『出没! 私立らりほう学園!!』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 『オトギイズム王国』港町『ポーツオーク』沖に浮遊滞在する超弩級硬式飛行船『スカイホエール』。
 今日も海面に影を落とし、全長三千mの青銀色の巨鯨は何処へ行くともなく、潮風に吹かれながらそこに留まり続ける。

★★★
 生徒会舎の迎賓スペースで、マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は紅茶研究会が調達してくれたアフタヌーンティを飲んでいた。独特の発酵をした茶葉はこの『羅李朋学園』内の茶畑で収穫された物だという。輸入された高級茶葉も選べたが、敢えてこの学園の茶葉を選んだ。これも文化への知見を深める為だ。
 そうしながらマニフィカの手は、やはりここへも持ち込んだ『故事ことわざ辞典』を紐解く。
 すると適当に選んだページには『鯨飲馬食』の文言が。
 ……またもや鯨シリーズ。
 しかも、その意味は「鯨の様に多量の酒を飲み、馬の様に多量の物を食べる事」。
 彼女は酒に関する過去の失敗経験を思い出し、ちょっとした眩暈を覚える。
 その記憶を拭うかの如く、急いでページをめくり直すとそこには「飲んだら乗るな! 乗るなら飲むな!」という交通標語。
 ちょっと待って下さい、この本はそういう言葉まで載っているのですか?と現実を疑いつつも、これは調子に乗るなという海神からの警告ではないかと受け止める。
(お酒のトラブルはもうこりごりですわ))
 記憶に刻まれていた黒歴史の回想に、ちょっと涙眼の人魚姫。
「どうしましたの」
 テーブルの対面で同じく紅茶を飲んでいたクライン・アルメイス(PC0103)は、王女の動揺を見逃さなかった。しかし、すぐ彼女の『人間力』はこれは深く訊くべき事ではないと現状把握し、場を敢えてかき混ぜるよりも熱い紅茶に唇を寄せる事で茶会の続行を進めた。
 マニフィカは辞典を閉じたが、その時、はらはらと数ページがめくれた。
 その時にあるページの一文がちらりと見えた。
 「井の中の蛙、大海を知らず。されど井の中を知る。大海の鯨、大海を知る。されど、井の中を知らず」
 はて、どういう意味かと考え始めた矢先に二人のテーブルに客人が現れた。
「やっほー♪ 昨日はよく眠れた?」
 やってくるのは魔術研のギリアム・加藤部長。豪徳寺艦長。そして、彼の手で丁重に運ばれてきたノートPCの画面の中の亜里音オク生徒会長だった。ボーカロイドの生徒会長だ。女子制服を着たライムグリーンのツインテールのCGがキャピキャピと笑っている。今は放課後になったばかりなのだ。
「午前中は相手にしてあげられなくてゴメンね☆」
「いえ。しかし、生徒会長は最新のコンピュータプログラムなのですから、マルチタスクでキャラを二つに分けて、授業用とわたくし達への応対用と同時対応出来るのではないですか」
「うーん。それも出来るけど、一応、キャラとしてはシングルでいないとね。オクはあくまでも亜里音オクという一人のアイドルだから」
 クラインの質問にオクが答える。
「しかし転入試験の時、スタンドアローンPCに分離した人格を受験させたという話をうかがいましたが」
「ああ、ネットを使ったカンニング防止にね。それは特別。後で回収して経験を統合したし」
 電子時代のクラインとオクの会話を、マニフィカは異世界の知識に触れるつもりで聴いていた。内容を完全理解したわけではないが流れでどの様な事をクラインが問題にしているかは解る。
 自分が羅李朋学園と同様、このオトギイズム国とは別の世界である『ウォーターワールド』の『ネプチュニア連邦王国』第九王女である事を既に自己紹介しているマニフィカは、二つの為政者から派遣されたという特殊な政治的立場にいる。
 リュリュミア嬢(PC0015)と共にスカイホエールに招かれたマニフィカは、この飛行船がアクシデントでこのオトギイズム王国へ出現したと説明を受けていた。
 王国のパッカード・トンデモハット国王が、国民がこの事態を不安視する声を無視出来ず、自分達を差し向けて直接的なコンタクトを試みようとしたという意図も既に生徒会長に伝えてある。
「ともかく現状、この様な非常事態に直面し、生徒達は動揺しているはずですわ」とマニフィカ。「オトギイズム王国と『竜宮』という二つの政府も、微力ながら巨大学園都市の安定化に寄与すべく協力を惜しまないはずですございますわ」
 そう言いながらマニフィカは自分が言うほど、この羅李朋学園の生徒達が動揺していない事を感じていた。
 圧倒的な熱気で学園生活を満喫する彼、彼女達は外部に対しては無関心という印象を受けている。もっと積極的に自分達がやってきたこの異世界に興味を向けてもいいのではないだろうか。どうもありあまっている熱血や青春はこの巨大飛行船内の学園で完結している風である。
 考えるにこの学園内に流れている不穏な空気があるとすれば、それは『偶像崇拝禁止教団=グスキキ』のテロリズムと、異世界に来た事で資金源を断たれ、もうすぐ予算を使い果たしてしまいそうな『ベーシックインカム=最低生活保障金』の心配だった。
 ベーシックインカムはこの船内を収支が巡るだけであればプラマイゼロでいいと思えるかもしれない。しかし、長期デフレ状態に陥るのならば経済成長が致命的なほどに緩慢になるし、外部から飛行船修理等の資材費用を調達したりするのならば、資金が外部へ流出するだけだ。
 学園は外貨を獲得する必要がある、とこれはクラインも共通した経営的な思惑だった。「金を世間に回らせる」意味に彼女は気づいていた。
「ここに学天即はいらっしゃるかしら」
「お呼びですか」
 クラインの呼びかけにオクを映し出しているPCが感情のない機械音声で応えた。
 彼女にとって羅李朋学園は非常に興味深い対象だが、一番はやはり学天即だった。
 クラインは学天即には自我がないと思っている。
 しかしそのAIには拭えない不審があった。
「グスキキの存在はアシモフコード第一条に反すると思いますが、学天即としてはどのような対処をするつもりなのかしら。学園生徒に危害が出るような活動はしないという事でよろしいですわよね」
「現在のグスキキへの敵対は、第一条『羅李朋学園生徒に対する危険を看過する事によって、生徒に危害を及ぼしてはならない』によるものです。グスキキへの直接攻撃、排除は『学園総選挙』による多数決で決定され、その組織、構成員は『学園生徒の保護』から除外されました。必要ならばグスキキに対して危害を及ぼせる事は学園生徒の意思として許可されています」
「グスキキは第一条の範囲外になったのですか」
「はい。羅李朋アシモフコードが現実にそぐわないのではないかという状況になった時、学生総選挙、もしくは生徒会長、もしくは艦長の命令が優先されます」
 ふむ、とチャイナドレスのクラインはうなずいた。
 直接民主主義の僕は、必要であれば自分の存在意義より学園生徒の多数決を尊重するのだ。
 実はクラインにはスカイホエールがこのオトギイズム世界に出現した事故の原因は、学天即にあるのではないかという疑念があった。だが、もし、この事故(事件)の裏に黒幕、干渉者がいるとすれば、その第一候補は学園生徒全員という事になる。それはさすがに素直に受け取れない。
 クラインは質問を変えた。
「学天即、あなたと亜里音オクは同一の存在とも言えるのかしら」
 一秒の沈黙があった。「質問の意図を掴みかねます。名だけが違う全く同じ存在という意味ならば違います。私、学天即はマザーコンピュータの役割として並列されたスーパーコンピュータ群のメインプログラムです。亜里音オクは私とイントラネットで接続されたコンピュータ部所有のスーパーコンピュータ内部にある自我を持つプログラム人格です。関係を言えば、本体と支部、幹と枝に咲く花の様なものでしょうか。また、私は公共データとして公開されているオクの情報を把握出来ますが、プライベートについては干渉出来ないはずです」
 何かふと、不確かな違和感をクラインは感じた。
「人格が違う、というのかしら」
「違います」
「そーそー、違う違う。学天即と自我を持ったオクが同一のわけないじゃん☆」
 感情のある声で、学天即と同じPC端末からボーカロイドの生徒会長が全否定した。
「ところで豪徳寺艦長」新たにオクの同行者に質問したのはマニフィカだった。「あなたはこの飛行船の様な空の乗り物の乗員というよりは『海の男』という雰囲気がするのですが、それはあなたが『艦長』と呼ばれる事を好むのと関係があるのでしょうか」
「うむ。俺はこう見えてもスカイホエールに乗る前は、護衛艦の艦長だったんだ」水兵服に似た制服の豪徳寺轟一が答える。
「護衛艦という事は自衛隊ですか?」とクライン。
「ああ、そうだ。このスカイホエールの艦長にふさわしいと羅大人に乞われてな」」
「と、すると空より海の方に詳しいのでは」とマニフィカ。
「そうかもしれんが、今は立派に空の男さ。スカイホエールの艦長として誰よりもふさわしいと自負している」
 並の男なら照れながら言いそうな言葉を、豪徳寺艦長は胸を張って言い切った。
「加藤部長はこのスカイホエールに詳しいのですか」クラインはギリアム・加藤へと質問を振った。
「まあな。こう見えても魔術研究会はその前身から羅大人と縁が深く、このスカイホエールには建造計画から関わっておる」羅大人とは羅李朋の尊称だ。
「建造からですか」
「そうじゃ」一見、陽にあたるのが足りない老人に見えるギリアムが実は二十五歳だという事を、クラインもマニフィカも知っていた。羅李朋学園は今年、創立三十周年だというから学園創立時にはいなかった事になる。
「部長から見て『デザイン原理』だというオトギイズム世界の魔法ルールはどう思われますか」マニフィカは質問した。
「ふむ、そうじゃな。らしくあるものはそれらしい、という事は魔術としてもあるものじゃが、この世界のそれは更に極端になったものの様じゃな。例えば『速そうに見える物はより速い』。普通は速そうに見える物というと流線型を思い浮かべるだろうが、流線型自体、科学的にもスピードを出すのに合理的な形じゃ。つまりは『理の当然が力を持ち、人の理想と合致する』という事じゃ。人の理想、ここが重要じゃな。量子論で言う『人間原理』が深く関わっておるかもしれんな」
「魔導士が科学を語られますか」
「科学もオカルトも元は世界の原理を解き明かし、操ろうとする業が源流じゃ。科学は知識を広く知らしめ共有する事を選び、オカルトは知識を秘匿し護り伝える事を選んだというのが最大の違いじゃろうか」
「魔術研がスカイホエールと因縁が深いのだそうですが」クラインは見比べる様にギリアムと豪徳寺艦長の二人を見つめた。「どうでしょう、部長、艦長。スカイホエールの気室を調べる許可をいただけないでしょうか」
 その言葉を聞いた瞬間、ギリアムの顔色がより白くなった。
 その魔術研部長の反応は豪徳寺艦長にも新鮮な様だった。
 オクも一瞬、フリーズしたぎこちなさを見せる。
「どうなさいました。気室を爆破された時の状況はまるで可燃性の気体が入っていた様だと聞きましたが、スカイホエールに封入されているのは不燃性のヘリウムのはず。その矛盾を暴く為にも気室の調査許可を」
「スカイホエールに積まれたヘリウムの精製、管理は我我、魔術研や錬金術研が深く関わっておる!」ギリアムが突き放つ様に叫んだ。「グスキキの騒ぎの事もある。門外漢を容易に気室に近づけるわけにはいかん」
「それでは事故の爆発時におかしな魔力の反応があったようですが、ギリアムさんには心あたりはありますかしら」
「魔力の反応? 何の事じゃ」
 その時、電子音のアラームがノートPCから響き渡った。
「緊急呼び出しです」学天即の合成音声。「生徒会長、艦長、部長。直接訪問の緊急案件が入っています。至急、生徒会長室に集合して下さい」
「あー☆ そーゆー事だからこの話はこの辺で。夕食の時にまた会いましょう〜♪」歌う様な調子でオクの姿がノートPCの画面から消えた。生徒会長室にある端末へインタフェースが切り替わったのだろう。
「わしらも急がんとな。行くぞ、豪徳寺艦長」
「あ、ああ。すまん、わしは行くが皆はゆっくりくつろいでくれ」
 ギリアムが豪徳寺艦長を急かし、マニフィカとクラインへの別れの挨拶も早早に迎賓スペースから去っていった。
 ふかふかの絨毯が敷かれた廊下から去った二人の背中を見送った時、この部屋の天井にあるスピーカーから学天即の合成音声が聞こえた。「私ならマルチタスクであなた方の応対も出来ます。何かご入用は」
「……あなたなら気室への調査許可を出してくれるのかしら」
「その権限は私にはありません。生徒会長か、艦長に許可を求めて下さい」
 無感動な学天即の言葉にクラインはこの件をあきらめる事にした。少なくとも今は。パッカード王に報告書を送付する事を優先した方がいいだろう。学園との主な取引内容を伝え、また、何か問題が発生した場合には、こちらの会社にて責任を取るように行動する事を改めて連絡しておくのだ。
 マニフィカは思い出した様に再びティーカップに唇をつけたが、紅茶はすっかりぬるくなり渋みを増していた。

★★★
 顔が赤くなっているのが自分で解る。
 薄いドアの前でしゃがみこみながら「自分もHする時はこんな声を出す様になるのかな」などと姫柳未来(PC0023)は考えていた。
「……終わった?」
 中の声と物音が止んでしばらくして、未来は部屋の中に声をかけた。
「ちょっと待ってぇ」中から未来と同じくらいの年の女性の声が聞こえる。「今から脱いで、シャワー浴びて、それからまた着るから」
 部屋の中では近くの水道管から勝手に水を引いた簡易シャワーの音がし、そしてやはりしばらくしてからドアが開く。
「お待たせー」
 羅李朋学園の改造制服を着た黒ギャルが出てきて、未来に声をかけた。制服は幾らかしわくちゃになっている。
「一応、言っておくとだな……」火のついた煙草をくわえながら、鷺洲数雄はやはりしわくちゃの薄汚れたワイシャツのネクタイを直しながら出てくる。「私だって四六時中、こんな事ばかり考えてるわけじゃないんだ。金だって、近所のコンピュータや機械の直しをして稼いで、生活のやりくりをしながらやっとまとまった資金が出来て……」
「言い訳うざー」黒ギャルがポケットから取り出したフーセンガムを噛む。
 未来は『五月雨いのり』と名乗った裏・性愛文化研の黒ギャルとすっかり意気投合していた。
「お疲れー」と未来はいのりに声をかける。
「あ、これ、言われてたのを持ってきたから」いのりが未来にハンガーにかけられた羅李朋学園の制服を渡した。改造されていない正式の奴で、店の使い古された備品だから、ただであげてもいいと言う。
「あざまる水産! 私のスカート丈も結構攻めてる方だと思ってたけど……あんたの制服、マジでヤバいよね」
「あざまる水産コピー。あんただってなかなかじゃん。それ、何処の制服?」
 いのりと未来がテンションあげみざわに話を弾ませていると、煙草を半分まで灰にした鷺洲がもうもうとした紫煙の中で苦虫を噛み潰した様な顔を突っ込んだ。
「私としては用事がすんだら帰ってくれると嬉しいんだが……」
「りょ。でもウツワが小さな男はモテないよー。草」
 客を怒らせるのも慣れた様子でいのりはフーセンガムを膨らませながらこの掘立小屋から出ていこうとする。
「そー言えば、いのりが所属してる部活は裏・生徒愛の科学研だよね。裏って事は表もあるわけ?」
「裏じゃないとヤクザ・任侠研とつるんでエンコーなんかしないかんね。表は不健全なんだけど健全なんだわ、ジーマーで」
 いのりは外で待ってるチンピラ風の生徒と一緒に地下通廊を帰っていった。通い慣れた道でも一応護衛が要るのがこの『地下下水網』というアンダーグラウンドだ。
「こんな事してて警察……ここじゃ学園警察だっけ、に捕まらないの?」今さらながら未来は数雄に訊く。
「ここじゃ学園警察は治安の維持が第一目的だからな。犯罪や事故も治安を乱すものとして処理するがこういう事にはあまり手を出さない」
「治安が悪いんだ」
「特に悪くはないな。……グスキキは例外だが。学園警察は警察と軍隊を兼ねた様なものだ。犯罪捜査は滅多に扱わない」
「じゃあ、普通の事件はどうやって捜査してるの」
「捜査をするのは探偵部や科学部の鑑識有志がメインだな。逮捕は学園警察の仕事だが」
 未来は羅李朋学園に関する情報のほぼ全てを数雄といのりから得ている。
 お返しにとばかりに未来はこのオトギイズム王国の知識を数雄に提供している。
 現在、スカイホエールがオトギイズム王国という世界にいる事。
 ここではデザインが力になるという事。
 おとぎ話の登場人物達が実在している事、等等。
「誰はそんな嘘を信じるものか。お前は私にそういうデマを流して何か利益を得ようとする、スパイ研か何処かの諜報員か」
 数雄は最初はそう言って頑なに信じなかったが、未来がこのオトギイズム王国での冒険の実体験を話して聞かせ続けると、渋渋といった感じで真実を受け入れる様になっていった。
「そう言えば」未来は煙草のヤニで汚れた鏡の前で、羅李朋学園制服をハンガーにかけたまま、自分のプロポーションの前にかざしながら数雄に問いかけた。「前に『自分はこの学園の秘密を暴いた』って言ってたけど、それってどうゆう事なの」
 ム、と鏡に写る数雄の顔が険しくなった。
「やっぱりお前はこの私からその秘密を聞き出そうとするグスキキの……!」
「ハイハイ、そーゆーのもういいから。話が先に続かなくなるから!」
「……フムン」数雄は唸った。何だかんだ言って、未来は彼の信頼を得ているのだ。「お前が知ったところでどうにかなるわけではないんだが」
「ハイハイ。で、秘密って?」
 未来のその言葉を聞いて、数雄がゴミだらけの床を歩き出した。
 散らかった紙の中にあるスタンドアローンのPCの置かれたテーブルの前に行き、椅子には座らずに電源の入っているPCのキーボードを素早く叩き始めた。
 液晶ディスプレイに映ったウインドウが幾つか開き、パスワードを打ち込まれて暗号化されたファイルが開く。
 それは計算アプリのグラフ化された映像だった。
 未来も近づいてそれを覗き込む。
「これが公開されているデータ等を総合して割り出したこのスカイホエールの総重量だ。そして、これが同じくスカイホエールの気嚢に入っているはずの全てのヘリウムの生む浮力。その直交座標系だ」
 X軸とY軸が描かれた画面でグラフが0から左上へと角度を持って青い線、ベクトルが直線で伸びる。しかし、それはY軸のある座標に描かれた赤い水平線を越えるには低すぎた。
「これがどういう事か解るか」
「えーと……解りません」
 一つ息を吸い込んだ後、数雄の表情が険しくなった。「飛ばないんだよ! このスカイホエールを浮かばせるには、この機体に詰め込めるだけのヘリウムでは不足なんだ!」
「計算が間違ってるんじゃないの。だって、この飛行船は現に浮かんでるし」
「誤差の範囲は考えられるだけ許容した! それでも結果は変わらない! このスカイホエールは浮かばないはずなんだ! それなのに実際は浮かんでいるんだ!」
 未来は混乱した。計算と現実が違うというなら、計算が間違っていると考えるのが自然だろう。
 しかし鷺洲数雄は自分の計算に絶対の自信を持っている様だ。
(すいへーりーべー……)
 未来は自分が憶えている(といっても最初だけ)原子の周期表を必死に思い出した。
「……全部、水素だったら浮くとか……」
「その可能性も計算した! 機体の形状による揚力効果も考慮に入れた! だが、それでも駄目なんだ! この飛行船は決定的に浮かないんだ! 重すぎるんだよ!」
 完全に確信している数雄の眼は狂気に近いと思えた。しかし、それは狂気ではない。似合わぬ熱気なのだ。
 未来は考えた。自分の様な超能力者が飛行船を浮かべていると考えたら、どうだろう?
 いや、そんな力を持つ者が何人いたとしても、この重そうな飛行船を常に浮かべ続けるというのは無理な相談だろう。
 では、どういう事か。
 未来は数雄の表情を見つめた。
「学園警察が私を捕まえようとしたのは、まさしくこの謎のせいだろう! 私は禁断の秘密を知ってしまったのだ! 羅李朋学園のPCは全て、学園が生徒に提供した物だ! きっと全部のPCに学園警察が監視出来るバックドアが仕掛けられているに違いない! だから私はこの地下下水網で部品を集めて自分だけのこのPCを作り、ネットにつながないで動くようにしたのだ! ……ああ、私はこの禁断の秘密をどうしたらいいのだ!?」
 眼前で数雄の独演が続く。
 しかし、未来は自分に教えられたその秘密をどうしたらいいのか解らなかった。彼女もそれを何処に持っていきようがないのだ。ただ、要らぬ面倒に巻き込まれたらしいというのだけは確信した。
「あの学天即め! あいつもグルに違いない! 公共情報だけを調査出来ると言いながら、きっとエシュロンみたいにあらゆるプライベートデータまで覗き見してるんだ! あのデバガメめ! だからコンピュータに社会管理なんか任せちゃいけないんだ! 誰が監視役を監視するというのか!」
 勝手にエキサイトする数雄の背後で、未来は書類を踏みながら(ここには長居しない方がいいなー。とにかく地上へ出なくちゃ)と考えていた。
 それにはこのダンジョンを解明する必要がありそうだが。
 そうだ、と思い出して、トランプを取り出した。トランプ占いは複雑なダンジョン攻略は向かないかもしれないが、未来の探検にどんな運命が待っているかはつかめるだろう。
 床の紙束をどかしてカードを並べるスペースを作る。
 一枚ずつ配置していく内にそれは一つの未来シミュレーションとなる情報を生み出した。
 『危難に巻き込まれる』。

★★★
 銀青色の機体表面を撫でる様に吹き抜ける潮風が轟いていた。
 全長三千mの巨体にたった一粒の粟の如き緑色の女性。
 光合成淑女である竜宮の使者リュリュミアは、この光発電パネルが光を電気エネルギーに変えていると聞いて以来、並みならぬ親近感を抱いていた。
 強い潮風。
 数えきれないカモメが周囲を舞っている。
 普通なら黄色いタンポポ色の帽子が風に飛んでもおかしくなかったが、この帽子はリュリュミアの身体の一部なのだ。若草色のワンピースは肢体に撒きつく様に彼女のボディラインを強調する。
 リュリュミアは自分の掌中からのばした『ブルーローズ』の蔓をアンテナ等にしっかり巻きつけて、風に飛ばされない様にしながら巨大な気嚢表面を登っていく。
 パネルの隙間にアンテナや発光器、小整流翼、機銃が点在している。幸い、機銃は射角の関係からスカイホエールの表面に張りついた彼女を射撃不可能なようだった。
 光発電パネルの反射が眩しい。
「やっぱり本物の太陽の光は気持ちいいわねぇ」
 登攀の最中にそんな言葉を漏らす。
 今日の午前中は彼女はスカイホエール内部にいたのだ。
 思ったより緑が多いここは、安らぎのあるぬるま湯のオアシスではないかと最初は感じた。
 だが羅李朋学園内では何処に行っても彼女達『冒険者』は注目の的だった。
 昼休みになり、どう見ても学生から浮いている彼女は巨大な学生食堂に入っても、食事の最中に手を止めた何千人もの生徒達から無遠慮にスマホやPCパッドで撮影されまくった。
「今日は天津飯シリーズが二割引なのねぇ」
 和洋中アフリカ東南アジア等等、カップラーメンやセレブ向け豪華フルーツサンドスペシャルまで何百という品名が並んだメニューの大看板を見上げている時も、ぶしつけな撮影は止まなかった。
 こう撮影されまくっては食事をする雰囲気ではない。
 そこで学食を出て、市電で商店街や繁華街に出向いたが状況は変わらなかった。三ツ星っぽいレストランでもファストフード店でも屋台が連なるガード下のトンネルでも、学生達は食事や順番待ちの行列の最中でもスマホで撮影し、ネットに上げようと大騒ぎするのだ。ある時は店員も同じ騒ぎに便乗していた。
 さすがマイペースで生きているリュリュミアでもうんざりしてくる。
 気分転換したい。
 そう思った。
 それにこの飛行船と『時の結界』の関係性を調べなくては。その為にこの船に来たのだ。
「えぇいっ」
 彼女は突然『睡眠花粉』を噴出し、その色薄い霧の中に隠れた。これによって周囲の十名ほどが突発的睡眠に捕らわれて倒れ、思わぬ事態に群衆は軽いパニックになった。
 その隙にリュリュミアはそこから抜け出す。
 近くにあった天井まで伸びてそれを支える構造体にもなっている巨大病院へこっそり入り、エレベータで天井付近でベランダと化している張り出しに出て、そこからブルーローズの蔓を伸ばして天井へと一人登った。
 羅李朋学園の天井というのは人工の空だ。
 視界一杯に広がるそれへと張りついたリュリュミアは投影された青空をくぐりぬけ、無数の投影機のある機械剥き出しの天井でハッチを見つけ、天井と外壁の間の大きな気室がはめ込まれた隔壁にある梯子を登ったのだ。
「中に風船がたくさん入ってて浮いてるんですよねぇ。この風船があったらリュリュミアも高く飛べるんですかねぇ。ちょっと欲しいかなぁ」
 比重の軽い気体が満載されているはずの気室隔壁の長い梯子を登りながら独り言。
 外壁のハッチを開けるとカモメ舞う外の強い風を全身に浴びた。
 外側に見渡す限りに配列されているスカイホエールの『鱗』を見て「つるつるのかちかちだぁ」と彼女は思った。本物の鯨の様な生物感はない。
 ここには自然の太陽光があった。それだけで満足だ。
 風に吹かれながら、リュリュミアは蔓をあちこちに巻きつけながら外壁を登った。
 それはより太陽に近づこうとする本能のままの行動だった。
 登りながらその頂きにもう少しという所まで来た時、ふと自分が手を置いた外壁の部分に回して開ける様な小さなハンドルがはめ込まれているのに気がついた。
「えーと『めいんてなんすはっち ごひゃくさんじゅうはち きんきゅうじ ないぞうきたいはいしゅつ』?」
 そこまでハンドルの横の文字を読んだ瞬間、一機のヘリコプターが突然、騒音を響かせながら下から上昇し、リュリュミアの高度で急停止した。二十mほどの距離を置いてホバリングしながらサイドハッチを開ける。。
「リュリュミアさん。ただちにそこを降りて、スカイホエール内に戻って下さい。気嚢の外側にいるのは危険です」
 スピーカーが大音量で叫ぶ。彼女の名前を知っているヘリコプターの乗組員は学園警察の人間だった。ヘルメットをかぶった彼らは、ハッチを開けた内部から小銃の列で狙いをつけている。
「あららぁ」
 カモメが逃げ惑う。
 どうやらリュリュミアの探検はここで終わりの様だ。

★★★
 3DCGで再現されたグスキキのリーダー、アル・ハサンの全身像がノートPCの画面でクルクル回っていた。
 二十歳ほどのスマートな浅黒い肌でウェーブのかかった黒髪。資料は学園在籍当時の物なので羅李朋学園の制服を着ている。
 現在は皆が侵入している地下下水網の何処かにアジトを作って潜伏しているはずだ。
 これからアルとグスキキを追い立てようとする者達はほとんどが実銃で武装していた。
 学園警察。警察犬。
 探検部。
 狩猟部。
 サバイバルゲーム部。
 アイドル研。
 アニメ研。
 コンピュータ研。ドローン。
 科学研・鑑識班。
 保健委員会。
 灰色を基調とした都市迷彩服。
 二百人近い混成班が各部隊に分かれて、非常灯に照らされた薄暗い地下迷宮をヘッドライトの強烈な光でえぐりながら、濡れた足元をジャングルブーツで踏み進んでいく。
 先行させた九つのエア・ドローンのカメラから映像を受信して、マップを予測して既成地図との相違点を洗い出していく。やはり内部はかなりの違法改築を受けている様だ。
「ここは『エイリアン2』か、はたまた『アリゲーター』か……」
 手元のパッドのマルチ画面を見つめる映画ファンらしき探検部部員が呟く。画面では時折、大きめのドブネズミが壁や天井の配線や配管を伝って逃げていく。
 時折、中継器を置いて地上との無線回線を確保する。
「なんやワカランけど、ごっつオモロなりそな気がしてるで。ボクの勘はピカイチやからな、ホンマに」
 『安全ヘルメット』をかぶったビリー・クェンデス(PC0096)は『伝説のハリセン」をしごきながら、前衛と後衛に守られた保健委員の面面と行動する。
 グスキキの破壊活動は洒落にならないと、ビリーは感じていた。
 神様見習いという立場からも、宗教原理主義者の極端に排他的な独善性は忌避感を覚える。
 首魁アル・ハサンの逮捕に協力を惜しむつもりはなかった。
 だが、おそらくヒトとは、善と悪が適度に入り混じった存在だ。そのバランスが崩れる事もある。
 今まで「善悪とは何か?」という命題に悩んできたビリーは、最近になって特にそう思えるようになった。
 それは羅李朋学園の代表者達との無事にファースト・コンタクトの最中、ポケットの『鱗型のアミュレット』が幾度も振動を止めた時から気になっているのだ。何か隠したい事があると、ついヒトは嘘をついてしまう。それはこのオトギイズム世界であっても同じだ。善人なら嘘をつかない、というわけでは決してない事をビリーはもう理解している。
 羅李朋アシモフコードの説明は受けたが、それほど善悪のロジックは単純明快なものだろうか。
「なあ。人工知性にも『善悪』という価値観はあるん?」
 画面に味方各人の呼吸、心音等のモニタリングを映し出している保健委員のPCにビリーは語りかけた。
「道徳的、倫理的、法的な規範と前例に従った善悪の基準はあります」
 PCのスピーカーから学天即が合成音声で返答した。
「うーむ。『知識』『法則』で善悪を判断してるんやなあ」
 ビリーが唸っていると、『レッドクロス』を着てローラーブレードに滑り止めのラバーソールを履かせたアンナ・ラクシミリア(PC0046)はそのPCを持ち上げて、直接語り掛けた。
「オクさん、いますわよね」
「いるよー♪」
 PCのヘルスモニタリング画面が左下にワイプアウトして、代わりにオク生徒会長の上半身がアップになったウインドウが立ち上がった。
「アル・ハサンという人物も元は羅李朋学園の生徒ですわよね。最初からテロリストだったわけではないのでしょう。彼がテロリストとしてグスキキを興したきっかけは何なのでしょうか」
「アル・ハサンねえ。思想的な意味では彼は入学前から過激思想の持ち主だったわ。グスキキの基本となる思想は最初から持ってたのよ。しかし羅李朋学園では信教の自由は認められてるからねえ。本格的なテロリズムに走ったのは入学以降よ。けどねー、当時は『スタンド』は肯定されてなくって、彼の『テレパシー・ネットワーク』は謎で、その脅威が認められるのはずっと後の事だったの。それから彼は持ち前のカリスマとスタンド能力を持って、賛同者と共に速やかにグスキキを結成、活動を開始したのよ」
「計算外の事でした」
 アンナに対するオクの返答の最後に、学天即が平坦な一語を言い添える。
「また、この羅李朋学園は」とアンナ。「学園をうたっていますが、人材育成が目的なのではないのでしょうか」
「実験的意向が強く、大人数ですが基本的には単なる高校です。羅大人の願望である直接性民主主義の大規模実験学園都市」と学天即の声。
「人は好き勝手出来る環境と後押しがあれば、意外と才能が育ってしまうものなのよ。『身の丈に合わせた』という世迷い事なんか突き抜けて」画面のオクがうんうんとうなずきながら語る。
「では直接民主主義と言いますが、羅李朋氏の意思や方針は影響があるのではないのですか」とアンナ。
「それはあるわよ。羅李朋自身は民主主義者だけど、データによれば社会主義への憧れがあるんじゃないかと思えるのよ。ただ、それはマルクスが言ってたみたいな資本主義の発達で自然に生まれる社会主義で、武力革命や一党独裁や侵略で強制的に切り替わる社会主義じゃないと思うわ」
「社会主義ですか」オクの返答にアンナは驚いた。「社会主義と民主主義が両立するのですか」
「その為に私を製造したのではないかと思われます」それに答えたのは学園のマザーコンピュータたる学天即だった。「私の管理のもとに万民を平等とし、私のさらに上位である総選挙権を万民に分配した社会システム。それが羅李朋学園です」
 なんというか、アンナは反論する気を失った、これは荒唐無稽と呼ぶべきものだろうか。
 しかし羅李朋学園はここに実在する。
 そのアンナ達の会話を聞きながら、ビリーはそもそも羅李朋学園という特殊な閉鎖社会にグスキキみたいな組織が存在出来る根本原因は何だろう、と考えていた。
「羅李朋学園みたいな狭い社会で、グスキキみたいな変なんが存在出来るのって何でなん?」
「質問の意味を解りかねます」
「グスキキみたいな嫌われもんがどうして学園で活動し続けられるんや?」
「共感者が多いからでしょう。論理的でなくても彼を支持する者は総生徒数に比して多いのでしょう」
「一言で言えば『宗教』だからよ。隠れ信者は多いのね。信者と反信者は根深いわ。このわたしにだってアンチファンはいるのよ」
 不完全な答かもしれないが、学天即とオクは言い切った。
 何処か計算機械的なクールさをビリーは感じ取る。
 徹底的な偶像廃止など支持する人間は少ないだろうと思っていたが、結構多いらしい。分母が大きいせいもあるか。どうやらグスキキには福の神見習いによく解らない独自の善悪の基準がある。そして、それに共感する者にも。
 ちなみにここまで『竜の鱗』の振動止む事なし、とビリーはポケット中の手を確かめている。
 そんな人工知性との会談をビリーとアンナ達がしている内に、地下下水網捜索部隊はダンジョンの相当奥深くまで進んでいた。
 途中、三つの大きな分岐があり、それぞれに部隊を配し、今、彼らと一緒にいる人数は三分の一ほどに減っていた。
 地下通廊は上り坂になったり、滝になったりし、ゴキブリの変異体が作ったスズメバチの様な大きな巣を火炎放射器で燃やしたりしながら小隊は進んでいく。
 ここではGPSは役に立たない。そもそもこのオトギイズム王国にはナビ衛星がないのだ。
 と、ドローンからの映像を映していた画面の一つがふいにブラックアウトした。
「第二小隊から戦闘中との緊急連絡! 巨大な白いカバの群と交戦中!」
「カバは猛獣だ! 十分に気をつけさせろ!」
 何処か遠くから間断ない銃撃音が小さな反響として聞こえる。
 と、この第一小隊に先行するエア・ドローンが三機一斉に落ちた。
 ドローンは墜落の一瞬前に、天井に貼りついていた人型の巨人が素早く降りてきた画像を送ってきていた。
「人型。身長約四m」
 画像データを読み上げるより早く、その人型の敵は小隊前方へ走って現れた。
 まるででたらめなパーツを組み合わせた人型ロボットの如く、様様なAI家電を寄せ集めた歪つなプロポーションには所所に電子レンジが付属していた。
 薄暗い迷宮で小隊に向けて蓋が開けられた電子レンジが赤く光る。
「ECM確に……ッザザ……ECCM発ど……ザ……ECCCM……ECCCCM……電子制御掌握。電子機器、正常に使用可能」マイクロウェーブ放射による電子機器攪乱を学天即が乗り越えた。電子戦闘はこちらの勝利だ。
「全く健康に悪いわね」
 電子制御のバイザーをかぶったサバゲ部の少女が実銃を射撃しながら愚痴る。
 第一小隊の一斉射撃がその人型家電ロボに適格なダメージを与える。火花が散る。敵は拳に並べられたミキサーの剥き出しの刃を回転させながら大パンチを見舞おうとする。当たれば痛いが、緩慢な動きをこちらは見切って回避する。
 ラバーソールを外して滑走するアンナ。モップの一撃が敵の連続パンチを反らした直後、突撃小銃の一斉射が電子レンジを破壊し、膝関節を存分に撃ち砕き、野良AIロボを下水道のコンクリートの床に倒れ伏させた。ミキサーの回転も止まる。
 動かないロボに念押しの数発が撃ち込まれる。
「捨てられたAIが一ケ所に集まって統一個性が自己発生して、まるで一人のロボットの様になったのね」
 エア・ドローンは全て復活し、そこからの映像を確認してオクが一人ごちる。
 ひとしきり隊員達がスマホで自撮りの記念写真をした後、破壊されたロボを置き去り、更に第一小隊は暗い洞である地下下水網を前進した。

★★★
 この薄暗い地下下水網でも住人は割といるのだ。
 その色素の薄いほぼ全員が不法滞在者であり、壁や天井に這った配管や電線からエネルギーを横取りして生きている。面白い事にここでは拾われたゴミが通貨の役割をしているのだ。
 羅李朋学園の制服を着た未来は、この地下下水網から脱出すべくさまよっていた。
「せっかくだから、わたしはこの赤い扉を選ぶわ」
 未来はこれで幾度目だろうかという隔壁のドアを開けた。
 基本的には上をめざせばいいというのは解っている。
 しかし梯子を登ってもそれは何処にも行きついてなかったり、登り坂はやがて下る汚水川になってしまったり、と常識が通じない迷宮なのだ。スライムとキノコを合わせた様な怪物と戦わなければいかない時もあった。
 午前中をそんな徒労に費やしたりとしている内に、螺旋にねじれた通廊の奥で未来は耳慣れない音が遠くから響ているのに気がついた。
 TVや映画やネット動画でしか聞いた事のない音。
 銃撃。射撃音だ。
 しかも激しく交戦している事を複数の射撃音が示している。
 薄暗闇の中を慎重に歩きながら近づいていくと、開けた場所が通路の先にあり、薄暗いそこで無数のオレンジ色の火箭が飛び交っていた。
「メディーック!」
 遮蔽物に隠れていても腕を撃ち抜かれたコンピュータ研の隊員の傍にいた狩猟部の男が、野戦看護婦の姿をした保健委員会の女子を呼びつける。
 ドローンを先行させて奇襲を避けていたつもりなのに、そのドローンを先に見つけられて撤退に移るグスキキに対して追撃戦を仕掛ける事になった地下下水網捜索班第一小隊は、待ち伏せられた形で苦戦していた。
「右へ回れ!」
「狙撃されます!」
「第二、第三小隊はまだ来ないのか!」
「両方ともあと三分待ってくれ、と言ってます!」
「射撃を集中させた方がよくないか」
「自分の判断で行動しろ!」
「そのキレイな顔を吹っ飛ばしてやるぜ!」
「弾切れまで撃ちまくれぇ!」
 着弾音。火花。
 激しい銃撃の中、汚水処理槽がある二階吹き抜けの開けた空間で第一小隊は、遮蔽物となっている太いパイプ群に隠れながら散発的に突撃小銃で反撃していた。
 既に双方、何人も倒れ伏す者が出ているが、この戦闘のペースはグスキキのものだった。
「エライこっちゃー!」
 ビリーはハリセンから『サクラ印の手裏剣』に持ち替えたが、絶え間ない銃撃に投げつける隙が見つからない。
 レッドクロスの防御力を頼りに突撃敢行しようとしたアンナも迂闊に顔を出せない銃撃の雨だ。
 人種も性別も偏りのないテロリスト達が突撃小銃を撃ちまくる。銃弾切れの者が再装填する時は仲間がカバーする。連帯によどみはなかった。
「そや。そのドローンとかいう奴に細工出来へんか」
「何だ。爆弾を持たせてブッこませるのか」
「いや、違うん。ボクに考えがあるんや」
 隊長に対するビリーの提案の後、科学研の手によって改造されたエア・ドローンがグスキキの方へと素早く飛行していった。それはすぐに狙撃で撃墜されたが、ビリーの思惑通り、積まれたスピーカーと無線機はグスキキの方へと彼の声を響かせるに十分な距離まで近づいていた。
「やい! アル・ハサンとやら、そこにいるんやろ!!」
 射撃音に勝るビリーの大音声がスピーカーから響き渡った。
 少しだけグスキキの戦圧が弱まった。
 マイクを握ったビリーは叫ぶ。
「なんであんさんみたいのが学園で存在出来るんや!!」ビリーは自分の疑問を直接アルにぶつけた。「あんさん達みたいな嫌われもんがどうして学園で活動し続けられるんや?」
「俺達は正義だからだ!!」
 敵部隊の後方から声が響いてきた。ドローンのマイクは確かにアル・ハサンの声を拾った。白いノマド姿の男を横倒しになったカメラが確かに認めた。
「お前達は間違っている!! 邪悪な偶像は全て滅すべきである!! 人は神の似姿!! 神や人の写しなど作ってはいけない!! 皆は偶像など求めてはいけない!! 猿に似ている人も神に似ている人もない!! 人間は皆、平等だ!!」
 ビリーは信じられない事にその声に生得のカリスマを感じた。
 アンナはビリーの手からマイクを奪った。
「信仰は自由ですけど、人に押しつけてどうするというのですか!」
「お前達の宗教は間違っている!! 間違っている者はやがて己の間違いに気づいて、正しい信仰へ戻ってくる、という人間もいるが俺はそう思わない!!」ドローンのマイクと接続した小隊側のスピーカーが、アルの主張を吐き出す。「間違った信仰を抱いているだけで罪なのだ!! 改宗せぬ者は罪を抱いたまま死ななければならない!! 魂は唯一神の元へ行かなければ浄化されない!! 死は異教徒を救う手段なのだ!!」
「本当に全ての偶像を破壊、崇拝を禁止する事が出来ると信じているのですか!」
「現在、この世界で二番目に信者が多い宗教は何だか考えてみろ!! 既に国家規模でやっているんだ、幾つもの国がな!! 尤もTV画像やキャラクタービジネスはその範疇外だと甘い事をぬかしているが、俺の信じる神はそんな甘い事など許さない!! 徹底的にやる!! 夢は信じれば叶うんだ!! キリスト教徒も考えてみろ!! 中世のヨーロッパで何が起こったのかを!! あの暗黒時代を!! 宗教は人の歴史を作るんだ!!」
「それはあなたがいた『地球』の話でしょう! 大体、あなたがこの羅李朋学園に固執する理由は何ですの! 強制退学処分を受けたのなら、スカイホエールを降りるという選択肢もあったのでしょう! それが出来ないと言うなら拘束させていただきますわ!」
「強制退学処分など不当だ!! 最も尊ぶべきは唯一神の法だ!! 愚劣たるアイコンが統べるこの学園を改宗させずして、この船を降りる事など出来るものか!! 我が神は偶像の生徒会長、亜里音オクを必ず打ち滅ぼす!!」
「何が唯一神や!」福の神見習いのビリーはアンナとアルの議論に思いっきり口を挟んだ。アンナの質問に対するハサンの意思は竜の鱗で判断している。彼は『自分の信じるままの真実』を語っているのだ。「あんさんの狭い器量にはうんざりや! ぶぶ漬け食って、とっとと帰りや!」そこまで言ってビリーは、この男は何処へ帰るというのだろうと考えた。「ともかく、ぼくの眼が銀色の内にはあんさんの好き勝手にはさせたらん!
 その時、ビリーとアンナは見た。アル・ハサンと思しき男の背後に、人間大の金属の球体に一対の大翼を生やした様なデザインの『スタンド』が浮かび上がったのを。
「それがあんさんのスタンドか!」
「何! 我が『バビロン・ズー』が見えるのか!」
 アルが動揺したが、それでバビロン・ズーの作用に遅滞が生じたわけではなかった。
 グスキキのテロリスト達がまるで示し合わせていたかの様に一瞬の狂いもなく、全員一斉に遮蔽物の陰に身を伏せた。『テレパシー・ネットワーク』。同志だけがつながれる心の連携だ。
 一瞬で止んだ銃撃の中でアル・ハサンだけが身を起こしていた。そして担いだロケットランチャーを構える。
 小隊の銃撃はアルに集中したが、バビロン・ズーがその金属の翼で弾丸を全て跳ね返した。
 発射。ロケットは後方より高熱ガスを噴射しながら、同志の引っ込めた頭上すぐ上をまっすぐ飛翔する。
 ビリーとアンナが配管に隠れていた地点で炎を上げて爆発。身を切り裂く金属片が四方八方に飛び散った。それはビリーのかぶっていた安全ヘルメットを余裕で貫通する威力だった。
 だったが。
「未来さん!」
「未来! 何でここに!」
 爆発の炎と金属片は透明の力場によって遮られ、時間が凍結した如く宙に浮いていた。。
「危難に巻き込まれるってこの事だったのね。尤も二人を助けられて気分アゲ↑だしー」
 サイコキネシスで二人にバリアを張った姫柳未来は、羅李朋学園のスカートをひるがえして、戦場の頭上へ瞬間移動した。運動エネルギーを失った破片が音を立てて、鉄の床に落ちる。
「なんかよく解らないけれど修羅場よね。ビリーとアンナの方に加勢すればいいんでしょ」
「何だ、小娘! 異教徒の走狗か!」
「その羽根の生えた大きなボールみたいのが弾を弾いてるのね」
「お前も我がスタンドが見えるのか!」
 未来は空中から念動力デコピンを放った。
 するとスタンド、バビロン・ズーはそれが命中した様にのけぞり、連動してアルの身体も仰向けに倒れた。
「ええで! ええで!」
 アンナの前に立ってビリーが囃(はや)した時、後方から大勢の人間が集まってくるブーツの音が聞こえた。
「第二小隊、戦地到着しました!」
「第三小隊、遅参ご容赦!」
 到着した者達は素早く小銃斉射を開始する。
 戦友の合流によって、戦況はグスキキ圧倒的不利に一変した。
「援護お願いします!」
 駆けつけた者達によって倍増した火力を背にし、アンナは遮蔽物を跳び越えて、ローラーブレードで一気に滑走した。斜に構えたレッドクロスの肩アーマーで弾丸の火花が散る。
 敵陣地にとび込んだアンナは伸長したモップでグスキキ前衛の頭部に一打ずつ入れて、二人を昏倒させる。
「くそっ! これまでかっ!」
 アルがそう叫んだ瞬間、グスキキの全員が一糸乱れぬ動きを見せた。
 懐から小さな手榴弾を取り出すと、すぐ前方の床に向かって叩きつける。
「ッ!」
 フラッシュ・グレネード。アンナは一斉に起こった凄まじく眩しい輝きに視界を奪われた。
 それは地下下水網探索隊も同じだった。思わず、射撃が止む。
 更に天井のスプリンクラーから一斉に水が噴き出した。いや、この戦場の全員に降りかかったそれは水ではない。もうもうとした湯気を上げる熱湯だった。
「うわっちちちちちちちっ!」
 これは戦闘状況を中断させるにふさわしい熱と量だった。
 熱く白い湯気が立ち込める中で皆は灰色の影になる。
「スプリンクラーを止めろっ! ボイラーでもいい! 壊せっ!」
 突然の戦闘中断で皆は頭を手でかばいながら逃げ惑う。第一小隊隊長が必死に命令するが混乱は収まらない。
 未来は頭上でバリアの傘を作るも、混乱する状況に場所が解っているビリーとその周囲の数人をかばう事しか出来ない。
 二分ほどでスプリンクラーは止んだが、グスキキの残存十数人は眩光と湯気の陰に隠れて、全員撤退した後だった。勿論、アル・ハサンも消えている。熱湯は現場の血も洗い流していた。
「第三小隊は追撃しろ!」第一小隊隊長である学園警察官はグスキキ側の奥にあった開いている鉄扉を指さす。「他は負傷者を回収しろ! 犯人もだ!」
 野戦看護婦姿の保健委員会全員が走り出す。
 だが、その時、忌まわしいサプライズが起こった。
 負傷して倒れていたグスキキ全員が自爆したのだ。皆、手榴弾を持っていたらしい。炎を上げて爆発。ズタボロの死体になった。
「なんや! なんなんや!?」
 ビリーは信教の為に人間がためらわずに自爆するという光景に叫んだ。陽気なはずの福の神は、現実を呆然と凝視する。
 やがてアル・ハサンを含めたグスキキ残党の完全逃走が第三小隊から伝えられた。
 これが地下下水網探索隊の主目的終了の印となった。
 あと一歩と追いつめながら、逃走を許したのだ。
 敵味方共に多大なる死傷者を出し、クエストは終わった。
「未来さん」アンナは周囲があわただしくしている中でモップを短く収納状態にしながら、再会した友に近づいた「ご無事だったのですね。今まで何処にいたのでしょうか」
「そや。助けてくれて、おおきに。でもいつ、その羅李朋学園制服を手に入れたんや」とビリーも涙を拭いてやってくる。
「えーと」未来は眼線を反らして口笛を吹いた。「まあ、色色あってネ☆ あっち行って、こっち行って、色色ネ」とりあえずはごまかす事にした。あのキビキビと動いているのが学園警察という組織の一員だろう。もし、鷺洲数雄がここに潜伏している事を彼らに気取られれば、彼に危害が及ぶかも知れない。その心配をちょっとだけ未来は抱いた。一宿一飯の恩義は感じているのだ。
「オクさん、おる?」
「いるよー♪」
 ビリーの呼びかけに防水機能のあるPCの濡れた画面からCGアイドル、オクが答えた。
「あのアルっちゅーのはオクさんの事をこれからもしつこく追い続けるつもりやな」
「そーだね。オクがオクである限り。でも、オクは負けないよ。あいつをおびき出すプランも考えついたし」
「何ですの。そのプランって」とアンナ。
「それは本格的に準備が整うまでナイショね。ところで未来さんという人はビリーやアンナと友達なのかな。うちの制服着てるけど……エスパー?」
「あ、この制服は、えーと……」
 小隊達が薬莢を拾ったり、現場記録動画を撮影したりしている光景を背に、未来は言いよどむ。
「データによれば、彼女がこの学園に在籍している可能性はありません」PCから無機質な学天即の声。「船外カメラに彼女の接近映像があります。この時点では羅李朋学園の制服ではありません。無断侵入者です。学園警察に逮捕させて下さい」
「未来さんはわたくし達の仲間ですわ!」
「そうや。姫柳未来さんゆうて、頼れるJKや!」
 アンナとビリーは急いで彼女を擁護する。
「あなた達が全責任を持って、未来さんの安全性を保障するのね」オクがうんうんとうなずいた。「学天即、未来さんを最上級ゲストとして登録して。……ようこそ、姫柳未来さん。羅李朋学園へ♪」

★★★
 白い雲も浮かぶ、人工の青空。
 上蓋を開いた真珠貝の様な上部をした『プール付き体育館兼多目的ホール』の屋上は巨大なプールになっていて、吹き抜け三階分の深度がある。
 海パンの男子。ウエットスーツの女子。
 水面には各部活の縄張りを示す発光ブイがナイロンネットでつながり、水泳部はもとより、シンクロナイズドスイミング部、水球部、ボート部、ウィンドサーフィン部、ヨット研、ダイビング研等、スクール水着の部活がおのおの入り乱れている宝石箱になっていた。プール一部には波を起こすエリアや釣り船用フィッシングエリアもある。砂のお城を作れる砂浜等も。
 さて、この中に突然、千人近くの皆の心を魅きつけた姿がある。
 青い水面を割って飛沫と共に現れたのは、貫頭衣を着た褐色の上半身を銀色の濡れたロングストレートの髪で装飾した、一人の人魚姫。下半身は流線型の魚身だ。
 再び水に潜り、影として水中を素早く泳ぐその姿は男女問わず、学生達を魅了する。
「本物の人魚!?」
「科学部のフィンスーツだろう」
「狂的科学研の水中適応サイボーグでしょ」
「謎のUMA『ニンゲン』だろうJK」
「魚座イクティオ星系の宇宙人だわ」
「よく見ろ。あれは異世界からの来訪者だ。マニフィカさんという人だ」
 騒ぎながらプールサイドの者達がスマホでプールを撮影しまくる光景を観ながら『冒険者』の皆はデッキチェアを並べて寝そべっている。
「マニフィカさん、大目立ちやな」
「こういう場所になるといっそう映えますわね」
 レンタル水着のビリーとアンナはプールの『沖』で皆の注目を集めながら泳いでいる、ネプチュニア連邦王国第九王女を眺める。
 その前でプールに脚を浸してリュリュミアは「やっぱりぃ、水があると生き返りますねぇ」とバシャバシャやっている。彼女だけは自前の衣装が素肌なので水着ではない。
 ハイレグの水着をレンタルしたクラインはサングラスを持ち上げ、読んでいた雑誌を豊満な胸の上に置いた。「わたくしの信頼筋からの情報だと」彼女は整備員レオンの顔を思い出した。「スカイホエールの修復はアルミニウムが入手出来ないので肝心の部分に手間取ってるとか。わたくしの『会社』でもオトギイズム王国でアルミニウムを見つけられなくって……一応、ドワーフの方にも連絡をとっていますが」
「アルミ、アルミンゴ」未来はチェアに寝そべりながらメモパッドで羅李朋学園のイントラネットを検索している。彼女は救出されてからほとんどの時間をネットでの情報収集(主に流行)に費やしていた。ちなみに水着は羅李朋学園の改造制服に似たきわどいモノだ。「あーね。とりま、アルミを作るのに大量の電気が必要らしいってのはわかりみ。この世界で電気かー。マジ卍。……あれ」
「どうしました、未来さん」クラインは自分が気にしている学園警察か生徒会の動向についての情報ではないかと思い、未来のパッドを覗き込む。特に強権的な学園警察は最近の関心事だ。
 パッドの画面では『生徒会報』がカラフルポップな巨大フォントで以下の様に躍っていた。
『亜里音オク生徒会長、大無料コンサート近日開催!!
 現在、ナンバーワンアイドルでもある亜里音オク生徒会長の一夜限りの大イベントが、多目的ホールで行われる予定となっております。
 このコンサートにはCG映像としての亜里音オクの姿だけではなく、コンピュータ研に置かれているオクの本体であるメインサーバーを搬入してコンサート中、ステージのメインにディスプレイされます。
 どうぞ、本物のオクを見に来て下さい!
 今までのヒット曲だけではなく、未発表の最新曲を披露予定!
 入場は無料!
 詳しい情報は追って発表します!!』
 それを見た皆は唾を飲んだ。
 周囲では同じ生徒会報に気づいた生徒達がスマホを見ながら「おお! すげー!」とかわめきだしている。
「グスキキに狙われているのに本体持ち込んでコンサートなんて……」とアンナ。
「本体剥き出しってグスキキに壊されたら、今度こそアウトやな……」とビリー。
「グスキキが絶対、来るわよねぇ」とリュリュミア。
「これって」とクライン。「自分を囮にしてアル・ハサンをおびき出すつもりでは……」
「最後の決着をつけよーってコト?」と未来。
 皆は沈黙した。
 その時、プールから上がったマニフィカは人間のものと変化した二本の脚で、大勢の見物人を連れて歩いていくところだった。
「あれ。皆様、どういたしましたの」
 彼女にいち早く説明しようと皆は一斉に身を返した。
 マニフィカは皆のただならぬ表情に何か重大事があると一瞬で悟った。
 ただ一人、リュリュミアは「アル・ハサンって必ず現場に来る人よねぁ」とプールで足をバシャバシャし、波を蹴立てていた。

★★★
「やがて秘密を持つ。やがて夢を見る」
 映画『アイ、ロボット』より。

★★★