ゲームマスター:田中ざくれろ
★★★ 晴天の下、白金の肌理細やかな鱗が陽光に艶光る。 うららかな風の午後の春だ。陽はかなり傾いている。 先ほどまで『大嘘つきコンテスト』が開かれていた『モータ』の広場は、今は叫びながら町民や観客などが逃げ回る騒然たる光景になっていた。 その広場を席巻してるものは何か。 巨大獣『バハムート』だ。 このバハムートは『魔法の拡声器』によって、己の嘘が真実になってしまい、変身、巨大化してしまったジュディ・バーガー(PC0032)なのだ。 自分がついた大ぼらの姿に変身してしまったのだ。 (オーマイガッ! ウーップス!! アンビリーバボー!!) 思わず無言で叫んだジュディだったが、意外と立ち直りも早かった。 スポーツ選手が好む精神集中法、いわゆるディープブレス(深呼吸)で気を鎮める。 冷静になり、あらためて自分の身体を観察する。 長い首を巡らせる。 魚類とドラゴンを合わせた様な全長百メートルもの白金色の巨体がそびえている。 背中の翼の様なヒレの様な器官を羽ばたかせているが、空には浮かべない。 だから飛び去る事は出来なかった。本人は周囲の家屋や人をを潰さない様にツイスターゲームの如く、必死に四肢を突っ張らせてバランスをとっている最中だ。 (うーむ。バハムートになるのも悪くないデスネ) 「なんでやねん? こんなんなるなんて聞いてへんわ!」 ジュディが少なからぬ満足を覚えている時、思わぬハプニングに慌てる者がもう一人。 これらの騒動が魔法の拡声器の力のせいだと解ったのは、同じ様に『黄金の羊』に変身してしまったビリー・クェンデス(PC0096)によってだった。 拡声器の力で町長にとりついてこの大嘘つきコンテストを企んだ黄金羊のコピーとなったビリーは、その記憶までもコピーし、真相を叫んでいた。 「ボクがこの大嘘つきコンテストを企画したんや! 狼の群に皆殺しにされた羊達の魂全部が、突然変異的に知能が高かったボクの魂と融合し、悪霊になったんや! そして町長に憑依して、黒魔術デザイナーのサイモンと組んで、世界を混沌に変える復讐を開始した! サイモンは死んだピーターという大嘘つきの羊飼いの少年の舌を部品に使って、発した嘘を真実に変える魔法の拡声器を作り上げたんや! これはアンデッドモンスターは効力を発揮出来ない! だから大嘘つきを集めたんや! サイモンと羊の悪霊であるボクの最終目的はこの世界でつかれている様様な嘘を真実に変えて広めて、オトギイズム王国を大混乱の混沌に陥れる事や! 全ては混沌の神に捧げる為に!」 事態の真相を悟ったビリーは広場から四方八方に散っていく皆の後を追って、走り始めている。 ジュディも家屋をまたぎながら移動を始める。 長い首や尾を含めて百メートルの巨体が街中を移動するのは一大事だった。それも人や家屋を踏み潰さない様に気を使いながらだ。 悪霊のコピーに変身した黄金羊ビリーは、己の存在意義を正しく理解すべく、悪霊を生み出した事件そのものが知りたくなった。 自分がついた嘘の姿に変わった他のコンテスト出場者も広場から離れる為に逃げ回っている。 この騒ぎが一段落するのはそれから実に小一時間ほど、かかったのであった。 ★★★ 「ここは何処だか解らないけどぉ、お陽様は暖かいし、土もお水もあるみたいですねぇ」 植物系淑女リュリュミア(PC0015)は初めての土地でも不安を覚えていなかった。 「でも、ちょっと緑が足りないかしらぁ」 ここは申し訳程度に灌木の繁みが散らばっている平原だった。 ちらほらといった程度でセイヨウタンポポの黄色い花が咲いている。 向こうに森が広がっている様だが、リュリュミアの足では遠い。 自分の記憶の空白に気づかないまま、リュリュミアは常備している花の種を入れてある小袋を取り出した。 ハルジオンの種だ。 リュリュミアはそれを自分の近くの地面、辺り一面に蒔いた。 彼女の力で種はあっという間に芽を出し、成長して白い花を一斉に咲かせた。 緑の葉。白いハルジオンの花のベッド。 リュリュミアはその上に横たわると全身の力を抜いて、重力に身を預けた。 気持ちのいい春の陽だ。 寝息。 リュリュミアの周りで春の風に吹かれたタンポポが白い綿毛になり、気流に乗って遠く広く風景へ散っていった。 ★★★ バハムートと化したジュディも、黄金の羊と化したビリーも、この騒ぎの大元である村長を探していた。 「ちょっと待ちぃな。ボクら、皆に危害を及ぼすつもりなんかこれっぽっちもあらへんさかい!」 ビリーは走りながら逃げている人達に叫ぶ。二本足で立ち上がって追いかけてくる羊などちょっと見た眼に怖そうなものであったが、丹念に説得の努力を続けていると、町民達の何人か立ち止まってくれるようになった。 ジュディは家屋や人を踏み潰さない様に慎重に気を配って移動しているので、それに気がついて逃げるのをやめた人もいる。 変身ハプニング発動時のパニックは収まってきていた。 「ホエアー・イズ・タウンメイヤー、町長はドコ?」 ジュディはバハムートの口で発声するも、それは大きな洞穴を吹き向ける風の様な吠え声だった。 声帯がどうも人間の言葉を発するには向いてないらしい。 ただ彼女の周りに集まった町人や観光客だけが騒めいている。図らずもバハムートの声は人人を威している様に聞こえるのだ。 この場には今、マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)達も合流している。 マニフィカは前夜の酒宴に同席した者達に謝った後(アルコールのせいで前夜の記憶がないが)、ジュディ、ビリー、と同じ様に自らがついた嘘の症状が表れたコンテスト参加者達の確保に励んでいた。 おかげで舌が五十メートルも口からはみ出している男や、ヌラヌラネトネトのびちぢみし続けている男達を無事に確保する事が出来た。中にはダイヤモンドが二百個入った大きな財布を抱えている男や十メートルもあるワニに抱えられている男がいたが、彼らは見た目以上のハプニングを起こす気配はなかった。尤もワニを大人しくするにはアンナ・ラクシミリア(PC0046)の攻性モップでの頭部への一撃が要たが。 状況を整然とする事を愛するアンナには、混沌というものは対極に位置するのだ。 「ちくしょー! ダイヤがこんなに沢山あるのにちょろまかす気も幸せな気分も起こりゃしねえ!」とはダイヤ二百個の財布を抱えた男の素直な告白である。 マニフィカは「嘘も方便」という、先に自分が『故事ことわざ辞典』で受けた託宣に従う気でいた。 「嘘は悪い事だが、時と場合によっては必要な事もある」というのが彼女の解釈だ。 これが現状打破の大きなヒントだと思えた。つまり今回のケースでは「現実化した嘘に更なる嘘で対応する」という解釈も可能だろうという考えだ。 いずれにしても、誰もが嘘を現実化する手段、即ちシャボン玉が飛び出す怪しげな『拡声器』こそが事態収拾の鍵と睨んでいる。 黄金の羊が走る。ビリーはこのモータの住民が、羊飼いの少年ビリーを結果的に見殺しにしてしまった後ろめたさを『嘘つきの守護者』として赦す気でいた。 ここでこの福の神見習いは一つの疑問を抱いている。 羊達やピーターに危害を加えたのは狼である。 そもそも悲劇の原因はピーター少年が嘘を繰り返した事。 世界を混沌に変える事が、果たして復讐に相応しいと言えるだろうか。 幾ら悪霊でも、ちょっと発想が不自然すぎるのではないか。 憎しみを誘導した第三者がいるのではないか、と。 黄金羊ビリーは拡声器の製作者でもある黒魔術デザイナーのサイモンが疑わしいと睨んでいた。 しかし、ピーターを見殺しにしたという現状、詳しい事情や事実を知る町民ほど心に負い目があり、口が重いだろう。 だから神様の代理人として彼等を赦すのだ。真相に一歩でも辿り着く為に。 「皆の衆、基本的に嘘はあかんねんけど、真実を自分の鬱憤となるまでに隠蔽するのはそれと同じくらいあかんねん。鏡の中の自分を見てみい。そこには真実を隠すと同時に嘘をつく事を封じてパンパンに膨れ上がった顔が映ってんやねんど。嘘は赦す。あんたらの嘘と同様にピーターの罪もボクが赦す。だから素直になって、己らの過去と未来を見つめていこうや。『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』や」 と、ビリーの言葉だが、町民達は見知らぬ黄金の羊からかけられた声への反応に戸惑っている様子だ。 しかし、自分達がピーターと羊達を見殺しにしたという事実を知っている事で、ビリーの事を尋常ではない存在だと見当がついているらしい。 「そういえば優勝賞品の『バハムート殺し』の樽はどうしたんですの」 「そいつは町長が抱えて逃げちまったわよ。あの奇妙な道具と一緒に」 アンナの疑問に町民の中年女が答えた。奇妙な道具というのは魔法の拡声器の事だろう。 アンナは一時、ジュディが巨体のままに暴れ、この町に危害を及ぼしてしまう事を懸念していた。 それ故「嘘というのは満たされない自分の願望を言葉にしたもの」だという考えにのっとり、彼女の欲求を満たす為にバハムート殺しを飲ませる事こそ肝要だと思っていたのだ。これを飲ませれば元に戻るのではないかと。 だが、現状を見る限り、彼女の理性は周囲に危害を及ぼす事はない様だ。 しばらく、この姿でも大丈夫だろう。ジュディも嫌がっている素振りは見せてないし。 「バイ・ザ・ウェイ、とにかくビリーが話したコンテスト開催の目的が本当だとシタラ、これから町長とサイモンによって、モア・ワース、もっとひどい事が起こされる可能性があるワネ」 ジュディは心配そうに仲間に自分の考えを話した。 今回の大嘘つきコンテストの本性が、自分達を巻き込んだ大陰謀だと知った町民や観光客達は大きな声で騒めいている。 むしろ町民達の騒めきは怒りよりも戸惑いを多く含んでいる。ピーターを見殺しにした自分達も事態の当事者の如きものだからだ。 「だから、それは嘘つきの神様代理人のボクが赦すっちゅーねん」 一連の騒動を画策した、町長に憑依している悪霊『黄金羊』のコピー的な存在となっているビリーは叫んだ。「尚、拡声器から出たシャボン玉はあちこちにタンポポを着床させ、タンポポは嘘の内容を言葉として発声させるんや。この言葉が届く範囲内は拡声器の嘘が真実になる。タンポポは白い綿毛となって散っていき、飛んでいって、その地点に着床する。そこからタンポポが成長して同じ事を繰り返し、混沌の範囲を広げるんや!」 色色な記憶が黄金羊としての頭に浮かび、それをペラペラと口にしながら、黄金羊ビリーは奇妙な解放感を覚えていた。 現実とヴァーチャルが共生していく様な、あふれ出る悪知識の新鮮さ。 (めっちゃ癖になりそうや。これ、アカンやつとちゃう? お師匠に知られてみい、ごっつう怒られんで! ホンマどないしょ」 胸の内で渦巻くアンビヴァレンツな善悪の葛藤が、良心回路をチクチクと刺激する。 以前、善と悪について深く悩んだ事もあったが今回、とうとう悪霊のコピーとして本格的な悪の立場を体験する羽目になったのだ。元元の悪戯好きな性格とか、そうしたトリックスター的な部分が、混沌神とも相性が良いのかもしれない。己の存在意義を正しく理解すべく、悪霊を生み出した事件そのものが知りたくなっている。悪である自分も知れ、だ。 ビリーは町民の騒めき、戸惑いに耳を傾けた。善悪双方の権能でモータの住民達をなだめながら、赦しながら、聞き出した情報と思い出した記憶を比較検証する。 特に差異はない。 「町長はやっぱり自分の家に逃げたのでしょうか……町長の家は何処?」 アンナの質問にその場にいた町民達は一斉に一方向を指さした。 それは今いる場所とは全く逆方向の、今やってきた広場を横断しての町の中心の様だ。 「うーん、じゃあ、サイモンってのがいるのは?」 またアンナの質問に町民達は、町長の家を遠く越えた、町外れだと告げる。そこにあった空き家に今は住みついているらしい。 「ともかく町長を押さえるのが先ね」 アンナは町長の家を目指して走り出した。ローラーブレードの滑走で雑踏を切り開く。 ジュディ=バハムートも彼女達を追って、慎重な足取りで巨体の移動を開始する。 黄金の羊ビリーも二本足で走る。 「皆さん、お気をつけを。私は準備が出来たらリュリュミアを追ってみますわ」 マニフィカはそう言い、町の一角に駐車してある自分の『オート三輪』の方へと走り出した。彼女はこの荷台にビリーのペット『金鶏ランマル』やジュディのペット『ラッキーちゃん』を預かっている。ジュディのモンスターバイクも載せているが、さすがにここまで載せるとオート三輪の馬力が心配だ。バランスも危うい。 残された町民、観光客、コンテストの参加者が心配そうに冒険者達を見送った。ヌラヌラネトネト伸び縮み人間は、現在進行形でヌラヌラネトネト伸び縮みしながら。 ★★★ モータの町長の家は他に比べると大きく立派だった。 庭の緑の芝生に白金色の巨大な手(前脚)がスタンプされる。 ジュディが二階の窓から切れ長の眼を覗きこませると、姫柳未来(PC0023)は町長を締め上げている真っ最中だった。 既に町長の家を突き止め、先回りして屋根裏へテレポートして乗り込んでいた未来はベッドの上で町長を縛り上げている。 「何処なの!? 魔法の拡声器とやらは!?」 「そ、そんなモンは知らんメエ!」 口調の語尾が妙な風に変化している町長が、この期に及んで下手な嘘をつく。 ついさっき、未来は、家に戻ってきた町長の眼前に屋根裏からいきなりテレポートで奇襲。そしてその股間に強力な金的蹴りを見舞った。 そして町長が股間を押さえて前屈みになったところを、下がった顎を思いきり蹴り上げて気絶させた。 顎に衝撃を与えられて脳震盪が起き、町長はその場に昏倒。 それを未来は縄で縛り上げて、サイコキネシスで寝室のベッドに放り出したのだ。 やがて眼醒めた町長を未来は尋問。JK制服のミニスカートから取り出した『サイコセーバー』の光る剣先を突きつけながら、コンテストを開催した真の目的と、魔法の拡声器の在り処、使い方を聞き出そうとする。 町長はなかなか口を開かなかったが、窓から覗き込む巨大なバハムートの顔に気づいて、悲鳴を挙げながら喋り出した。なかなかの圧迫面接だ。 語尾に「〜メエ」のついた奇妙な喋り方で、魔法の拡声器で嘘を本当にしてオトギイズム王国に混沌の勢力をはびこらせようとした事と、それがサイモンという黒魔術デザイナーとの共謀だという事を白状する。 これはビリーの言っていたのと内容は同じ。彼の発言を裏づけるものだった。 この時、アンナとビリーもこの寝室に入ってくる。 「そのサイモンというのは何処にいるの? 魔法の拡声器は? 皆はどうすれば効果を解除出来るの?」」 未来は更に問い詰める。今の町長は拡声器を持っていない。 「……それは嘘で……拡声器自体を……否定すれば……メエ」 町長が言い淀みながら、チラッと未来の背後にあからさまに眼くばせする。 そこに皆の注目が一瞬集まった。 視線の先、開いたクローゼットに一人の男が立っているのに皆は気づいた。 濃い灰色のローブを着た男が、黒い杖を持って立っている。 「曲者!っ」 とっさにアンナが『魔石のナイフ』を二本投げる。 しかし、それらは刺さる事なく、濃灰色のローブの表面で二本とも跳ね返された。 「黒い雷撃ッ!」 男の声と共に、黒い杖から放たれた黒くて細い雷撃がアンナの利き手を撃つ。 激痛が走り、彼女の手から残りのナイフが弾き飛ばされた。 皆が背にした町長の身体が眩く黄金色に光った。 眩さは一瞬だったが、その隙に町長の姿に大きな異変が生じた。 光が止んで皆が振り返った時、縛られたままの町長がベッドの上に倒れていた。気絶している様だ。 その真上に黄金の羊の姿が宙に浮かんでいた。 それはまさしく、ビリーの今の姿と全く同じものだった。違うところといえば、宙に浮いている姿が半透明で、背後の風景が透けて見えるという点と、二メートルほどの身長だ。 羊の表情は呪わしく恨みに歪んでいた。 「サイモン、助かったメエ」 「おお、黄金の羊!」 サイモンと呼ばれた禿げ頭のローブの男は、片手にあの拡声器を持っていた。奇矯なデザインで、嘘を本当にするという能力を持つそれだ。死んだピーター少年の舌を部品に使っているというが、だとしたら何て悪趣味なのだろう。 「全く人間の身体にとりついていると色色と制限が付いて、いけないメエ」オリジナルの黄金の羊が不敵に笑った。「お前にはお返しだメエ」 黄金の羊が前脚の先の蹄を未来に向けた。すると黄金の光がそこからほとばしり、未来の胸を撃った。 途端、未来の身体から急速に力が抜けていった。 黄金の光はまるで未来の身体からエネルギーを吸い上げる様に輝きを脈動させた。 未来の膝が折れて、床に手をつく。物凄い疲労が急激に彼女にまとわりついた。 エネルギードレイン。未来の活力を奪った黄金の羊は金の輝きを増した。 アンナはモップを構えて、戦闘態勢に入った。 しかし、サイモンと黄金の羊。どちらを倒すのを優先すべきか迷う。 ビリーは未来を助け起こすべく、黄金の羊の身体で駆け寄った。外傷はない。しかし未来はまるでエネルギーを半分失ったかの様である。サイコセーバーの輝く光の刀身も半分ほどの長さになっている。 「出よったな! 大ボス!」ビリーはサイモンに叫ぶ。「どうせ、ピーターに嘘をつき続ける様に吹き込んだのは全部、あんさんの仕業じゃないんか!?」 「ん〜何の事かな、フフフ……」サイモンは微笑した。「自分の悪い噂をされるより悪い事が一つある。それは誰にも噂さえされない事だ。人はいつだって自分に注目を集めたがるのだ。ピーターは寂しかったのかもしれないな。その凝り固まった思いは我が魔動器の非常に重要なパーツとなるにふさわしかったほどだ……」 サイモンは拡声器に頬ずりをした。率直な感想として非常に気味が悪い。 「この世界の全てが憎らしいメエ! この世界の全てを嘘に変えてやるメエ!」 黄金の羊が叫ぶ。眼には怨念と狂気があった。 外にいるジュディはその巨体で皆の手助けをしようと思ったが、窓から手を差し入れるだけでも寝室を破壊してしまう恐れがあった。今、この巨体は不利だ。 ジュディはどうするべきか考える。 「人間は暗黒神様に仕える者以外は皆、愚かだ。この世は暗黒神様の為に混沌を投げ入れるべきだ……」 ジュディが手段を思いつくより早く、サイモンが言いながら、自分で作った魔法の拡声器を口にあてた。 「私の正体は古代から生きている巨大な『ブラックドラゴン』だっ!!」 増幅された大声と同時に拡声器の発声部から幾つものシャボン玉が飛ぶ。 その途端、サイモンの身体は光を浴びた影が長く伸びて膨らむ様に巨大化した。 体格が寝室一杯に広がり、部屋を破裂させる如く破壊した。 次の瞬間には町長の家自体が内部からの膨圧に負けて、爆発。 町長の家があった場所には破片を飛び散らかせた巨大な黒竜が出現した。 すぐそこにいるジュディ=バハムートに及ばぬものの、長い首と尾を持った黒いザギザギの鱗に覆われた全長七十メートルほどの巨竜だ。 散乱する家屋の破片と共に未来を抱えたビリー、村長を抱えたアンナが何とか地面に着地し、巻き込まれない為にブラックドラゴンから遠く離れる。 だが、彼らをの行く手を阻むものがいた。 黄金の羊の悪霊だ。 宙に浮いて、逃げようとする彼らの前に立ちはだかる。 「おっと、ここは逃がさないメエ」凶相を不敵に歪ませ、黄金の羊は呟く。「さて、次は誰のエネルギーを吸い取ってやるメエか」 この光景はモータの町の何処からでも見る事が出来た。 ジュディ=バハムートだけならまだしも、更に突然現れた巨大な黒いドラゴンに町はあらためて騒然となる。 「食らえっ! 黒いドラゴンブレスっ!」 洞穴を風が吹き抜ける様な声で、サイモン=ブラックドラゴンが大きく開いた顎(あぎと)をジュディに向けた。 ジュディは眼を閉じて、サイモンが黒く熱い炎を吐き出すのを覚悟した。 しかし、いつまで経ってもその黒い牙の並んだ口から炎が吐き出される事はなかった。 「ん〜間違ったかな。むう……あの拡声器の力では本物のドラゴンになりきる事は出来ないか……」 サイモンは長い首を捻りながら呟いた。 それを聞き、ジュディも自分が何かの力を使えないか、大きく口を開けて長い息を吐きだしてみた。 やはり、何も起きない。 あの拡声器は限界があるのだろう。現に自分も本物とされるバハムートよりは随分、小さい様だし。 ジュディは爆片と化した町長の家をざっと見まわした。 すると金紙で飾られた大きな樽が一つ、転がっているのを発見。墨痕鮮やかに書かれた筆文字を読むと、それこそバハムート殺しの樽だった。損傷はない。 現在、拡声器の方はは黄金の羊が持っている。 正確に言えば、黄金の羊の傍で宙に浮かんでいた。 敵を倒さなければ、魔法の拡声器を確保する事は難しいだろう。 町長を地面に下ろしたアンナは魔石のナイフを黄金の羊に投げた。 混沌とはアンナの望むものの対極。 彼女は断固、立ち向かう意志だ。 しかし、それは霧を撃つ様に輝く羊の姿を貫通した。 「実体は触れないメエ」 ビリーは不敵に笑顔を歪ませた敵を見た。 悪霊の声は数十匹もの山羊の鳴き声が重なったかの様にビブラートがかかっている。 赦す羊と赦さない羊の双方が相対した。 状況は夕刻になっている。 オレンジ色に染まる夕景。その色のシャボン玉が風に乗って飛んでいく。 オレンジと黒の市街戦 巨大な夕陽の中で黒いシルエットと化したもの達が、抜き差しならぬ戦闘状態に陥っていた。 ★★★ 「くしゅん」 なんだか寒い。 白いハルジオンのカーペットで眼を醒ましたリュリュミアは薄暗さと寒さに驚いた。 木陰でもないのに、眼を開けても薄暗く涼しい。 今まで明るく暖かかった場所がこうなるなど初めての体験だった。 リュリュミアがいた世界で変化とは緩慢なものだ。 太陽というものは空の最も高い場所で輝き、動く事などないと決まっている。 それがリュリュミアの世界の常識。 しかし頭上に太陽はない。 何処かへ行ってしまっている。 リュリュミアは周囲を見回した。 タンポポの数が増えている気がした。 しかし、何よりも劇的な変化は、地平線に沈みかけ、その方向の風景を自分と同じ色に染めあげているオレンジ色の巨大な輝きの塊だった。 (もしかして、あれはぁ?) 太陽じゃないのかなぁ?という思いつきはあまりにもトンデモすぎて即座に自己却下する。あれはリュリュミアの知る太陽よりはるかに巨大だ。 だとしたら。 自分の太陽は何処へ行ったのか。 やっぱり、ここは自分がいた世界とは違う世界なのだ。 自分はあの穴を通ってきて異世界へ来てしまったのだ、とリュリュミアは考えた。 すぐそこの地面には穴が空いている。 自分がこの世界へと出てきた穴だ。 覗き込めるほど近くまで、ぽやぽや〜と歩み寄る。 人間一人が通るのがぎりぎりの穴だ。 穴の縁を踏むと土が少し崩れて中へと落ちた。 と、土が落ちていくのとは逆に、何かが風切る音が底の見えない穴の奥からこちらへ上がってくるのに気づく。 それは自由落下を丁度、逆さまにした塩梅で下から上へと上がってくる。 思わず、リュリュミアが後ずさると、それは空気鉄砲のおもちゃの様な音と共に穴からまっすぐ飛び出た。 立派な貫頭衣を着た、銀色の髪の若い女性だ。 足を上にした逆さまの姿勢で穴から飛び出す。 と、彼女の背中で皮張りの翼が広がった。それがエアブレーキとなって、穴の上で空中静止。 彼女は翼を羽ばたかせて、身体の向きを変え、足を下にリュリュミアの傍に着地した。 「よかった。無事だったのですね、リュリュミアさん」 リュリュミアの知らない女性は『魔竜翼』をしまい、親し気にそう語りかけてきた。 銀色の髪。褐色の肌。 どう考えてもリュリュミアの記憶にない。それどころか彼女は自分以外の人間に会うのは初めてなのだ。 「穴はここに続いていたのですね。穴の出口は上下逆なのでございますのすね。一体、何処かしら、ここは」 彼女は自分を知っているらしい。何の遠慮もなく振る舞っている。 「……どうしましたの、リュリュミアさん。もしかして、わたくしが解らないのですの」 彼女は紅い瞳でリュリュミアをまっすぐ見つめる。 「わたくしですわ。マニフィカですのよ」 昔からの知己に呼びかける言葉がリュリュミアの胸の中を虚しく吹き抜ける。 まるで長年、苦楽を共にしてきた様な親密さだが、記憶の端にもひっかかる所がない。 「もしかして忘れているのですか。わたくしはマニフィカ・ストラサローネ。あなたはリュリュミア」 彼女は自分の名前を知っている。 夕陽が二人の長い影を引く。 リュリュミアが戸惑っているとふわっと風景の向こうからシャボン玉が幾つか飛んできた。 それは二人の足元に落ちて割れ、何もなかった地面に黄色いタンポポの花を五つ咲かせた。 『サイモンはブラックドラゴン♪ いにしえからの黒い巨竜♪』 風に吹かれたタンポポがそう歌い、三つの花が白い綿毛に速やかに変化すると、また風に吹かれて遠くへ散っていった。 「何でございますの、今のは」 「さっきからああいうのが飛んできてるのぉ。セイヨウタンポポが今みたいに何かしらか歌を歌ったら、綿毛になってまた飛んでいくのぉ」 共通の話題が見つかった二人は散っていく綿毛を見送った。 「今のがビリーさんの言っていました『混沌』を拡げる白い綿毛でしょうか」マニフィカは難しい顔をした。「もしそうだとしたら黒魔術デザイナー・サイモンが拡声器を使って『自分がブラックドラゴンになる』という嘘をついたのかもしれませんわね。……モータは大丈夫かしら」 マニフィカの心配そうな顔を見て、リュリュミアはちょっと不安になった。 見知らぬ人だ。だが助けに力を貸したい気持ちも幾らかある。 「今まで、どのくらい、シャボン玉や綿毛は飛んできましたか」 「えーとぉ、沢山ですぅ。皆、向こうの方から飛んできましたぁ」 リュリュミアは指さす。 それは巨大な夕陽が沈んでいく光景だった。 「……と、すればモータは夕陽の方角、西でございますね。シャボン玉が直接飛んできますのを考えて、距離もそんなに離れていないはずですわ。タンポポの綿毛が散らばって『嘘』を拡げていると考えるともうかなりの綿毛が遠く、広く、散らばっているはずでございますね」 マニフィカがそう呟いている横で、しゃがんだリュリュミアが地面のタンポポに手を触れた。 「ごめんなさい 『腐食循環』。 濃い黄色の花と緑色の茎葉のタンポポが時間加速された様に速やかに枯れ、土に戻る。 マニフィカも間近でそれを確認した。確かにリュリュミアの能力だ。 「もう既に散らばりすぎてしまった『嘘』のタンポポを一つ一つどうにかするのは難しいでしょう……と、すると本体である拡声器かサイモンをどうにかするしかありませんわ。嘘に変化してしまった人達を元に戻すにも」 マニフィカは背の魔竜翼を広げた。 夕陽に対面したシルエットを背後から見ると黒い十字架の様だ。 「あなたはどうしますの? リュリュミア」 マニフィカは記憶のない彼女に訊いた。 リュリュミアは答に詰まった。 生涯で初めての(と彼女は思っている)夕陽を見つめる。 植物系淑女のリュリュミアには、少しでも明るい方へ行きたいという本能があった。 ★★★ モータの町の近辺では、奇妙な言葉を喋るタンポポというものが話題に上がっている。 タンポポは綿毛が何処からともなく飛んでくると、地面に落ちて急速に花が咲き、何かしらかの言葉を呟くと、また綿毛と化し、風で散らばっていくのだ。 不確かな噂によると、タンポポが言葉を呟いた後、周囲にいる人物は何かしらかの願いが叶うという。 ただし、それは口に出した言葉で「あいつが不幸になればいい」「あいつの飼っているロバが穴に落ちて足をくじけばいい」「あいつの家が火事になればいい」等のネガティブな願いのみが叶うという。 また転ぶはずのない場所で転ぶ、湯沸かしの熱湯が突然凍る等の確率的な異常も起こっている。 タンポポは鼠算式に増えていき、オトギイズム王国全域で見られる事になるのもすぐだろうというのが、識者の見解だ。 ★★★ |