『紅の扉』  〜ヴェルエル編 第一回

ゲームマスター:秋芳美希


 いらっしゃいませっ!
 ようこそ『バウム』の『緑の窓』へ。
 ヴェルエル世界のご確認ですねっ!

 足元もおぼつかない暗闇の中、明るい少女の声が響き、様々な事柄を説明してゆく。そして、
「バウムにいらしているディック・プラトックさんの故郷世界でもあります『ヴェルエル』。ぜひ確認してみてくださいねっ」
 との声に誘われて、緑色にゆれる世界をのぞいてみる。そこは……。
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 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは今、それぞれが鎖国状態になっていた。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏。その中で、のんびりと構えていたのは、セントベック統治者のフィルティ・ガルフェルト。蒼白な表情となってしまっていたのは、ユベトル統治者ミシュル・アルティレス。慌てて混乱してしまっていたのはエルセム統治者ソルエ・カイツァールだという。
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 ……というものだった。

 実際、『ヴェルエル』世界に向かうには、様々な制約があり、難儀な世界である。それでも行く準備をそろえた者たちには可憐な声が届けられたという。
「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界におでかけになりますか?」
 うなづく者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。
「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」
 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。新たな世界が目の前に広がった。

《E22/4の月24日/10:00》
○セントベック首都ベック_ベック飛行場
 自慢の愛機整備に余念のない統治者が、油まみれの鼻を掻いていた。
「……しかしなぁ、このままでいいとも思えないんだが」
 捕らえられている者たちを上空から見下ろす度に、統治者フィルティは思う。だがしかし、そこまで考えたフィルティは、自身の思考力が鈍くなるのを感じる。
『まぁ……いいいか』
 かつてのフィルティならば、この事態に手をこまねいてはいなかったかもしれない。けれど今は、目の前の愛機に没頭してしまうフィルティなのであった。
 愛機に集中していたフィルティがやがて一息入れようと顔を上げた時、青い空に巨大な球体が浮かぶ様が映る。
「何だ? ……しゃぼん玉……なの、か?」
 風に乗ってふわふわとゆれる虹色の球体。しかもその中をよく見れば、人影があるのが見える。フィルテがよく確認しようと球体の方に向かうと、球体の方からも近づいてくる。けれど次の瞬間、フィルティの体は地面に伏せられてしまった。
「!?」
 しゃぼん玉よりもこの状況に驚くフィルティ。そのフィルティに、聞きなれた声がかけられる。
「差し出た振る舞いを失礼致します」
 長身のフィルティよりもさらに大柄な体格が、しゃぼん玉からフィルティの姿を隠してしまう。
「……これも君の職務だろうから、俺もとやかくいう気はないよ」
 肩をすくめながら、勤勉な統治者付護衛官にフイルティは敬意を表す。
「それでも言わせてもらうなら、大げさすぎやしないかな?」
 少なくともしゃぼん玉から自分に攻撃なりを仕掛けようとするならば、いくらでもできたはずだとフィルティは思う。そんなフィルティにいかめしい顔つきの護衛官は言った。
「しかしながら、御身は民より選ばれたセントベックをまとめる統治者。いついかなる時も、統治者としての責務をまっとうしていただけるよう、お守りするのが我ら統治者付護衛官の役目なのです」
 そして、しゃぼん玉の出現にあわせてフィルティを囲むように集結した他の護衛官からも声があがる。
「あれなる不可思議な物体の正体がわからない以上、敵かもしれぬ物体の前にフィルティ様の姿をさらすわけにはまいりません!」
 セントベックの民とは異質に類するかもしれない護衛官らの真摯な言葉。彼らの言葉に、仰々しいことは苦手なフィルティも頷かないわけにはいかなかった。
「それじゃあ、あの物体については君らに任せるとして、俺はこのまま飛行場にいるわけにはいかないってことになるな」
「はい。このまま統治者官邸にお戻りいただきます」
「仕方ないな」
 こうしてフィルティは、名残り惜しげに飛行場を離れていた。

 セントベック上空に突然現れた巨大なしゃぼん玉。それは、先にフィルティが愛機整備に集中してから1分後に現れた物体であった。そのしゃぼん玉の中にいたのは、タンポポ色の幅広帽子が印象的な異世界の乙女リュリュミアである。
「ぽかぽか陽気で草の香りもして気持ちいいですねぇ」
 『バウム』を通じてセントベックに現れたリュリュミアは、自身で用意した飛行用“しゃぼんだま”の中でのんびりとセントベック観光を楽しんでいた。
「んーと、ここって一応、首都のはずですよねぇ。でもそんなに首都らしくないみたいですねぇ?」
 リュリュミアの足下には、巨大な建物の屋根があり、その周囲には赤茶けた広大な土地が広がる。その土地には、プロペラのついた飛行機が間隔をおいて雑然と止まっている。目を転じれば、赤茶けた土地の奥には牛馬が草を食む緑の大地が広がっていた。
「うわー、地平線まで見えますねぇ。どこまでも続く、こんな平らな世界って、わたし初めて見ましたぁ!」
 セントベック勢力圏のうち首都ベックもまた、広大な平野の中に位置していた。視界に大きく広がる緑の平野は、ゆやるやかな曲線をリュリュミアに見せる。そうしてしばらくしゃぼん玉で下の様子を眺めながら、ひなたぼっこしていたリュリュミア。やがてリュリュミアは、飛行機の下で整備作業をする赤い髪の青年に気がつく。
「わたしは機械のことはよくわからないけど、一生懸命な姿を見てるのは退屈しないですぅ。邪魔にならないようにそっと観てますぅ」
 と、のんきに構えていたリュリュミア。そのリュリュミアがぼんやりと眺めていると、青年が自分の存在に気づいたのがわかった。
「あー、みつかっちゃったみたいですねぇ」
 自分に近づこうとする青年に、リュリュミアは近づいてみたいと願う。
「えっとお、せっかく初めて着た世界ですからぁ、お話とかもしたいですよねぇ。話し掛けるとしたらぁ、“好きなことをするのは楽しいですよねぇ、リュリュミアはおひさまの下でひなたぼっこするのがだいすきなんですよぉ”とかお話しましょうかぁ」
 折りよい風の力を借りて、巨大しゃぼん玉がゆったりとした速度で青年に近づく。その時、青年の体が大柄な男の体によって隠されてしまう。
「えーっとお。もう一人、いたみたいですねぇ。あれ、もっといましたかぁ?」
 リュリュミアが眺めているうちに、青年の周囲を10数人の男が囲んでしまう。その誰もが自分の方をにらむのを見て、リュリュミアは困ってしまう。
「んー? お話するのは、誰でもかまわないんですけどねぇ。“ここはとってもよいところですねぇ、ずっと居てもいいですかぁ?”って、言えるといいんですけどねぇ」
 この時のリュリュミアは自身が、セントベックに大騒ぎを引き起こしている張本人とは思ってもみなかったという。

 鎖国状態のセントベック。セントベック統治者フィルティがベック飛行場を離れた後、統治者付護衛長官によってセントベック航空・陸上警備隊及び空挺部隊の出動要請が発される。
「あー、こちら統治者付護衛長官ライアンである。フィルティ様来訪のベック飛行場において、未確認飛行物体を発見! さらに、未確認飛行物体内部に、人影らしき姿を確認! 敵勢力圏新兵器である可能性もあり、至急確保されたし。猶、兵器と確認された場合、被害を最小限に攻撃せよ」
 こうして巨大しゃぼん玉に乗るリュリュミアの捕獲作戦が開始される。そして場合によっては、攻撃されることもあるという。
《E22事件中心地/4の月24日/13:00》



○ユベトル首都ユーベル_ユーベル宮殿《M21/4の月24日/10:00》
「どうなさいました?」
 官吏の声に、ユベトル統治者ミシュルが我に返る。
「……申し訳ないですね……そんな場合ではないのですが」
 かつての有能ぶりがすっかりなりをひそめてしまったユベトル統治者にして小国スフォルチュア国の女王ミシュル。肩を落とすミシュルの姿に、官吏は優しく声をかける。
「疲れがたまっておられるようですね……お仕事はこれでひかえられては?」
 官吏の声に、弱く笑い返したミシュルは言う。
「どうやら……そうさせていただいた方がよろしいようですね。このままでは仕事の障りとなってしまうことでしょう……」
 官吏の言葉に従い、ミシュルは自室で休むことに決めた。

 ミシュルが自室で休むことに決めたのとほぼ同じ時刻。
 人気のないユーベルの郊外に現れた異世界の幼い恋人たちがいた。少女は、気品を漂わせる小柄なアリューシャ・カプラート。少年は、大人びた面差しを持つアルヴァート・シルバーフェーダである。アルヴァートは実年よりも上に見える印象通り、『バウム』において十分な準備をしてきた少年だった。
「新しい世界に行くなら、とりあえず下準備は念入りにしとかないとね……着いた先の風習を知らないでいきなりトラブル起こすのは得策じゃないし……」
 と、自らの衣装はセントベックからの移住者風に整えてきたアルヴァート。
『ユーベルの服飾が男性がミニスカートとはな……さすがにミニスカートはな……ましてやアリューシャの目の前でなんて……絶対嫌だよ』
 というのが、アルヴァートの本音らしい。そんなアルヴァートを、アリューシャが不安げな藍色の瞳で見上げる。
「アルバさん、どちらに進みましょう?」
 服装だけはアルヴァート同様にユーベルのロングスカートに整えてきたアリューシャ。そのアリューシャが戸惑うのは、ユーベルの土地柄にもゆえんしていた。年季入った石畳の続く道。道の両側に丈高く並ぶ建物はどれも旧い石造りであった。日が差し込まない薄暗い街並みは、それだけでアリャーシャを不安にさせてしまう。そんなアリューシャの肩をアルヴァートが支える。
「大丈夫だよ。一人で旅している時はちょっとぐらい無茶な行動しても自分の身さえ守れれば平気だったけど……今はそういうわけにはいかないからね」
 無茶はしないと、約束したアルヴァートがアリューシャのネコ耳に目をとめる。
「異世界人の来訪とともに、地元住民の消失事件が起こってることだから異世界人は白眼視されかねないからな……。アリューシャのネコ耳は隠しといた方がいいだろうな。とりあえず耳を隠す意味も兼ねて、リボンを売ってるとこがないか探してくるよ! アリューシャはこの路地に隠れてて」
 アルヴァートは、アリューシャの耳を隠すことの出来る大きなリボンを2つ、彼女にプレゼントしたいと思ったのだ。そのアルヴァートが自分の懐を確かめて、大変な忘れ物をしてきてしまったことに気づく。
「しまった! お金を持ってきてない……!」
 本来の子供らしい声をあげてしまうアルヴァートに、アリューシャがユーベルの通貨らしい紙幣を渡す。
「あの、お金はこれを使ってください。足りると思うのですけど……」
 アリューシャの渡してくれたお金を手に、リボンを売る露店を探し当てたアルヴァート。買い物のついでに、二人で路銀をかせぐことができそうな広場の位置もみつけていた。
 
 アルヴァートがアリューシャのいた路地に戻ると、アリューシャは小さな体を緊張させているのがわかる。
「お待たせ! 何もなかったかい?」
「は、はい。ちょっと怖そうな人が、近くを通りましたけど……見つからないですみました」
 強張ったアリューシャの体を支えるように立たせたアルヴァートは、幅の広いリボンを取り出す。そのリボンを、アリューシャの耳に飾ったアルヴァートが微笑む。
「……耳を隠すことが一応の目的だけど……よく似合って可愛いよ」
「アルバさん……」
 頬を染めるアリューシャの姿に、アルヴァートもまたときめいていたという。
 
 ユーベル郊外の広場に、透明な歌声と笛の音が響く。
 広場で自身の芸を見せていたのは、アリューシャとアルヴァート。
 二人の周囲には、たくさんのユーべル市民が集まって来ていた。

 大きなリボンをゆらして歌うアリューシュの隣で、アルヴァートが召魔召神の笛で奏でた魔曲で人形を操り寸劇を披露する。寸劇は、彼らが訪れたことのあるサナテル世界をモチーフにしたものだった。本来、領主であった者を王子に脚色し、異世界を巡る仲間を魔女としたロマンスだった。
「それは異界をわたる魔女と、小さな国の王子の恋物語♪」
 アルヴァートの作曲したオリジナル曲にのせて、アリューシャが透き通る歌声を響かせる。アリューシャは、心を込めた歌を歌いつつも、集まってきた民をじっくりと観察していた。
『男の人のミニスカート、って巻きスカートなのですね。寒そうかと思ったら、ハイソックスもはいてらっしゃいますし、何だか動きやすそうな服装ですね……』
 この格好をアルヴァートがしても似合うかもしれないとアリューシャは思う。
『女性はどの方もロングスカートなのでシッポが隠せるのは助かりますが……ずいぶん地味に見えますね』
 其々の服装の汚れ具合を見ると、男性も女性も同等な作業に関っているように見て取れた。
『女性の地位が低いとは聞いてませんが、男性の方がおしゃれなように見えますね……もしかして、女性の方が少ないからでしょうか?』
 広場全体の男女比を見ると、確かに女性の姿の方が男性よりもかなり少なかった。しかも若い女性の姿が極端に少ないのである。
『何か理由があるのでしょうか……?』
 様々に観察するアリューシャの藍色の瞳に、先ほど自分が見つかりそうになった“怖そうな人”の存在を見つける。格好は皆と変わりないけれど、その厳しい眼光は一般人のものと違っていたのだ。アリューシャが警戒する人物は、アルヴァートが操作する人形に目を留めると、さらに険しい表情となり二人の間に割って入ってきた。
「貴様ら、魔法を使う者なのか!?」
 ヴェルエル世界で存在が確認されている全魔法使いは9人である。その全ては、この乱入者の記憶にあったのだ。突然の事に、寸劇と音楽とを楽しんでいた人々の姿が、広場から離れていってしまう。その中、
「お気に召しませんか?」
 と、アリューシャがにっこり笑ってみせる。
「確かにわたしたちは異界から来た者かもしれません。逆にユベトルの音楽を教えてもらえたらと思って、この地を訪れているだけです。それに、異世界人だと言っても自分たちには音楽を奏でることしかできません」
 この状況を警戒していたアリューシャは、覚悟を固めて訴えてみる。しかし乱入者に、アリューシャの志は通じなかった。
「危険かどうかの判断は、俺はしていない。一緒に来てもらおうか」
 乱入者である男は、二人を拘束するべく鎖を取り出す。
『……この人は何者なのでしょう?』
 不安に思いながらも、アルヴァートを見上げるアリューシャ。一方、倒すか逃げるかは相手次第と決めていたアルヴァートは、一瞬考え込んでいた。
 『バウム』を通じて現れた二人。二人の運命は、まだこれからいくらでも変わる要素を含んでいた。
《M21郊外/4の月24日/13:00》


 野性的にな金色の髪をした青年ディック・プラトックが、ユベトル首都ユーベルのユーベル宮殿内に出現したのは統治者ミシュルの執務にさわりが出てから二日後のことだった。
「うおっと。いくら何でも事件中心地ってのが宮殿内部ってのは…………困ったな」
 宮殿内の衛兵に見つかれば、不法侵入の上、異国人である自分は即抹殺されるのはやむをえないことに思われた。それでもじたばたしても始まらないと、腹をくくったディック。ディックは自分の口をジャケットでふさぐと、自国で抽出した『眠りのエキス』を辺りにふりまきつつ宮殿内部を堂々と進む。やがて何事もなく宮殿の外に出ることに成功していた。
「できすぎ、かな。でもまあ、これでようやく自由の身だ! 改めて、正面から統治者ミシュルに面会するぞ!!」
 自身の計画を胸に、ディックはユーベル城下街に居を構えることを決めていた。

 元々ヴェルエル世界はデッィクの出身世界である。しかしながら『バウム』を通じての来訪のため、自分の国キビートには帰ることのできない身となっていた。そんなディックは、ユベトルの統治者ミシュルの精神的な疲れに自分の力が役に立つかもと考えていたのだ。その為の下準備としてこの地に植物の露店を開くことに決めたディック。その為の軍資金もしっかりと持ってきたディックである。キビートには戻れないものの多くの珍しい植物を仕入れ、キビート植物屋「サンディール出張屋」の看板を用意することにも成功する。順風にも見えるディックの露店開店準備。そんな中、ディックにかけられる声があった。
「よう。デッィクじゃないか? サンディール植物園の」
 ディックに声をかけたのは、植物園の常連客の一人であった。
「何、この看板。こっちでも商売してくれるのかい?」
「お、ジョルジュ? 久しぶり!」
 客とも素で友人付き合いをするディックが、懐かしい顔に出会って笑顔になる。それでも真実を語るわけにはいかないため、とっさに話をあわせる。
「ああ。この鎖国で帰れなくなったからね。この場所で商売しようと思ってるんだ」
「そいつは難儀だよな。何か困ったことがあったら相談にのるよ。俺の家は、この通りの一つ先にあるんだ」
 ディックより3つほど年上のジョルジュは言う。
「何しろ今は異国人と見れば、収容所送りだろ? 収容所ってのはずいぶんひどいところだって有名だぜ」
 そんな話をする二人に、ユーベルを警備する私服の警備隊員が声をかける。
「おい! そこの見慣れないおまえ! 名は何という!!」
 声と顔にすごみのある警備隊員であるが、格好がミニスカートであるのでディックは思わず笑いを誘われてしまう。笑いをこらえてとっさに返事ができないディック。そのディックに代わって、ジョルジュが応える。
「おっと。こいつは怪しい者じゃないよ。キビートにあるサンディール植物園の職人ディック・プラトックって者だ。この鎖国で返れなくなって難儀してたとこなんで」
「それを証明するものはあるのか!?」
 私服警備員に問われてディックが困っていると、ジョルジュがポンと手をたたく。
「そうそう。観光協会に行けば、キビートの観光資料が残ってるはずだ。このディックも写真入りで紹介されてる!」
 ジョルジュの先導で観光協会へと向かう一行。幸いにして残っていた資料にキビートのものがあり、そこには確かにディックが顔写真入りで紹介されていたのである。ジョルジュのおかげで異国人収容所行きを免れたディック。この後、順調に開店へとこぎつけたディックは、その開店祝いとして宮殿に沢山のハーブを統治者に贈りたいと申し出たという。

 『バウム』の力をもってすれば、ユベトル統治者ミシュルとの直接対面も可能であったディック。しかしディックは正式なルートからミシュルとの面会を取り付けた。ミシュルとの面会は、5の月の24日10時に果たせるという。
《M21事件中心地/5の月24日/10:00》



○エルセム首都セム宮殿《J6/4の月24日/10:00》
 エルセム統治者である少女ソルエが悲鳴のような声を上げた。
「一体、これはどういうことなの!?」
 頻発する行方不明だけではなく、エルセムではかつて見たこともないモンスターが出没し、多大なる被害が広がっていたのだ。
「……それをどうにかするのが、ソルエの仕事ではないのか?」
「兄上……」
 泣き顔になりかけたソルエに、義兄であるゲイル・カイツァールは言う。
「では、ソルエ自らモンスター退治に出ててはどうかな。大丈夫。ソルエならばできるだろう?」
 義兄の言葉に、ソルエは自らモンター退治に乗り出す決意を固めていた。
 ソルエが取るものもとりあえず、側近部隊を引き連れてモンスターが出現したというエルセム郊外に向かう。と、そこにはすでに、モンスターと戦う者たちがいた。

 竜の形の角と翼。さらに尻尾を持つ乙女クレイウェリア・ラファンガード。竜の血を持つ異世界の乙女が、爆乳をゆらしてエルセム郊外に立ったのは、まだソルエがセム宮殿にいた時刻である。そんなクレイウェリアの赤い瞳に映るのは、白い壁に囲まれた家々の続くエルセム郊外の風景だった。
「こいつは、のどかな場所に出たもんだ」
 のん気に鼻歌でも歌いたい気分になるクレイウェリアに向かって、遠くより誰何する声が上がる。
「……そ、そこにいるのは、異国人なのか?」
 クレイウェリアが声の方向を見ると、100mほど離れた正面に白衣姿の青年が現れたのを確認する。
「異国人と言われたら、そうだろな。あたいは“ラウ・ワース”ってとこの出身だよ!」
 異世界人であることを隠す気はないクレイウェリアが、青年に向かって声を張り上げる。クレイウェリアの豊かな胸を無造作に覆った前合わせの長い衣姿は、確かにエルセムでは異国風なのであろう。だが、竜の形の角と翼や尻尾までは隠そうとして隠せるものではない。開き直っているクレイウェリアは、腕を組んで相手の出方を待つ。
「あたいが異国人だとしたら、あんたはどうするつもりだい?」
 クレイウェリアを警戒しつつ近づいていた青年は、クレイウェリアの異形な姿を確認して悲鳴を上げた。
「ひ! こ、これは……モ、モンスターだっ!!」
 青年の悲鳴と同時に、クレイウェリアの右腕に熱い熱が走る。続けて街中に非常事態を告げるサイレンが鳴り響いた。
「チッ! あたいとしたことがしくじっちまったってことだね!!」
 舌打ちするクレイウェリアが、熱線で傷ついた右腕を庇いながら走り出す。あらかじめ対策はしていても、エルセムのモンスター退治に来た自分が、住人にモンスター扱いを受けるとは思ってもみなかったのである。そんなクレイウェリアのいる場所に向かって、自警団らしき住人たちが様々な威力を持つ銃を手に集まってくる。
「モンスターはこっちだ!!」
「……これがエルセムの持つ科学力ってヤツかい?」
 エルセム郊外にまで及ぶセキュリティシステム。この時、クレイウェリアが何によって索敵されているかまでは知るよしもなかったが、確実に追い詰められているのはわかる。そうかといって、住人を傷つけるつもりはまったくないクレイウェリアが、独自流の土石魔体術を防御に転用する。
「土石魔体術!」
 クレイウェリアが地面に左手をつけると、激しいオーラが立ち上る。
「大地隆起!!」
 気合いと同時にクレイウェリアの左拳が、大地へと突き刺さる。同時に、追手の足元が大きくゆらぎ、クレイウェリアとの間に大地の壁が立ち上がる。
「う、うわっ!!」
「ひいい!!」
 追手たちは、足元をすくわれた形になり、転がりながらも壁から離れようともがき始める。そんな彼らに向かって、壁の向こうから声が届けられる。
「大丈夫。あたいはこれ以上、あんたらを傷つけるつもりはないよ」
 冷静な判断ができなくなっている住人たちに、気風のよいクレイウェリアの声が響く。
「あたいは、モンスター退治に来た異世界人だ。あたいを拘束するならそれで良し、拘束を見逃して貰えるなら今後自分が統治者のソルエ嬢に替わってモンスター退治を請け負ってもいいと思っているんだ」
 鷹揚に交渉するクレイウェリアは、自身の傷ついた腕に巻きつく長いの袖を左手で引きちぎりながら言う。
「あたいの実力は、この壁だけで十分わかっただろ? 手負いの状態でも、この通りさ」
 住人と戦う気のないクレイウェリアは、それ以上住人に何もしないでいた。そんな状態を減た後に、エルセム郊外に住む住人たちと和解するクレイウェリアの姿があったという。

 住人たちによって、十分な治療を施され、右腕の完治まで療養を続けたクレイウェリア。住人の代表によって統治者ソルエとの面会を許されたのは、この一月後であったという。
《J06事件中心地(セム宮殿へ)/5の月24日/10:00》

 
 クレイウェリアがエルセム郊外世界に現れてしばらくたった時刻。
 緊急事態を知らせるサイレンの響く中、幼くも見える異世界の青年がクレイウェリアと同じ場所に立つ。丈の長いTシャツにフード付きベストという軽装の青年。そのフードの中には、“ネコのぬいぐるみ”が、収められていた。
−何かあったのかな? キミはどう思う?−
 猫のぬいぐるみに背中ごしに問われた青年が、紫の瞳をぬいぐるみの方向に向ける。
「エルセムはモンスターの少ない世界らしいから、モンスターが出没したからこの大騒ぎなんだろうな。出現場所まで行ってみるか?」
 ぬいぐるみに話しかけた青年の名は、ジニアス・ギルツ。そして“ネコのぬいぐるみ”に憑依しているのは、ラサ・ハイラルという名の少女である。一度死した少女ラサは精神体となり、青年ジニアスと共に行動していた。
 ぬいぐるみのラサが頷くのを待って、ジニアスが背に黄色の翼を広げる。
「飛ぶぞ! しっかりつかまっとけよ」
 ジニアスの声で、ラサがフードの端を握り締める。それを確認したジニアスは、白い建物の続くエルセム郊外の大地から飛び立った。この時、もし住人がクレイウェリアに集中していなければ、彼らこそがモンスターと間違えられたかもしれない。そんな彼らは、クレイウェリアの繰り広げる捕り物を見守った後、新たな情報収集を進めるべく、このエルセム郊外に残ったという。

 捕り物が落ち着き、元の平安を取り戻したエルセム郊外の白い街。
 鎖国状態のエルセムでは、通常白衣姿ではない者は、異国人として拘束される。だが、先までのクレイウェリアの捕り物が幸いし、“モンスター退治に訪れた者”と名乗れば、住人に警戒されることなく受け入れられていた。
「ふーん。じゃ、さっきのサイレンは、モンスターの発見警報なんだ。で、位置は第一発見者から通報されて……」
 等とジニアスが聞くところによると、第一発見者の位置はすぐにセキュリティシステムによってエルセム統治者の住まうセム宮殿にも知らせられる。セム宮殿には、エルセム勢力圏において発生する異常事態を集中管理するシステムがあるのだという。また彼らの使う武器には、すべて発射位置と命中位置を常時連絡するシステムがあり、命中位置が動くということは、対象位置が的確に把握できるというものだった。しかも、この郊外では自警団員の『生体索敵機』によって、その命中位置をいつでも確認できるのだという。
「……生体索敵機って、どんなものだい?」
「何だ。そんなことも知らないのかい? 生体索敵機ってのは、統治者ソルエ様の兄君にして、『生体機械工学』の第一人者ゲイル・カイツァール様の考案された体内内蔵型レーダーのことさ」
 ジニアスの確認した『生体索敵機』とは、直接思考に伝送される位置データなのだという。あらかじめ皆が位置関係データを共有し、そこに該当する場所を知覚できる、というものらしい。
「ふーん。何だか、大変そうな機械だね」
 様々な意味で考え込むジニアスの腕が、ぬいぐるみによって引っ張られる。
「おっと。本来の仕事を忘れちゃいけないな。俺、モンスター退治に来てるから、新しいモンスターの出没情報があったら教えてくれないか」
 ジニアスの言葉によって、今まさに統治者ソルエが向かっている位置を把握する。
「距離はここから120km、か。もってくれよ、俺の翼!!」
 当座の食料をエルセム自警団からわけてもらったジニアスが、ぬいぐるみのラサと共にこの土地を離れたという。

−ジニアス、このぬいぐるみから憑依を解いてもいい?ー−
 “ネコのぬいぐるみ”からの抗議を受けて、空を飛ぶ青年が息をつく。
「完全同化が限界なのか? 今は空を飛んでいることだし、本来の姿に戻るかい?」
−あー、助かった!!−
 声と同時に、“ねこのぬいぐるみ”は動かぬ玩具となり、半透明な少女の姿がその側に現れた。
−疲れてきたってわけじゃないけど、ボクも力は温存しときたいんだ! いざって時に動けないと困るでしょ?−
 ラサは明るく言うが、実際のところは、
『なんでぬいぐるみで動いちゃダメなのかよく分からないけど。もし、自由に動けたなら自分の足で、色んな所を見て回りたいからね!』
 というのが本音らしい。そもそもジニアスがダメというので仕方なくジニアスのフードごしに外見て楽しんでいたラサ。動かないでいることの方がつらかったのだ。そんなラサの事情を知らないジニアスは、触れられぬ姿となったラサに礼を言う。
「助かるよ。ラサの力はあてにしてるからな」
 素直なジニアスの言葉に、ラサは少し良心が痛んでいた。その後も数日をかけて飛び続けたジニアスとラサ一行。
「そろそろ俺の方が何だか疲れてきたかな? そろそろ目的地のはずだしね。一度、情報収集してみた方がいいかもしれない」
 移動距離にして120kmほどを移動しただろうか。白い街並みからうっそうとした森が広がり、木製の家々が点在する村らしき場所が見えてくる。ジニアスが念のため人気のない郊外の土地に降り立つと背中の翼をたたむ。すると、翼は吸い込まれたかのようにジニアスの背から消えた。ジニアスが空を飛ぶ力を失うのと入れ替わるように、ラサがぬいぐるみに憑依する。その時、辺りから剣を振るう音や怒号、村人の悲鳴とが聞こえて来た。
「ビンゴ! 行こう!!」
−うん−
 二人の魔物退治が始まった。

 二人が飛び込んだ先では、まさに異形のモンスターとエルセム兵士との戦いが繰り広げられていた。多数のモンスターに囲まれる中に、戦いに似つかわしくない少女の姿も見つける。が、さして気にもとめない二人が、連携して技を叩き込んでいた。

 青く光る雷をまとう剣が、鮮やかに舞う。
 青年ジニアスが『雷光円舞』と名づけた技が炸裂すると、彼を中心に巨大な半球が描かれ、内部にいたモンスターに雷が貫く。
 半球内部に残ってしまった少女やエルセム兵士たちは、ぬいぐるみとなったラサが扱う小銃によって守られていた。

 ほどもなく、ジニアスとラサとの活躍によってモンスターが一掃された。だが、モンスター退治の英雄である二人は、『異国人』であるという理由だけで、助けたエルセム兵士たちに捕らえられてしまったという。彼らはエルセム兵士から尋問を受けたのち、エルセムの異国人収容所へと送られてしまうというのだ。そんな二人にどう声をかけてよいものかどうか、どう礼をのべたらよいのか……二人に助けられた少女はまだ混乱の中にいた。
 ジニアスとラサ。二人のたどる運命は、まだ多くの選択の余地を残していた。
《I05事件中心地/4の月27日/12:00》


 何が起こったのか、焦土にたたずんだ少女にはわからなかった。少女には確かにエルセム兵士と共にモンスターと戦おうとした記憶はある。けれど、自分は邪魔になるばかりで何の助けにもならなかった。しかも、異国の者たちに守られたらしい状況を受け入れられないでいた。呆然とするばかりの少女こそ、エルセム統治者ソルエである。ソルエは、セム宮殿に戻ってからも茫然自失の日々が続いていた。エルセム首都セム郊外の住人の代表からの連絡によって、異世界の住人クレイウェリアとの面会を許可したのも、無意識のうちであった。
 その後もセキュリティシステムが危険を告げ続ける執務室。その机の前で、心ここにないソルエは、ただ兄の言葉に頷くだけの日々を続けていた。やがて時は5の月に移り、クレイウェリアとの面会日となるその日、突然軽装の少女がソルエの前に現れる。
「な、何が起こったの!?」
 これまで自分に起こった事態も受け入れられないところを、さらに起こる異常事態。驚くソルエの周囲を、セム宮殿の近侍たちが囲む。
「ソルエ様! お逃げください!!」
 近侍たちの声にソルエが走り出そうとすると、場違いに明るい声がかけられる。
「あ! ソルエ、だね!! 始めまして! ボク、トリスティアだよ」
 右手を差し出した少女トリスティアは言う。
「ボク、君に会いたくて異世界から来たんだよ。あ、っと……でもここって宮殿みたいだね! ボク、早かったのかな遅かったのかな??」
 『バウム』を通じて異世界よりエルセムへ来訪したトリスティア。トリスティアは、座標は間違えなかったものの時間指定を誤ってしまったのだ。トリスティアは、明らかに自分が知るソルエとは様子が違っている事に心を痛める。
「ボク、遅かったみたい、だね……ごめんね!!」
 素直に謝るトリスティアは、衛兵も現れたソルエに向かって取り押さえられてしまう。
「もう、モンスターと戦ったの? 女の子がモンスターと戦ったなんて怖かったと思うよ」
 本来ならばいろいろ事情を聞きたかったトリスティアが、ソルエに向かって声を張り上げる。
「それならボクが、いろいろ教えてあげようか? 戦い方とか、統治の仕方とか……ボク、見た目は頼りないかもしれないけど、ボクは歴戦の冒険者なんだ。かつては東トーバってとこの指導者でもあったんだよ。国のためにリーダーとして働いてきたボクだから、きっとわかりあえるよ!」
 そんなトリスティアの声から逃れるように、ソルエが耳をふさいでしまう。それでもトリスティアは、自分が伝えたかった言葉だけは最後まで言い切る。
「今までボクが培ってきたノウハウや心構えを、ソルエに教えることで、ソルエにも立派なエルセムの指導者になってもらいたいんだ! ボクは、困っている人や頑張っている人を見捨てておけない性分だから! ……ソルエはいかにもそんな感じだからほっとけないんだ!!」
 トリスティアの叫びは、耳をふさぐソルエに届いていたという。けれど、まだ混乱するソルエに自分の立場を律することはできなかった。

 セム宮殿において捕らえられてしまったトリスティア。宮殿内部に突然出現したトリスティアは、宮殿内の官吏らによって尋問された後、第一級の重犯罪者として処罰されるという。
《J06事件中心地/5の月24日/9:00》


 様々な土地で、様々な事象に出会った者たち。
 彼らは一度『バウム』へと帰還する。
 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。
 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。
 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられていた。

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