『紅の扉』  〜ヴェルエル編 第二回

ゲームマスター:秋芳美希


 いらっしゃいませっ!
 ようこそ『バウム』の『緑の窓』へ。
 えっと、ヴェルエル世界へ行かれる方ですねっ!

 足元もおぼつかない暗闇の中、案内役のウェイトレスであるヤヤの明るい声が響く。ヤヤの指し示す世界は、
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 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは未だ、それぞが鎖国状態が続いていた。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏。その中で、変わらずのんびりと構えていたのは、セントベック統治者のフィルティ・ガルフェルト。体調が思わしくないのが、ユベトル統治者ミシュル・アルティレス。そして様々な事象によってさらに混乱をきたしてしまっていたのはエルセム統治者ソルエ・カイツァールだという。
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 ……というものだった。

 実際、『ヴェルエル』世界に向かうには様々な制約があり、難儀な世界である。けれどその制約を乗り越え、ヴェルエル世界に向かおうとする来訪者たちは確かにいたのだ。そんな彼らに、
 ××おじゃましますぅ。『バウム』フロアチーフのララですぅ××
 という聞きなれた声がかけられる。その声の方向に向かった彼らに、ララの声が届けられる。
 ××ヴェルエル世界に第一回目のご来訪ありがとうございましたぁ! 皆様のご活躍によって、『バウム』でも調査不能でした各勢力圏の情報が明らかになってまいりましたぁ!××
 礼を伝えるララは続ける。
 ××そこでぇ、さらに皆様に活躍いただけますよう、ヴェルエル世界関連の理解度にあわせて、皆様の利用技能を上昇させていただく仕様がようやく完成しましたぁ!××
 ララの示したその仕様とは、ヴェルエル世界に関る各種の設問に回答することで、ヴェルエル世界の理解度を測るものであった。すなわちヴェルエル世界をより理解することで、この世界で使える力が上昇するというものなのだ。その設問に回答する者たちにララは、
 ××この数値は次回以降にも反映されますのでぇ、ご活用くださいですぅ××
 と伝えたのだった。
 そうして行く準備をそろえた者たちに、ヤヤが声をかける。
「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界におでかけになりますか?」
 うなづく者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。
「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」
 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。新たな世界が目の前に広がった。

 多くの仲間たちが緑ゆれる世界に向かう中、一人立ち止まる者がいた。一見した容姿は青年ながら、まだ少年であるアルヴァート・シルバーフェーダである。アルヴァートは、遠ざかろうとするララの声の方向にむかって、よく響くテノールの声で呼びかける。
「ちょっと待った! オレはキミに問いただしたいことがあるんだよ!」
 ××どういったことでしょうぅ??××
 少年らしい呼びかけに、ララの声が戻ってくる。それを確かめて、声の持ち主アルヴァート・シルバーフェーダは言った。
「オレが聞きたいのは、ユベトルのことだよ。ここのどこが“魔法系容認地域”なんだ? ララの情報は、『バウム』から直接世界を認識する唯一の方法なんだから誤情報は困るよ」
 先にユベトルで魔術を使ったことで正体が露呈してしまったアルヴァート。アルヴァートは、眉間に皺を刻みながら言った。そのアルヴァートに応えたのは、案内役のヤヤだった。
「そ、その情報担当は私ですねっ! 節悦ながら、説明させていただきますねっ」
 と、ヤヤが説明するところによると、
「えっと、現ユベトル統治者ミシュル・アルティレスが、ヴェルエル世界で存在が確認された全魔法使い9人の中の一人……ということはご存知ですねっ。ミシュルの使う防御系の魔法で、ユベトルは他の勢力圏から守られているのですよね。なので、ユベトルでは魔法を使っても、人々に“容認”されてるのですっ。他の勢力圏で魔法を使うと人々がどういう反応をするものなのか……『バウム』でもわからないのが現状ですっ。わからない、といえば他の8人の魔法使いがどこにいるのかも確認できてませんっ」
「……わからないことだらけ、なんだね」
 あきれかげんに言ったアルヴァートに、
「はいっ、そのとおりですっ」
 ××はいぃ、ですのでぇ、皆様に解明していっていただきたいのですねぇ××
 と応えていた。
「じゃ、ついでだからもう一つ聞いていいかな? 『バウム』からヴェルエル世界にもっていけるお金のことだけど。今までもオレ、お金を他の世界にもってかなくても困らなかったんだけど」
 ××そのご質問は、わたくしですねぇ××
 自分の疑問に思うことをてらうことなく口にするアルヴァートに、ララは言った。
 ××他の世界に行かれた時は、『紫の扉』が直接・間接的に介入することで清算されてきましたぁ。けれど、ヴェルエル世界ではぁ、『紫の扉』の介入条件が整っていないのですぅ。ヴェルエル世界での活動範囲が広く、かつ通貨の利用状況が雑多なためですねぇ。なのでぇ、お持込みになります通貨は、ヴェルエル世界への転送と同時に表出先の現地通貨に換算されますぅ××
「何となくわかった、かな。じゃ、また何か問題あったら聞いてもいいのか?」
 ××もちろんですぅ。他の皆様も遠慮なくどうぞですぅ♪××
 どこか楽しげなララの声は、先に送り出された者たちにも届いたという。



○セントベック首都ベック_ベック飛行場上空《E22事件中心地/4の月24日/13:00》
 鎖国状態のセントベック。セントベック統治者フィルティがベック飛行場を離れた後、統治者付護衛長官によってセントベック航空・陸上警備隊及び空挺部隊の出動要請が発される。
「あー、こちら統治者付護衛長官ライアンである。フィルティ様来訪のベック飛行場において、未確認飛行物体を発見! さらに、未確認飛行物体内部に、人影らしき姿を確認! 敵勢力圏新兵器である可能性もあり、至急確保されたし。猶、兵器と確認された場合、被害を最小限に攻撃せよ」
 こうして巨大しゃぼん玉に乗るリュリュミアの捕獲作戦が開始される。場合によっては、攻撃されることもあるという。
 その援軍を到着を待つ間、未確認飛行物体の監視を続ける統治者付護衛長官ら。その監視の中、未確認飛行物体が消失する瞬間があった。
「!?」
 しかし一同が眼をしばたたかせたのはほんの一瞬のことだった。その未確認飛行物体は、何事もなかったかのように青空に浮かんでいたのだ。
「眼の錯覚か?」
 護衛官らが顔を見合わせる中、
 ゴゥオオオオオオッ
 轟音を響かせて、真っ先に目標地点に到着したのは、セントベック航空警備隊であった。銀翼を輝かせる5機の機体。その戦闘機の巻き起こす風が、未確認飛行物体を激しく回転させいてた。
「目標確認! ターゲット、ロック・オン!」
 其々が未確認飛行物体を捕捉し、射程圏内にて特定軌道を描いて旋回を開始する。未確認飛行物体が敵兵器と確認されれば、いつでも攻撃できる態勢を整えたのだ。

 そんな彼らが狙う未確認飛行物体とは、直径2mにも満たない虹色の球体。その正体は、異世界人の乙女が乗る巨大な『しゃぼんだま』であった。
「赤い髪の人とお話しようと思ったのですけどぉ、何処かに行っちゃいましたねぇ」
 ヴェルエル世界人とファースト・コンタクト失敗に落胆する乙女の名はリュリュミア。若草色のワンピースにタンポポ色の幅広帽子が印象的なリュリュミアは、乙女らしい体を常人とは思えない方向に曲げて考える。
「もしかして、邪魔しちゃいましたかねぇ」
 考えこむリュリュミアは、外見こそヴェルエル世界の人々と変わらぬ“人間”の姿をしていても、リュリュミアは“人間”ではない生物である。リュリュミアの乳白色の肌が異様にすべらかなことも、その証の一つといえた。リュリュミアが“赤い髪の人”相手の心配をしていると、
「代わりに大きい人たちが出てきましたけどぉ、ぐるっと遠巻きに取り囲んでにらんでてぇ、あんまり近くに来てくれないですぅ。そんなににらめっこが好きなんですかねぇ」
 自分を取り巻く変化さえも、「お話しする方が楽しいと思うんですけどぉ」とのんびりと観察していたリュリュミアであった。
 そんなリュリュミアが、突然現れた飛行機にライトグリーンの瞳を白黒させる。
「飛ぶ機械が飛んできたですぅ。あわわ、そんなに近くを飛んでるわけじゃないのに、しゃぼんだまがくるくるまわって目が回っちゃいますぅ!」
 セントベック航空警備隊の戦闘機が巻き起こす風圧は、リュリュミアのしゃぼんだまをその場で激しく回転させたのだ。 航空警備隊続いて到着するのは、セントベック陸上警備隊であった。馬に騎乗して現れた陸上警備隊員たちは周囲の道を封鎖しつつ、未確認飛行物体周辺に包囲網を固めてゆく。さらに上空には、陸上警備隊空挺部隊の乗るプロペラ式飛行物体が接近していた。
「なんだか人がたくさん集まってきましたよぉ」
 激しく回転するしゃぼんだまの中で、リュリュミアは自分の周囲がものものしい雰囲気に包まれてゆくのだけはわかった。
「着陸してしゃぼんだまから降りて、普通にお話しますぅ」
 リュリュミアが、しゃぼんだまを下降させようと決めた時、自分に向かって呼びかける声を聞いた。
「未確認飛行物体に告ぐ! すでに周囲は包囲されている! 投降するならば、攻撃はさせない!」
 呼びかけているのは、長身で筋肉質の体に背広姿の中年男性。それは、統治者付護衛長官ライアンであった。ライアンは、暫定的に軍の指揮権もまかされていたのだ。そんなライアンに、到着したばかりの陸上警備隊師団長が提案する。
「なまぬるくはありませんか? まずは威嚇攻撃をしかけて反応をみては?」
 その提案に、ライアンは首をふった。
「敵兵器の可能性もある。うかつに攻撃するのは避けた方がよいだろう。それに内部に人影が確認できる以上、何らかの接触方法がとれるかもしれん。まずは、これが第一段階だ」
 ライアンは、もと部下でもある陸上警備隊師団長に言った。
「……例の事件とのつながりも否定できんしな」
 ライアンの心中を占めるのは、「住人が消える」事件である。ライアンは、このしゃぼんだまがこの一連の消失事件に関係がある可能性を考えていたのだ。そんな中、激しく回転していたリュリュミアのしゃぼんだまがゆっくりと下降を始める。
「……何か聞きたいことがあったら聞いてもらってもいいですけどぉ、あまり難しいことはわかりませんよぉ……」
 すでにすっかり目が回り、意識がもうろうとしつつあるリュリュミア。
 やがてリュリュミアが地面に降り立つ時、彼らとのファースト・コンタクトが始まる。
《E22事件中心地/4の月24日/18:00》



○ユベトル首都ユーベル_ユーベル郊外《M21郊外/4の月24日/13:00》
 広場で寸劇と音楽を住人に楽しませていた二人の異世界人が、異国人と疑われて拘束されてしまう。倒すか逃げるかは相手次第と決めていた彼ら。二人の運命は、まだこれからいくらでも変わる要素を含んでいた。拘束された二人とは、可憐な少女アリューシャ・カプラートと大人びた少年アルヴァート・シルバーフェーダである。そんな二人を鎖でつなれげ連衡しようとした私服の警備隊員は、二人の姿が確認できない瞬間に遭遇する。
「! ……何が起こった?」
 けれど警備隊員が感じた鎖の先の喪失感は一瞬のことで、二人は何事もなかったかのようにそこに存在していた。
「どうかしましたか?」
 聞きほれるほどの美しい声で、聞いたのはアリューシャだった。すでに警備員におとなしく従って、他の異国人たちと同じように捕らえられてみようと覚悟を決めているアリューシャは言う。
「どこか具合でもお悪いのですか? もしよろしかったらわたしの歌で回復できるとよいのですが」
 アリューシャの持つ『癒しの歌』。その効果を十分知った上で、不用意な警戒を抱かせないようにアリューシャが言葉を選ぶ。小首をかしげて警備隊員を見つめるアリューシャに警備隊員は真っ赤に頬を染める。一方、そのあまりの可憐さに心臓が飛び出すほど心配するのはアルヴァートだった。
『い、いくら何でもかわいすぎるだろうっ! できることならオレもおとなしく連行されてほかに捕まってる異世界の人たちと接触がもてないか試みたいところだけど……』
 慌てたアルヴァートが、アリューシャの脇をつつく。
「アリューシャ、気をつけて!……それに、この町の様子もおかしい……ついさっきまで俺たちがしていたのは恋歌と人形劇……どっちかといえば女性客の方が多く集まる演目なのにいるのは男性ばかり……治安が悪いようにも見えないからこれは異世界人狩りの名を借りた不当逮捕なんかが横行してるんじゃないか……? この世界は別の世界からも干渉を受けてるというし……もしかしたら以前バウムで噂に聞いた魔族とやらも絡んできてるんじゃないだろうか……」
 アルヴァートの真面目な言葉に、アリューシャが頷く。
「わたしも、もしかしたら、広場で歌った時に女性が少ないと感じたのは、何らかの理由で男性よりも多く収容されているのかも……って思ってました」
 アリューシャが藍色の瞳を曇らせる。
「もし、この地で魔女狩りのようなことが行われているとしたら、余計に気の毒で……」
 そんな二人の会話は、ミニスカート姿の私服警備隊員に阻まれる。
「二人で何をこそこそしてるんだっ!! おらっ、行くぞ!!」
 乱暴にアリューシャの手に鎖が巻かれ、警備隊員がそれを引っ張ろうとする。それが許せなかったのは、アルヴァートだった。もともと任意同行の交渉をするつもりでしたアルヴァートの理性がふっとんでしまう。即座に聖剣『ウル』を抜き放ち、その切っ先を警備隊員の首筋に突きつけまた。
「オレの彼女に薄汚い手をのばすんじゃねぇ!」
 だが、次の瞬間にはそのアルヴァートの手から剣が落ちてしまっていた。そして、その警備員にもたれかかるように安らかな寝息を立て始めたのだ。
「な、何があったんだ!?」
 状況がまったくわからない警備員がアリューシャを見やる。そのアリューシャは、胸元の衣装を整えながらにっこりと笑った。
「アルバさんは突然眠ってしまうことがあるみたいなんです。そういう症状の病気とか……ご存知ですか?」
 逆に問われて、警備員の方が困ってしまう。
「そ、そういう病気もあるみたいだな」
「でも、しばらく眠れば、すぐに目が覚めるみたいです」
 微笑むアリューシャの言葉に、
『こいつがもう一度目覚めたら……!』
 と、私服警備隊員が震え上がる。以降、この警備員がアリューシャを乱暴に扱うことはなかったという。

 この後、アルヴァートを警戒する警備隊員は、警笛で仲間を呼び寄せてから二人の移送を開始する。移送時、アリューシャは持ち物は何も取り上げられなかったが、アヴァートの方は聖剣「ウル」を含めて、金属製の道具は危険だと『召魔召神の笛』まで取り上げられてしまっていたのだった。
 
 そんな彼らが移送された先は、首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所。元刑務所であったという場所は、巨大な壁に囲まれた施設であった。その中の一室が、捕らえられてきた者たちの尋問室であるという。二人の尋問を担当するのは収容所係官。二人はその収容所の中で、女性・男性専用房のそれぞれに分けられてしまうこととなる。
 長い移送の旅路の果てに、たどり着いた収容所の静けさは幼いアリューシャを怖がらせていた。
『もしかしたら自分達のように異世界から来た人もいるのかもしれないのと思っていたのですけれど……まさかこんなに遠くまで連れてこられてしまうとは……思ってもみませんでした』
 収容所で話を聞いて調べてみたい、と思っていたアリューシャ。そのアリューシャがアルヴァートの言葉を思い出す。
『……もしかしてアルバさんの……言葉とおりなのでしょうか?』
 さらに心細くなるアリューシャは、女性専用房の中にある檻付きの大部屋に入れられてしまう。
『それでも……もし捕らえられた人が、わたしの他にいるのなら……』
 自分をふるいたたせたアリューシャは、透き通った声で歌い始める。アリューシャが歌うのは『癒しの歌』。アリューシャの手に残された『セイレーンの竪琴』で、歌声を遠くまで届くように響かせていた。その時、同じ房の隅からしわがれた老婆の泣き声が聞こえてきていた。
「……かわいそうに……あんたもまた……なのかねぇ……」

 すすり泣く老婆がいる収容所の専用房に入れられたアリューシャ。
 一方、魔法の道具を取り上げられて為すすべのない状況下で収容所の男性専用房に入れられたアルヴァート。
 捕らえられた彼らの危機は、一旦『バウム』に帰還することで解消する。表出場所も、アイテムも、その能力すらも、『バウム』を通じて新たになるのだ。そんな彼らの未来は、彼らだけが決められる。
《N24/5の月25日/21:00》


○ユベトル首都ユーベル_ユーベル宮殿《M21事件中心地/5の月24日/10:00》
 このヴェルエル世界の住人であるディック・プラトック。そのディックは、正式なルートからユベトル統治者ミシュルとの面会を取り付けた青年である。野趣に富んだ青年ディックは今、ジーンズの上にユーベル衣装であるミニスカートをつけていた。
「それなりに服装もきちんとしなくちゃな」
 さすがに生足までみせるのは気恥ずかしいディックなりの工夫であった。そのディックは、手に抱えきれないほどのハーブを抱え、一般面会者の待機用に用意された部屋で待っていた。そんなディックに声をかける者がある。
「この度は、ミシュル様へのお心遣い感謝いたします。そのハーブとやらでお元気になられるとよいのですが」
 書類を抱えた官吏は、やつれた顔でディックに会釈する。その挨拶をうけて、ディックの緊張がわずかにほぐれる。
「いえ、こちらこそ。異国人である俺と会ってもらえることに感謝したいぐらい……」
 と、ディックが言った時、ディックの入室を許す統治者の側近が手招きする姿がある。
「あ、じゃあ、俺、行かないと」
「ミシュル様をよろしく願いします。わたくしは、ユベトルの行政官吏の一人、プリュス・ナニクと申します。どうやらわたくしも、そのハーブとやらのお世話にならないといけないようですので」
 自身の疲れを自覚し始めているプリュスに、ディックはよろこんでお届けすると約束していた。
 そんなディックがミシュルの休んでいるという寝室の前に立つと、側近が怒りぎみの声をあげた。
「あなたは、機敏性に欠けるようでございますね。ユベトル統治者にして、スフォルチュア国の女王に対して、くれぐれもそそうのないよう、お気をつけくださいませね」
 そんな側近は、あからさまに異国人であるディックが気に入らないらしい。
「少しでも怪しい動きをされましたらば、お命はないものとお覚悟なさいな」
 脅しをかける言葉を口にする年配女性である側近。そんな側近の手で扉が開けられると、深緑色の絨毯が敷き詰められた寝室がひろがる。その部屋の角という角には、威圧するようにたたずむ衛兵たちの姿があった。
『……まがりなりにも女王様と異国人との対面だからな、警戒されても仕方ないか』
 再び緊張するディックに、少しかすれた女性の声がかけられる。
「ようこそ、おいでくださいましたね……よい香りがしています……これがハーブというものなのですか?」
 ディックがその方に目を向けると、巨大な天蓋付きのベッドに横たわる女性らしき姿を確認する。
「これ以上は……動けないものですから……ペッドから失礼致しますね」
 それでも起き上がろうとするミシュルをディックが慌てて止める。
「いえ、そのままで大丈夫、です。そんな中を面会を許してもら……いや、いただいてありがとうございます!」
 慣れない敬語を操りながら、ディックが礼を言う。そんなディックが自分自身の出自の確かさを伝えようと友人からもらった自分の資料を出そうとする。すると、女王がほのかに笑う気配が伝わってくる。
「噂はプリュスからも聞いているので大丈夫ですよ。この鎖国で大変だったようですね……すでにこの国にいらしていた他国の方々には、心苦しく思っておりました……」
 ディックの面会は、プリュスの進言によって実現したのだとミシュルが言う。
「いずれ行きたいと思っていた『サンディール植物園』がこの国に出来た、とそれは喜んでいたのです……よ……私……も……」
 おだやかに語っていたミシュルの様子が、次第に苦しげに息をつき始める。それと同時に、ディックの手にしたハーブのいくつかの束がしおれてゆく。しおれてゆくのは、ディックが『癒しのタッチ』の力で触れたハーブだった。「癒しは、植物には効果ないみたいだけど。さすがに女王であるミシュルに直接触れるわけにはいかないからな」と、気休めに与えた力。そんなディックの力を得たハーブの束だけが、しおれてゆくのだ。
『何か理由があるのか……?』
 この状況をもたらす悪しき存在について、ディックは考え始める。そんな中、側近がディックを外に出そうとあわただしく動きだした。ディックは、ミシュルに直接『癒しのタッチ』の力を与えられない自分を制しながら声をかける。
「では、このハーブを! 枯れたものは持って帰るけれど……ま、まだ元気のあるハーブは、ぜひ活用してほしいです。そして疲れを取って、今起こっている問題に無理なく解決の方向に進んで欲しいと願っています!」
 肝心の癒しと、要望を伝えきれないまま退出するディック。しかしディックは、ミシュルに面会し、さらに怪しい空気の変化に立ち会ったことで、新たな何かに気がつき初めていた。

 何か異質な力で体調を崩しているらしいユベトル勢力圏の統治者であり、勢力圏内の小国スフォルチュア国の女王ミシュル。彼女の完治は未だ遠かった。
《M21事件中心地/5の月24日/12:00》



○エルセム村落《I05(エルセム村落)/4の月27日/12:00》
 ジニアス・ギルツとラサ・ハイラルとの活躍によってモンスターが一掃されるとに成功したエルセム村落。だが、モンスター退治の英雄である二人は、『異国人』であるという理由だけで、助けたエルセム兵士たちに捕らえられてしまったという。彼らはエルセム兵士から尋問を受けたのち、エルセムの異国人収容所へと送られてしまうというのだ。そんな二人にどう声をかけてよいものかどうか、どう礼をのべたらよいのか……二人に助けられた少女、エルセム統治者ソルエは混乱の中にいた。

「あ〜ぁ。ジニアスが白衣着て来ないから、もうバレちゃった……うっかり屋さんだな〜、もぅ」
と呆れぎみに言ったのは、本来の姿に戻ったラサ。そのラサに、
『白衣は、この際関係ないし……今更着ても遅いって』
 と心の中で突っ込みを入れたのはジニアスだった。
 そんな二人が相談する場所は、『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』。第一回目のヴェルエル世界来訪後、二人はそこで反省会を行っていた。
「そう言うなよ。そもそもめいぐるみのラサを『異国人』扱いするエルセム兵士もどうかと思うよ。ま、派手に大技かましたのは、さすがに迂闊だったけどなぁ」
 一旦『バウム』に帰還した二人は、『緑の窓』から他の来訪者たちの様子を確認し、今後の行動計画をする。二人が、助けた相手の中にソルエがいた事を知ったのもこの時だった。
「……どうせだったらトリスティアさんが処刑されないように手助けができればいいんだが……」
「トリスティアさんがいきなり現われてピンチになる、5の月24日より前に何とかできないかな? トリスティアさんが現れたら、ソルエにトリスティアさんの話を聞いてくれるように」
 先の状況までも知ってしまったジニアスとラサ。二人が相談するさ中に呼びかける声がある。
 ××おじゃましますぅ××
「あ、この声、ララさんだよね! ちょうどよかった。こっちもドッキドキの計画たててたとこなんだよ!」
 ××はいぃ。お二人のご相談内容が聞こえて来ましたのでぇ、ご説明にうかがってますぅ××
「うっわ!! それって助かるよね、ね。ジニアス」
 元気よく同意を求められたジニアスも「ほんとだな」と頷いた。そんな二人にララは語る。
 ××お二人は、ヴェルエル世界での行動が、最終行動時刻からの開始になることはご存知ですねぇ。それと同じようにぃヴェルエル世界人の場合もぉ、『バウム』から干渉できるのはぁ最終行動時刻からになりますぅ。なのでぇ、トリスティアさん接触前のソルエさんに直接関ることはできませんー××
「直接できない、っていっても間接的に影響させることはできるんだろ?」
 ××はいぃ。影響の度合いにもよりますがぁ、その影響の結果、この後の未来を変えることは可能ですぅ××
 ジニアスの質問に、ララの声が肯定を告げる。 
「なら、それでいいんじゃないのか?」
「うん! そだね! じゃ、今回は、しっかり準備しないとね!……とゆうことで、バウムで自分とネコのぬいぐるみ用の白衣を普段の服装の上に着込むぞぉ」
 顔を見合わせて親指を上げるジニアスとラサ。その二人に、サイズの違う白衣を「どうぞですっ」と用意したのはヤヤだった。

「お、まったく同じ場所だな」
 白衣を肩にひっかけて、緑豊かな周囲を見回すジニアスに、二人を監視するエルセム兵が声を荒げる。
「おまえたち……一体、そ、その服をどうした!?」
 どうやらヴェルエル世界では、自分たちの姿は一瞬だけ消えていたらしい。その瞬きの間にジニアスは白衣を手にし、あろうことかネコ型ぬいぐるみまでも、エルセム特有の白衣姿になっていたのだ。モンスターとの戦闘だけで十分疲弊していたエルセム兵は、混乱するままに銃を向けてくる。
「お、おまえたちも、本当はモンスターの仲間か! い、いや、それよりも……住人消失事件の犯人は、おまえたちなのか!!」
 言い放つ兵は、昨今の住人消失事件も引き合いに出してわめきたてる。そんな緊迫した状況下でも、ぬいぐるみに『完全同化』中のラサは、のほほんとジニアスを見やっていた。
『何かエルセムの人が話してるけど、難しい話はよく分からないや、うん。ジニアスに任せよう!!』
 そんなラサは、ジニアスの隣にちょこんと座って会話を聞くことに決めていた。ラサに任されたジニアスは、
『このままとんずらも可能だけど、んな事したらこの国で行動しにくくなるだろうし……ここは穏便に話し合いで解決しないとな!』
 と腹をくくった。
「我々は、あなた達に危害を加えるつもりはありません。まして、モンスターの仲間であるはずもありません」
 使い慣れない丁寧語を操り、交渉にのぞむジニアスは言う。
「仮に危害を加えるつもりがあったなら、先の戦闘でモンスター共々あなた達も消し去ってしまえばすんだ話です。わざわざあなた達を助けて、おとなしく捕まる必要などありません。まずは、そこにいるこの国の統治者ソルエ嬢にも話を聞いていただきたい。それから処分を決めても遅くはないはずです」
 その時、二人が助けた少女ソルエ一行が先行してセム宮殿に帰還するという報が入る。この時のソルエもまた混乱する心をもてあましていたのだが、二人に対してはうつろな瞳を向けるばかりで、何も為すことができないでいた。
『と、このまま引き下がるわけにもいかないんだよな』
 ジニアスは、自分たちの監視兵から説得することに決める。だがジニアスが語る『自分達がこの世界に来た理由』は、いくら言葉をつくしても兵には理解できない事柄であったらしい。
「おまえたちの“住む世界”とは、異国のことか? 魔物が多く生息するところから来た?……モンスターがたくさんいる場所から来たということか?? ならばやはり、おまえたちはモンスターのたくさんいる異国から、敵のモンスターを倒しに来たということか」
 混乱する兵が、自分なりにジニアスたちの経緯を構築して理解しようとする。兵のつぶやきは、のんびりと構えていたぬいぐるみのラサにも聞こえてしまう。ラサは、ジニアスの白衣のすそを引っぱりながら小声でささやく。
「やっばい、かなり誤解してるみたい」
「……そうかもしれないな……」
 もう少し、自分たちの経緯を証明できないか考え込むジニアスの前で、エルセムの監視兵が一つの結論に到達する。
「ならば今、このエルセムに出没するモンスターたちは、おまえたちの国から来たものなのか!!」
 ジニアスたちにしてみれば、とんでもない誤解である。けれど、今はまだその誤解を解けないまま、彼らはエルセムの異国人収容所へと送られる。そこでさらに厳しい尋問を受けるという。

 エルセム村落より遠く離れた地に移送される二人。二人の送られた地は、エルセムの中でも一番厳しい気候として知られる場所であるという。
《K14/5の月30日/12:00》


○エルセム首都セム宮殿《J06事件中心地/5の月24日/9:00》
 セム宮殿において捕らえられてしまった異世界の少女トリスティア。宮殿内部に突然出現したトリスティアは、宮殿内の官吏らによって尋問された後、第一級の重犯罪者として処罰されるという。
 この状況下で、厳重に監視される捕らえられたトリスティア。そのトリスティアの姿は忽然と消えることとなる。
「何だ!? 何があった!?」
 騒然となるセム宮殿。監視する兵や尋問予定の官吏たち関係者のいる前で、トリスティアは可憐なその姿を消したのだ。
「住人の消失事件と同様な事件なのか!」
「い、いや。あの娘は、現れた時も突然だったぞ!」
 議論を戦わせる者たちの前で、
「……それでは、あの娘こそが『住人消失事件』の犯人なのでしょう」
 と、静かに断定する者がいた。断定した青年は、自身の眼鏡の位置を中指で直しながら言う。
「現れた時と同じように、“住人をともなって消えた”……と考えれば、説明がつきますね」
 落ち着いた物腰の青年の意見に、宮殿にいた誰もが感嘆の声をあげる。
「見事なご推察です! さすがはゲイル・カイツァール様!」
「あなたこそ、エルセム統治者にふさわしいでしょうに!!」
 そんな賛美の声にも青白い顔をした青年ゲイルは気にもとめず、やんわりと指示を伝える。
「そんなことよりも、あの娘、これからも消失事件を引き起こすかもしれませんね……手配などは、しなくてもよろしいのですか?」
 ゲイルの言葉によって、官吏はエルセム警備機関員を呼び寄せる。
「緊急指名手配を!! 消失事件に関る重要危険人物だ! 重要度はSAクラス! 位置データと差し替えて、全体像を電送開始!!」
 トリスティアが捕獲された際に、トリスティアのボディデータはエルセムのセキュリティシステムに取り込まれていたらしい。トリスティアの容姿はおろか逃走時の服装まで、リアル映像がエルセム各地の自警団に伝えられていた。

 その騒ぎの中、セム宮殿に現れた異形の乙女がいた。竜の形をした角と翼を持ち、さらに尻尾を持つ乙女クレイウェリア・ラファンガードである。竜の血を持つ異世界の乙女が、セム城に仕える近侍の先導をうけて、セム宮殿の廊を悠々と進んでいた。
「えらい騒ぎになってるな」
 この状況を予測できたクレイウェリア。おそらくはこれから会うエルセム統治者ソルエの混乱も推し量る。
 クレイウェリアが案内された部屋に入ると、そこは赤い絨毯の敷き詰められた巨大な白い空間だった。壁には、エルセムを象徴するマークが飾られた部屋。その部屋は、異国の要人がエルセム統治者ソルエと会うために用意されている『謁見の間』だった。
 その部屋の隅に、心細そうにたった一人で少女がいた。明るい髪には似合わない暗い表情。その姿を見たとたん、思わずクレイウェリアが、先導してきた近侍を怒鳴りつけてしまう。
「こんだけの騒ぎの中、まがりなりにもエルセム統治者をたった一人でほっとくなんて、この国の人間は一体どういう了見してんだい!! そんなんで、“統治者”ってヤツを守る気はあんのかい!?」
 クレイウェリアの剣幕に震え上がった近侍が、慌てて衛兵を呼び寄せていた。衛兵や書記官らなど、異世界人との謁見にふさわしい人材がそろう間、クレイウェリアはソルエに、今度は赤子をあやすように声をかける。
「あたいも、ご覧の通り文化も風習も違ううえに山奧育ちなんで、非礼は謝っておくよ」
 自分の怒声も加わり、混乱の極みにあるだろうソルエを先ず落ちつかせようとクレイウェリアが自分の乏しい礼儀作法の知識で言葉をつづる。
「始めまして。紹介がまだだった……です、ね。あたいは、クレイウェリア・ラファンガード。魔物退治にやってきた異世界人だ……です」
 柄にもない丁寧な言葉を使うと、どもりがひどくなるクレイウェリア。クレイウェリアが自分自身の不甲斐なさに赤くなりながら、ソルエを見る。そのソルエは、未だ顔を上げよともせず、ただ床の絨毯を見つめるばかりであった。そんなソルエにクレイウェリアが、陽気に言う。
「アンタ、もうチョット気楽に考えなよ。あんた、さ。あたいの、この角や翼、尻尾もだね。気に、なるかい?」
 クレイウェリアの一語一区を噛み締めるような問いかけに、ソルエが伏せていた顔をわずかに上げる。ソルエの瞳に映るのは、確かに人とは違う姿。そして、ソルエが出会ったモンスターとも違う姿。そんな姿をしたクレイウェリアに、ソルエは小さな声で言葉をつくる。
「……気になるよ……けど…………怖くない」
 この間もソルエの表情を観察したクレイウェリアは、ソルエの表情が少し緩んでくるのを見て、大きな胸をなでおろす。
「そいつはよかった。怖がられてちゃ話もできないからな。まずは座って話さないか……じゃなくて、“座ってお話しましょう”、……かな?」
 苦心して丁寧に話すクレイウェリアに、ソルエがわずかに微笑む。
「えと。無理しないで普通でいいよ。私も……普通に話すから」
 少しづつ元気が戻ってくるソルエに、気をよくしたクレイウェリアが本題を切り出したのだった。

 クレイウェリアがソルエ進言するのは、“モンスター退治に来ている異世界人の身柄の保証と安全”そして“モンスター退治に関わる異世界人に各種セキュリティからの情報を提供”というものだった。
 それらを聞いたソルエが、統治者としての考えをまとめながら言う。
「最初の提案は、エルセムとしても助かるよ! ……でも、この提案は受け入れられない、よね」
「そっか? あんたには本当に大事なことは何を思い出してほしいな」
 ソルエの提案拒否を予測していたクレイウェリアが、提案の根拠を伝える。
「つまるとこ、“小事を遵守する為に大事を犠牲にするか”、だな。大事ともいえる民の生命財産を護る為に、小事である異世界人への拘束処罰に目をつむるってことだけさ」
 そうして様々に提案の論拠をあげたクレイウェリアが、ソルエを励ますように言う。
「毒を以て毒を制する。モンスターと異世界人、2つの悩みの種同士を戦い合わせて消耗させると考えれば気も楽だろ?」
 クレイウェリアは、ソルエが既にモンスター退治に来た異世界の者の力を認識している上で交渉を進めていく。言うべきことをすべて伝え終えたクレイウェリアが最後に言った。
「後は、ソルエが自分の頭で考えて決断する事だよな」
 そんなクレイウェリアに、ソルエが小さく問う。
「……異国人と異世界人……その“違い”って、何?」
 “異世界人のモンスター退治”、それはエルセムが歓迎するところである。だが、それはあくまでも異世界人と称する者たちの自己申告なのだ。異国人の取り締まりを厳くしている中、異世界人を自称する者の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない事情もあった。しかもセキュリティ情報の提供は、自国の安全保障を放棄するにも等しい所業なのである。
「区別が明確につかないのなら……身柄の保証と安全なんて……許すわけにはいかないの」
 エルセムに立つ統治者としての説明を聞いたクレイウェリアは、
『ふーん。なんだかんだいっても、統治者らしい見識はあるじゃないか』
 と感心する。そんなクレイウェリアの前で、またうつむきかげんになったソルエが語り始める。
「さっき消えてしまった女の子……私に会いたくて異世界から来たんだって言ってた。あの人、異国人……ううん、もしかしてほんとに異世界人……なのかな? それに、私、もっと前に変わった服を来た男の人とネコのぬいぐるみに助けられたことがあるの……」
 ソルエが語るのは、クレイウェリアも事情をよく知るトリスティア、ジニアス、ラサの三人のことだとわかる。
「でも、助けてくれたその人たちは……モンスターがいっぱいいる世界から、モンスター退治に来たんだって。その人たちの住む場所から来たモンスターが……このエルセムで暴れてるから、って」
 ジニアスとラサの尋問結果は、すでにねじ曲がった情報としてソルエに報告されていた。
「兄上は、自国のモンスターが逃げ出したのが許せないから退治に来ているのだろう……って言うの。でなければ、報酬も何もないのに、そんなことしない、って」
 クレイウェリアが言葉を続けようとした時、部屋の扉がノックされる。誰何の後、部屋へ現れたのはソルエの義兄ゲイルであった。
「ようこそ、セム宮殿へ。あなたのお噂はかねがね聞いておりますよ。入室をお許しくださってありがとうございます」
 まずクレイウェリアへの挨拶をするゲイル。クレイウェリアといえば、この城の主でもないゲイルの態度をうさんくさく思う。
「別にあたいが許した覚えはないんだけどね」
 不遜な態度を崩すことなく相手を見返すクレイウェリア。その姿にゲイルは目を細めると、うやうやしく頭を下げる。
「失礼致しました。私は、ゲイル・カイツァールと申す者。統治者ソルエの義兄でもあります。交渉が定刻よりも長引くようですので、義妹ソルエの体調を考え参った次第です。この非礼、後日あらためてのご招待とさせていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、あたいはかまわないよ」
 その言葉をうけて、ゲイルは「では後日また」と伝えながら、クレイウェリアの手の甲にキスをした。そんなゲイルが、ソルエの肩を支えながら何事かをささやく姿が、クレイウェリアの目に入る。この『謁見の間』よりクレイウェリアは退出する間際に、少し足を止めた。
「良い統治者ってのは何でも自分でするって事じゃないさ。誰にそそのかされたか知らないけど一国のトップが不用意に身を危険にさらす事はない。それと、世界が違おうが何だろうが人に助けられたら『ありがとう』だろ?」
 と、クレイウェリアはソルエに聞こえるようにぽつりとつぶやき、セム宮殿を後にしていた。

 セム宮殿を後にしたクレイウェリアは、仮の居住地でもある自分が世話になったエルセム郊外に戻ることとなる。そんなクレイウェリアの元に、統治者からの招待は一向に届かなかった。
「何かあったのか?」 
 気に病むクレイウェリア。そんなクレイウェリアのいるエルセム郊外が、モンスターの襲来に会うのは6の月も間近な頃であった。
《J06郊外/5の月40日/21:30》


○エルセム首都セム宮殿《J06郊外/5の月27日/9:00》
 セム宮殿において捕らえられてしまったトリスティア。エルセムにおいて第一級の重犯罪者として処罰されるはずのトリスティアは、『バウム』に一度帰還することでまったく別の場所に表出する。そこは、かつてクレイウェリアやジニアスとラサの現れた場所と同じ位置。白い壁に囲まれた家々の続くエルセム郊外だった。その場所が、しばしの間住人に気づかれないポイントである、ということはトリスティアにはすでに理解していた。
「これも『緑の窓』の配慮、ってことだね! 誰かに見つかる前に急いで移動しないとね!!」
 まず郊外から森に出て身を潜めるため、トリスティアが連れてきた相棒のエアバイク型AI『トリックスター』にまたがる。
「あの日から3日後に来たのは、自分がセム宮殿から消えた直後だと、脱走者の捜索が行われている可能性が高いからなんだけど……『トリックスター』、なるたけ誰にもみつからないように、お願い!」
 トリスティアの要望に、『トリックスター』から陽気な声が上がった。
「じゃ、頼むよ!!」
 地面から軽く浮きあがる『トリックスター』。その塗装の色が、白い街並みの続くエルセム郊外の風景のと同じ陰影をつけた白い色に変わる。
「行こう!!」
 稼動音を最小値まで下げた『トリックスター』が走行を開始する。その速さが、トリスティアの想定以上であったので、トリスティアの方が驚いてしまう。
「えっと? 時速で200kmは出てない? 大丈夫??」
 光を屈折させて姿を隠す『カメレオン装甲』が起動した『トリックスター』が、トリスティアに=問題ない=、と伝える。『トリックスター』は、トリスティアがヴェルエル世界をより深く理解したので、自分も力か出せると伝えたのだ。
「そっか! なら、この世界に来る前から、がんばったかいがあったかな?」
 そんなトリスティアを乗せて走り去った数秒後。この道をエルセム住人たちが通るのだが、彼らはここにトリスティアのいたことなど、まったく気づかなかったという。

 家も道も、すべてが白い街並みの続くエルセム郊外。その郊外から森に隠れるまでの道中、『トリックスター』にトリスティアがつぶやく。
「確か、エルセムの討伐隊は約120km離れたモンスター出現地点にずいぶん時間をかけてたどり着いている……3日よりも前についていたとしても……ヴェルエルでは時速100kmで移動する『トリックスター』なら、討伐隊より早くモンスター出現地点にたどり着いて、素早くモンスターを倒すことができる! そうすれば、モンスターによって一般住民への被害が広がる前に止められるよ!」
 『トリックスター』も、トリスティアの作戦に賛同の声を上げていた。森に姿を潜めるつもりのトリスティア、その間、一つだけ問題があったのは、森での衣食住の確保だった。
「補給用の軍資金は用意してきたけど、でも、購入する時にみつかったら困るよね……」
 不安に思いながらも、トリスティアは覚悟を決める。
「ここでつかまっても、また逃げればいいよね! 名誉挽回はあとからいくらでもできるから!」
 そんなトリスティアが向かったのは、森にほど近い一軒の店。野営用品の品もおくこの店の主人は、幸いにして視覚に障害のある老人であった。
「じゃ、これと、これとこれとこれと……」
 トリスティアは、軍資金として持ってきた資金で、テントやコンロを含めた野営用品を購入する。そして、残りはすべて食料につぎ込んだのだ。
「おや、ずいぶん多く買ってくれるねぇ。ありがたいけど、大丈夫かい?」
 トリスティアの購入品を手で確かめながら精算する老人に、
「うん。お父さんに買って来いって言われてるから!」
 と、子供らしい声で応じるトリスティア。この時、トリスティアの心中は複雑な気分であったという。
 
 万全の野営体制を整えたトリスティア。
「兵の森へ入った場所は、木々が踏み荒らされてるからね。またここを通ると思うよ」
 先にセム宮殿からモンスター討伐隊が通過したと思われる地点。その地点が遠目に確認できる場所が、トリステイアが野営地に決めた場所だった。
「それにしても、この踏み荒らし方、人の足じゃないよね。もっと大きくて……でも二足歩行、してる? 彼らは何を使って移動してるのかな?」
 そんな疑問は、モンスター討伐隊を目撃することで解消する。トリスティアが見たエルセム兵たちが騎乗して移動する乗り物、それは“巨大な歩く鳥”、なのであった。
「あの鳥、ダチョウ……なのかな? こんな森の中をずいぶん早く移動できると思った!」
 そのトリスティアが相棒に呼びかける。
「でも、ボクは『トリックスター』の方がだんぜん早いと思うな!」
 ヴェルエル世界で活動する関係上まだ制限は存在するのだが、時速200kmまで加速できる『トリックスター』も嬉しげに応じたという。
 
 エルセムの討伐隊が向かう方向に、『トリックスター』の速度を活かして先回りするトリスティア。これで討伐隊が目指す方向にいるモンスターを、先行して攻撃するのが狙いである。そして、トリスティアが到達したのは、かつてジニアスとラサたちが守った村落であった。未だ落雷の後が大きく残る場所。その周りは自然を愛し、自給自足で生活する村民たちが住む村落であった。村民たちの悲鳴が響く中、『トリックスター』をかるトリスティアがモンスターの前に踊り出る。
「こりずに、また同じ場所をまた狙ってるんだね! そんなの、このボクが許さない!!」
 身軽さを生かしたトリスティアが、『トリックスター』の上に立ち上がる。
「このキックをうけて、平気でいられる!?」
 トリスティアから繰り出される流星ごとく素早いキック。そのキック力は、モンスター一体を一瞬にして粉砕する。
「雑魚には、ちょっとキツかった、かな?」
 力強いキックをくらわせたトリスティア。その周囲からモンスターが引こうとするのを、トリスティアが『トリックスター』で阻む。
「許さない、って、ボク、言ったよね!!」
 一体が閃光とともに吹き飛ぶ。
「ボク、約束は守るんだよ!!」
 トリスティアの周囲に流星が飛び交う。その光がしばらく落ち着くと、周囲にいたモンスターは一体もいなくなる。代わりに、かつてモンスターであった残滓がその地に残されていた。
「けど、襲来しているモンスターの数にはまだいるよ。全部、倒す!!」
 そんなトリスティアに応じるのは、エアバイク型AI『トリックスター』。そうして、トリスティアと『トリックスター』のコンビが、辺りに散るモンスターのすべてを滅するには、一時間あれば十分な時間であった。

 トリスティアたちの戦闘が終わり、村民たちに笑顔が戻る頃、エルセム討伐隊はこの村に到着する。モンスターが消えた村で、事の顛末を所在なげに確認する兵たち。その隊の指揮官に、村民が一通の手紙を差し出した。その手紙は、はちみつ色の髪をした小さな少女が、モンスターの残骸の一つに置いたものなのだという。その手紙の表書きには、“エルセム統治者ソルエへ”と書かれていた。封のされていない手紙を指揮官が確認する。そこには、
“勝手に宮殿から逃げてごめん。でも、ボクもエルセムの人たちを守るためにモンスターと戦うから、そのうち会ってちゃんと話がしたいな”
 と書かれていた。それは、トリスティアがソルエに宛てた置き手紙であった。指揮官は、その手紙を半信半疑のままセムが宮殿に届けたという。

 その後、エルセム中心地から森に入ったモンスターは、『はちみつ色の少女に倒される』……という噂が、エルセム住人の間にひろまったという。
《J06郊外/5の月40日/14:00》


 様々な土地で、様々な事象に出会った者たち。
 彼らはまた『バウム』へと帰還する。
 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。
 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。
 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられていた。

参加者有効技能一覧
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