『Velle Historia・第1章〜忌わしき水の記憶』   第1回

ゲームマスター:碧野早希子

 ソラリス太陽系第3惑星アスール。
 文明と自然が調和している惑星――。
 天空や蒼穹を意味するこの星には、ヴェレスティア共和国が存在する。
 全てのきっかけは、その首都ヴェレシティから始まるのだ。

Scene.1 天宮遺跡〜Vanus Velle Ruin

 新暦(A.H.)25年4月。
 ヴェレシティ湾岸の北西部にある、天宮遺跡(ヴァーヌスヴェレ・ルイン)。
 絶壁に突如墜落したその巨大な国の塊。そんな言葉が当てはまる。
 そこでは、コングロマリット(複合企業)、『L・I(レイアイル)インダストリー』が、遺跡発掘課の社員達が製品開発の為のサンプル収集という名目で来ている。その引率責任者は、設立者でもあるナガヒサ・レイアイル。彼は社長の座を息子に譲ったものの、やはりこの仕事が向いているのだろうか、時々こうして出向いてくる。
 手を止め、斜めに傾く高層ビル群の天宮遺跡を見つめながら、さざなみと心地よい風が包み込む。
 しかし、ナガヒサにはここ数日不安そうな顔をしている。
 知り合いらしい、アール・エス・フェルクリンゲンという名の、青い長髪の男性の事を。
『俺はお前の製作品――いや、複製品とでも言うべきかな。それが欲しいだけだよ。あと……まあ、これは個人的な事だから関係ないがね』
(製品の奪取が目的ではないような気がする。それに、あの最後の言葉が引っかかる……何を言おうとしていたのかは見当は付くが)
「何を考えている?」
 突然声がかかり、はっとするナガヒサ。声をかけたのは、ルーク・ウィンフィールドだった。
 仏頂面なので、何を考えているのかわからないが、ともかく心配しているようにも見えなくはない。
「あ、ああ……いえ、何でもないんですよ」
 にこりと笑むナガヒサ。
「そうか、それならいいんだ」
 ルークはある依頼を受けて発掘作業に来ている。依頼主はヴェレスティア政府だが、ここ最近盗掘の件数が多くなってきているという。L・Iインダストリーはそんな事はしないまでも、内部の人間が関わっている可能性も否定できない。その理由でルークに依頼をしたのだ。
 今のところ、遺跡発掘課の社員が盗掘するような様子は見られない。
 それに、彼は内心発掘品に興味を持っていた事もあり、引き受けた。
 ルークは、発掘された機械の品をいじっていた。外見がスケートボードで、空を飛べるブースター内臓。機械知識はあるので、表情は読み難くとも、何だかとても楽しそうに見える。
「ナガヒサ、この原動力はなんだ?」
「それは『マグナストーン』と呼ばれる浮遊石ですよ。魔導――マグナエネルギーを封じ込めたものでね。その石は自然界に存在して、当時のヴェレ王国――ヴァーヌスヴェレ王朝が加工したものだからね」
「マグナストーン……か。これは他の世界でも使えるのか?」
「多分難しいでしょうね。他の世界にも魔素――そこでしかないエネルギーと反発して打ち消す。つまり使用不可能になる可能性がありますから」
「化学反応という事か?」
「そう当てはまるでしょうね」
 この世界には魔導が存在する。その魔素ともいうべき名称が『マグナ』である。昔も今も、アスール人の殆どは魔導が使用できない為、補器として増幅するアクセサリーを使用する事になる。ある意味不便だ。
 アクセサリーもマグナストーンから作られたものだ。現在売られているアクセサリーは、王朝時代のを基に、L・Iインダストリーを含め、殆どの企業が製造・販売している。その為、競争が激しくならないように採掘資源は制限されている。
「ほほう、それは興味深いのう。この天宮遺跡は空に浮かんでいたのじゃろ? それの動力源もそれって事になるのじゃな」
 エルンスト・ハウアーが問う。
「そのとおりです、エルンストさん。ただ、すごく大きいものでしたけどね」
「でしょうな。ここに住んでた住人は不安など感じなかったんじゃろうか。これだけ大きく広いものならば、不安なぞ感じんじゃろうな」
 建物の一つの扉に近づくエルンスト。手で触れると、扉に吸い込まれるように通過する。
「驚いたわい。一瞬食われたのかと思ったぞい。それに、中は外が丸見えとは……この壁はおもしろいのう」
 建物の壁はガラス張りでない限り、中身が見えない。だが、この遺跡の建物では外が見える。
「スイッチで映らないようにする事も可能ですよ」
 スイッチを何度も押してみるエルンスト。興味を持ったのか、結構楽しそう。
 そこへリーフェ・シャルマールが、所有しているメタルゴーレム2体を連れてやってきた。
「ナガヒサ、この瓦礫はどこへやればいいの?」
「結構ありますね。では、あちらの隅へお願いします」
「わかったわ。ガルガンチュア、ドラグーン」
 3メートルほどのメタルゴーレムのおかげで、ここのところ進み具合が良い。おまけに、ゴーストタウン化しているとはいえ、町並みが綺麗になっていくようにも見える。
「リーフェさんのおかげで、楽にはかどります。天宮遺跡にいつ人が住んでもおかしくないくらいに」
「お役に立てれば、幸いよ」
 リーフェ自身も掻き集めた瓦礫を捨てようとした。が、中に綺麗な石らしきものが混じっている事に気づく。
「増幅具……アクセサリーですね。ここに住んできた者が所有していたらしい」
「これ、調査をしたいのだけど、いいかしら?」
「ああ、構わないですよ。結構長く放置していたようだから、使えるかどうかはわかりませんが」
 リーフェは移動式ラボを近くに設置しており、そこへ増幅器を運ぶ。
「こんなに人が集まるとは……博士も嬉しいでしょうね」
 ラウリウム・イグニスが腕を組みながら、ナガヒサの顔をうかがう。
「他の国や世界に住んでいる者達が、その技術や能力を生かして手伝ってくれているのですから、私としても関心はあります」
 ニコリと笑むナガヒサ。
「夢中になるというのは、人にとって一種の原動力だな。ところで、あんたに聞きたい事があるんだが」
 ジニアス・ギルツがナガヒサに問う。
「こんな近代的な……いや、現代的というべきだろうな。高層ビル群があるという事は、それだけ発達していたという事なのか?」
「そうですね……発達していたのは間違いないでしょう。現在のヴェレスティアは、それを基に発展していった訳ですからね」
 遠くに見える中央区域。そこが天宮遺跡の中心であり、特別行政区でもあった。残念ながら、この区域は調査・発掘地域の対象外とされている。その多くが、水没されているからだ。
「いつかはそこも調査できるのだろう?」と、ジニアス。
「出来るかもしれませんが……大統領の判断次第ですね。もしかしたら、永久に出来ないかもしれない」
 眉間にしわを寄せるナガヒサ。ラウリウムは彼のほうを向きながら、顎に手を当てて考え込む。
 近くでシャル・ヴァルナードが、相棒ともいうべき犬のハンターと共に、見回りをしている。
「ハンター、怪しい人がいたら知らせてくださいね。鼻が頼りですよ」
 と、ハンターはじっと向こうを見ている。
 眼の先には、同じ犬……の顔をした人が。
「……違うでしょう。あの人は獣人ですよ」
 ため息をつきながら、シャルがその人物に近づく。
「どうしたのですか? シエラさん」
 顔が狼の獣人、シエラ・シルバーテイルが振り向く。
「いえ……ここの世界の人達は皆、わたしを見て『ブローダ人』や『ソイル人』とか言っているのですが……それって、異星人って事ですよね」
 ブローダもソイルも、アスールと同じソラリス太陽系の惑星の名である。
 ブローダは赤き第4惑星、ソイルは木目模様にみえる第6惑星で何重ものリングが特徴である。シエラのいうとおり、この2惑星には獣人はいる。ただし人種は少ないらしい。無論、アスールにも少なからず2惑星の獣人が住んでいるのは確かだが。
「悪く言われるよりは、マシな様な……」苦笑いするシャル。
「ところで、変わった事ってあった?」
「今のところは大丈夫ですよ」
「それにしても……ナガヒサとアール・エスって、どういった関係なのかしら? 敵対である事には変わりないと思うけど、何処か気になるのよね」
「気になる事?」
 首を傾げるシャル。
「女の勘……かも知れないけど、目的はナガヒサ自身じゃないのかしら。まあ、これはあくまでも勘の域だから」
 背後に誰かの気配を感じ、振り向くシャルとシエラ。
「ぴとーっ。うわーい、いっぱいもこもこうれちーぢょー」
 そこには、喋るアホ……もとい、犬のジョリィが、ハンターをガシッと捕まえてすりすりしている。
「じょ、ジョリィ……ハンターが嫌がっています」
 しかし、ジョリィは離す気がなく、未だハンターにしがみつく。シャルは呆れるしかなかった。
 時々ナガヒサがジョリィを連れてきてはいるけれど、邪魔しているのか和ませているのか、見ていて飽きないような疲れるような……。
 じーっとジョリィに見つめられているのを感じるシエラ。
「わたしを見ているわね……」
 どうやら、ジョリィは次にシエラに抱きつきたいらしい。ジョリィは毛の多い動物なら、抱きついてすりすりしたくなるようだ。何処かに隠れたいと思い始めるシエラ。
「OH〜、ミナサン楽しそうですネ〜」
 ジュディ・バーガーがペットのニシキヘビ、ラッキーセブンを巻いてやって来た。
「楽しいように見え……ますね、これでは」
「どうしたの? 何かあったとか」
「今のトコロ問題ナッシングね。それにしても、ラッキーちゃん抱いてみたいデスカ〜?」
 小型ながらも貫禄ありげなニシキヘビをジョリィに向ける。首を傾げながらも、前足で触ってみる。
「ちゅるちゅるちてるぢょ〜」
 何度も触っている内に、ラッキーセブンが巻きついてきた。
「いや〜んっ、からまないでぇぇ」
 巻きつかれながらも地面に転がりだすジョリィ。
「オーマイガット! ラッキーちゃん、いけマセン。スキンシップは程々にしないとジョリィ死んじゃうわヨ」
 蛇の巻きつきから開放され、泣きそうになりながらも、ぜーぜー息を吐くジョリィ。
「何をやってるいるのやら……」ラウリウムは人差し指で眉間を押さえる。
 近くで銃声が聞こえた。
「どうしたの!?」
 ラウリウム達が銃声のした方へ駆け寄った。
「いい加減に観念しやがれっ!」
 グランド・ウィンクラックが社員の一人ともみ合っている。
「こいつ、発掘品を盗もうとしてやがったぞ」
 酔っぱらってサボっているように見せかけているが、ナガヒサ達が襲撃される可能性を考え囮役となった。
 暫くして、周囲を伺いながら去ろうとする不審者を見つけ、わざと酔っぱらった声で問うたのだが……。
「いきなり発砲してきやがった。『硬身功』をかけていなかったら、大怪我するところだったぜ」
 気で自らの身体を硬くさせる気功、それがグランドしか使用できない硬身功だ。幸い、銃声は威嚇発砲である事が後にわかったのだが。
 グラントが不審な社員――犯人に一発殴ると同時に、ルークが遅れて駆けつける。
「大丈夫か?」
「死にそうだったぜ。まあ、これぐらいで俺は死なねえけどな」
「こいつが犯人か……他に仲間はいないようだな。ナガヒサが狙われた訳ではないなら、大事にはならなくてすむ」
 つまり、単独犯という事だ。ルークは、ため息をつくナガヒサを確認する。 
「ナンで社員が拳銃持ってるのかしらネ?」
 犯人の両手を掴んで、眉間にしわを寄せるジュディ。
「社員は幹部しか護身用の銃を所持する事を許されていない。きっと旧上流階級――『天空階級』から買い取ったのね」
「つまり隠し持っていたわけデスネ。許せないわヨ!」
 犯人から銃を取り上げ、紐できつく縛るジュディ。あとでルークがヴェレスティア司法公安局に引き渡した。
 因みに、「その犯人の背後に強い奴がいればいいのだが」と期待していたグラントだったが、残念ながらその犯人の背後には、そんな影が見え隠れするといった情報は得られなかった。

Scene.2 思案にくれる者等

「ナガヒサ博士、お聞きしたい事がありますが」
 マニフィカ・ストラサローネが、ナガヒサに問う。
「答えられる範囲で良ければ、どうぞ」
「『八賢者』の一人、『水の賢者』の事で。わたくしは水術を更に極めたくて、修行も兼ねてやって来たのでございます。その者ならば、きっと優れた水術の使い手かもしれない。もし存命ならばぜひ会いたいと。水の賢者に関してご存知でしたら教えてほしいのでございます」
 ナガヒサは少し困った表情をし、考える素振りをする。
「残念ですが……水の賢者に関しては、あまりよく知られていない部分もあるのです。八賢者に関する情報は殆どといっていいほど伝わってこないのですよ。生きているかどうかはわかりませんが、生きていたとしても、あまり人前に出る事はないでしょうね」
「どうしてでございますか?」
「ヴァーヌスヴェレ王朝時代に苦労し、心を痛めてきたという事を聞いた事があります。肉体的にも精神的にも辛い経験をたくさんされてきたと。大地革命後に、天空階級の一部から狙われた事もあって、周囲に迷惑をかけたくないという理由で、表舞台から姿を消した――そういう情報があるくらいです」
「辛い……経験?」
 マニフィカが首を傾げるが、愁いを帯びた表情のナガヒサは更に話を続ける。
「それに八賢者は現在、ワイト・シュリーヴ大統領個人の管轄でしてね。極秘扱いなのだそうです。革命当時生き残った賢者は4〜5人だと言われています。名前も姿も、存命の場合所在すらも公表されていません。命を狙われる可能性が高いからというのが理由なのでしょうね」
「大統領でございますか……許可を得るには難しそうですわね」
「でも、いつか会える機会が出来るかもしれません。人にまぎれて、普通の生活を送っているのかもしれませんよ。それと、私から大統領に頼んでみるのは構いませんが、根気のいる事なのは覚悟して下さい」
 ため息をつくマニフィカ。と、周囲の空気に水気を感じ取る。
(あら? 水辺のない所で、何故感じ取れるのでございましょうか。それに若干ですけれども、花の匂いが……)



 天宮遺跡の中心部に近い区域。ここは、発掘許可区域ではない為、人の出入りは禁止されているのだが、司法公安局に許可をもらった。
 エスト・ルークスはアール・エスを追っている。とはいえ、追っているのは彼女一人ではない。
「エスト、こっちこっち」
 トリスティアが手招きする。
「アール・エスがいたの?」
「もちろん。あれがそうなんだよね?」
 遠くに見える人影。青い長髪で、黒のダブルスーツに蒼いマントを羽織った男性。
「間違いないわ、アール・エス・フェルクリンゲンよ」
「んじゃ、もうちょっと近づいてみちゃおかな」
「危険よ。近づいたら逃げられちゃうんじゃない?」
「大丈夫だよ、エスト。ボクの高速エアバイク、その名もトリックスターはカメレオン装甲装備だからね。姿を消して最接近できるんだから」
 自信満々のトリスティア。「大丈夫かなあ」と気にしつつも、エストはその後をついて行った。
 近づくにつれて、アール・エスの姿がはっきりしてくる。
「カッコいいんだけど、なんか嫌味っていうのが引っかかるんだよね」
 途中で、遺跡には不釣合いな風景が広がる。
「な、何でこんなところに花とか緑があるんだろう?」
「おかしいわね……ここはあまり土がない筈なのに……」
 原因はすぐ側にあった。リュリュミアが種をまいているのだ。
「大きくなーれぇ、大きくなーれぇ。ん? ねえ、あなたもやりませんかぁ?」
 アール・エスはとても迷惑そうだった。
「……興味はない」
「えー興味ないのぉ? 自然に興味がないっていうのは、心が荒んでる証拠よぉ」
「荒んでいる……か。そうかもしれんが、俺は初めからそんなものに興味はない」
 近くには、海が広がっている。リュリュミアが再度アール・エスに声をかける。
「何をやってるのぉ?」
 アール・エスは背を向けたままだ。
「別に。眺めているだけだ」
「自然に興味がないなら、何に興味があるのかなぁ?」
 初めて向きを変えるアール・エス。
「ナガヒサ・レイアイル……彼以外に興味はない」
「ふーん」近づくリュリュミア。
「他の男性に興味があるって、どういう事なのかなぁ?」
「貴様には関係ない……ん?」
 リュリュミアをじっと見つめるアール・エス。
「貴様……変わった匂いがするな。花か?」
「まあねぇ。でもなんでぇ?」
「知っている奴が、微かだが花の香りがするのでな。若かりし頃は『華の皇子』と呼ばれていたらしいぞ」
「はなのみこ……?」首を傾げるリュリュミア。
「もっとも、いくつもの通り名を持っている本人は嫌がっていたらしいがな――さて、隠れている奴、出て来い」
 アール・エスは隠れているトリスティアとエストの気配を感じ取っていた。
「あちゃー……見つかっちゃったね。しょうがない」
 トリスティアが煙玉を取り出し、地面に投げつける。
 煙幕でアール・エスの眼をくらますと同時に、トリスティアとエストは逃走する。
「物的証拠がないのは残念だけど、言った事は覚えたからね」
「でも花がかわいそうな気も」と、エスト。
「仕方がないけど、多分大丈夫だよ。とにかく、ナガヒサに警告は出すべきだね」
 去った後で煙が消え、リュリュミアがせき込む。
「ひどいよぉ。わたしまで巻き込まれちゃったぁ。あれぇ? アール・エスはぁ?」
 気がついたら、アール・エスの姿が消えていた。あの二人の後を追ったのかなあと考えたが、彼の行き先がわからない以上、花が無事かどうか確認する事に専念した。因みに、花は全て煙幕の影響を受けなかったのだが。

Scene.3 突然の訪問者

 夜。レイアイル邸。ナガヒサが手伝ってくれた御礼にと、夕食をご馳走してくれた。
「初めて来た時も驚いたケド、やっぱり凄いわネ」
 ジュディの言葉は間違っていない。ナガヒサは複合企業の元社長。だから、この立派な家を持っていてもおかしくない。
 立派とはいっても、広くて開放的、おまけに清潔感あふれる緑系の壁が特徴の家で、奥に和室っぽいのも見える。
「庭も広いとは……」シエラも考え込んでしまう。ともかく、人が多ければ多いほど、賑やかで楽しい食卓になるものだ。
 ナガヒサは先に風呂に入っていた。エストが声をかけようとドアを開けたところ、目の前にはナガヒサが裸で倒れていた。
「博士、大丈夫――?」
 起こそうと肩を触った途端、ナガヒサは異常なほど反応して怒りだした。
「やめろ! 私に触るな!」
 暴れだしたので、エストが押さえようとする。
「博士、私よ。わからないの?」
 錯乱しているせいか、ナガヒサは何も(目の前のエストでさえも)見えていないようだった。誰に向かって怒り、叫んでいるのか。
「また過去を繰り返すつもりか!」
「どうしたの?」ラウリウム達が入ってきた。
「狂ったように暴れてるんだけど――」困った表情のエスト。これ以上はお手上げだ。
 ラウリウムはため息をつき、意を決してナガヒサの肩をつかむ。
「博士、目を覚ましなさい!」
 珍しくラウリウムが叫ぶ。びくりと止まるナガヒサ。
「あ……ラウ、リウム?」
「まったく……エストに対して怒っているのではない様な気はするけど、落ち着いて」
「も、申し訳ない……」
 自力で立ち上がり、着物に着替え始めるナガヒサ。
「なあ……左の肩、切り傷だな? 結構古そうだが……」ルークがナガヒサに問う。
「ええまあ……すみませんが、先に床につかせてもらいますよ」
 答えを渋っているようにも見えるナガヒサ。見送った後、考えるルーク。
「あの反応といい……一体何があったんだ?」
「私もあまり博士の過去は知らないの。25年前に起きた大地革命に何らかの形で巻き込まれたのかもしれないけど……どちらにしても語りたくないのね」
 ラウリウムが答える。エストも育ての親の事など知らない部分があるのは同様だ。
 一体、ナガヒサの過去に何があったのか――今のところ知る由もなかった。



 そんなに経ってない静かな夜。事件は突然起こった。
 シャルはハンターが家の中でナガヒサの部屋のドアをじっと見ているので、声をかけてみる。
「どうしたのですか?」
 ハンターがナガヒサの部屋の前で止まっているという事は、向こうに何かあるらしい事には間違いない。
 中で声が聞こえる。しかも2人だ。プライバシーを覗くのは気が引けないが、ハンターが反応しているのならば、確かめてみる必要がある。
「何やってるんだ?」ジニアスがシャルの行動を気にして声をかけた。
 しかし、シャルは驚いたような表情をしたまま、ジニアスのほうを向かない。
「ねえ、あれって……アール・エス?」
 ベッドの上で、アール・エスがナガヒサの上に覆いかぶさるような形で乗っている。いつの間に侵入したのだろうか。
「ナーガ……つれないなあ……俺はお前を連れに来てやったというのに、何故避けるのかな?」
「どうせ過去の事を繰り返すつもりだろうが……もう放っておいてくれ」
「そうはいかない。こんなにお前を愛しているのにな……」
「なんか……恋人の言う台詞に聞こえるんですが……」と、額に手を当てて押さえるシャル。
「殺す訳ではないようだが……」もう少し様子を見るジニアス。
「どうして若いままでいられない? お前の能力ならば、維持する事は可能だろうに」
「私はそういうのが嫌だから、時間をかけて今の姿になったのです。それは時間が経つにつれて老いる自然現象ですよ。誰にも逆らえない」
「否、お前ならば、永遠に若いままで維持できるはずだ。では何故、肩の傷は放っているままなのかな?」
 薄笑いするアール・エス。その表情は冷たく感じ、ぞくりとする印象を持たせる。
「そんなのお前には関係ないだろう」
 アール・エスの手が、ナガヒサの首を掴む。
「やはり殺す気だ!」
 思い切りドアを開けるシャルとジニアス。
「ナガヒサさんから離れなさい!」
 姿勢はそのままに、顔を向けるアール・エス。
「なるほど……先程から怪しい気配を感じていたのは、貴様達か」
 アール・エスはわざと知らん振りをしていたというような台詞を吐く。
「怪しいのはあんたのほうだ」
「しかし残念だったな。ナガヒサを連れて行くんでな」
「そうはさせない!」
 別の声が聞こえたかと思うと、アール・エスの目の前に棒が。
 グラントが部屋の中にあった木刀で動きを止めたのだ。
「ほう……若かりしナーガの姿に近い奴もいるとはな」
「どういう意味だ?」
 急にアール・エスの姿が見えなくなる。
「早い!」
 誰もいないのに窓が開け放たれる。アール・エスは既に外の庭に移動していた。
「邪魔が入った……今回は諦めるか。近いうちにご挨拶に伺う。その時にナガヒサも連れて行く」
 一瞬で消え去るように去っていくアール・エス。
 騒ぎを聞きつけ、ラウリウム達が入ってきた。
「何があったの?」
 先程の出来事を聞き、エストは彼の事をこう考える。
「あの男は、天空階級の生き残りかもしれないわね……高貴と快楽しか感じ取れないから」
 ナガヒサのほうを見やると、薄暗い部屋で顔を赤くし、自分を抱きしめてすくんでいた。
「大丈夫?」
「あ、ああ……大丈夫です。有難うございます。すみませんが、そこの瓶を取って下さい」
 ラウリウムがサプリメントの入った瓶を渡す。ふたを開けると、微かだが花の香りが立ち込める。
「あ、この匂い……それは一体何でございますか?」
 マニフィカが昼間嗅いだ匂いと同じもの。気になったのでナガヒサに問う。
「私用に調合された……一種の精神安定剤みたいなものでしょうか。漢方薬が主ですよ」



 ナガヒサとアール・エスの間に、一体何があったのか。
 過去の出来事とは何なのだろうか。
 未だ真相は闇の中。理解するには長い道のりに感じられた――。

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