皇都湾に謎の七色鯨出現
最近、皇都湾内にいずこからか七色の体色を持つ巨大鯨が侵入し、沿岸漁民を大いに悩ませている。
目撃者の談によれば、問題の鯨は体長弐拾米ほどとかなり大型。性質すこぶる凶暴で、周囲に人の乗った船を認めるなり突進し、体当たりにて転覆させる。
お陰で皇都湾内では船の破損と、投げ出されて傷を追う乗り組み員の被害が後を断たない。養殖の魚、貝、海苔などの食害も深刻になりつつある。ただ不幸中の幸いにして、人が鯨に食われたとの報告例はまだない。
事態を重く見たお上は、自ら鯨退治に乗り出すと同時に、民間に対しても鯨捕獲者に賞金を出す旨通達した。その額は伍百圓と言う。
一方で、西欧軍人の富豪サーペント卿もこの虹色鯨に注目し、お上とは別口で鯨の捕獲を依頼している。
「西欧では虹色の体色を持つ鯨の肉は、若返りの妙薬と伝えられている」との談である。
こちらの賞金は壱千圓と、お上の報奨金よりさらに高額である。ただ条件として生きたまま鯨を捕らえること、お上を通じず直接卿に鯨を引き渡すこと、が付け加えられている。
また何としても虹色鯨を入手したいサーペント卿は、他の狩猟者を牽制・妨害し、卿の依頼を受けた狩猟者の働きを容易にする人員も募集している。壱隻沈める毎に百圓の報酬である。むろん、他者を妨害した上で自ら鯨を狩り取れば、両方の報酬が得られるとの談である。
依頼を受け海に出る場合だが、船は沿岸漁民と交渉して借り受けることもできる。ただ、相次ぐ転覆被害に漁民達はすっかり鯨を恐れている。説得には工夫は必要だろう。
それに生半可な船では鯨の巨体の持つ破壊力に堪えられないことは、既に実証されている。いささか強行日程になるが、十分な戦闘力を持った船を自ら建造するのも手だろう。
とにかく、皇都湾に一日も早い平穏が取り戻されることを祈るばかりである。
「これよ!」 なんだか毎度おなじみの光景だが、立花真由は最新情報を伝える新聞記事を、親友の亜梨沙に突き付けた。
先日の飛行機大会で真由達はみごと優勝し、多額の賞金を手にしたが、機体制作費もそれなりにかかり、まだ父母の残した借金には残りがある。
「えぇとぉ、七色鯨ってぇ?」
当惑した表情の亜梨沙に構わず、真由はまくしたてる。
「もちろん、鯨を狩って賞金をもらうのよ! 今回もうまく行けば、借金は全額返せる! もう、あのやかましい三人組に付きまとわれることもないわ!」
「……それでぇ、依頼が二口あるみたいだけどぉ、どっちを受けるのぉ?」
亜梨沙の問いに、真由は腕を組み少し考え込んだ。
「サーペント卿の依頼の方が実入りがいいのは確かだけれど、他の人を妨害しろとか、なんか怪しげね。あたしは借金は抱えても、後ろ暗い真似は祖父さまに申し訳が立たないし。今回はお上からの依頼にしましょう。これでも十分だわ」
「それでぇ、船はぁ?」
亜梨沙の次なる問いに、真由は胸を張った。背丈は低いが体の線は意外としっかり抑揚している。
「もちろん! 我が科学技術の粋を集めて、最強の戦闘船を造り上げるのよ! 今回妨害もあるから、そっちの対策も練っとかないとね」
例によってと言うか、真由は早くも狩りそのものより、戦闘船建造の方に意識が行ってしまっているらしい。そんな発明少女を、亜梨沙は珍しく、もの問いたげな視線で見ていた。
真由は親友をちらりと見やると、なぜか虚空を見上げ拳を握りしめた。
「……あいつには片足を奪われた恨みがあるのよ……」
「マユぅ、ちゃんと両足そろってるけどぉ?」
「鯨狩りの時は、こう言うのがお約束なのよ」
なんだか良く分からないが、彼女なりに親友の様子を気づかったらしい。しかしその冗談も通じず、亜梨沙はあいかわらず真由に対し何か言いたそうだった。
(鯨さんはぁ、大人しい動物だからぁ。意味もなく人を傷付けるなんてしないと思うけどぉ)
心の中の問いは、どういう訳か口を開いて出ることはなかった。
姉妹とも慕ってきた親友相手に、言いたいことが言えない。こんなことは、亜梨沙にとって初めてだった。
「あの小娘、今度は鯨狩りに飛びついたかい。まったく、少しは真っ当に働いてほしいもんだね」
あんまり人の事は言えない台詞を、例によって物陰に隠れたおみつが吐いた。
「どうするざんす、姐御」
「決まってるだろ」
無造の問いに、おみつはきっぱりと答えた。
「今回もあの小娘を妨害してやるのさ。あたしらの望みは借金完済なんかじゃない。むしろあの小娘が焦げ付いて、超科学の遺産をこの目で拝むことさ。それにここまで来たら、こっちも意地ってもんがあるよ」
言い捨てるとおみつは、くるりと振り向いた。
「今回はあんたにも手伝ってもらうよ。嫌とは言わせないからね」
その頃、横羽、外国人居留地。
「七色鯨が現れるとは、望外の幸運だな。これで良質の『素材』が手に入る」
灯りを消した暗い部屋の中で、サーペントは一人つぶやく。
暗がりの中、彼は二通の紙束を探り出した。自動車競走と飛行機大会。先に行なわれた大会二つの報告から、ある人物、すなわち亜梨沙に関する内容を抜き出したものだ。
「そして『片割れ』も見つかった。道楽もやってみるものだな。思わぬ拾い物がある」
サーペントはひそやかに笑うと、暗闇の向こうに声をかけた。
「もうすぐ、全てが『完全』になる。楽しみだな、私の愛しい娘よ……」
闇の中で、おびえたように何かの気配が動いた。
|