『都市伝説をぶっちぎれ』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 冴えた星達が、光の線となって夜空を流れる。
 しかし、疾走するのは空の星ではない。星に見守られる者達だ。その光景の中で地上の星が走る。
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)のローラースケート。
 ジュディ・バーガー(PC0032)モンスターバイク。
 姫柳未来(PC0023)の高速電動アシスト自転車。
 セナのスピードワゴン。
 それは幾つもの鬼火を率いて出現した。
 青い馬車。
 スピードワゴン。
 青白い炎が全体の輪郭を縁どる、半透明の二頭立て馬車だ。
 車体も馬体も蒼白。蒼白の火。
 運転席には青く半透明のセナが乗り、馬に鞭を振るっている。その表情は狂った様な笑顔を浮かべている。楽しいのだ。速く走る事が。
 その隣にはアーシャが座っている。セナと同じ様に青く半透明で、伏せた眼を開けず、彼によりかかる様に。
 魔の馬車を先頭にした皆の前で、照明具に照らされた夜のLカーブが流れてくる。
 スピードワゴン登場という急展開に意表を突かれたジュディだったが、レースが継続してる事だけは十分に理解出来た。
 持ち味であるシンプルな思考を活かしと、すぐに気持ちを切り替える。
 純粋にレースを楽しむ。
 相手にとって不足はない。ムクムクと闘争心が頭をもたげてくる。
「イーハー!」
 荒荒しい衝動に駆られ、ジュディはモンスターバイクのアルコール機関と共に雄叫びを挙げる。神竜殺しの酒がエンジンで熱く燃えている。もう半分以上を燃焼させただろう。だが貴重な残り半分もこのレースで燃やし尽くすつもりだ。
 Lカーブに進入。
 その時、土砂を跳ね散らしながら崖を駆け下りてきたものが、一瞬にして車列に加わった。
 彼女はカーブのある曲がりくねった道を辿ったのではなく、その道を無視してエイトゥズィ山の険しい斜面を一気に駆け下りてきたのだ。命知らず。命あるものが行うには無謀としか呼べないショートカットだが、まさしく駆け下りてきた者はそれを行うにふさわしい存在だった。
 デュラハン。
 大鎌を担いだ騎馬の女騎士。乗る黒馬に首がなく、それにまたがる鎧の女騎士もやはり。
 アンデッド。口の悪い者には「死にぞこない」とも呼ばれる不死の存在だ。
「何や!? 『怪異』がまた一匹、増えおったんか!?」
 山肌に沿い、『空荷の宝船』を皆と並行飛行させるビリー・クェンデス(PC0096)はデュラハンを見て叫ぶ。
 突然の乱入者を驚きをもって迎えたジュディ、アンナ、未来は、新たに加わった一騎のデュラハンと共に、Lカーブを高速コーナリングする。
 先頭を押さえて道一杯を車体でふさぐセナのスピードワゴンがいち早く、Lカーブを抜け出した。
 次にジュディ。
 そしてデュラハン。
 続いて、未来、アンナ。
 デュラハンは馬体を躍動させてコーナリングこそ速く回れたものの、直線で加速が伸びずに後続に抜かれる。あくまでも戦馬の速度だ。それでも不死者らしく疲れも怯みも見せず、最後尾から前を走る者達に食いつく。
 走りを競う者達は、次のMカーブを迎えるまでの長い直線に入った。

★★★
 少し時間は戻る。
 宴会の余韻醒めきらぬエイトゥズィ村。
『ボクは誰よりも速い! 誰にも追い抜かれない! ボクは怪異だ! ボクはアーシャと共にエイトゥズィの坂道を誰よりも速く、最後まで駆け抜けるんだ! その時、ボクとアーシャは結ばれるのだ! 永遠に!』
 セナの家の寝室に現れた傷文字は、セナとアーシャが現在どうなっているかを容易に推測させた。
 アンジェ・ルミエール(PC0100)は村長の家に忘れ物をしたと言ってセナとアーシャのいる寝室を離れ、屋外の人眼につかない場所で『魔物これくしょん』を使い、デュラハンを召還していた。
 静かに現れた、首なしの馬にまたがった、首なしの女騎士。
 呼び出したデュラハンには二つの命令を与え、カーブを駆け下りる山道へ向かわす。
 一つ目の命令は「セナの独走を阻む者を排除する」。
 二つ目の命令は「もしもセナの姿を見失った場合(つまり魂が肉体に戻った場合)はここエイトゥズィ村に戻り、セナの家を訪れる。そしてセナを指さし、死の宣告を行う。一年後、セナの魂を迎えに来たら、次はアーシャに死の宣告をおこない、その翌年、冥府で二人を再会させる」。
 デュラハンを見送ったアンジェはセナの家へと急ぐ。
 セナが恋人をさらう様な強硬な手段に及んだのは、婚約者であるアーシャとの間に何か問題を抱えていたからでは?とアンジェは思っていた。
 セナの看病をするアーシャの姿は冷静に見えた。
 勿論、その様に振る舞っているだけだったのかもしれないが、セナがアーシャを愛するほどアーシャはセナを愛してはいない様に見えた。結婚前から愛情のバランスが取れておらず、セナがその事を自覚しているならば、たとえ意識を取り戻してこのまま結婚したとしてもいずれ大きな問題が起きるだろう。
 それを考えると、セナの望む形で彼の愛を成就させる方が『幸せ』と言えるのかもしれない。
(それに周囲はとっては『不幸』であった方が、世の中が混乱して面白いですわ。全てが平和で平穏なら誰も慈愛と生命を司る女神『バルトアイギス』様には感謝しませんわ。かといって荒廃が進みすぎても人人は愛や生命の価値を信じられなくなる。バルトアイギス様の為には、生かさず殺さずレベルで混乱させるのが一番ですわ)
 慈愛と生命の女神の敬虔なシスターとしてそんな事を考えつつ、セナの家の戸口を再びくぐる。
「村長はお休みの様でしたから、日を改める事にいたしますわ」
 アンジェはそんな事を言いながら、寝室へ。
 するとそこにはちょっとしたカオスがあった。
 セナの母がオタオタと右往左往するセナの寝室へ、リュリュミア(PC0015)は隣のトイレ兼バスの部屋から水を湛えたバスタブを引っ張り込もうとしている。彼女一人の素の力では動かし様がないほど重いので両手から生えた蔓を束ねて太くし、ズルズルと床に引きずりながら寝室に引き込もうとしている。
「……何をしているんですか、リュリュミア様」
「セナさんを水に沈めよおと思ってぇ」
 マイペースにぽやぽや〜としたリュリュミアは、過程の論理をすっとばしていきなり結論だけを話したりするので、行動に脈絡がない様に思える。
 アンジェが彼女のこの結論に至った思考過程を推測していると、リュリュミアの方から答が出された。
「誰よりも速く駆け抜けてぇ、永遠に結ばれるってロマンチックで憧れちゃいますよねぇ。でも、助けなきゃダメですよねぇ、やっぱりぃ。で、身体をくすぐったくらいじゃ眼覚めてくれないしぃ、それじゃぁ、ショック療法という事でぇ、鼻をつまんでぇ、ふぅぅぅぅぅっと息を吹き込んでみましたぁ」リュリュミアはセナの母親の前で、セナにマウス・トゥ・マウスを試みたらしい。「で、それでも駄目だったからぁ、もぅ、いっそ水に沈めちゃおうと思ってぇ」
 アンジェは声に出さずに慌てた。
 今、セナを水死させられては元も子もなくなってしまう。
 アンジェは聖職者ならではの説教の上手さで生命の大事を説き、リュリュミアにセナを水没させる考えを改めさせた。
 リュリュミアは、ベッドに眠るセナとそれにもたれかかる様に今は毛布をかけられて伏せている恋人アーシャを見やる。
「セナさんとアーシャさんってぇ、こうしてる方がお似合いだと思うのぉ」
「それは同感ですわ」
 そうこうしている寝室内ではリュリュミアによるバスタブ搬入作戦の他に、マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)による別計画も進行していた。
「なるほど、現象には必ず理由がある……実に興味深いですわね」とマニフィカは思う。
 『生霊返し』。
 『神気召喚術・狛犬召喚』を使用して青銅の牙と肌を持つ二頭の守護犬を召喚し、怪異に見立てた都市伝説の本から邪気を祓い、セナ氏とアーシャの生霊を肉体に呼び戻そうというのだ。
 マニフィカは一連の怪異はセナ氏の生霊の仕業と断定していた。
 彼女の知識によれば、いわゆる『生霊』とは、何らかの強い感情、例えば怨恨、愛情、執着から無意識に霊魂が分裂する心霊現象。幽体離脱やドッペルゲンガー等と関係が深く『離魂病』とも呼ばれる。
 肉体を離れた霊魂が感情の対象である人物や土地に出没し、悪事を働く事が多い。
 残された肉体は抜け殻の様になり、徐徐に衰弱してしまう。
 これはセナの昏睡状態に合致している。
 死霊と異なり、生霊を浄霊したり昇天させる事は出来ないはず。
 基本的な解決策は、生霊を元の肉体に戻す事であり、それを生霊返しと呼ぶのだ。
 だから、マニフィカは生霊返しを試みる。
 恐らくセナの愛読していた都市伝説の本が怪異出没の媒体となっている。
 しかし焚書は以ての外。本好きなマニフィカは、本そのものを破損する野蛮な行為を避けたい。
 だから二頭の狛犬に祈願して、生霊返しを行うのだ。
「狛犬よ。咆哮を持ちて、悪しき書物の邪気を払いたまえ!」
 乞い願う、ハッピーエンド。
 マニフィカの呼ばわりに応えて、床に置いた本の左右に並んだ二頭の狛犬が、青銅の響きを鳴らして吠えた。
 阿(あ)。
 吽(うん)。
 宇宙の始まりと終息を意味するという二つの声が、寝室に響き渡った。
 床に置かれた書物に変化が現れた。
 風が吹く様に自然とページがパラパラとめくれ、ある所まで来ると大きく反り返った。
 それらのページに描かれた怪異。
 人面犬。
 ターボ婆ちゃん。
 口裂け女。
 首なしライダー。
 それら、イラストの線や色が光り輝いたのだ。
 半透明の分身が起き上がり、ふわふわと室内の宙空に溶けていく。
 まさしく、成仏というイメージ、そのままに。
 やがて光が消え、ページを天井に向けてだらしなく開いた本が残った。
「怪異は消えました。これでもうエイトゥズィの山道で人を脅かす事はないでしょう」
 マニフィカは本を拾い、ページを閉じる。
 しかしセナとアーシャの意識は戻らない。
 やはり本の浄化だけでは不十分なのか。
 セナの妄念がまだ残っているのか。
「わたくし達はやれるだけの事はやりました。後はエイトゥズィの坂を駆け下りている仲間達に託しましょう」
 皆は村の縁に立って、崖の下のワインディングする山道を見下ろした。
 遥か下、底のない夜の闇の中、幾つかの光が高速走行しているのが見えた。

★★★
「ボクは座敷童子のビリーいいますねん。あんさんらと同じくコテコテの怪異ちゅーわけや。まあ、よろしゅう頼んまっせ!」妖怪・蛇骨婆よろしくラッキーちゃんを身に絡めたまま、ビリーは空荷の宝船を並走飛行させながら、セナのスピードワゴンに話しかけていた。「そう睨まんといて。ちゃうねん、恋路を魔邪したりせえへんから安心してや。レース優勝の最有力候補に突撃インタビューや」
 スピードワゴンを駆る御者はこの福の神見習いに特に注意を払ってはない様だ。狂った笑顔の中で眼線をやっただけで、幽霊馬の手綱を引き絞って、猛速を維持する。
 アーシャの意識がないまま、彼女の霊体は御者席のセナの肩にもたれかかっている。
 セナを先頭に走行者はMカーブに突入。
 ライトが闇を削る。ここでジュディはアクセルを開いて、勝負に出た。
 内燃機関に度数の高いアルコールの炎が渦を巻く。
 スピードワゴンの走行ラインがアウトにやや膨らんだのを見て、インから無理やりにこじ開けて追い抜きにかかる。
 車体をぶつけんという角度で、青い炎の馬車をスロットル全開で一気に追い抜こうとする。
 もうこうなるとスピードがどうこう言うより、物理的な頑丈さに全てがかかっていると見えた。
 だが、この時、意外な行動に出るものがいた。
 黒い大鎌がジュディの背後からすくう様に斬りつけられたのだ。
 デュラハンだ。
 コーナリングの最中に攻撃をくらったジュディはアクセルコントロールでかろうじて、それをかわす。
 しかし、その減速のせいで順位を大きく下げた。
 大鎌を担いだデュラハンをアンナと未来がMカーブの出口で追い抜く。
 Mカーブをセナのスピードワゴンがトップで通過。
 次いで、アンナ。
 三位、未来。
 四位、デュラハン。
 五位、ジュディ。
 直線で駆動力に応じて、差が広がる。
 ここでデュラハンはジュディに抜かれた。
「こちらに攻撃してきますとは!? やはり、この怪異もセナの仲間!?」
 アンナはレッドクロス姿で滑走しながら、叫んだ。
「しかもコイツはオーバーテイクン、追い抜かれても消えないワ!」
 ジュディは驚きの声を挙げる。
 首なし馬の首なし女騎士は、最後尾から前方を鋭く追いかける。
 どうやら彼女はセナのワゴンを追い抜く時以外は、攻撃してこない模様。
 すぐ迫るNカーブに、アンナは心中で、スピードワゴンを追い抜く方法を意識した。
 馬車の底をくぐる。
 思いきり脚を広げて、腹這いに近い体勢で、
 しかし、この方法はローラスケートでは加速が利かない。それにそこまで思いきって両足を広げられるだろうか。身体の柔らかいリュリュミアならば出来るだろうが、比べて自分はそこまで柔軟ではない。
「左右が駄目、下も駄目ならば……上からですわ!」
 セナに続いて、団子状態になった一団がNカーブに突入する。
 生き残〇たい! まだ生きて〇くなる!
 アンナの脳内に『獅子の歌』のメロディが響き渡る。
「絶対に生き残りますわよ!」
 加速。鬼火をつきそわせながら道をふさぐスピードワゴンの背に追いつく。
 と、大ジャンプ。その後部に跳び乗った。実体がないのでは、と思えた炎の馬車だが、アンナは乗る事が出来た。このまま、馬車内を走り抜けて、前方へ出るのだ。
 だが、背後に迫ったデュラハンが首なし馬ごと跳躍し、アンナの背に大鎌で斬りつけた。
 大鎌の刃とレッドクロスの背面装甲で火花が散った。
 鎌の湾曲した刃に掛けられ、アンナの姿勢が後方へひっくり返る。
 アンナはそのまま後方宙返りをし、馬車の後方の路面に落ちた。かろうじてローラースケートで着地し、転倒を免れる。
 再加速するまでのアンナは次次と後続に追い抜かれる。末尾にまで順位を落とした。
 全員、Nカーブを抜ける。
 一位、セナ。
 二位、ジュディ。
 三位、デュラハン。
 四位、未来。
 五位、アンナ。
 ジュディの脳内でケ〇ー・ロギンズの『デン〇ャーゾーン』が流れている。
『デンジャーゾーンへのハイスピードウェイ。
 俺はお前を連れていく。
 デンジャーゾーンへ乗り入れるんだ』
 走る者達はその順位のまま、Oカーブ、Pカーブ、Qカーブの連続カーブを抜けた。
 サイコキネシス・ダウンフォ−スで全速力でインを刺そうとする未来の軌道は、デュラハンにことごとくブロックされる。
 直線に入って、空荷の宝船で飛んでいるビリーは、セナのスピードワゴンの真横を飛び、再度、御者席のセナ&アーシャに話しかける。
「あんさんらがハッピーになるんやったら、ボクは一肌脱いでもかまへんて思うとるんよ」
 ビリーの種族である座敷童子も怪異に含まれる筈。レースをサポートする立場から強弁すれば、怪異のスピードワゴンも対等な参加者。純粋にレーサーなのだ。
 怪異仲間として親身になって話し合う準備は出来ていた。
「この坂道を駆け抜けた先に、何があるんや? それ、ほんまに望んどる事でっか?」
 確かに人間と怪異では寿命に関する概念すら異なる。
 でも怪異は永遠の存在ではない。
 人生という限られた現実の中で幸福を得る事が、最も尊いのでは?
 外見子供の福の神見習いはそう考え、セナの心に響くだろう言葉を投げかけた。
「もう気はすんだやろ? 早う戻って、人生を楽しむこっちゃ」
 ビリーのその言葉を聞いたセナから幾分か鬼気が抜けた。
 狂った様な笑顔がはりついたセナの表情から妄執の色が薄くなる。
 彼の動揺は幽霊馬車にも直接現れた。
 その巨体が少少だが縮んだのだ。
 バイクや馬が一人分、入れるほどの隙間が生じた。
 だが、セナはスピードを緩めなかった。
 笑顔が崩れていた。
 泣いている様であった。
 俺は全てを振り切って、スピードの遥か先へ……。
 御者席の若者がそう言っている気がした。
 鬼火をまとわりつかせた青い幽霊馬車は全力でRカーブに突撃した。
 ここダ!とジュディは思った。
 アクセルを全開にして、イン側から幽霊馬車と山の斜面との隙間にバイクのハナを突っ込ませる。
 デュラハンが滑る様に割り込んできた。空いたインをふさぐつもりだ。
 だが、ジュディのモンスターバイクの方が一呼吸速い。
 その時、異変が起こった。
「!? !? WHY!? え、え、エンジンストップ!?」
 ジュディのバイクの速度がいきなりガクンと落ちた。
 爆音が消え、そのままスローダウンで後方へ下がっていくジュディのバイク。
「OH NO! ここでエンプティ!? オーマイガッ!」
 燃料にしていた『バハムート殺し』がここで尽きたのだ。
 モンスターバイクは見る見る内に後方へと、そして振り返る者達の視界から置き去られてしまう。
 レーサー達はRカーブを抜ける。
 一位、セナ。
 二位、デュラハン。
 三位、未来。
 四位、アンナ。
 五位(圏外)、ジュディ。
 Sカーブを前にして、走者はセナをトップに一列に並ぶ。
 デュラハンが巧みに後続をブロックする。
「残りカーブは八つね」
 前方からの風速で盛大にミニスカートをなびかせている未来は呟く。前のめり気味に高速電動アシスト自転車にまたがった彼女のミニスカ制服は、純白のレースのショーツが盛大にまくれている。
 ここで疲れが出たか、アンナのローラースケートも速度を落とし始めた。
 常に最高速度キープというわけにはいかなかった。足が止まりそうだ。
 サポートするビリーの宝船と共に、後方へとアンナの姿は流れていく。
 一位、セナ。
 二位、デュラハン。
 三位、未来。
 四位(圏外)、アンナ。
 五位(圏外)、ジュディ。
 Sカーブ。大きなカーブだ。
 未来はスピードワゴンとデュラハンの二体を同時に相手にする格好になる。
 セナのスピードワゴンがSカーブに高速突入するが、アウトへと走行ラインが膨らむ。ガードレールの類のない山道。スピードワゴンの車体がアウトへ膨らみ、道をはみ出す。車体が縮んだ事もあり、インががら空きだ。
 チャンスだ。
 ブリンク・ファルコン!
 蝶と蜂。軽やかさと鋭さを同時にまとった未来は、サイコキネシスで自転車後部にダウンフォースを発生させ、無減速で空いたインに突っ込んでいく。
 だが、デュラハンの黒馬が割り込んでブロックしてくる。
 その時、道の遥か後方から爆発音が轟いた。
 瞬間。
 爆発音は連続する大燃焼音となり、レーサー達の背後から超高速で迫りくる。
 ジュディだ。
 エンプティのはずのモンスターバイクが圏外から猛追。
 あっという間に急接近。圏外から後方視界内に復活した。
 ハンドルにしがみつくジュディの手。
 アンナもいた。バイクの車体にしがみついて、ローラースケートで超高速滑走している。
「イピカイエー!」
 ジュディは戻ってきた。アンナと一緒に、強烈な風圧とGも引き連れて。アドレナリン全開。とっておきの『バーナーロケット』を使って、まさしく火を噴くロケットの勢いで再加速してきたのだ。レース違反の『飛行』にならない様に、額に巻いた『猿の鉢巻』の器用さと自前の筋力でロケットの勢いを無理やり地上に押さえ込んでいた。
 デュラハンが復活した彼女を迎え撃つ為に、未来の前からモンスターバイクのコースをふさぐ位置へ移動する。
 このままではジュディとアンナは突破出来ない。
 その時、ジュディとアンナは申し合せた様に次にとるべきアクションを同時に閃いた。
「ミサイル……ファイアッ!」
 叫んだジュディはアンナの手をとって、ローラーダービーのホイップを送り出す様に前方へと放った。
 アタック。
 命中。
 ロケットの速度にレッドクロスの加速がプラスされたアンナの身体は、フリーハンドの弧の軌跡を描いてデュラハンに猛突する。
 激突の勢いを加味して振り回されたアンナのモップが、迎え撃ったデュラハンの大鎌を叩き折った。
 デュラハンはその衝突で首なし馬から放り出された。
 首なし馬は猛速度のままで地面に転倒。首なしの女騎士もそのスピードで路面に叩きつけられ、カーブの崖からこぼれて夜の闇へと落ちていった。
 障害がなくなった。未来はスピードワゴンを追い抜ける速度で、空いたインへと近づく。
 スピードワゴンが車体を大きくインへ振った。未来を崖へ叩きつけて車体で押し潰そうとする。
 未来はかわす場がなかった。スピードを緩めて、後方へ退くしかない様に見える。

「まくるわよ!」
 キュートなお尻を丸く包む、レースをふんだんにあしらったショーツ。未来は風で猛烈にまくれあがったミニスカ制服をかえりみずに叫んだ。ノーブレーキ。立ちこぎの電動アシスト高速自転車は流れる様な動きでインの更にイン、ほぼ垂直の山の斜面を駆け上った。超高速のまま、サイコキネシスを自転車全体を斜面に押しつける力として働かせたのだ。
「まんま、カリ〇ストロの城やん!」
 後方から現場に戻ってきた空飛ぶ宝船の上で、ビリーは垂直に近い斜面を走る自転車を見て、思わず叫ぶ。
 スピードワゴンの体当たりは空振りとなり、崖にぶつかった車体から半透明の構造材が飛び散った。
 未来の自転車はスピードワゴンの車高より高い位置を走り、その速度のまま、幽霊馬車の前に出た。
 斜面を急降下して、路上へ復帰。
 Sカーブ突破。
 未来は見事、セナのスピードワゴンを抜き去った。
「どや!」まるで自分が追い抜いた様に、ビリーは嬉し気な声を挙げる。「これでセナさんも執着が晴れるやろ!」
 幽霊馬がいなないた。
 スピードワゴンの速度が眼に見えて落ちていく。
 馬から牛、羊の速度までスピードを落とし、ついには人の歩む速度にまで。
 ジュディのバイク、アンナは幽霊馬車を追い越し、路上に停車して振り返る。
 馬車は停止していた。
 ビリーの宝船が御者席に近寄る。
 セナの生霊は笑っていなかった。
 アーシャを肩によりそわせたまま、呆然と空を見上げている。
 降りそうな星の群が瞬く、夜空を。
「あばよ……ボクの青春……」顔を上げながら青年が呟いた。「もう、子供じゃいられないんだ……」
 幽霊馬車の全てが輝き、見ていた者達の影が放射状に広がった。
 鬼火をつきまとわせていた青い炎の二頭立て馬車が、一瞬で小さな青光の群へと分解する。
 光の群は一瞬の炎の様で、それは滝がさかしまに流れる様に空へとこぼれていった。
 セナも。アーシャも。
 夜の空に光が消え、星空の天蓋へ混ざっていく。
 皆は悟った。
 もう、エイトゥズィの山道には怪異が現れる事はないだろう。
 若者の最後の反抗期が終わったのだ。
 セナもアーシャもこれからは大人として生きていくのだ。
 たとえ、足元がおぼつかなくても、一歩一歩、皆に支えられながら。
『夜が来た時、
 ここは暗闇になり、
 月の光が僕らの唯一の光になったとして。
 いや、僕は恐くなんてない、
 僕は怖くなんかはない。
 君がそばに立っていてくれる限り、
 君がそばにいてくれたらね』
 何故か、宝船のビリーは星空を見上げ、恋人達の姿を思い出して、そんな言葉を胸に抱いていた。
『愛する人よ、そばにいて(Stand by me)』

★★★
「ずっと長い間、怪異になった夢を見ていた……」
「それは悪夢だったのでございますか」
「いや、いい夢だったのか悪かったのかは……どっちにせよ、胸にぽっかり穴が開いた気分だよ。もう終わりなんだ……ボクが好き勝手出来る時間は」
 山頂近く。エイトゥズィ村。
 祭はとうに終わっている。
 自分の家でセナが永い眠りから眼を醒ました。
 恋人のアーシャも一緒だ。
 と、いう事は山道レースをしていた仲間達は、無事に怪異を全て退治したのだ。
 バスタブが運び込まれようとしていた寝室。二人は眠気の去った、今までの自分とは違う、新しい時間を迎えていた。
 セナがベッドで半身を起こしている。意識を失っている間に、エイトゥズィ村の様様な出来事の中心人物となっていた事に面食らっているらしい。
 アーシャも自分が夢の中でさまよっていたかの様な感覚に戸惑っている様だ。。
「夢は、身体を離れた魂が遊び歩く間に見ている光景という解釈がございますからね」
 マニフィカは召喚した狛犬を帰還させながら、二人の為に食事を用意する母親を眺めていた。
 家の中ではセナの母親があたふたと働いている。一人息子が復活して心労から解き放たれた彼女は、まるで生きがいの様に忙しそうに家内を歩き回っていた。
 玄関の木のドアをノックする音が響いた。
 セナの母が応対に出る。
 ドアを開ける音。
 そして、悲鳴が響き渡った。
「何事でございますか!?」
「何なのぉ?」
「…………ですわ」
 とび起きたセナとアーシャに続いて、マニフィカ、リュリュミア、アンジェは玄関へ走った。尤もアンジェには事態の予想がついていたが。
 赤だ。
 玄関には真っ赤な姿に染まったセナの母が、悲鳴の尾を喉から絞り出しながら硬直していた。
「……血!? いや、これは」
「違うみたいねぇ」
 マニフィカとリュリュミア、アンジェの鼻孔を濃厚な甘酸っぱい香りがくすぐった。
 トマトだ。
 真っ赤に熟した。
 セナの母親は手桶一杯ほどのトマトジュースを浴びせられていた。
「母ちゃん!」
 セナとアーシャが母親が座り込むのに手を貸すと、玄関の向こう、外の闇の中に奇妙な人物が立っているのが解った。
 首のない女騎士。
「デュラハン!?」
 マニフィカの脳裏に昔、本の挿絵で見た事のあるアンデッド・モンスターの名前が閃いた。
「何するのぉ、あなたはぁ……えいぃ!」
 リュリュミアはとっさに手にしたブルーローズの種を発芽させた。芽は幾本もの蔓となり、太く撚り合わされてデュラハンを束縛せんと夜の闇にのびる。
 だが、その拘束を受けるより早く、デュラハンの姿は消えた。まるで闇に溶ける如く。
 家の外に夜の静寂が戻る。
「何故、デュラハンが……トマトジュースは血の代わりですの?」
 バスタオルとして使っている綿地の布でセナの母を覆いながら、マニフィカは呟いた。
「……血?」
「ええ。デュラハンは訪問した家の家人に血を浴びせると言わているのですわ」アンジェの疑問に、マニフィカは答える。「しかし、何故デュラハンが来たのでしょうかしら……?」
「セナさんに『死』を告げに来たのではありませんの」と白白しくアンジェ。
「確かにそういう伝承はありますわね。で……も、セナさんもアーシャさんも無事に命の危険がなくなった後の事ですし……」とマニフィカは腑に落ちないという顔をする。。
「セナさんを殺しに来たのではないですか。デュラハンは一年後に人が死ぬ様に『死の宣告』をすると聞いた事がありますわ」
「……わたくしの知る限り、デュラハンはそういう風な死の宣告は行いませんわ。デュラハンは近く死ぬ運命にある人がいる家に行き、死ぬ人間の魂を刈っていくのですわ。いわゆる死神の様に」
「一年後に死ぬ様にするのではありませんの?」
「伝承によると、死を告げた人間の魂を一年後に自ら刈りに現れる、というのもある様ですが、デュラハンが刈るのはあくまで死の運命をはっきり負った人間で、そうでない人間に自ら『死』を与えるのではありませんわ。この一年後に相手を殺しに現れるというのは異世界の神話……いわゆるアーサー王の物語の影響を受けているみたいと言われていますわね。……ああ、資料が手元にないとあまり詳しい事が言えませんわ」
 マニフィカは他の者と一緒に、セナの母親のトマトジュースを拭った。
 タオルは血の色に染まる。
 甘酸っぱい匂いだ。
「デュラハンとやらはぁ、セナさんの魂を刈りに現れたんだけどぉ、一足違いに元気になっちゃたのでぇ、あきらめて手土産のトマトジュースだけ渡してぇ、帰っちゃったのかしらぁ」
 疑問符を浮かべたリュリュミアが小首を傾げる。
「ともかく、あのデュラハンによる害はないでしょうね」マニフィカは心の中の書物にしおり紐をはさみ、そっと閉じた。「それにしても何をしに来たのかしら」
 自分の行おうとした事とまるっき違う事態になってしまったアンジェは複雑な心境だった。胸元のバルトアイギスの聖章をぐっと掴む。無言でこの展開をバルトアイギスに報告する。……アーメン(そうあれかし)。
 ともかくデュラハンは帰ってしまった。もう、リアルではこれ以上、自分に出来る事はない、という様に。
 アンナは汚れた玄関の清掃を始める。
 静かな夜の風に、虫の音色が混ざる。
 祭の後の静けさだった。

★★★
 冒険者達がエイトゥズィ山から下りて、成功報酬を受け取って、しばらくしての事。
 セナとアーシャが多くの人に祝福されて結婚したと、風の噂に聞いた。
 エイトゥズィ山の若者達は、今夜もレースを楽しんでいるという。
 無謀な競走で怪我をする者がいて、老輩の顔をしかめさせる事もあるが、いわゆる怪異の類は現れていない。
 いつものエイトゥズィ村の平和なムードが続いているという。

★★★
 マニフィカは今日、自分が選んだ本の中にある詩を見つけた。
『そして夜が雲で陰った時にも、
 まだ私の上に輝いている光がある。
 明日まで輝き続けるんだ。
 Let it be.
 全てはなるがままに……』
「なるがままに……」
 彼女は本を閉じ、熱いティーカップを口に運んだ。
★★★