「皇都太照機導帖」

ゲームマスター:飛鳥つばさ

導入:「少女と負債と競走と」(第壱回予告時情報)

 さむらいの世がひっくり返った明史の改新からも、早五十年余りが過ぎた。
 先年の先帝御崩御、新帝御即位に伴い太照(たいしょう)と改元されたものの、西欧東米に追い付け追いこせと日々邁進する大和(だいわ)の社会に変わりはない。
 先の太華、続いて北露との戦争にも大きな犠牲を払いながらも勝利し、大和臣民は総じて羽振りが良い。
 でも、それはあくまで総じて、の話。
 光あるところ必ず陰あり。日々の暮らしにもこと欠く人々も、確かに存在するのだ。
 そんな「陰」の部分から、この話を始めよう。

「だから、借金は日限までに必ず返すって言ってるでしょ!」
 甲高い少女の怒鳴り声がびりびりと震えて、古びた建物のほこりをぱらぱらと落とした。
 閑静な住宅街の一角に、ひときわ目立つ建物。半球(ドーム)状の基部、そこから高く突き出た矢の様な尖塔、あちこちに突き出した無線電波受信装置。なんだか先鋭的とか芸術的とかの形容を通り越して、混沌と表現するのが一番しっくり来る趣である。
 表玄関には「立花科学技術研究所」の看板。この摩訶不思議な建築物の正体を実に簡潔明瞭に語っている。
 しかし、よく目を凝らすと建屋はあちこち薄汚れ、看板はわずかに傾いでいる。これまたこの建物と、そしてその主人の現状を、そこはかとなく語っていた。
「あのねえ、こっちはその言葉、いい加減聞き飽きてるんだよ」
 少女の怒鳴り声に答える、これまた女の声。低く押さえた調子が、かえって凄みを増している。
「あんたの母さまが残した借金は半端な額じゃないんだよ? 返し切れると思ってるのかい? それよりさっさと担保を手放して、楽な身になろうとは考えないのかねえ?」
 脅しと懐柔を巧みに交えた借金取りの言葉にも、少女は全く怯まなかった。
「祖父さまの遺産なんて、何があっても渡せるものじゃないわよ! 立花真由の名に賭けて、母さまの借金は一銭残らず返してみせる!」
「やれやれ、しょうがない強情っぱりだねぇ」
 借金取りの女は呆れたように肩をすくめると、背後に控えるちびでぶとがりがりのっぽ、見事に対照的な二人の男に顎をしゃくった。
「ま、このおみつ様だって、そうそう手荒な真似をしたい訳じゃないんだ。今日のところは引き上げてやるよ。でもあんたがあんまり強情なら・・・有造無造に働いてもらうことになるかも知れないねぇ」
 おみつと名乗った女は、凸凹二人組の手下を引き連れて、ことさらその後ろ姿を見せつけるようにゆっくりと研究所をあとにした。しばしその背中に射るような視線を送っていた少女、すなわち立花真由は、三人組の姿が消えるやふうと大きなため息をついた。
「大丈夫ぅ、マユ?」
 背後から細い少女に呼び掛けられて、真由はぴしぴしと両頬に活を入れ、笑顔で振り返った。
「大丈夫よ、亜梨沙
「でもぉ、借金ってすごい金額なんでしょうぅ? 本当に返せるのぉ?」
 状況が分かっているのかいないのか、いまいちぽやんとした声と表情だが、ともあれ亜梨沙と呼ばれた少女は、真由の身の上を心配しているらしい。
「それも大丈夫! 我に策あり!」
 今度は確信を持った明るい表情で、真由は何かの広告とおぼしきチラシを高々と掲げた。


皇都〜函根間車両競走大会開催

 この度、西欧軍人にして社交界の名士、大資産家でもあるサーペント卿の提供により、皇都〜函根間を走破する車両競走大会が開催されるはこびとなった。

 参加車両の規定は、車輪にて操縦者搭乗部を支持する形式であればその他は一切自由。常識的には蒸気機関による動力車が性能に優れるが、「ひとつには内燃機関の開発を奨励するためこの大会を提供した。是非ともこの天下の難題に挑戦していただきたい」とのサーペント卿の弁である。無論、保守的な馬車、牛車、人力車等の参加も可能である。
 車両入手が困難な参加希望者には、サーペント卿より安価にて競走車両が提供される。ただし、「あくまで平均的な性能を有する蒸気自動車」とのこと。

 皇都〜函根(はこね)間に設定された競走経路は、さらに三区間に分かれる。
 始めの皇都〜横羽(よこはね)間は首府に近く、路面が整っている。しかし経路は都会の曲がりくねった道を縫うように走り、わずかな操縦の誤りで建築物(ビルディング)に激突してしまう。車体性能よりも操縦者の技量が問われる区間である。
 横羽〜大田原(おおだわら)間は海道筋に出、道も開けて思う存分全速力で走行できる。だがここでは海風が塩気や砂を運び、車両故障が起きやすい。速度を上げるため車両性能を上げたいが、あまり突き詰め過ぎると故障の危険も増すだろう。
 最後の大田原〜函根間は、古来より難所として名高い峠道である。急勾配を登るためには機関性能を上げたいが、そのために重量がかさみかえって坂を登れなくなってしまう矛盾に陥りやすい。いっそ思いきった軽量設計も一策かも知れない。

 サーペント卿は、この「皇都〜函根間車両競走大会」に様々な賞典を提供している。
 まずは全区間を最も早く走破した選手に贈られる総合優勝。賞金は実に壱千圓と云う。二位の選手にも三百圓、三位には百圓が与えられる。
 続いて皇都〜横羽、横羽〜大田原、大田原〜函根の各区間に設定された区間賞。それぞれ百圓の賞金となる。
 さらに、競走中最も多くの相手車両を妨害し、走行不能たらしめた選手には撃墜王として伍拾圓の賞金が与えられる。一方、「紳士たれ」とのサーペント卿の提言に伴い、他車を妨害せず正々堂々たる競走を行った選手には、公正賞としてより多額の百圓が贈られる。
 最後に、着順と関係なく、より斬新な技術を用いて製作された車両に技術賞として百圓が与えられる。
 無論、勝者に与えられるのは金銭のみではない。各受賞者はサーペント卿に招待され、各国の名士が集う舞踏会にてその名を讃えられる名誉に浴する。卿の抱える佳人ぞろいの女召(メイド)達の祝福も魅力的だろう。

 我をと思わん面々の参加を期待している。


「これよ!」
 真由は大会要項をばしん、と机にたたき付ける。
「総合優勝で壱千圓。区間賞を独占してさらに参百圓。当然技術賞も狙って百圓。公正賞と撃墜王は両取りできないけど、もう百圓は上積みできるわ! しめて壱千伍百圓。母さまの借金のかなりの額は返せる!」
「ええとぉ、技術賞も狙うってことはぁ・・・」
 にわかに降ってわいた話が呑み込めないのか、ぽんやりした表情の亜梨沙の鼻先にびしっと指が突き付けられる。
「もちろん、内燃機関車を開発するのよ!」
「でもぉ、マユの内燃機関ってぇ、試作壱號機から伍號機までぇ、ぜんぶ爆発しちゃったじゃないぃ?」
「失敗は成功の母!」
 なにげに鋭いつっこみに構わず、真由は持論をぶちあげる。
「試作内燃機関は、その身を犠牲にして貴重な資料を提供してくれたのよ! 今、わたしの頭脳には、問題を全て解消する斬新無比な内燃機関の素案(アイデア)がある! あとは実際の形にするだけ! そうと決まれば、例によって梅の島へ資材調達よ!」
 梅の島、とは皇都中の廃棄物が集積される人工島である。確かに無賃で資材調達を行うにはもってこいの場所だろう。宣言するが早いか、真由は大八車をがらがらと引いて研究所を飛び出して行ってしまった。
 まだ状況がつかめないのか、それとも持って生まれた性質か、しばしぽんやりと親友の後ろ姿を見送った亜梨沙は、やがて小さなため息をつくと、見守っていたあなた方ににっこり笑いかけた。
「とまぁ、いつもあんな感じでぇ、ちょっとそそっかしい娘なんですけどぉ。でもぉ、とってもいい娘なんですぅ。異なる“天下”のお客さまがたぁ、あなたがたのお力でぇ、マユを助けて下さいませんかぁ? アリサもできる限りのことはしますぅ」
 少女の細い両掌は、大切な宝物の首飾りをそっと抱いていた。

 一方、物陰からこっそり真由達の様子をうかがう人影が約三名。
「やっぱり競走大会に食い付いたね、あの小娘」
 不敵に唇を吊り上げるのは説明するまでもなく、借金取りのはぐれ侍おみつである。
「姐御、どうするだべ?」
 従う影の片方が問いかけた。ええと、ちびでぶだから有造の方か。
「決まってるさ。あたしらも競走に出て、あの小娘をぎゃふんと言わせてやるんだよ」
「でも、車がないざんすよ。サーペントとかいう御仁から借りるのも、ただじゃないざんす」
 がりがりのっぽ、すなわち無造が現実の問題を指摘する。借金取りとはいえ所詮使いっぱ、そんな蓄えがあるはずもない。
「何言ってんだい。ここに書いてあるだろ。『形式は自由』って」
 おみつは頭の回転が鈍い手下に呆れたように、大会要項をぺしぺしと叩いた。
「自動車で一番金を食うのは、なんてったって機関なんだ。車体だけなら簡単に手に入るさ。そいつを動かすのは・・・」
 丸められた大会要項を突き付けられた有造無造が、そろって情けない悲鳴を上げた。
「「あっし(オレ)らだべ(ざんす)か〜!?」」
「ったり前だろ! そうと決まったら、あんたらもとっとと梅の島にお行き!」
 手下二人の尻を蹴っ飛ばして追い散らすと、おみつはおもむろにあなた方に振り返った。
「さてと。違う“天下”からの旅人っていったね。ここはひとつ、あたしの話に乗ってみないかい?」
 怪しげに笑って、声をひそめる。
「あの小娘は必死に隠してるけど、立花の爺さんの遺産ってのはただの発明品じゃないんだ。この皇都、いや天下の常識じゃ考えられない先進技術。それこそ内燃機関なんて問題にならない、星の世界を旅することが出来るような代物さえあるって話なんだ」
 おみつはさらに語る。超科学(オーバーテクノロジー)。世に隠れてそれを伝え、機を見て少しずつ秘伝を広め科学技術の発展を促す者達が存在すると。真由の祖父もそうした一人であったと云う。
「あたしに取っちゃ、あの小娘が間違って借金を返してくれたりしたらかえって困るんだ。担保の遺産をいただく方が、ずっと割りがいい。もちろん、あんた達にも分け前はやるよ。どうだい、ひとつ超科学の産物ってやつを拝んでみないかい?」

 様々な人々の、様々な思惑を呑み込んで。
「皇都〜函根間車両競走」の日は、一日また一日と迫っていた。