「花咲く季節」 第3回

ゲームマスター:高村志生子

 波乱の誕生パーティーが終わり、行方知れずになったサクヤのことをのぞけば 、館は一応の平穏を見せていた。ファリッドの怪我も命に関わるほどではなかっ たが、安静を申しつけられ、襲撃者の追尾は護衛の者にまかされていた。
 追っ手の目を逃れ、裏通りに面した部屋に待避していたテネシー・ドーラーは 、一緒にいたグラハムに告げていた。
「奇襲をかけようと思いますの」
「こちらからか」
「はい。依頼はまだ有効なのでしょう?攻撃は最大の防御とも言いますし、この まま逃げるよりは打って出た方が得策かと。ファリッド、チルルの護衛は多いよ うですから、自分から表に出てきやすいであろうミルルを狙います。……グラハ ム様はこのままお逃げ下さい」
 付け加えられた言葉にグラハムが軽く首をかしげた。無表情なテネシーの声色 からはその意図するところはわからなかった。テネシー自身、なぜそう思うのか わかっていなかった。ただ思わず口をついて出てしまったのだ。
「一人の方がなにも考えずに戦えますもの。ですから、どうか」
 言うなればそれはグラハムを護りたいという気持ちだったが、テネシーの口調 はあくまでも冷静だった。グラハムのサングラスの奥の瞳の感情も読みとれはし なかったが、特に反論はしなかった。
「ミルルを狙うか。まあ、好きにすればいい。捕まるなよ」
「もちろんですわ」
 部屋を後にしたグラハムをシャル・ヴァルナードが追ってきた。
「グラハムさん、テネシーさんの言うとおりにするのですか?」
 グラハムがにやりと笑った。
「俺はあくまでもファリッドを狙う。依頼を果たさないまま逃げては信用に関わ るだろう。屋敷に侵入する方法はサクヤから聞き出すさ」
「サクヤさんに会うのですか。ご一緒しても良いでしょうか」
「かまわないが?なにか用があるのか」
「ちょっと聞きたいことがありまして」
「そうか。サクヤは領主夫人の息の根がかかった家に潜伏しているはずだ。付い てこい」
 テネシーを残し、グラハムとシャルはサクヤの元へと向かった。
 グラハムの思惑には気づかずに、テネシーは一人策を練っていた。
「やはり鍛錬のときを狙うのが一番手薄でしょうか」
 襲撃を受けた後も、ミルルが鍛錬を欠かさないでいることはわかっていた。む しろいっそう熱心になっているらしい。テネシーは頭の中で手順を考えながら手 持ちの武器の準備をしていった。
 そのミルルは、館でリオル・イグリードとにらみ合っていた。正確にはミルル が一方的にリオルをにらんでいた。
「サクヤが手引きしたからって、義母様が糸を引いているとは限らないでしょ」
「可能性の話だよ。ローダーが関わっていないことは確かだけどね。いずれにし ても実行犯は捕まっていないし、サクヤの行方もわからないままだ。まだ連中が あきらめたとは思えない。ミルルはどうする?」
「あたしだったらおとりになっても良いけど?」
「そうでなく……」
 案の定の答えにリオルが肩をすくめた。ミルルは怒った顔でまっすぐにリオル を見つめた。
「はっきりしないのなんていやよ。さっさと襲撃者を捕まえてしまいたいの。で も兄様はまだしばらく動けないでしょうし、チルルはこういうことには向かない もの。あたしが一番フットワーク軽いでしょ。敵も狙いやすいと思うの。返り討 ちにしてやるわ。さあ、行きましょ!」
 ぐいっと腕を引っ張られてリオルが慌てて引き留めた。
「って、どこへ」
「いつもの岩場よ。鍛錬につきあってよ。来るなら来い!だわ」
「ミルル、悲しいの?」
 放っておけば一人でも飛び出していってしまいそうな勢いにミルルの隠した悲 しみを見つけて、リオルが静かに問いかけた。ミルルは背中を向けたままびくり と震えた。
「黒幕の可能性の話はしたよね。それが本当なら、処遇は領主やファリッドが決 めるだろう。ミルルには手出しできないんじゃないかい」
「だからって、黙ってなんかいられない」
 リオルはうつむくミルルを振り向かせ、そっと言った。
「こういうときに女の子を支えてあげたいと思う気持ちは僕にもある。護衛とか そんなの関係無しで、ただ、君のことが大切に思えるから……」
 ミルルが呆然とリオルを見る。その視線にリオルが自分の言ったことにはっと なり、真っ赤になった。つられてミルルも赤くなった。どことなく恥じらった沈 黙が落ちる。ミルルは照れくささを払いのけるようにリオルの手を掴んでかけだ した。
「さ、さあ、さくさく行くわよ!」
「わかったよ」
 リオルたちが駆け去っていく足音を、アルティはファリッドの部屋の中で聞い ていた。室内にはアクア・マナもいて、かいがいしくファリッドの介護をしてい た。
「ちょっとオーバーじゃないかい」
「そんなことないですよぉ。あ、アルティさん、ここは私に任せてくださいなぁ 。アルティさんも忙しいんでしょぉ」
「え、しかし」
 言外に「邪魔するな」というアクアの意思がほの見えている。手当を受けてい るファリッドもまんざらではないようなので、やむなくアルティは部屋を辞する ことにした。入れ違いにリュリュミアが部屋に入ってきた。リュリュミアはパー ティー以来、日課になっている大きな花束を抱えての訪問だった。邪気のない様 子にアクアも表だって追い返すことができずにいた。しかしなんとか早く退散さ せようと思案を巡らす脇で、活けた花をファリッドに見せながらリュリュミアが のほほんとファリッドに話しかけていた。
「怪我の具合はどうですかぁ。あ、これ今日のお花ですぅ」
「いつもありがとう。もう起きてもいいんだけどね」
「まだだめですよぉ!」
 とたんにアクアにめっと叱られてしまった。ファリッドが苦笑すると、リュリ ュミアもへへっと笑った。
「痛かったでしょぉ。聞いたんですけどぉ、豊穣祭の最後に仮装パーティーがあ るんですよねぇ。それまでゆっくりした方がいいですよぉ」
「仮装パーティー?」
 包帯やら薬やらをしまっていたアクアが話に割り込んできた。ファリッドはに こにこしながら説明した。
「もうすぐ冬になるからね。衣替えもかねてみたいなものだけど。みんな思い思 いの扮装をして、仮面を付けて行列を作って町中を行進するんだ。そうだ、知っ ているかい。大広場に鐘楼があるんだけど、行列が広場にたどり着いた後、その 鐘が鳴らされるんだ。その音を聞きながら愛をささやくと、思いが叶うと言う言 い伝えがあるんだよ」
「ええーそうなんですかぁ。素敵ですねぇ」
「ファリッドさんも参加するつもりですかぁ?」
 アクアが怪我をしていない方のファリッドの手をそっと握りながら問いかけて きた。
「もちろん。その前に事件が収まれば、だけどね」
 さりげなくその手が握りかえされたように思ったのはアクアの気のせいではあ るまい。ファリッドは少し暗い顔をしていた。アクアも励ますように握った手に 力を込める。それに気づいてファリッドが再び笑った。リュリュミアはやりとり に気づかずにのんきにファリッドの頭に花を飾ったりしてみた。
「きっと大丈夫ですよぉ。あなたもそう思うでしょぉ?」
「もちろんですよぉ。さ、ファリッドさん、少し休んだ方が良いですよぉ」
「じゃあわたしはこれで帰りますねぇ。また明日ですぅ」
 明日も来るのか、とアクアが内心で舌打ちしたことには気づかないリュリュミ アだった。
 仕事と言っても、結局はファリッドのことが気になって廊下で難しい顔をして たたずんでいたアルティの背後にそろりと忍び寄ったのはリーナ・ブラウディア だった。
「アールティさん。また眉間にしわ寄せちゃってー。って、ファリッド様を見て いたんだ」
 アルティが居たのはファリッドの寝室の向かい側にある廊下だった。中庭を挟 んでファリッドたちの様子が見える。リーナは腕を絡ませながらくすくす笑った 。
「ほんと心配性だなぁ。もうそろそろ子離れしなきゃいけないじゃないの?」
「怪我したんだぞ。放っておけるか」
 憮然として言い返されて、リーナのくすくす笑いが大きくなった。
「大丈夫よ。だって、今のファリッド様って当主って顔をしているもの。黒幕の 話はしたでしょ。妹さんたちも狙われたことで決心が付いたんじゃないかな。あ の人は、自分よりも他人の幸せを選ぶ人に見えるよ。今までふらふらしてたのは 、当主の座に縛られる前にもう少し自分の幸せを謳歌したかっただけ。でも、ね 。アルティさんにもわかっているでしょ。ファリッド様はみんなが思っている以 上に周りを、人を見ている人だよ。そして人を幸せにしたいと願っている人。で しょ?」
「それは、そうだが……」
 アルティが額に手を当ててため息をつく。リーナは腕を組んだまま身をすり寄 せた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。信じて、見守ってあげよ?迷ったり悩 んだりしたときに側で助けてあげる……それがこれからのアルティさんの役目だ よ」
「迷ったときに、か」
「そー!さ、そうとわかったらアルティさんも肩の力を抜いて周りを見てみよう よ。けっこういろんなことが見えてくると思うよ!」
 アルティがリーナを見ると、リーナはにっこり笑ってアルティを見ていた。そ の笑顔に戸惑ってアルティが視線をそらす。心なしかたくなだった表情が和らい だ気がして、リーナは嬉しくなった。
「たとえばミルルさんのこととかー」
「ミルル様のこと?」
「チルルさんにもいるみたいだけど、仲良くなった人とかいるんだよ。護衛はそ の人たちがやってくれているの。安心して任せられる人。事件のことを探ってい る人もいるしねー。だからきっとすぐに平和になるよ」
「そうか……」
 アルティが思わず浮かべたどこか寂しげな笑みに、リーナはその背中をぽんと 一つ叩いた。
 その頃、リオルはミルルに鍛錬場にしている岩場に連れて来られていた。精霊 のレイフォースを使って、リーナとルーク・ウィンフィールドにはおとり作戦の ことは伝えてあった。岩場ではレイフォースに周囲を警戒させながら、精霊杖を 使ってミルルの相手をしていた。
「やはりやっていましたわね」
 気配を殺して岩場にやってきたテネシーは、2人の姿を見つけてすかさずペッ トのケルベロスに指示を出した。ケルベロスは岩場の上からリオルたちに向かっ て高熱波をはき出した。
「来たか!」
 ミルルをどんと突き飛ばし自らも横飛びになって攻撃の第1陣を避ける。その 隙にテネシーが崖を一気に駆け下りてきた。走りながらソードモードのソードウ イップをミルルに向かって振りかざす。ミルルが身をひねって攻撃を避ける。レ イフォースが間に割り込んできて光線をテネシーに向かって放った。テネシーも それを避けながら距離を取ると、腕輪に火のアーツをはめ込み、ウイップに火を まとわせながら再度攻撃してきた。周辺の岩が爆発したように砕け散る。なんと か前に出ようとするミルルをリオルが杖で押しとどめた。
「レイフォースにまかせて!」
「だって捕まえなきゃ」
 リオルとミルルを引き離そうとケルベロスが飛びかかっていく。杖で応対しな がらリオルはレイフォースにテネシーを捕らえるよう命令していた。レイフォー スが光線を次々に放っていく。テネシーは飛び退くと、今度は氷のアーツを使っ て矢を作り出しミルルに投げつけてきた。光の障壁がそれを阻む。遠距離戦では ミルルにはどうすることもできない。しばらくレイフォースとテネシーの応酬が 続いた。
 均衡を破ったのは追ってきたルークだった。精霊の力の気配をエウリュス・エ アの精霊リーンが感じ取り、ルークに伝えたのだ。ルークはトランジョン・クロ スでテネシーの背後を取ると、銃剣を突きつけた。
「そこまでだ」
 テネシーは背後を取られたことに軽く顔をしかめて、氷のかたまりをルークに ぶつけた。ルークが銃で撃って退ける。挟みこまれてテネシーはやむなく撤退し ていった。
「あー、逃げられちゃった」
「一人のようだったな」
 ルークのつぶやきにリオルが答える。
「うん、レイフォースも仲間の気配は感じなかったってさ」
「あ、まさか館に!」
 ミルルがぎくっとして言うと、ルークが首を振った。
「いや。門のところにリーナが見張りを置いているはずだ。大丈夫だろう」
「でも戻らなくちゃ」
「そうだね。今のこと、報告はしておいた方が良いね」
 戻りながらルークがリオルに耳打ちした。
「サクヤの行方を追うのに、ちょっと仕掛けをするらしい」
「仕掛け?」
「詳しくは戻ってからだ」
「うん、わかった」
 先を急ぐミルルには、2人の会話は届いていなかった。

                ○

 パーティーは終わったが、襲撃者が捕らえられていないことで、護衛をかねた 使用人は数人雇われたままだった。特にメイドたちの中心人物だったサクヤが居 なくなってしまったことで、メイドの仕事は忙しくなっていた。ミズキ・シャモ ンとクレハ・シャモンはチルル付きのメイドとして働きながら、館の内外に気を 配っていた。
「クレハ?どうかしたのですか」
 廊下で霊感を働かせてたたずんでいたクレハを見かけて、ミズキが問いかけて きた。クレハはしばらくじっと辺りを探ってからミズキを振り返った。
「エウリュスさんの精霊がなにか動いていたようですけれど……」
「敵襲ですか?」
「いえ、そうではないようですわ。あ、お兄様が」
「兄様?」
 ミズキがクレハの視線の先を追うと、2人の兄であるホウユウ・シャモンがチ ルルの部屋に入っていくところだった。
「あら、ホウユウさん。いらっしゃい」
「こんにちは。異常はなにもないかい」
 ホウユウはチルルの元に来る前に一通り館の周辺は探っていたが、念のためチ ルルにも問いかけてみた。チルルはにっこり笑うと、ホウユウに椅子を勧めなが ら首を振った。
「私の方は特にはなにも。サクヤはまだ戻ってこないようなのだけど」
「やっぱり関わりがあるのか」
 ホウユウが持参したお菓子を差し出すと、チルルは様子をうかがっていたミズ キにお茶を頼んだ。その足元をリスに似た動物が駆け抜けていく。窓辺では鳥が さえずっていた。それらがミズキの用意した式神であるとわかっていたホウユウ は、リスを手のひらに載せてチルルに差し出した。ちょろりと動いてリスが手か ら手へと飛び移る。その愛らしい仕草にチルルの頬に笑みが浮かんだ。
「サクヤがお兄様を狙ったなんて、今でも信じられないわ。みんなが噂している ように、お義母様が裏にいるのかしら……」
「身内が身内を狙うのは悲しいかい」
「お義母様はたしかに厳しい方だけれども、それでもやっぱり家族ですもの。考 えたくはないわね。そんなに仲は悪かったのかしら」
 チルルの笑みが複雑なものになる。気分を変えようと、ホウユウが軽く咳ばら いをして、自分の親の話をし始めた。
「俺の父上と母上も仲は良いんだ。思い合って、結ばれた。祝言は花見の席で行 われたそうだけど、そのときにはもう俺や双子の妹を母上は身ごもっていたそう だよ」
「まあ、あなたにも双子の妹さんがいらっしゃるの」
「ハヅキと言うんだけれどね。そうそう、父上も武芸に秀でた、どちらかといえ ば周囲の信頼厚いまじめな方なんだけど、告白したのは父上からだったとか。な んでも鳳凰と牡丹を金箔であしらった漆の櫛を渡して告白したらしい」
「それは素敵ね」
 やはり女の子だ。状景を想像してチルルが楽しげに目を細める。そこでホウユ ウが少しためらった。かすかに顔が赤い。訪れた沈黙にチルルが不思議そうにホ ウユウの顔を見つめた。
 しばらくして意を決したようにホウユウが右手を差し出した。その手には月と 鳳凰が金箔であしらわれた朱色の櫛が握られていた。一瞬きょとんとしていたチ ルルの右手を取り、櫛を握らせる。包み込むように手を握りながらホウユウが静 かにそれでもはっきりした声で告げた。
「俺は、世界中の誰よりチルルが好きだ。自分の生涯をかけてチルルを守る」
「え、それって……」
 2人はいつしか立ち上がっていた。渡された櫛をチルルがぎゅっと握りしめる 。ホウユウはその目の前に愛用の斬神刀をかざした。
「この斬神刀とシャモンの名にかけて誓うよ。信じて、俺についてきて欲しい」
 さすがに照れくさいのだろう。まじめな表情に朱が上っている。しかし真剣な 気持ちは痛いほどチルルにも伝わった。
「返事は急がないよ。ゆっくりと考えた方が良いと思うから。時期が時期だしね 」
「ありがとう……。豊穣祭の最後に、仮装パーティーがあるの。お返事はそのと きに。必ずしますわ」
 ホウユウが見返すと、チルルもほんのり頬を染めながらにっこり笑った。胸に 当てられた両手にはしっかり櫛が握られている。ホウユウはわずかに頭を下げて 部屋を辞した。
 その晩、チルルはクレハとミズキを部屋に招き入れていた。もとより護衛のつ もりでいた2人に異存はない。周辺を警戒しながら就寝の支度を手伝っていた。 チルルは鏡台の前に座り、クレハに髪をすいてもらっていた。鏡台の引き出しに は、昼間ホウユウにもらった櫛がしまってあった。それに思いをはせ、目を上げ ると、鏡越しにクレハと目があった。さらに後ろの方にはミズキが控えている。 鏡に映る2人の姿をしばらく見つめていたチルルが、ふうわりとした声で問いか けてきた。
「ねえ?2人から見たお兄様のホウユウさんって、どんな方かしら」
「お兄様ですか?そうですわね……優しくて、勇敢で……姉妹が多いことはご存 じでしょう?その妹たちに公平に接して下さる方ですわ。私は尊敬しています」
「ミズキは?」  ミズキはビン底眼鏡をくいっと押し上げると、無表情に答えた。
「そうでございますわね。次期シャモン家宗家当主として少し自覚の足りないと ころもございますが、いざというときは誰よりも頼りになる兄だと思っておりま す」
「2人ともお兄様のことが好きなのね。兄妹仲がとても良いと伺っているわ。家 族の結束が強いというのはとても素敵なことね」
「奥方様のことが気がかりでございますか」
 ミズキの問いに、チルルが複雑な笑みを浮かべた。
「噂が真実ならば、その理由も見当はつくのだけれど。事実なら、悲しいことね 。誰も喜びはしないでしょうに」
「真実はいずれあかされるものでございます」
「そうね。私もお兄様を信じているもの。家族にとって良い結果となることを祈 るだけだわ」
 床に入ったチルルを見届け、式神を部屋に残し部屋から出たミズキに、クレハ がポケットから手紙を取り出した。
「やはりお兄様は、チルルお嬢様を娶られるおつもりかしら。お姉様方から認め るか否かは私たちに任せるとの委任状をいただいているのだけど」
「私は良いと思うけれど。アオイがなんて言うかしらね」
 お兄ちゃん子の妹、アオイ・シャモンを思い浮かべて、ミズキとクレハが首を かしげた。
 その頃。ちゃっかりファリッドの隣の部屋を占拠していたアクアは、テラスづ たいにファリッドの部屋に押しかけていた。
「アクア?どうしたんだい」
「いいえぇ、特になにってわけじゃないんですけどぉ。ちょっとお話し足りない なぁって思って。ファリッド様が眠りにつくまで、少しおしゃべりしててもいい ですかぁ?」
「どうぞ」
 屈託ない申し出にくすりと笑いながら、ベッドに横になったファリッドが手招 きで椅子を勧める。アクアはのんびりと故郷のことや家族のこと、自分のことな どをつらつらと話した。ファリッドは多くは口は挟まずに相づちを打っていたが 、やがて痛み止めの薬が効いてきたのか静かな寝息を立て始めた。
「薬が効いたみたいですねぇ」
 あどけない寝顔にアクアが小さく笑う。灯を消し立ち上がると、しばらくその 寝顔を眺めていた。
「……はしたない女だと思わないで下さいねぇ」
 誰にともなくつぶやくと、そっと唇を重ねる。暖かな感触にどきどきしながら そっと離れようとして……背中に回された腕に阻まれた。
「!?」
 見かけより力強い手が抱きしめてくる。いったん離れた唇が再び重なる。それ は長い時間ではなかったが、思いがけない出来事にさしものアクアも驚きに赤く なっていた。
「起きていらっしゃったんですかぁ」
「ごちそうさま」
 いたずらっぽく笑いかけられてアクアが言葉に詰まる。ファリッドはそっと起 きあがると、改めてアクアを抱き締め直した。温もりにアクアが身を固くする。 ファリッドはそんなアクアの髪を撫でながらそっと言った。
「これ以上はなにもしないから心配しないで。僕を護ってくれている人にひどい ことはしないよ」
「あの……はい……。……寝込みを襲うなんて、はしたないと思いますかぁ…… ?」
「人に好かれていやなわけないだろう。ましてやそれが君みたいな美人ならなお さら、ね。でも、そうだな。もう部屋に戻った方が良いね。でないと僕の方がな にかしてしまいそうだ」
 きわどい台詞にアクアがますます赤くなる。ファリッドはアクアの体を離すと 、髪に軽く口づけた。
「そうだ、今度お茶会をするんだ」
「お茶会ですかぁ?」
「そう。パーティーなんて大げさなものじゃなく、身内だけでこぢんまりとね。 アクアも出てくれるかい」
「はい、喜んでぇ」
 今度こそ部屋を後にしテラスに出ると、アクアは満天の星空の下で思わずポー ズを取っていた。

                    ○

 豊穣祭の最中と言っても、朝っぱらの酒場はさすがに人が少ない。ジュディー ・バーガーは店の外にしつらえた席を占拠して、浴びるようにぐいぐいと地酒を ジョッキであおっていた。晴れ渡った秋の空気は気持ちの良いもので、行き交う 人にも活気があったが、ジュディの心は晴れなかった。飲み干した杯をたん!と 小気味よくテーブルに置くと、はぁと大きくため息をついた。通りすがりにそれ を聞きとがめたのはアオイだった。アオイは元々ジュディと知り合いだったので 、常に陽気なジュディの珍しい様子に小首をかしげながら近づいていった。
「なんや、ずいぶん荒れとるようやな」
「アオイ!ええ、ちょっとネ」
「あたいで良かったら話を聞いてやろか?」
 とたんにジュディががばっと身を乗り出してきた。60cmは小さいアオイに 覆い被さるように見つめる瞳は潤んでいた。アオイは向かいの席に座ると、ジュ ディにも座らせた。
「ダンスパーティーで気になる人ができてネ。この間のバースディパーティーで もその人を見かけたデス」
「へえ、好きな人ができたんか」
「積極的な、素敵な殿方デシタ。で、バースディパーティーのときに、アッピー ルしよう思いまして、服装とか余興とか頑張ったデス。でも……」
「でも?」
「その人、ドウモ他に好きな人、いるみたいデス。……どうしたらイイでしょう 」
 アオイがジュディの肩にぽんと手を置いた。
「なんやなんや、まだだめと決まった訳やないんやろ?ここは一発、どーんとぶ つかっていき。当たって砕けろ!や。骨は拾ったるさかい、なにもせずにあきら めたりしたらあかん!」
 きっぱりした物言いに、迷っていたジュディも決心の色を顔に上らせた。
「そうデスネ。いじいじ思い悩んでいても仕方ないデス。まだ向こうがまとまっ てしまったかもワカラナイのに。うーん、ならまずライバルを知らなくてはなり ませんネ」
 実はジュディの思い人はアオイの兄のホウユウで、ライバルとはチルルのこと だったのだが、そうとは知らないアオイは、ジュディが元気を取り戻したことに 気をよくしていた。ジュディはジュディで、チルルのことを知るための有効な方 法を考えこんでいた。とそこへ、店の脇の路地裏のざわめきが2人の耳に入って きた。

 アルヴァート・シルバーフェーダはどきどきする心を落ち着かせようと努力し ながら、とある宿の前に立っていた。
「ね、ルクス。今日は会えるかな。せっかくここまで来たんだし、会えるといい んだけど」
 肩の当たりにふわふわ浮いている精霊のルクスに話しかけながら、扉に手をか けようとした。同時に扉が内側から開かれて、中からアリューシャ・カプラート が出てきた。アルヴァートの体が勢い余って前のめりになる。そして避けようも なくアリューシャにぶつかってしまった。
「ご、ごめんね。あ、アリューシャ。ちょうど良かった。キミに会いに来たんだ よ。少し時間いいかな」
 問われてアリューシャがちょっと困ったような顔になった。とりあえず外に出 てしまう。近い距離にアルヴァートの胸の高鳴りが大きくなる。それには気づか ずに、アリューシャがほんわりとした声で答えた。
「申し訳ありません。わたし、サクヤさんを探しに行きたいのですけど」
「え?もしかしてここのところ館に来なかったのってそのせいなの」
「ええ、そうですわ。練習のお誘いを頂いていたのにすみません。ローダーさん のためにも、早くサクヤさんを見つけてあげたくて」
「女の子が1人でそんなことするなんて無茶だよ。サクヤって、ファリッドとか を狙っていた一味なんだろ。危ないって」
「でも……」
「それならオレも一緒に行くよ。オレはそれなりに剣とか使えるから、邪魔には ならないよ。いいよね」
 真剣な申し出に、アリューシャが小さく笑った。
「わかりましたわ。ではご一緒いたしましょう」
 聞けばアリューシャは今まで酒場とかで歌わせてもらいながらサクヤを探して いたらしい。それは今ひとつ効果が得られなかったので、館で知り合いになった フレア・マナの作戦に今日は乗ることにしたらしい。その待ち合わせ場所に向か うところだった。アルヴァートは並んで歩きながらそれらを聞いていた。
「作戦に参加するのはフレアだけなのかい」
「いいえ、他にもいるそうですわ」
 ならば気になっていたことを聞くのは今しかない。アルヴァートは物静かな横 顔を見下ろしながら、思い切って言葉を発した。
「あのさ、ちょっと聞いていいかな。アリューシャって……その、ローダーのこ と……友達じゃなくて女の子として……好きなの?」
「ローダーさんのことですか!?」
 びっくりした顔で見上げられて、アルヴァートは慌ててしまった。
「あ、答えにくかったら無理に答えなくてもいいけどさ」
 アルヴァートの慌てぶりにアリューシャの表情が和らいだ。微笑みながら軽く 首を横に振った。
「ローダーさんって歳の割には落ち着いて見えますけど、なんだか無理をしてい るようにも見えるのですわ。信頼していたサクヤさんに裏切られて辛くないはず はないでしょうに、平静を装ったりして。わたしは歌姫として、聴く人を和ませ る歌を歌えるようになりたいと思っていますの。だからローダーさんにも私の歌 でリラックスして欲しいとは思いますけれど、それはお友達としてですわ」
「友達として?」
「ええ。その……恋人よりは、お友達になりたいという気持ちの方が強いですわ ね」
「そうなんだ……友達かぁ」
 知らずほっとした気持ちになりながらアルヴァートが相づちを打つ。そんな自 分に気づいて、アルヴァートは再び焦ってしまった。
『なにほっとしてるんだ、オレは……』
 焦ったために、無意識に思っていたことをつい口に乗せてしまった。
「じゃあオレのことはどう思う?」
 言ってしまってからはたと気づいていっそう焦る。アリューシャはそんなアル ヴァートの心の動きには気づかずに、まじめに考え込んで返答した。
「共演のお申し出には驚きましたけれど、人を楽しませることのできる演奏には 感動いたしましたわ。それに剣もお使いになれるのですね。とても頼もしい方だ と思いますわ」
「頼もしい、かぁ」
「それにとてもお優しい方ですわね」
 無邪気な笑顔にアルヴァートの肩からすっと力が抜けた。
『少しは脈があると言うことかな』
 がぜん勇気がわいてきた。どこか清々しい気持ちで晴れ渡った空を見上げる。 ほのぼのとした空気が2人を包む。待ち合わせ場所はもうすぐだった。
 待ち合わせ場所にはフレアの他にマニフィカ・ストラサローネとクレイウェリ ア・ラファンガードがいた。アリューシャを見つけてフレアが手を上げる。2人 が駆け寄ると、さっそく作戦会議が始まった。
「噂を流そうと思うんだ」
「噂ですか?どのような」
「ローダーが襲撃されたって言う噂だよ。サクヤはなんだかんだいってローダー のことを大事にしていたみたいだから、この噂を聞きつけたら絶対に真相を知ろ うと出てくるはず。そんなはずはないってね。闇雲に探すよりは、そうやってお びき出した方が確実だと思うんだ」
「どうやら宿屋には泊まっていないようなんですのよ。人相描きを用意してもら って調べてみたのですけれど」
 ねぇ?とクレイを振り仰ぎながらマニフィカが言う。その手にはサクヤの似顔 絵が描かれた紙が握られていた。
「酒場とか町の人が集まる井戸端会議とかで噂をばらまこうかと」
 アリューシャがうなずいた。
「では酒場はわたしたちで回りますわね」
「わたくしは親方さんに頼みまして、商店組合を介して噂をまいてみますわね」
 マニフィカはなじみになった露天商の親父の顔を思い浮かべながら言葉を続け た。フレアが一同を見回して締めくくった。
「じゃあ町中の噂は僕が担当するね。一週間後にお茶会があるんだけど、それが 一番危ないかも知れないって必ず付け加えてね」
「了解。おばさま方はあんたに任せるよ。裏業界にはあたいが手を回すから」
 マニフィカを抱き寄せながらクレイがにかっと笑う。それからもう少し詳細を 打ち合わせ、解散した。
 店の片隅でその話をこっそり聞いている者がいた。ペットのソラと談笑してい る風を装っていた佐々木甚八だ。甚八はフレアたちが去っていくのを見届けてか ら、ソラに話しかけた。
「なかなかいい手だな。あれならローダーのことが気になって出てくるだろう」
「そうやな。お茶会で待ち伏せしますのん?」
「ああ、そうしよう」
 お茶会まであと1週間。

 マニフィカたちはまずはなじみの親方を捜して、打ち合わせ通りの話をした。 親方はひどく驚いていた。
「ええ、ローダー坊ちゃんまで何者かに狙われたって?」
「そうなんですのよ。1週間後に館でお茶会があるのですけれど、皆が集まるか ら次はきっとそれが危ないだろうというのですわ。なんでも居なくなったメイド が怪しいとか……」
「騒ぎが大きくなれば敵も身動きしづらくなると思うんだよ。この話、商店組合 の方に流してもらえないかい」
「やれやれ、物騒な世の中になったもんだね。よし、わかった。襲撃者がいるっ て話をすればいいんだね。まかせておけ」
「お願い致します」
 大きく胸を張った親方さんに別れを告げて、次に向かったのはちんぴらどもが たむろする裏通りだった。どこか殺伐としたざわめきにマニフィカが心持ち体を 硬くする。クレイの背後に隠れるようにして歩いていたのだが、その後ろからぐ いっと肩を掴まれて小さな悲鳴を上げた。
「姉ちゃん、一緒に飲まないか……って、げ」
「よお、ちょうどいいところで会ったね」
 すかさずクレイが、声をかけてきた若い男の腕をねじり上げてマニフィカをか ばった。男はクレイの顔を見てさーっと青ざめた。
「姉御……元気そうで」
「あんたもな。ところで知ってるかい。領主の息子が何者かに狙われてるって話 」
「ああ、長男坊がやたら事件に巻き込まれてるって奴だろう。知ってるから離し てくれぇ」
「このお嬢さんにもうちょっかいださないんならね」
「しない、しないから」
 腕の痛みに半べそをかいている男が必死の形相でぶんぶんと首を振る。なにご とかと集まってきた仲間たちも、クレイの姿に逃げ腰になっていた。マニフィカ を背にかばいながら一同を見渡し、クレイがしたり顔で言った。
「それがどうやら、末っ子も狙われたらしいんだよ。1週間後にお茶会があるん だけどね、そこが一番危ないらしい」
 ざわめきが広がる。クレイはなおもあれこれと疑惑を投げかけていった。上の 事情などちんぴらどもには話題の種でしかないのだろう。火種のクレイを取り残 して、あちらこちらでひそひそ話が始まった。
「と、こんなもんかな。怖い思いをさせたね」
「大丈夫ですわ。クレイお姉様が守って下さると信じておりましたもの」
 マニフィカはにこにことしながらクレイに身を寄せた。
 フレアやアリューシャたちもそれぞれの持ち場を回って噂をばらまいていた。 末っ子までもが狙われたというのはなかなか刺激的な話題だったようだ。その噂 はまたたく間に町中に広まっていった。アオイとジュディが朝っぱらの酒場で聞 いたのもそんな噂の一つだった。もっともジュディの関心はローダー襲撃よりも お茶会の方にあった。
「館でお茶会ネ!参加したいデス。直接お願いして、大丈夫デしょうカ」
「館のお茶会に参加したいんか?それやったらあたいの姉ちゃんが館でメイドし てるから頼んでやるわ」
「オー!お願いしますネ!」  アオイも館に行こうとは考えていたので、2人はさっそく向かうことにした。

                    ○

 館ではローダーとルークが向かい合っていた。
「僕も襲われたって噂を流しているって聞いたけど、順調?」
「みたいだな。この分なら町に潜伏しているサクヤの耳にも入っているはずだ」
 サクヤの名前を聞いてローダーが一瞬泣き出しそうな顔になった。それを横目 で見て取ったルークが冷静に口を開いた。
「黒幕におまえの母親がいることは間違いないだろう。ファリッドが黒幕を暴い てどうするかしらんが、今の様子なら当主としての判断を下すだろうな」
「……断罪するってこと?」
 背けたかった事実を突きつけられて、ローダーのポーカーフェイスが崩れた。 13歳の子供の素顔がのぞいて幼くなる。一緒にいたエウリュスがたまらなくな ってローダーを抱きしめた。
「ルークさん、ローダーさんをいじめないで下さい」
「いじめているわけじゃない。俺はローダーの意思を確認しておきたいんだ。今 の依頼は真実を見つけることまでだ。それでいいのかどうかをな。ファリッドは 黒幕を暴くつもりなんだろうが、もしローダーが望むなら実行犯を捕まえるだけ ですませてもいい。どうだ」
「……それは、きっと、解決にはならないよね?」
「ああ、問題を先送りにするだけだろうな」
 エウリュスがローダーを抱きしめたまま言った。
「ウチは、あの2人の暴走を止めるにはローダーさんがなにを望んでいるか知る ことが鍵だと思うのです。お兄さんたちとどう接していきたいか、将来どうした いのか。少なくともサクヤさんはローダーさんの思いに背くような人ではないで しょう?」
「僕は兄様たちと敵対したくなんかない。家族の1員として、力を合わせて生き て行きたい。サクヤや母様にその気持ちは伝わるかな」
「できたらファリッド側の人間より先にサクヤを捕まえて、話がしたいな。行く 先に心当たりはないのか」
 ローダーは力無く首を振った。
「母様が関わっているなら、母様が隠し持っている家とかにいると思うんだ。も しかしたら実家の方に行ってしまっているかも。そうなるとちょっと」
 今のところ裏通りでサクヤを見かけたという情報はルークの元には入っていな かった。ファリッド側で見つけたわけではないことは、噂でおびき出す戦法でも 明らかだった。
「待つしかない、か」
「大丈夫ですよ、ローダーさんの気持ちはきっと伝わります」
 うつむいているローダーの肩がかすかに震えている。エウリュスの胸もずきり と痛んだ。精霊のリーンに命じて、ローダーの心が安定するようそっと魔法をか けた。ローダーはほうっと大きく息をつくと、顔を上げてルークを見た。
「僕が襲われたと知ったら、サクヤはきっと様子を見に来てくれる。そこを捕ま えて。僕はそうしたら、兄様や母様の前で自分の気持ちをサクヤに言うよ」
「わかった」
「そうですわね。ウチも手伝います」
 リーンがふわりと周りを漂った。

 サクヤはメイド姿から町娘の姿に変装して潜伏していた。噂は当然の事ながら 耳に入っていた。まさかと思いいらだっているところへグラハムとシャルがやっ てきた。
「ローダー様には手出ししないでって言ったじゃない」
「俺たちは知らない」
 サクヤに問いつめられてグラハムが眉をひそめた。サクヤは落ち着かない様子 で部屋の中を行き来していた。シャルがその様子を目で追いながら問いかけてき た。
「サクヤさんがどういうつもりでマーヤさんのために働き、ファリッドさんたち を消そうとしているのか知りませんが、本当にそれでいいのですか?まあこちら はファリッドさんを消せればそれでかまいませんが」
「私はローダー様のために動いているだけだわ」
「おそらく姿を消したことでローダーさんにも今までの出来事の背後にあなたや 母親がいることはわかったはずです。ローダさんは自分のために兄や姉の命が狙 われたと知ったらどうするでしょう。一番よく理解できるのはサクヤさんですよ ね」
「確かにローダー様は自分から兄を消してまで領主になろうとはしないでしょう けど。いなくなってしまえばならざるを得ないはず。あの方だったら領主になる 器量は十分持ち合わせているもの。嫌われてもいい。今はファリッド様を亡き者 にする方が先だわ。思いはいつか届くもの。そう信じるの、私は」
「ではあくまでもファリッドさんたちを狙うと」
「ええ。でも……噂が気になるわ。あなたたちは本当になにも知らないの?」
「茶会があるそうだな。どうせなら噂に便乗してそこに乗り込んでやるさ。一気 に片を付けてやる。気になるなら一緒に来い」
「館には見張りが立っていると思うけれど、裏口なら詳しいわ。忍び込めるはず 。行くわ」
 グラハムが言うと、サクヤはきっぱりとした顔でうなずいた。

 お茶会はアゼルリーゼ・シルバーフェーダの提案だった。ダンスパーティーや 誕生パーティーでの襲撃事件でぴりぴりしている雰囲気を和らげようと考えたの だ。ちょっと別の思惑も入ってしまったが、兄弟姉妹が揃っていれば護衛する方 も楽だろうと気にしないことにした。なにより末っ子のローダーが他の3人から 孤立してしまうことが怖かった。
 ファリッドの怪我もほとんど良くなり、天気も上々の日。中庭に家族や護衛の 者たちが集っていた。とはいえ皆が素直に集まったわけではない。一番の難関は ミルルだった。
「そんな気分じゃないのに」
「また狙われていらだつのはわかるけどね。こういうときこそきちんと楽しんで 、肩の力を抜いて行かないと」
 そういって引っ張り出してきたのはアルトゥール・ロッシュだった。すでにフ ァリッドの隣にはアクアが、チルルの隣にはホウユウが座っていた。手を引かれ ているミルルを見て、アゼルリーゼが軽く笑った。
「仲良いじゃない」
「そ、そんなんじゃないわ」
 からかわれてミルルが赤くなる。反射的に手をふりほどいてしまう。それを微 笑ましげに見てから振り返ると、ジュディがチルルを誘っているところだった。 クレハやミズキがせっせと兄の世話を焼く。ローダーの側にはエウリュスが控え ていた。ミルルがむすっとしながら席に着くと、アルトゥールもその隣の席に着 いた。アリューシャとアルヴァートが演奏を始める。トリスティアが演奏に合わ せてナイフのジャグリングを披露し始めた。その妙技に歓声がわく。おかげで最 初は少しぎこちなかった雰囲気も次第に活気を帯びてきた。
 チルルを誘ったジュディは、初めはお祭りのことなど他愛ない話をしていた。 にこにこしながら気さくに応じるチルルに好感を持ったジュディだったが、ふと 相手の視線が、ちらちらと雑談している兄弟たちに向けられていることに気づい た。そこにある憂鬱を感じ取って、自分も領主一家の様子をうかがいながら問い かけてみた。
「お兄さんたちのコト、気になってるみたいデスネ。噂、聞きましたデス。その せいデスか」
「え?あら、お話しの最中にごめんなさいね。そうね、みんなこんなに楽しそう なのに……どこかもやもやしているのはたまらないわね」
「ジュディは血の繋がらない祖父母が、親代わりに育ててくれたデス。イッパイ イッパイ可愛がってもらいましタ。だからとっても幸せだったネ。血は繋がらな くても、絆がアッタから。家族の絆、大切なものだと思うネ。チルルはドウ思いますカ。高貴な血筋は、血統を大切にスル、思いますが」
 チルルは目を細めてジュディを見返した。
「家柄ですべてが決まるわけではないでしょう。幸せに生きようと思うなら、家 族の絆は私も大切だと思うわ。和を重んじ、側にいる人を大切に思えなくて、幸 せなんてないでしょう」
「イイ人ですネ、チルルは」
「そう?ありがとう」
 素直にお礼を言われてジュディが口ごもってしまう。待ちきれなくなったホウ ユウがやってきてチルルを連れ出す。2人の後ろ姿を複雑な表情でジュディは見 送った。
 ホウユウに伴われたチルルを迎えて、アゼルリーゼがいまだふくれっ面をして いるミルルを見た。
「まあ、そんなにいらだってないでよ、せっかくのお茶会なのに。そういえばみ んなって気になる人とかいるの?」
「え!?」
 チルルが反射的にホウユウを見る。ファリッドはアクア相手におしゃべりをし ていたが、意味深な笑みを浮かべて視線だけ投げかけてきた。ミルルは赤くなっ てあらぬ方を向いてしまった。
「ローダーは?」
「僕ー?」
 今ひとつ興味なさそうなローダーに話の種を振ってみる。ファリッドが手を伸 ばしてローダーの頭を撫でた。
「おまえも年頃だものな。彼女とか仲いいんじゃないか?」
「兄様!」
「そう見えますかー?」
 背後に控えていたエウリュスが嬉しそうに身を乗り出してくる。ローダーが慌 てた顔になった。それを見てミルルの顔も自然にほころんでいた。ようやく見ら れた笑顔に、アルトゥールも嬉しい気持ちになった。
「兄様だって、そちらの人と仲が良いじゃないか」
「そうだね」
 むきになって言い返すローダーをファリッドが軽くあしらう。見つめる視線は どこまでも温かく、平和なものだった。今までの事件がなかったら、本当にただ の仲良し兄弟に見えただろう。そう思って再びミルルから笑顔が消えた。アルト ゥールがミルルの手を取って人の輪から離れた方へミルルを誘った。落ち込んで いたミルルは、抵抗することなくアルトゥールに従い、中庭の片隅の木陰からじ ゃれあっているファリッドとローダーをぼんやり眺めた。その頬が急につまみ上 げられた。きゅっと口の端が持ち上げられて泣き笑いのような表情になる。ミル ルが怒って手を振り払うと、アルトゥールはその顔をのぞき込みながら優しく言 った。
「怒った顔も可愛いけど、やっぱりミルルは笑顔の方が可愛いよ」
 あまりに優しい声に、ミルルの怒りが持続しなかった。不意を突かれてきょと んと見上げてくる体を、アルトゥールがそっと抱きしめた。
「君が好きだ。君の笑顔も……。こんな事件は早く終わらせるよ。そうしたらま た笑ってくれるかい?」
 ミルルが切ない色を顔に乗せた。うつむいてぽつりと答えた。
「なにもかもうまくまとまるかしら」
「みんなが幸せになれるよう、がんばるから。ミルルも頑張るんだろう。だから 、笑って……ね?」
「ありがとう……本当、安心して笑えたらいいわね」
 その頃、サクヤに誘導されたグラハムは使用人しか使わない通路を伝って、館 内に侵入してきていた。人目を忍び中庭を目指す。茂みの中に身を隠した先では 、ファリッドがまだローダーにじゃれついていた。
「くれぐれもローダー様には傷を付けないでよ」
「この状態では邪魔だな。引き離せるか」
 囮になれと暗に言う。サクヤはごくりと息をのんでうなずいた。
「ローダー様だけ呼んでみるわ」
 茂みづたいにグラハムから離れると、ローダーの視界に入るよう顔だけのぞか せる。そこをソラが背後から取り押さえてきた。
「きゃあ」
「やはり来たな」
 甚八がソラに命じて茂みからサクヤを引きずり出す。サクヤも必死に抵抗した がブルーブライドの力にかなうはずもない。騒ぎに気づいてローダーが駆け寄っ てきた。サクヤが怒鳴った。
「今よ!」
 グラハムがファリッドめがけて爆弾を投げつけようとした。そこへカメレオン 装甲で隠しておいたエアバイクにすかさず乗ったトリスティアが、上空からヒー トナイフを投げはなった。避けながら投げた爆弾は一同の手前で爆発した。グラ ハムもヒートナイフが地面に突き刺さったときの爆炎に体を押し流されていた。
「ローダー様まで巻き込む気!?」
 よもや爆弾を持ち出されるとは思ってなかったサクヤが血相を変える。ローダ ーの顔がこわばった。
「僕が巻き込まれなかったら、あとはどうでもいいの?」
 痛みを押し殺した口調にサクヤがはっとする。サクヤののど元にルークの銃剣 の切っ先が突きつけられた。ローダーはサクヤに近づくことをエウリュスに止め られていた。
「兄弟が殺されれば、ローダーは傷つくぞ」
「それでも……!私はローダー様に当主になって頂きたい!」
「血塗られた当主の座なんか欲しくないよ!」
 叫ぶローダーの瞳から涙があふれていた。その胸の痛みをエウリュスが魔法で サクヤに届ける。サクヤは自分の意地とローダーの意思の間に挟まれて身動きで きなくなった。
 その間にもグラハムは次の戦いに移っていた。
 爆弾に巻き起こされた風でお茶会の席は滅茶苦茶になっていた。もうもうと上 がる煙の中、セサ・カルサイトはアルティを促していた。
「アルティ、貴方は今のうちにファリッド様を奥へお連れして」
「いや、逃げるわけにはいかないよ」
 ファリッドが立ち上がってグラハムの方へ向かおうとする。アクアとアルティ がそれを押しとどめた。セサはファリッドの体を軽くとんと押しやった。
「当主が自ら出るものじゃないわ。ここはわたくしたちに任せなさい」
 そしてファリッドとアルティの幻影を作り上げると、煙の中から姿を現すよう にしながらグラハムに向かわせた。グラハムが銃で撃ってくる。が、幻影は弾を すり抜けさせるだけだった。
「ミルル!」
「わかってるわ!」
 アルトゥールが風乙女の指輪で風を操って煙をグラハムにまとわるつかせる。 むせかえったグラハムが激しく咳き込む。その隙にミルルが殴りかかっていた。 とっさに撃った弾がミルルの腕をかすめたが、ミルルはかまわず攻撃を続けた。 体格差があるのでその攻撃はさして影響を与えなかったが、持っていた銃は取り 落としてしまった。
「しまった!」
 落ちた銃をミルルが蹴り飛ばす。拾おうとしたグラハムに、トリスティアのナ イフが襲いかかった。ごろんと体を回転させてグラハムが避ける。体勢を整えよ うとしたとき、木陰に隠れていたアオイのガンランチャーが火を噴いた。
「よっしゃー!」
 トリモチ弾がグラハムの動きを封じていた。
「終わったみたいね」
 サクヤは観念したようにおとなしくなっていた。煙の中から現れたグラハムは 、全身をねばねばしたものに絡め取られて地面で転がっていた。あたりは静かで それ以上なにかが起きる様子もない。アルティがほっと肩で息をつき、セサが微 笑みながらアルティに近づいた。ファリッドはまじめな顔でもがいているグラハ ムを見つめていた。
 館からは中庭の騒ぎを聞きつけた人々がでてきた。
「トリスティア、彼とサクヤを父上のところへ。依頼人が居るはずだ、父上の前 で白状してもらおうか」
「誰が話すか」
 グラハムが悪態を付く。サクヤも表情をこわばらせていた。
「仮装パーティーまで間がないからね。きっちり落とし前はつけてもらうよ」
 連れて行かれるグラハムたちの後にファリッドやミルルたちも続く。後を追お うとしたアルティを、セサが引き留めた。
「これで貴方の肩の荷も少し下りたのではないかしら」
「ああ、そうだな」
 どことなくほっとした様子のアルティに、セサがくすりと笑った。すいっと指 が伸びてアルティの頬を撫でた。驚いたようにアルティが身を引く。しかしセサ は手を離さなかった。
「そういえば、せっかくのお祭り時に会ったのに、一度も踊ってはいなかったわ ね。仮装パーティーでは踊って頂けるかしら?」
 仮装パーティの言い伝えはさすがに知っていたアルティがかすかに赤くなる。 セサは指をなまめかしく動かしながら流し目を送った。
「貴方を慕っている女の子に誤解されるのが嫌と言うなら引き下がるけれどね? 」
 ふとずらした視線が、アルティに抱きつこうかどうしようか迷っていたリーナ のそれと出会う。余裕の笑みを向けられて、リーナがうっと顔を引きつらせた。 アルティはそのやりとりには気づかずにただ戸惑っていた。セサの笑みが華やか なものになった。
「考えておいてね」
「アルティさん、行こう!」
 すいとセサが離れると、さっそくリーナが手を引っ張ってくる。アルティは引 かれるままに館に戻りながら、ため息をついた。

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