。その前をル ークがはばんだ。
「リーンは返してもらうわよ」
「交換が条件のはずだが?」
 シルドナがあくまでも不敵に笑いながら未来に言う。未来は崖っぷちに立って いるシルドナに突風を吹き付けた。シルドナがあおられて体勢を崩す。
 というのは見せかけだったようだ。シルドナはリーンを抱えると、崖下に飛び 降りていった。しかし下ではアクアが待ちかまえていた。降り立ったと見るや、 反撃を食らう前に大気中の水分を呼び出してシルドナの体を凍結させようとした 。
『リーンを引き離さないと……』
 リーンはシルドナに抱えられたままだった。うかつに攻撃すればリーンの身に 危害が及ぶ。それでアクアは、凍結対象をシルドナの腕に集中させた。
 さすがにこれは効いたようだ。シルドナの手がリーンから離れる。風を利用し てやはり崖から一気に飛び降りてきた未来と春音が、そのチャンスに食らいつい た。
「させない」
 だが背後から追いすがってきたルークが銃剣を2人に向けた。挟まれた形にな り、未来と春音が背中あわせに立った。
 その様子を上空から伺っているものがいた。馬のように偽装し、さらに空の色 に溶けるよう青く塗ったエアバイクにまたがったグラント・ウィンクラックだ。 グラントは同色の青いマントをはためかせながら、飛び込むタイミングを計って いた。
『チャンスは1度きりなんだ。失敗はできねえぜ』
 眼下ではアクアがシルドナを水流で閉じこめていた。リーンがよろめいて転ぶ 。しかし助けに駆けつけることはルークと対峙している2人には無理だった。だ がグラントは違う。シルドナが一人になった瞬間に、高速で舞い降りていった。 降りつつ破軍刀を呼び出す。気配を察したシルドナが、上に向かって火球を投げ つけた。しかし勢いに乗ったグラントはそんなことでは止められない。頭上から 一撃を繰り出すと、さすがのシルドナもとっさに転移して逃げた。
「おい、今のうちにリーンを!」
「わかりました」
 グラントは地上に降り立つと、そのままルークに向かっていった。ルークが銃 剣のねらいをグラントに定める。春音たちが倒れているリーンに向かって駆け出 す。アクアとマリーも駆けだしていた。
「リーン、大丈夫……きゃああ」
 駆け寄り抱き起こそうとしたとき、辺り一面を光が覆った。閃光に視界を奪わ れた一行を、続いて竜巻が襲った。
「どうした!」
 異変に気づいたグラントがルークと向かい合ったまま背後に声をかける。と、 ルークのそばにシルドナが現れた。シルドナはルークを転移させると、グラント に向かって言った。
「交渉は決裂だな。なら力ずくで奪わせてもらうさ」
 雷がマリーを狙った。やはり気づかれていたようだ。マリーが必死に避けよう とする。離れた隙にリーンが立ち上がっていた。
 リーンもまたマリーを狙って風の刃を繰り出してきた。アクアが驚きながらそ れを防いだ。どうやら先ほどの攻撃もリーンの仕業らしい。そこまで操られてい たことに誰もがショックを受けていた。
「あっ」
 転移魔法でちょっとの間を詰め、リーンがマリーの腕をつかむ。あまり手荒に もできなかったが、眠っていた血が呼び覚まされたのか、マリーが衝撃波を放っ てリーンをはじき飛ばしていた。
「正気に戻ってよ!」
「指輪を渡して!」
「だめですよぉ」
 アクアがリーンを羽交い締めにした。今度はリーンが風を使ってアクアを引き 離す。再び竜巻が起こって、周辺にいた者たちが傷つき倒れる。と、急に風がや んだ。
「え?魔法が使えない?」
 リーンの驚きの声が響く。今度はグラントがリーンを取り押さえようとした。 リーンはまたも竜巻を起こした。しかし威力はさほどではない。驚愕がリーンの 顔に広がった。シルドナが異変に気づいてリーンの元によった。グラントが制そ うとしたが、シルドナは戦う気はないらしく、突風でグラントの体を押し返すと 、リーンを連れていずこかへ去っていった。
「な、何が起きたの」
 未来がマリーに尋ねる。マリーはしばらく考え込んでいたが、やがてつぶやい た。
「もしかしてあの予言が現実に……?」
「予言?」
 春音の問いに、マリーは気づかないようだった。

 念のため変えた拠点で、リーンが悔しそうにシルドナにしがみついていた。
「くやしい。魔法が使えなくなるなんて」
「心当たりはあるのか」
 シルドナの言葉に、リーンは唇をかみしめてうなずいた。
「言い伝えなんだけど、魔法力って精霊の力だから、精霊界の扉を封印したこと でいずれ使えなくなるだろうって聞いたことがあるわ。もしかしたら今がそれな のかも」
「あんたは問題ないのか」
 ルークが聞くと、シルドナは軽くうなずいた。
「俺は普通の人間とは違うからな」
 吸血鬼の血が流れているから大丈夫なのだと暗に告げる。ルークは表情を変え ないままに、胸の内でひとりごちた。
『機を見るか』  負けず嫌いのリーンが、魔法の練習を始めた。

                    ○

 滝の洞窟の周辺には、今も大量のマホロビがあたりを照らしていた。リリエル ・オーガナはアルフランツ・カプラートに簡易結界を張ってもらった状態でエア カーに乗っていた。
 滝の下にはウルフたちが集まっている。シャル・ヴァルナードが飛びかかって きたウルフに銃口を向けた。魔力が満ち、銃口から魔法の弾が発射される。的確 に急所を打ち抜かれて、ウルフが一声鳴いた後、どぅっと横倒しになった。
「そちらはどうですか」
 シャルは空中で様子を伺っていたリリエルたちに呼びかけた。ひとまず近寄ら なければマホロビたちは攻撃してこないらしい。とはいえ洞窟にはいるためには これらを退けなくてはならない。
 ためしにアルフランツが風の魔法を与えてみた。と、マホロビの炎が大きくな った。
「あら、風の魔法って強力にしちゃうのね」
「吹き飛ばせるかと思ったんだけどね」
 リリエルとアルフランツが肩をすくめる。エアバイクに乗ってきたトリスティ アがマジックナイフを手にやってきた。
「やっぱり炎だったら水だよ」
 ナイフに力がこもり、空中からわき出た水が霧雨のようにマホロビたちを包み 込んだ。いったんは大きくなった炎が小さくなっていく。アルフランツは攻撃は トリスティアに任せて、自分は風で滝の水を分けた。
 水の後ろ側から洞窟があらわになる。リリエルは新式対物質探索機で洞窟が幻 ではないことを確かめた。
「どうやら本物のようね」
「よし、行くぞ」
 トリスティアがシャルを乗せると、4人はさっそく中へと向かった。
 洞窟の中はひんやりとしていた。マホロビの炎は熱を持たないらしい。奥から 漂ってきたのを見て、シャルがさっそく銃で撃った。
 魔力に散らされてマホロビが霧散する。急に暗くなって視界がふさがれたが、 リリエルが探索機を操って先に伸びる道を発見した。
「もしかしたら操ってる人物でもいるかもしれないから、オレが探ってみるよ」
 アルフランツが風で気配を探る。それらしい気配は感じられない。リリエルの 探索機にも、生命の反応は感じられなかった。
「あ、待って」
 しかし微弱ながら反応が返ってきた。リリエルが急いで探索機を調整すると、 反応は次第に大きくなってきた。トリスティアがエアバイクから降りて先に進ん だ。
「モンスターかもしれないわ。気をつけて」
「わかってる!まかせて」
 シャルもトリスティアに続いた。少し行くと、突如としてバッファローが出現 した。
「流星キーーーック!」
 反射的にトリスティアが蹴りを放っていた。バッファローは物理攻撃には比較 的強いモンスターだが、これはさすがに効いたらしい。巨体が吹っ飛び、真後ろ にいた別の1体にぶつかった。はずみでそれも飛ばされていく。その姿がふっと 消えた。
「あら、反応も消えたわ」
「なにそれ」
 探索機が沈黙した。リリエルの言葉に、トリスティアが首をかしげた。
「ボク、今間違いなく蹴ったよねえ」
「途中の空間で消えたように見えましたが……」
 シャルが油断なく銃を構えたまま言った。トリスティアもうんうんとうなずい た。アルフランツが風の流れを読んでみた。
「奥に向かって流れているみたいだね。かなり急な流れのようだけど、こんな洞 窟の中で?広い空間にでもなっているのかな。それで渦巻いているとか」
「あ、あれ!」
 トリスティアが羽ばたく音をとらえた。今度は新手だった。闇の中を自在に滑 空してくる姿は、胴体がトラで、翼が漆黒のカラスのものだった。リリエルの探 索機はなにも反応しない。アルフランツがとっさに防御結界を張って攻撃を防い だ。
「任せてください」
 すちゃっとシャルの両手の魔銃がうなる。相手はなにか特殊な能力で気配を察 するようだ。急所を狙った弾は翼を傷つけた。ばさりとはばたきがおきるとぴち ゃっと血が飛んだ。しなる体から炎が吐き出された。
「さがって!」
 リリエルのペットのキャリーも火を吐いて応戦したが、いささか力に差があっ たようだ。キメイラの炎にあおられてキャリーが後退する。しかしその隙にリリ エルのフォースブラスターが止めを刺していた。
「魔法には弱いみたいね」
「また来ますよ」
 空間を切り裂いて新たなキメイラが出現した。同時にバッファローも現れて、 突進してきた。
「しつこいいーっ」
 バッファローはトリスティアの流星キックを受けて吹っ飛んだ。勢いに任せて 奥に進もうとする。キメイラの炎が行く手を阻んだが、トリスティアは水で応戦 した。
 モンスターたちはどこから現れるのかまったくわからなかった。リリエルの探 索機が反応したかと思えば、すぐ間近に迫っていたり、逆に気配もなく現れたり する。アルフランツも風の気配を読んでいたが、どうも出現パターンがつかめず にいた。
 それでも少しずつ探索の手を洞窟の奥に伸ばす。洞窟は長いこと人の手が入っ てはいないようだった。それはリリエルの探索機でわかった。しかし自然のもの というにはモンスターの出現の仕方といい、いささかおかしいことは確かだった 。
「この先みたいだよ、風が渦巻いてるのは」
 アルフランツの言葉にリリエルが手にした探索機をあやつる。しかし探索機は 無反応だった。
「反応がない……ということは、魔法の力が強いのかしら」
「うわぁすごい」
 角を曲がったとき、そこに広い空間が広がっていた。ぽぅっと燐光を放つ苔が 生えていて、幻想的な雰囲気をかもし出している。中心で風が渦を巻いているこ とが見て取れた。
「この苔にも反応しないなんて」
 先刻より探索機はぴったり反応をやめてしまっていた。それだけ魔法の力が強 いのだろう。空間そのものが一種の魔法具のようなものかもしれない。またモン スターが現れるといけないので、気を配りながら空間の中央部を見る。淡い光の 中、何かが見えた。
「なんだろう?」
 トリスティアが身を乗り出して目を凝らす。風の渦と光が淡いせいか、それが なんなのかよくわからなかったが、障壁のようにも見えた。障害物なら任せてお けとばかりにトリスティアが得意の流星キックを放った。
「あっ」
 しかしその周囲には強力な防御結界が張られていたらしい。見えない壁にぶつ かり、トリスティアがひっくり返った。
 風はますます激しく荒れ狂っていた。まるで侵入者の存在に気づいたようだ。 風には風をとアルフランツが横笛を吹いて竜巻を呼び起こす。それで勢いを相殺 してみようというのだ。
 と、急に魔法の手ごたえがなくなった。逆に探索機がせわしなく反応を返し始 めた。アルフランツとリリエルがそれぞれにあわてた。
「魔法がうまく発動しない……?」
「魔法力が薄れて行ってるみたいだわ」
 それに連れて風も収まってきた。しかし「障壁」の存在は相変わらずあいまい に見えた。トリスティアが再度、流星キックを放つ。だがそれはすかっと空振り してしまった。
「あれ、実体じゃないみたい。反応がないもの」
 リリエルがトリスティアに言う。せっかく妨害がなくなったのに、それではど うすることもできない。トリスティアがうなりながら「障壁」をにらみつけた。

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