「花咲く季節」 第2回

ゲームマスター:高村志生子

 お祭り気分の抜けないサナテルの今の関心の多くは、まもなく行われる領主の 誕生パーティーだった。40歳という節目を迎える領主のお祝いと言うより、長 男の結婚話の方が話題の中心になっている。その長男が誰かに命を狙われている らしいことは、先日のダンスパーティーの騒ぎで公然の秘密になっていた。
 その長男ファリッドの護衛として雇われているトリスティアの朝は早い。さす がに年頃の娘が夜っぴて私室の護衛をするわけにはいかないので、彼が起き出す までは時間がある。その時間を有効に使おうと、次女のミルルに願い出て朝稽古 に励んでいた。武芸全般に興味のあるミルルも、使用人と言うよりは友達感覚で トリスティアの鍛錬につきあっていた。
 今日も今日とて、鍛錬にはそれなりの立地条件があった方が良いだろうと、屋 敷から少し離れた山岳地帯に来て手合わせを行っていた。
「はっ」
「やあっ」
 器用にもトリスティアはメイド姿で戦っていた。短めのスカートがひるがえる が気にする様子もない。ミルルは動きやすい軽装だったが、相手の姿にはやはり 頓着していないようだった。互いに真剣な表情で手足を動かしている。そこへや ってきたのはアルトゥール・ロッシュだった。戦っている2人を見つけて、軽く 口の端に笑みを浮かべた。
「やってるね。よかったら僕もまぜてよ」
「え?」
 アルトゥールの言葉に2人が動きを止める。そのときだった。
 ガラッ、ゴゴゴッ。派手な音を立てて近くの崖から巨大な岩が転がり落ちてき た。さすがにミルルが顔を引きつらせる。アルトゥールが慌ててその体を引き寄 せる。トリスティアは臆することなく転がってきた岩に向かっていった。
「トリスティア、危ないわよ!」
「流星キーックッッ」
 どがん!ばきん!
 トリスティアの放った蹴りは見事に岩を打ち砕いていた。ばらばらと破片があ たりに散らばる。思わずアルトゥールとミルルは沈黙していた。
『ト、トリスティアとやるのは危険だな』
「ん?どうかした?」
 やったこととは裏腹に無邪気に問いかけてきたトリスティアに、アルトゥール は複雑な笑みで答えた。
「いや、別に。あとでお菓子をおごってあげるよ。それよりちょっとミルルを借 りていいかい」
「あたし?」
 首をかしげたミルルに、アルトゥールが挑発的に言った。
「武芸に秀でてるって聞いたんだけど、僕と手合わせしてくれないかな。そうだ な、負けた方は何でも1つ相手の言うことを聞くってのはどうかな」
 自信ありげなアルトゥールの言葉にミルルがあっけなく乗った。こちらも不適 に笑いながらすかさず構えを取った。
「ずいぶん自信があるみたいね。いいわ、手加減はなし。行くわよ!」
 すかさずダッシュをかける。軽やかな動きは岩場を跳ねる鹿のようだ。しかし アルトゥールには秘策があった。疾速のブーツでこちらも高速移動し、わずかな 差でミルルの懐に入り込む。そして殴られるのを警戒して飛び退こうとしたミル ルの足を鞘に収めたままの剣ですくいあげた。
「きゃっ」
 よろめく体をひょいと横抱きにする。ミルルは真っ赤になって口をぱくぱくさ せた。
「僕の勝ちだね」
「ず、ず、ずるいわーっ。武器を使うなんて卑怯よっ」
 抱き上げられたままミルルが叫ぶ。アルトゥールがにやっとした。
「勝ちは勝ちだよ。約束、そうだな、今日1日僕とデートしてくれるかな」
「あ、あ……」
 ミルルはしばらくふるふると震えていた。その顔をアルトゥールが「ん?」と のぞき込む。しばらくして暴れながらミルルが言った。
「わかったわよ!だからもうおろしてちょうだいっ」
 それには素直に従ったアルトゥールだった。
 ぷんぷん怒りながら屋敷に戻るミルルの後にトリスティアとアルトゥールが続 く。トリスティアは笑いをこらえていたが、ふとまじめな顔になった。
「ね、ミルル」
「なに!」
 まだ怒った声のミルルだったが、続いたトリスティアの言葉に思わず立ち止ま って振り返った。
「さっきの岩、自然に落ちてきたものとは思えないよ。まさかと思うけれど、ミ ルルを狙ったものじゃないかな。ボクたちがここで朝稽古しているのは、最近の 日課だし」
「まさか……兄様を狙っている奴が?」
「この間も派手にやっていたじゃない。対象が広がったと考えられないことはな いよ」
「そんな……」
「大丈夫、僕が守ってあげるよ」
「自分の身くらい自分で守れるわ!」
 アルトゥールの言葉につーんとそっぽを向いたミルルだった。
 館では朝食前の一人の時間を狙って、佐々木甚八がファリッドと接触していた 。
「心当たり?」
「この間の騒ぎは大きかったな。敵もなりふり構わなくなっているようだ。もう 君だけが狙われているという問題じゃない。君が死んで収まるものじゃないって ことだ。次になにか起こるとしたらおそらく誕生パーティーでだろう。だとした らこの屋敷の人間だけじゃない、他の無関係な客人たちも巻き込まれるはずだ。 責任とはことが起こってから取ればいいわけじゃない。責任の所在を明確にして 、問題の発生を未然に防ぐことが大事なんだ」
 ファリッドはそれを聞いて大きくため息をついた。
「無責任な発言も避けたいところなんだけどな」
 甚八はサイドテーブルに置いてあった灯を付けると、それをファリッドの顔に かざしながら詰め寄った。
「いいか、これは君一人の問題じゃない。確かに君なりの考えもあるだろう。だ が本当にそのやり方で大丈夫なのか?犠牲が出てからでは遅いんだぞ。些細な情 報でもあるとなしじゃ大きく違うんだ。さっさと吐いて楽になっちまいな」
「おいおい」
 間近に灯を寄せられてまぶしげにファリッドが目を細める。しばし思案してい るところへミルルが飛び込んできた。
「兄様!あたしまで狙われたみたいよ。チルルは大丈夫?」
「なんだって!?」
 一緒にやってきたトリスティアが手短に先刻のことを報告する。さすがのファ リッドも顔を曇らせた。しかし口では平静を装ってミルルの背中を叩いた。
「気になるなら護衛を付けると良いだろう。チルルにも話しておいた方が良いな 。行っておいで」
「父様たちには?」
「ローダーには話しておくよ。父上や義母上には黙っておこう。調べたいことも あるし、騒ぎを大きくしたくもない。犯人を捕まえるには、下手なことをして警 戒されたくないからね」
「わかったわ」
 ぱたんと閉じられた扉の外では、護衛を買って出る(デートする話から発展し たらしい)アルトゥールとミルルとのやりとりが聞こえてきた。それが遠ざかっ ていくのを聞きながらファリッドがもう一度ため息をつく。そして入り口から部 屋の中央にいる甚八のところに戻ってくると、まじめな顔で声を低くして告げた 。
「これは僕の勘でしかないんだけど」
「心当たりがあるわけだな」
「義母上だ、おそらくは。ローダーに跡を継がせたがっているのはわかっている からな。ローダーはなにも知らないと思うけれど。知っているとしたらサクヤだ な」
「ローダー付きのメイドの?」
「サクヤは義母上の故郷の出身なんだ。彼女のつてでここに勤めていて、彼女の 信頼も厚い。ローダーにも肩入れしている。探るならそこからが早いだろう。頼 んでいいのかい」
「やってみよう」
 ファリッドの部屋を辞した甚八は、ソラを呼び出してメイド部屋の方に向かわ せた。

                    ○

 朝の一仕事が終わったメイド部屋では、アリューシャ・カプラートがしばしの 談笑を交わしていた。アリューシャはすでに何度も館を訪れていて、パーティー で披露する歌をサクヤたちに聞かせていた。たまにはそこにローダーも加わって いたが、今日はいなかった。歌を披露し、ひとしきり会話を交わしたアリューシ ャは、メイドたちがお昼の支度に取りかかるのを機に部屋を出た。
「今日はローダーさんに会えなかったですねえ」
 ローダーに限らず、誰かに会えないものかと館をうろついていたアリューシャ は、花が咲き誇る館の裏庭にいつしか迷い込み、その美しさに心を惹かれた。人 気もなく静かな空間に、アリューシャはついつい歌い出していた。澄んだ歌声が 高らかに響き渡る。その歌声は柔らかに広がり、館を訪れていたアルヴァート・ シルバーフェーダの耳に届いた。アルヴァートはパーティーの余興に参加させて もらおうと館を訪れていたのだが、どこからともなく聞こえてきた歌声に足を止 めた。
「なんてきれいな歌声なんだろう。技術も高いけれど、なんか心にじんとくる… …どんな人が歌っているんだろう」
 声をたどって裏庭にたどり着く。1曲歌い終わったアリューシャを見つけて、 思わず拍手を送っていた。
「え?」
 突然の賞賛にアリューシャが驚いて振り返る。アルヴァートは感動を素直に表 情に表しながらアリューシャに近寄っていった。
「すごく素敵だったよ。キミもパーティーに参加するの?」
「え、ええ。そのつもりですわ」
 アリューシャがおっとりと答えると、アルヴァートが歓喜の色を浮かべた。
「ねえねえ!それならさ、オレも一緒に演奏させてくれないか?キミほど上手に は演奏できないかもしれないけど、一生懸命演奏するからさ!」
 笛を振り回しながら懸命に言葉を募る。アリューシャはどぎまぎしながらセイ レーンの竪琴を抱え込んだ。白いネコ耳が戸惑いを表してぴくりと動く。一見、 大人びて見えるアルヴァートが、子供のような無邪気な笑顔でにこにこと寄って くる。アリューシャが返答に詰まっていると、ローダーの声が聞こえてきた。
「アリューシャ?どうしたの」
「ローダーさん。ええとですね」
 ほっとしたようにアリューシャがことの経緯を説明すると、アリューシャの意 に反してローダーは屈託なくアルヴァートの意見に賛成した。
「彼の演奏はこの間のダンスパーティーのときに聴いているんだ。いいんじゃな い?父上も喜ぶよ、きっと」
「そう……ですの」
 アリューシャの寂しげなわけには気づかずに、見かけた人影にローダーはその 場を離れていった。
 ローダーが見かけたのはルーク・ウィンフィールドだった。館内部を密かに探 索していたルークは、ミルルが狙われたことを知り、ローダーに報告に来たのだ 。人目をはばかって庭の奥に潜んだローダーは、それを聞いてひどく驚いた。
「ミルル姉様が?で、チルル姉様は?」
「今のところ、チルルの方にはなにも起きていないようだがな。おまえも気をつ けた方が良い」
「僕は、大丈夫なんじゃないかな。まあ、もう少し館の中のことを調べておいて くれる?」
「使用人として雇われてみるさ。サクヤのことが気にかかるし」
「やっぱり?」
 ローダーの何気ない言葉にルークがひょいと眉をひそめた。
「サクヤのことは俺のカンだ。何か知っているのか」
「ううん、僕も彼女が何か知ってそうな気がしただけ。いつもだったら真っ先に 僕のことを心配するのに、この間の騒動のときも僕のことは大丈夫みたいに思っ ているように見えて。まるで、「僕だけ大丈夫」みたいに」
 遠くの廊下をミルルとアルトゥールがわいわい言いながら通り過ぎて行く。微 笑みながらチルルがすれ違うのも見えた。ローダーは少しの間、唇をかみしめて それらを見つめていたが、やがてきっぱりと顔を上げてルークを見上げた。
「やり方はまかせるよ。真実を見つけて。みんなが安心できるようにして」
 ルークは軽く肩をすくめてそれに応じた。
 なんやかんやいいつつミルルはアルトゥールに連れ出されていた。一生懸命に 笑わせようとしているアルトゥールには気の毒だが、ミルルの機嫌はたやすく直 りそうにはなかった。その理由が狙われたことらしいと聞いたチルルは、出かけ る2人を見送ったあとさすがに考え込んでいた。そこへホウユウ・シャモンがや ってきた。ダンス・パーティーで踊ったことを覚えていたチルルは、ホウユウの 誘いに気軽に応じた。
 簡単な昼食を用意してもらってピクニック気分で町はずれの川に向かう。ほて ほてと遠ざかっていく姿を物陰から見送っていたのはホウユウの妹のアオイ・シ ャモンだった。アオイはほのぼのと歩いていく2人の姿が見えなくなると、すか さず館に入っていった。
「クレハ姉ちゃん、ミズキ姉ちゃん。あんちゃんが!」
 向かったのは館で働いている姉のクレハ・シャモンとミズキ・シャモンのとこ ろだった。犬耳のクレハと猫耳のミズキは、そろって顔を引き締めた。
「チルルお嬢様だったのは間違いないのね」
 ミズキがビン底眼鏡を指で押し上げながらアオイに確かめてきた。クレハがほ ぅっと息を吐いた。
「メイド部屋で噂になっていたのですけれど、ファリッド様だけでなくミルル様 も狙われたとか。チルル様も危ないのではないかとのことですわ。お兄様が巻き 込まれるようなことがあったらどうしましょう」
 アオイも腕を組んで考えこんだ。
「あの女、この間のダンスパーティーのとき、あたいの弾をきれいによけよった んや。武芸をやってるって話は聞かないけど、けっこうくわせものかもしれへん 。ちょっと調べた方がええわな」
「運の良い方ではあるらしいわ。お人柄も穏やかで、メイドたちの間でも人気の ある方のようよ」  ミズキがこれまでの情報を思い出して言った。
「家柄の良さは保証付きやしなぁ。しかもあんちゃん好みの巨乳だし。でも狙わ れてあんちゃんが巻き込まれるのだけはごめんやわ。しっかりマークしておかん とあらへん」
「私たちも気をつけていますね」
「当面の問題は誕生パーティーかしら。油断しないように頑張りましょう!」
 3姉妹は顔を見合わせて力強くうなずきあった。
 その頃、ホウユウはチルルと川べりでお昼を食べながら和やかに談笑していた 。12人も妹がいることを聞いて、チルルが楽しげに笑い声を上げているところ だった。
「それは素敵ね。私も多い方だと思うけれど、にぎやかで楽しいでしょう」
「そりゃ、もう。それに妹たちはみんなとても可愛いんだ。泣かせるような奴が いたら絶対に許さないぞ!……って、こういうこと言うからシスコンって言われ るんだよな。変かな?」
 照れて頭をかくホウユウに、チルルはにこにこしながら軽く首を振った。
「おかしくなんてないわ。家族を大切にできるのって素敵じゃない。きっと妹さ んたちにとってもあなたは大切なお兄様なのね。そんな感じがするわ。愛し愛さ れてることは大事にしなくては。私も兄弟たちが大好きだから、そう思っていた いわね」
「ありがとう。そう、チルルも同じなんだね。わかってもらえて嬉しいな」
 秋の日差しにほんわりとした空気が流れる。それからホウユウは、自分の故郷 のことや今までの旅の出来事などを次々に話して行き、チルルは日だまりのよう な笑顔を浮かべて一つ一つを興味深げに聞いていた。やがてランチも終わり、日 も少し傾き始めた。赤みを増した太陽を見上げてチルルが立ち上がった。
「あらあら、もうこんな時間なのね。今日は楽しいお話しをたくさんありがとう 。パーティーにはいらっしゃるの?そのときまたお話しできたら嬉しいわ」
「もちろん喜んで参加させてもらうよ。お祝いも持っていくからね」
「まあ、お父様が喜ぶわ。待っているわね……きゃ」
 歩き出そうとして小石に蹴躓く。よろけた体がホウユウの腕にすっぽりおさま った。柔らかいぬくみにホウユウの心が高鳴る。が、次の瞬間、その気持ちはか き消された。ミルルの背中をすり抜けた何かがその先の梢をはじいたからだ。パ ンッという嫌な音がして木に穴が空く。ホウユウは侍の勘でそれが狙撃だと気づ き、きょとんとしているチルルの手を引いて走り始めた。
「ど、どうしたの?」
「話は後だ。急いで!」
 敵は向かいの木立にいるようだ。パンッパンッと続け様に音がして、足下の小 石が跳ね上がる。ホウユウがチルルをかばいながら森の中に入って木陰に隠れる と、敵もあきらめたのか静かになった。それでも心眼で周囲の気配を探っていた ホウユウは、完全に人気がなくなっていることを確認してようやく肩の力を抜い た。と、腕の中でチルルが身もがいた。見上げてくる表情が不安に曇っていた。
「今のは……なに……」
 問いながらも自分が狙われたことは理解しているのだろう。チルルはホウユウ の腕の中でかすかに震えていた。ホウユウは優しく頭をなでて言った。
「もう大丈夫だから。送っていくよ」
「ええ、ありがとう」
 気丈に微笑んだ顔は、それでもわずかに青ざめていた。
 館に戻ったチルルは、ファリッドとミルルにだけ狙撃事件のことを話した。そ れを扉の前でクレハとミズキが立ち聞きしていた。おそれていた事態に、2人の 顔は緊張していた。
 近づくパーティーの期日に、館は日々慌ただしさを増していった。人が増えた ことが幸いしたのか、ファリッドたちが一人きりになる機会もなく、表面上は平 穏な日々が過ぎていた。そしてパーティーの前日、リオル・イグリードがミルル を呼び出した。狙われていることにぴりぴりしていたミルルに、リオルは銀でで きたブローチを差し出した。
「え、なに?くれるの?」
「お守りだよ。レイフォースは覚えている?」
「あなたの精霊よね。それがどうかした?」
「このブローチにレイフォースが宿っている。いざというとき呼びかけてくれ。 レイフォースの気配は僕に伝わるから、すぐに手を打てる。ドレスに似合うよう にはしたつもりだよ。デザインの善し悪しは保証しないけど」
 理由があっても女の子にアクセサリーのプレゼントをするのは気恥ずかしいの だろう。わざとそっぽをむいてそっけなく言う。照れくさそうなリオルに、ミル ルがブローチをいじりながら苦笑した。
「犯人を捕まえるのに協力してくれるっていうわけね。でもなんであたしなの? 」
「ファリッド以外に矛先が向いたとき、一番捕まえやすいのはミルルじゃないか 。自分でも追うつもりなんだろう」
「もちろんよ。黙ってやられるのなんか性に合わないわ」
 ミルルがきっぱり言う。今度はリオルが苦笑した。
「だからだよ。まあ、無茶はしないように。もしものことがあったらファリッド たちが悲しむだろう。できる限りの手助けはするから」
「……そうね、わかったわ。これをつけていればいいのね。ありがとう」
 手を上げて去っていくミルルを見送った後、リオルはあたりをはばかいながら 館の片隅に向かった。そこにはメイド姿のエウリュス・エアと伊達眼鏡をかけた ルークが待っていた。ルークは髪型も変わっていて、いつもとは違う人のようだ った。しかし慣れない格好に落ち着かないらしい。眼鏡を外しかけて、上からの ぞき込んでいたリーナ・ブラウディアに止められた。
「はずしちゃだめって言ったでしょう。顔がばれているんだから」
「わかったよ。おまえはアルティのところに行くんだろう。早くしろ」
「はいはい。それと使用人ならもっと愛想よくね」
「元々こういう顔だ」
 憮然としてルークが言い返した。
 リーナが去るのを確認してから、3人はあらためて顔をつきあわせた。
「その格好はリーナが?」
「ファリッドを狙っている奴の一人に面がばれているからな。変装だ」
「その相手は現れていますの?」
 エウリュスの問いにルークが首を振った。
「今のところ見かけていないな。ただサクヤがよく外出しているようだ。パーテ ィーのためではなく、奥方の用件らしい」
「それは聞いていますわ。なんの用件かは誰にも話してくれないのですが」
「そんなもんなのか?」
 リオルが首をかしげると、エウリュスが声をひそめた。
「今まではそんなことはなかったそうですわ。ローダー様の用事とかでしたら、 気軽に話したりしていたらしいんですけれど。奥方様の用事については大事な用 だからとしか言わなくて。態度は明るいのでとりたてて追求されることもないよ うですの」
「ふん、どんな用事なんだか。とりあえずパーティーは明日だ。油断しないよう にしよう」
 そしてまた忍びやかに3人は散っていった。

                    ○

 裏びれた下町の安宿では、テネシー・ドーラーとシャル・ヴァルナードがグラ ハムと密談していた。すでにシャルはファリッドの護衛として雇われていた。そ の立場を利用して兄弟たちの護衛の数や館内部の構造、パーティーの段取りなど を調べ上げていた。報告を受けたグラハムは、客として乗り込むことを言い出し た。テネシーが静かに答えた。
「ではパートナーとして同行させて頂きますわ。ペアの方が目立たないでしょう 。ただ護衛の中にわたしの顔を知っていらっしゃる方がいるようですわね。顔は 隠していったほうがよろしいかしら」
「そうですね。狙うのは会場で?」
「ええ。パーティーは大広間でやるのですね?シャンデリアはあるのでしょうか 」
「けっこう立派なのがありますよ」
「ではそれを使って事故死に見せかけましょう。死角になりそうな場所をくわし く教えて頂けませんか。あまり動き回らない方がよいでしょうから」
「フォローはしますよ。立場上、そばにいられますしね」
 それからしばらくテネシーとシャルは熱心に打ち合わせをしていた。それが一 段落してから、ふとテネシーがグラハムに問いかけてきた。
「最近は妹たちの方も狙ってらっしゃるようですけれど、全員やったほうがよろ しいですの?」
「いや。あくまでも第一目標はファリッドだ。テネシーたちにはそれに集中して もらいたい」
「伺ってもよろしいですか。なぜ彼を狙うのですの」
 グラハムはにやりとした。
「依頼人がいるのさ。ファリッドとチルル、ミルルを殺すようにと。ただローダ ーという末っ子だけは傷つけてはならないと言うことだ。それだけは注意してく れ」
「狙うのが3人だけ……では依頼人は」
「よくある話だろう?報酬は確約されている。こちらは依頼を果たすだけだ」
「わかりましたわ」
 語らずとも意味は飲み込めた。テネシーはそれ以上追求せずにただうなずいた 。
 そして当日が来た。パーティーは夕方からだったが、館は準備のため昼間から ばたばたしていた。メインの会場となる大広間が飾り付けられ、厨房ではもてな し用の料理が次々に仕上がっていた。家人は始まるまで暇をもてあましていたが 、メイドたち使用人はせわしなくあちらこちらを行き交いしていた。臨時の雇い 人が多いので、見知らぬ顔が居ても誰も不審に思わない。パピリオ・パリオール が厨房に入っていっても、まさしく戦場のような騒ぎの最中で声をかけてくるも のはいなかった。パピリオはそろっと足音を忍ばせながらずらっと並べられた料 理に近づいていった。
『うまく行きそうでちゅね』
 立ち働く人の邪魔にならないようにとててと壁際を走った後、素早く料理に近 づいて手にした液体を次々と料理に振りかけていった。もちろん調理中のものに も隙をついて混ぜ込んでいく。飲み物にも入れた。
「あんた、邪魔だよ!」
「はあい」
 やがてパピリオに気づいたコックに追い出される頃には、持ち合わせの薬は全 部しこみ終わっていた。厨房を後にしたパピリオは一人くすくすと笑っていた。
「さて、特製ほれ薬の効果はどうでちゅかねぇ」
 パピリオと入れ違いにやってきたのはマニフィカ・ストラサローネだった。マ ニフィカは仲良くなった商人に手伝ってもらって自家製アイスキャンディとサナ テル特産の果物を持ち込んできた。
「すみません。これ、お祝いなんですの。使って頂けますか」
「おや、客人に気を遣わせて悪いね。ありがたく使わせてもらうよ。パーティー 楽しんでいっておくれ」
「はい、ありがとうございます。それでは」
「良かったな」
「良い品を仕入れられたのは親方さんのおかげですわ」
 先日のダンスパーティーではせっかくの商売が突然だいなしになってしまい、 しばらく落ち込んでいたマニフィカだったが、商人の励ましでようやく立ち直っ たところだった。気の良い「親方さん」はパーティーには出席しないしないらし く、そのまま帰っていった。残ったマニフィカが案内されて会場に行くと、ぼち ぼち人が集まりだしている頃だった。領主夫妻も姿を見せ、子供たちもやってき た。料理が並べられ、がやがやとにぎやかになる。おおかた準備が済んだところ で町の代表者が前に進み出てお祝いの言葉を述べ、乾杯の音頭を取る。噂のせい で視線は領主よりもファリッドに多く集まっていたが、始まりはまずは穏やかだ った。
 ホウユウが現れて領主に祝いの品として故郷の刀を献上する。アリューシャと アルヴァートが楽曲を奏で始めると、自然に場が和んで歓談が始まった。薬入り 料理も次々に人の口に入っていったが、特に人の様子に変化は現れなかった。
『効かないでちゅか〜?なんで〜?』
 わくわくしながら様子をうかがっていたパピリオががっかりして退散していっ た。
 美しい歌声と音色が広間に広がっていく。人々はそれにつられるように踊り始 めていた。領主は人々の様子を楽しげに眺めていた。その前に進み出てきたのは ジュディ・バーガーだ。ジュディは今日はメイド服を加工したへそ出しルックだ った。胸元を軽やかなフリルで強調したノースリーブのトップスに、超ミニスカ ートにスパッツをはいている。非常な長身には大人の色気がそなわっていた。視 界の端にはチルルの横に立っているホウユウの姿が映っていた。ホウユウは圧倒 されているような視線をジュディに投げかけていた。見られていることに胸を高 鳴らせながら、色っぽい姿態を見せつけるように胸を張り、余興として領主にア ームレスリングをやる旨を告げた。
「その格好でやるのかね?」
 圧倒されていたのは領主も同じようだ。メリハリのきいた体をしげしげと眺め ながら言葉を発した。ジュディは明るく笑いながらひらりと一回転し、優雅にお 辞儀した。
「ハーイ!本気ですネ!ジュディ、力には自信ありマス。ジュディに勝った者に は賞金も出しマス!誰かやりませんか」
 最後の言葉は周辺に集まってきた客人たちに向かってだった。ふとホウユウと 目が合い、ジュディがぱちりとウインクする。ホウユウが困ったように苦笑いし た。ミルルがおもしろがって名乗り出ようとし、アルトゥールにとめられた。
「ドレスで戦う気かい」
「あ、そうか」
 残念そうなミルルの後ろから進み出てきたのはクレイウェリア・ラファンガー ドだった。クレイは先日のパーティーのときにしめあげたちんぴらどもに、山岳 地帯から持ってきた巨大岩石を運ばせていた。叩きのめされて逆らう気力をなく していたちんぴらどもが、えっこらよっこら台車に乗せた岩石を領主の前に運ん できて置く。身長ではジュディに負けるものの、豊かな胸は決してひけをとらな いクレイは、竜の角を誇らしげにそびえさせながら岩石に手を置いた。
「おもしろそうだね。あたいが相手になろうか?」
 そしておもむろに構えをとると、気合いを込めて手刀を岩石にふるった。
「はあぁっ!」
 重量もあり固いはずの岩石は、クレイの一撃にいともたやすくすっぱり割れた 。おおーっと周囲から歓声がわき、拍手が送られる。強敵の出現にジュディの目 も歓喜に満ちた。
「すばらしいデス!やりましょう!」
 観衆に混じっていたマニフィカがクレイに声援を送った。
「クレイ様、頑張って下さい」
 クレイが手を上げてその声援に応じる。ジュディが半分に割れた岩石を軽々と 放り投げる。ざざっと人波が別れて即席の試合会場ができあがった。闘志に満ち た視線が交差し、じりじりと間合いが詰まる。次の瞬間には互いの手が出て殴り 合いが始まった。どちらも譲らず息詰まるような激しい乱闘になった。殴るだけ でなく片方が相手を持ち上げてたたき落とすと、もう一方も負けじと足技を使っ てくる。実力は伯仲していて、派手な戦いぶりは見る者を熱狂させた。
 戦いが最高潮に達したとき、クレイが炎をはき出した。ごおぉっと吹き付けて くる炎をジュディが身をかがめてかわす。その隙をクレイは見逃さなかった。炎 の上から手刀を繰り出す。両腕で防いだジュディだったが、そのまま倒れ込んだ 。
「あ〜ジュディの負けですネ。残念デス」
「なに言ってんだい。強かったよ。竜珠を使ってなかったら、こっちが負けてい たかもね」
 負けても爽やかに笑っているジュディにクレイが手をさしのべる。その手を取 り立ち上がったジュディは、クレイとがっしり手を握り合った。領主が率先して 拍手を送る。周りからも歓声と拍手が送られた。
 賞金は辞退したクレイにマニフィカが近寄っていった。少し目が据わっている 。顔も赤い。不思議そうなクレイに、マニフィカは槍を突き出した。
「クレイ様〜わたくしとも手合わせしていただけませんかぁ」
「あんた、酔っているのかい?」
「酔ってませんよ〜槍には少し自信があるんですぅ。やっていただけませんか〜 」
 明らかに酔っているだろう。足元がいささかあやしい。そのくせ型だけはきれ いに槍を振るってくる。ひょいひょいそれをよけて、クレイがマニフィカの体を 抱え上げた。
「ほへ〜?」
「少し外の風に当たった方がいいみたいだね」
「いやあん、やるんですぅ」
 しかし素直に運ばれていったマニフィカだった。
 テラスに出るとどーんと花火が上がる。打ち上げたのは庭で待機していたアオ イだった。ガンランチャーで広間から見えるように花火を打ち上げていく。それ もまるで弾薬を張るようにどんどんとだ。そのためいつしかすっかり暮れていた 空が明るくなった。音楽も続いていて、人々は花火を楽しみながら再び踊り始め た。
「この間はありがとうございます〜。これどうぞ〜お礼ですぅ」
 リュリュミアが花火に見とれていたファリッドに、抱えていた大きな花束を差 し出した。大きすぎて少しよろけている。顔も隠れてしまっていたが、ファリッ ドが花束を受け取るとようやく見えるようになって、先日のダンスパーティーの ときに空から降ってきた女の子だと言うことがわかった。ファリッドが笑いなが らリュリュミアの手を引いた。
「今日は父上の誕生パーティーだから、これは父上に渡した方が良いよ」
「そうなんですか〜?」
 引かれるままに領主の前に連れてこられる。よくわからないままにそれでも優 雅にお辞儀したリュリュミアの隣で、ファリッドが彼女からだと言いながら花束 を渡した。
「おまえは踊らないのか?」
「踊りますよ」
 父親に聞かれてさらっと答える。軽いお酒でふわふわした心地になっていたリ ュリュミアがファリッドの腕を取った。
「それなら私と踊って下さい〜」
 手に手を取って踊りの輪の中に入っていった2人を歯がみして見たのはアクア ・マナだった。
「あーっ、先を越されてしまいましたぁ」
「まだチャンスはあるって」
 双子の妹のフレア・マナが慌てて姉をなだめた。アクアは次に踊るのは自分だ と勢い込んで、それでもさりげなさを装ってファリッドたちに近づいていった。 頭を抱えたフレアの視界には、踊りながら窓際によるチルルとホウユウの姿が映 った。ホウユウがチルルをテラスに連れ出すと、そこに花火が飛んできて光った 。目がくらんでチルルが頭を抱える。ホウユウは庭を見下ろして叫んだ。
「アオイ!?」
「いやー、ちょぉ手がすべってしもて。かんにんな、あんちゃん」
 悪びれずに笑うアオイ。会場では手伝いをしていたクレハとミズキが様子をこ っそりうかがいに来ていた。と、ホウユウがくるりと振り返る。そして2人の姿 を見つけるて唖然とした。
「クレハ、ミズキまで」
「あら、もしかして妹さん?」
 立ち直ったチルルが笑顔になってクレハたちのところにやってくる。クレハが ぎくりとして顔を背け、ミズキはチルルを観察するように眺める。チルルはにこ にこしながら2人の手を取った。そこに花火の音に驚いたミルルが、ブローチを 握りしめながらやってきた。あとからリオルも追ってきた。ミルルは屈託なくク レハたちに話しかけているチルルの肩を掴んだ。
「今の光は何!?なにかあったの」
「あら、なんでもないのよ。大丈夫。あちらの方の妹さんが花火を打ち上げて下 さっていたのだけど、ちょっと手を滑らせてしまったんですって」
「狙った訳じゃないでしょうね」
 きっとにらむミルルを、ミズキが冷静に見返した。
「偶然です。兄が一緒にいるのに、狙ったりするわけありません」
「ならいいけど」
 ミルルがほっと肩から力を抜いた。
 その様子を天井近くでうっすら暗い球に入った小さな少女が見ていた。その精 霊リーンは、自分が見ているものをエウリュスに伝えていた。とりあえず刺客の 仕業ではないことに安堵しつつ働いていたエウリュスは、同じように働いていた はずのサクヤが会場を抜け出すのを目に留め、ルークの言っていたことを思いだ し急いでリーンに後を追わせた。
 サクヤは後を付けられていることには気づかずに、客人を迎える振りをして館 の入り口に来て手招きをしていた。遅れてくる者、先に帰る者とで入り口は混雑 していた。その中に仮面を付けたグラハムとテネシーがいた。サクヤはグラハム にわかるように広間を見渡せる場所を指し示していた。2人がそちらに向かうの を横目で見て、そっと広間に戻る。リーンの報告を受け取ったエウリュスはルー クを捜した。ルークはリーナと話をしていた。リーナはちょうどアルティを見か けてルークから離れていった。エウリュスの報告を受けたルークはファリッドの 姿を探し始めた。
 ファリッドはリュリュミアとのダンスを終えて、いったん輪から離れようとし ていた。すかさずカーテンの後ろから現れたアクアがファリッドの方によろけこ んだ。ドレスに足がもつれた振りをして、どすんとファリッドにぶつかる。そし て支えてくれたファリッドを見上げてにっこり笑った。
「ありがとうございますぅ。あ、この間は踊ってくれてありがとうございました ぁ。あの……もしよろしかったらまた踊って頂けませんか?」
「もちろん喜んで」
 断る理由もなかったのでファリッドも気軽に応じる。体を寄せ合って踊り出す と、アクアが恥じらうようにテラスの方に誘導していった。その周りをだんだん に霧が取り囲んでいく。かすんでいく姿を眉をひそめてみていたのはアルティだ った。気むずかしい顔にリーナが笑いながら腕を組んでいった。
「ア〜ルティさん。なにそんな子供の心配する親のような顔をしてるのかなー? 」
「子供の心配……大差ないんじゃないか?」
 アルティが仏頂面のまま答えた。リーナはそっとアルティの頬に手を添えると 、自分の方を向かせた。今日のリーナはパーティーに合わせて若草色のドレスを 身にまとっていた。髪もアップに結い上げて、童顔を少しでも大人びて見えるよ うにしている。しかし小首をかしげた姿は愛らしいというものだった。
「大丈夫だって。護衛だってたくさん雇ったんでしょ?狙われている理由もわた しの知り合いが調べているから、きっとすぐにわかるよ。仕事仕事ってあんまり 前しか見てないでいるとすぐに老け込んじゃうよー。確かわたしと同じ歳だった よねー」
 一見少女に見えるリーナに言われて、アルティが顔を引きつらせた。ちょっと 痛かったらしい。しばし黙った後、セサ・カルサイトを手招いた。客に紛れてい たセサがやってくると、テラスの方を指さしながらアルティが言った。
「ファリッド様がテラスにいらっしゃるようだ。見ていてくれないか」
「お一人なのかしら」
「いや、踊っているみたいなんだが。なぜか姿が見えなくなってしまって。様子 を見て欲しい」
「怪しい人物でもあらわれたのかしら」
 セサがつぶやくと、背後からルークが声をかけてきた。
「現れたようだぞ。客に紛れているらしい」
 それを聞いてセサがふふっと笑った。アルティの耳元に口を寄せて告げる。
「今はファリッド様はテラスにいるのよね。なら例の作戦をやるわ。うまくおび き出せるといいのだけど」
「そうだな、ちょうどいいか。頼む」
「ファリッド様が広間に戻ってこられてはいけないのだけど」
「ならリオルに言って、ミルルから伝えてもらおう」
 ルークがリオルの元に行く。リオルは窓際でいらいらとチルルたちの会話を聞 いていたミルルに伝言を伝えた。
 テラスでは霧に包まれて2人っきりの状態になったアクアとファリッドが緩や かに体を動かしていた。当たりを漂う霧をファリッドが不思議そうに見ていた。
「これは君が?」
「ええ。だって、ファリッド様と2人きりになりたかったんですものぉ。お伺い したいことがあって……」
「聞きたいこと?なんだい」
「ファリッド様はどんな方が好きなんですかぁ?」
 聞いてからきゃっと恥じらう。明るい笑顔にファリッドも笑みを浮かべた。
「そうだな。明るくて自分をしっかり持っている人かな。やっぱり素直な人が良 いよね」
 アクアはあくまで恥じらった様子で言葉を続けた。
「それじゃ……私じゃだめでしょうかぁ?」
 ファリッドがくすりと笑った。
「積極的な女の子は嫌いじゃないよ」
 手応えあり!とアクアが内心でガッツポーズを取ったのはいうまでもない。そ こへ霧の外側からミルルの声が響いてきた。
「兄様、どこ?アルティが例の作戦をやるから動くなって言ってたんだけど」
 ファリッドが動きを止めて表情を変えた。アクアと手を組んだまま静かに答え る。
「わかった。僕のことは大丈夫だから。……ミルル、サクヤに気をつけて。チル ルにもそう言って。一人にならないように」
「サクヤ?」
「いいね、一人になるんじゃないよ」
「わかったわ」
 ミルルの気配が遠ざかる。ファリッドがアクアに言った。
「ちょうどいいって言ったら悪いかもしれないけれど、この霧、しばらくこのま まにしておいてくれないか」
「いいですけどぉ?」
 二人っきりでいられるなら文句も言えない。アクアがうなずいた。
 広間に戻ったミルルにサクヤが近づいていった。
「ミルルお嬢様、ファリッド様はどちらに?」
「さあ?どこかで踊っているみたいだけど。あ、あたしも行かなくちゃ」
 リオルを見つけてサクヤから離れていく。辺りを見回しているサクヤに近づい たのはフレアだ。
「ファリッド様なら僕の姉と一緒にいたよ。呼んでこようか?」
「ええ、いえ、その」
「ああ、でもサクヤはローダー様と一緒の方が良いのかな。心配なんでしょ?」
「え、ええ。いろいろありますから」
 曖昧な返事を返すサクヤの顔をフレアはのぞき込んだ。
「うん、聞いてる。サクヤには心当たりってないの?ローダー様なんてまだ幼い でしょ。狙われるなんてねえ」
「ローダー様は大丈夫ですわ」
「え?なんで言い切れるのさ」
 はっとしてサクヤが顔を背けた。ローダーは今は片隅でエウリュスと笑いなが ら話しているところだった。チルルとミルルも踊らずに話を楽しんでいるようだ 。サクヤの視線が泳ぐ。フレアはその視線を追いながら探りを入れた。
「ご領主一家を恨んでいる人の心当たり、本当にないの?」
「さあ、私にはわかりかねます」
「ファリッド様が狙われてるのは事実だよね。って、あれ?ファリッド様だ」
 サクヤの視線を追っていたフレアは、アクアと一緒にいるはずのファリッドが 一人で広間に現れたのを見て怪訝そうな顔になった。押しの強いアクアが振り払 われるはずはない。ましてや誰かに狙われているとわかっていてだ。
 フレアの言葉にサクヤもファリッドの姿に気づいた。そしてローダーが離れて いることを確認して、そっとグラハムに合図を送った。グラハムはテネシーと談 笑しているように見せかけて、その姿を自分の体でファリッドから見えないよう にした。テネシーはタイミングを見計らって風の刃を飛ばした。それはファリッ ドの真上にあったシャンデリアをつり下げている棒をすっぱり切った。
 ガシャアン!派手な音がしてシャンデリアが落ちる。だがファリッドを押しつ ぶすと見えたその寸前、ファリッドの姿がかき消えた。
「え、どういうことですの」
 成功を確信していたテネシーが驚きの声を上げる。と、目の前に光と闇の精霊 が現れた。ざわめく会場からエウリュスとリオルの声が響いてきた。
「あそこや!」
「あの仮面をかぶった2人です!」
 顔を隠すための仮面が逆効果になったようだ。テネシーとグラハムが窓に向か って駆け出す。ファリッドの幻影を作り出してわざと攻撃させたセサが、走る2 人の前に幻の用心棒を幾人も出現させた。テネシーが隠し持っていたウィップで 攻撃したが、幻の体はその攻撃をすり抜けさせるだけだった。瞬間、足を止めた 2人だが、グラハムが実体のないことに気づいた。そして強行突破しようとした が、そのときには背後にトリスティアたちが迫っていた。
「逃がさないよ!」
「甘いですわ!」
 グラハムが撃った銃をかわしたトリスティアの足がテネシーの魔法で凍り付く 。テラスまで一気に走って開いていた場所から庭に飛び降りようとした。そのと き本物のファリッドの脇を通り過ぎた。ファリッドはアクアの霧の中から飛び出 して、体当たりをくらわせようとした。そこに銃撃がやってきた。
 撃ったのはテネシーたちを追う振りをしていたシャルだった。アルティはシャ ルがファリッドの護衛だと信じていたので銃を構えてられても警戒していなかっ たが、発射された弾はファリッドの肩に当たった。鮮血をほとばせながらうずく まるファリッド。シャルはなおも撃ちながら酷薄に笑った。
「聞いてませんでしたか?刺客が複数いることを」
「やらせませんよぉ!」
 アクアが氷壁でシャルの弾を受け止める。さらに氷の針を無数にシャルに向か って飛ばした。シャルが舌打ちしながら撤退する。リーナがファリッドをアルテ ィの元へ転移させた。
「ファリッド様!」
「ファリッド!」
 領主も駆け寄ってくる。肩を押さえながらファリッドがなんとか笑みを浮かべ た。
「大丈夫、たいしたことはないよ。連中の気配は感じ取れたかい」
 庭を眺めていたミルルがリオルを見上げた。リオルはレイフォースを呼び寄せ て幾度かうなずいた。
「わかったよ。姿を見せられると思う」
「ファリッド、これは」
「父上、どんな結果でも受け入れられますか?」
「む?」
「犯人を追います。そして黒幕をあばく。いつまでも受け身でいてはだめだ」
 ローダーがきょろきょろしていた。エウリュスが小声で問いかけた。
「どうかしましたか」
「サクヤが居ないんだ」
 いつの間にかサクヤは姿を消していた。アルティに支えられている兄の元に駆 け寄りそれを告げると、ファリッドは悲しげな笑顔で弟の頭をなでた。
「彼女ならきっと大丈夫だよ」
 パーティはなし崩しにお開きになっていった。ファリッドが伺ったとき、義母 のマーヤは硬い表情で夫の側に立っていた。チルルとミルルが代わりに客人を見 送っていた。
 サクヤはそれ以降、姿を消した。ファリッドはみなの目撃情報からグラハムた ちの似顔絵を作り、サクヤも含めて追っ手を差し向けることにした。
「豊穣祭の締めくくりのイベントまでには片を付けたいな」
「けが人はおとなしくしていてください」
「大丈夫だよ」
 アルティの仏頂面は変わらなかった。ファリッドは苦笑しながら遠くを見てい た。

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