「花咲く季節」 第4回 最終回
ゲームマスター:高村志生子
兄妹を襲っていた実行犯の一人であるグラハムと、噂におびき出されてきたサクヤが捕らえられた晩のこと。シャル・ヴァルナードは裏口から館に侵入すると、サクヤから聞き出しておいた情報を元に、領主夫人のマーヤの部屋に向かった。寝るに寝られないのだろう。マーヤは私室に一人こもっていた。一人きりであることを確かめて室内にはいると、物思いにふけっているマーヤにいきなり切り出した。 「あなたが操っていたグラハムさんとサクヤさんが捕らえられましたよ」 マーヤはびくっとしながら振り返ると、忌々しそうに答えた。 「ファリッドたちを狙っていた者が捕らえられたことは知ってますわ。でもわたくしが操っていたという証拠はないでしょう」 「甘いですね。サクヤが吐かないはずはないでしょう。それともしらをきりとおすつもりですか。ファリッドさんはそんなに甘くはないと思いますよ」 「そ、それは……」 マーヤが言葉に詰まってしまう。しばし沈黙が訪れた。シャルはにこやかな笑顔を浮かべ、何気ない様子で魔銃をマーヤに突きつけた。そしてぐいと顔を近づけると、笑顔とは裏腹な冷ややかな声で告げた。 「あなたは負けたんですよ。じき領主たちの前で彼らは追求されることでしょう。あなたにはそこで白状してもらいます」 「ま、まだ負けてなどなくてよ」 「ではここで撃たれて死にますか?」 銃口が目の前に持ち上げられる。マーヤが小さく息を呑んだ。 「今ここで撃たれて死ぬか、皆の前で白状するか。どちらを選びますか」 笑顔なだけに不気味な迫力がある。選択の余地はマーヤにはなかった。 「わたくしがすべてを話せば、せめてあの子には咎は及ばないかしら……」 「そのためには、あなた一人が悪役になる必要がありますね。グラハムさんとサクヤさんはあなたに弱みを握られていて、暗殺するよう命じられたと言うことにしてください」 「そんな……」 「嫌ですか?」 言外に断れば命はないとにじませている。マーヤの肩ががくっと落ちた。 捕らえられて以降、グラハムは沈黙を守っていた。サクヤは気疲れが出たのか熱を出して寝込んでいた。そのため取り調べは数日経ってから行われることになった。その間にことはひそかに進行していた。 起きあがれるようになったサクヤの元に佐々木甚八が姿を現した。サクヤの部屋には見張りとしてトリスティアが陣取っていた。甚八はソラの陰に隠れるようにしながらサクヤに近づいていった。サクヤは熱で憔悴した顔をこわばらせて黙りこくっていた。トリスティアはちらっと甚八を見たが、とりあえず黙って通らせた。 「君は、ローダー坊やの想いはわかっていたんだろう」 問われてサクヤの肩がぴくりと動く。甚八はそんなサクヤの様子を伺いながらなおも言いつのった。 「なぜそれで満足できなかったんだ?君の気持ちは坊やには十分伝わっていただろう。だからお茶会で襲撃されたとき、泣かずにはいられなかったんだ。君は大切なものを自己満足のために踏みにじったんだ。結局、坊やの人生を好きにいじりたかっただけだ」 「違うわ!私はよかれと思って……」 「一方的な片思いもいい加減にしろ」 ぴしゃりと言い切られてサクヤが黙った。トリスティアが椅子に腰掛けながら口を挟んできた。 「ねえ、わかってる?このままじゃサクヤの大切なローダーは、『罪人の息子』になっちゃうんだよ」 うつむきかけていたサクヤがはっと顔を上げた。 「甚八の言うとおりだよ。サクヤや夫人のしたことは自己満足でしかない。ローダーは自分が当主になることなんか望んでなかった。ただ兄姉と仲良くしていたかったんでしょ。その思いを踏みにじられて、とても傷ついてしまった。それをわからなくちゃね?」 「ふん、悪いことをしたと思っているのか?」 たたみかけるように言われてサクヤはまた黙り込んでしまった。 「なぜ身分にこだわった。なにか辛い経験でもあるのか」 「そういうわけじゃないけれど……」 そこへマリー・ラファルがやってきた。 「ちょいとごめんなさいな。サクヤに伝言があるんだけど」 「伝言?」 「ローダーが家出したわよ」 「え?」 3人の声が重なった。トリスティアと甚八がマリーを驚きの目で見る。サクヤは慌ててベッドから起き出すと、マリーにすがりついた。 「どういうことなの?ローダー様が家出って」 マリーはサクヤの肩を抱くようにして座らせると、懐から1通の手紙を出してサクヤに渡した。 「まあ、読みなさいって」 それはローダーのサクヤに宛てた手紙だった。そこには自分の考えが切々と書かれていた。そしてサクヤに、自分のことを思うならば意に反したことはせずに、素直に罪を認めて反省して欲しいと告げていた。わかってもらえるまでは帰らないとも。サクヤは読み進めるうちに泣き出していた。 「私のしたことは間違いだったの……?」 「サクヤ一人の考えじゃないんだろ?」 言われた言葉にサクヤが戸惑いを見せる。マリーはふうと息を吐くと、椅子を引き寄せて座りサクヤの頭を撫でた。 「あたしを拾った男、亡くなった旦那なんだけどね、そいつもあんたみたいに、世話になった上司が間違った道を歩みそうになって悩んだことがあったのさ。その上司ってのが、やっぱり自分の子供のためにその道に進みそうになってね。うちの人が止めたんだよ。そんなことして娘さんが喜ぶはずないだろうって」 泣きやんだサクヤは真摯な顔でマリーの言葉を聞いていた。マリーはにこりと笑うとぽんぽんと背中を叩いた。 「あたしは、恩義のある人が間違った道を歩みそうなら、それを止めるのも、また恩義や忠義に報いる行動だとそのとき知ったんだよ。だからあんたも、なにが正しくてなにが間違っているのかわかったんならやり直せばいいのさ。生きている限りそれはできるだろ?」 サクヤは手紙を強く抱きしめた。そこへファリッドたちの呼び出しがかかった。 グラハムの部屋にはリーナ・ブラウディアがペットの大狼クライアと一緒に見張りに立っていた。呼び出しがかかると辺りを警戒しながら連行していった。グラハムは抵抗はしないがむすっと黙ったままだった。 今は閑散としている大広間には領主とマーヤ、ファリッドがいた。トリスティアやリーナに伴われてサクヤとグラハムが現れると、ファリッドが厳しい表情で口を開いた。 「サクヤ、おまえがおれたちを狙ったのは、義母上の命令によるものだな」 「……はい」 サクヤが意を決したように言うと、青ざめた顔で立っていたマーヤが吐き捨てるように言った。 「サクヤとグラハムは、わたくしが弱みを握って脅したんですのよ」 「奥様!?」 思いがけない言葉にサクヤが驚きの声を上げる。さすがにグラハムもわずかに驚きの色を浮かべた。隠れ潜んでいたシャルが姿を現した。 「それはボクが証人ですよ。罪があるのは夫人だけ。サクヤさんたちは脅されて従っていただけなんです。ばれた以上もうしないと誓います。だからサクヤさんとグラハムさんの罪は、特にサクヤさんの罪は軽くして頂けませんか。ローダーさんのためにも」 「いいえ、いいえ。罰ならきちんと受けます。だから、せめてローダー様を探しに行かせて頂けませんか」 サクヤが訴えるとファリッドが軽く答えた。 「探しに?ああ、そう言えばこのところ姿を見ないな」 「私たちが罪を認めて謝るまで帰らないと、家出してしまったんです」 「なんですって、それは本当なの、サクヤ」 マーヤも愕然とした顔になった。サクヤは持ってきた手紙をマーヤに渡した。マーヤはその手紙を読むと、へたりと床に崩れ折れた。 「こんなにもあの子を傷つけてしまったなんて……」 「奥様、もうこれ以上は」 サクヤの訴えにマーヤも力無くうなずいてグラハムを見た。 「ええ……依頼は取り消しますわ。だからもうファリッドたちを狙わないで」 グラハムが軽く肩をすくめた。 「逃がしてくれるというなら別にかまわないが」 「相応の罰は受けてもらうよ。シャル、君もね」 ファリッドに傷を負わせたのはシャルだ。そのことは忘れ去られたわけではなかったらしい。ファリッドの言葉にシャルはサクヤを見た。 「ボクはグラハムさんにしたがっていただけですよ。彼が動かないと言うならボクも動く必要はない。領地から撤退しましょう。サクヤさんはどうしますか?」 「私?」 サクヤが目を丸くしてシャルを見返すと、シャルは素知らぬ風に言った。 「あなたもここにはいられないでしょう。行くなら一緒に行きますか」 しかしサクヤはうつむいて軽く首を振った。 「罪は承知していますが……望むことが許されるならば、私はローダー様のおそばにいたいです。せめて今後は本当にローダー様のお気持ちに沿うよう、生きて行きたい……」 ファリッドがため息をついた。 「ことを表沙汰にして、ローダーを傷つけたいわけじゃない。それは確かだけど、義母上をこのままにしておくことは出来ない。あなたには地方へ隠棲してもらいます。いいですね」 「ローダーは……」 「ローダーには館に残ってもらいますよ。会えないことが罰だと思って下さい」 マーヤは泣き出しそうに顔をゆがめながらしぶしぶうなずいた。ファリッドはそれからグラハムとサクヤに向き直った。そのときだった。いきなり窓が爆破され、テネシー・ドーラーが飛び込んできた。 「グラハム様!」 「テネシー!?」 テネシーの背後を守るように機獣狼のケルベロスがうなりを上げている。トリスティアがファリッドの前に回り込み、リーナが銃型ARM『ルージュ・フィエーヴル』と『ブラン・ネージュ』でテネシーに攻撃しだした。トランジョン・クロスで至近距離に迫り零攻撃を繰り出す。テネシーは肩を撃ち抜かれながらも、渾身の力でリーナを突き飛ばし、あとはケルベロスに攻撃を任せてグラハムの腕の中に飛び込んでいった。 「助けに参りましたわ。一緒に逃げて下さいませ」 「こんな無茶を、どうして」 「やらずにはいられなかったんですの」 「ばかだな……」 「本当に……どうしてなのでしょう」 室内はケルベロスのはき出す高熱波で火事が起きていた。アルティが人を呼び集め消火を指示する。混乱を好機と見て、グラハムがテネシーと一緒に壊れた窓に向かった。 「逃がさないんだからー!」 リーナが後を追おうとする。それを止めたのはアルティだった。 「いい、深追いするな」 「でも」 「いいよ。もう狙っては来ないだろうから」 ファリッドにもそう言われ、リーナがあきらめる。窓の外ではテネシーとグラハムが寄り添うように駆けているのが見えた。 幸い火事はすぐに鎮火することが出来た。どさくさまぎれにシャルも姿を消していた。サクヤは一緒に消火活動にいそしんでいた。それが落ち着くと、あらためてファリッドにローダー捜索を願い出てきた。ファリッドが了承すると、さっそく飛び出していこうとする。呼び止めたのはリーナだった。 「ローダーの居所ならわかっているよ。連れて行ってあげる」 そして連れて行った先の家から出てきたのは、ルーク・ウィンフィールドだった。ルークはサクヤの姿を見ると、通せんぼするように仁王立ちになってねめつけた。 「ここに来たということは、ローダーの気持ちはわかっているんだろうな」 サクヤがこくんとうなずくと、ルークは表情を変えないままに言葉を続けた。 「あいつは子供とはいえ、しっかりした意思を持った一人の人間だ。その意思を無視したところで、あいつは幸せにはなれない。だから自分の意思を押しつけるのではなく、あいつの側であいつの意思を、心を支えてやれ。それができるのは、多分おまえだけだ」 「はい」 青ざめながらそれでもしっかりした声でサクヤが応じると、ルークはようやくサクヤを中に入れた。室内ではローダーが椅子に座ってひざを抱えていた。 「ローダー様、申し訳ありません。もう二度と貴方のお気持ちを踏みにじることはしませんから……どうか帰ってらしてください」 「サクヤ……本当に?もう兄様たちにひどいことしないって誓える?僕の思いに逆らったりしないと誓える?」 「はい。決して、同じ過ちは繰り返しませんわ。だからお側に置いて下さい」 それからサクヤはマーヤの処分のこと、グラハムたちが逃げたことなどを話した。母親が館を追い出されると聞いてさすがにローダーは顔を曇らせたが、仕方がないとつぶやいた。 泣き崩れたサクヤを立たせ、一緒に外に出ると、ルークとリーナが並んで待っていた。 「母親は追い出されるらしいな」 「だってね。でも、兄様が決めたことなら僕は文句なんか言わない。寂しくないって言ったら嘘になるけど、母様のしたことを考えたら、それでも甘いくらいだものね。それにサクヤは居てくれるって言うから、もうそれでいいかな」 目を伏せて笑うローダーの頭に、ルークがぽんと手を置いた。 サクヤと一緒に戻ってきたローダーに、マーヤは近寄ることも出来なかった。チルルとミルルもやってきた。気まずい雰囲気が一家を覆う。エウリュス・エアが精霊リーンの力でもって人々の心に平静をもたらせた。落ち着きを取り戻したローダーが母親の前に進み出る。その心情をエウリュスが魔法で皆に伝えた。マーヤが再び泣き出した。 「お母様はもうあなたの側には居られないけれど……お父様やお兄様たちがいるから大丈夫ね」 マーヤの言葉にローダーが寂しげな笑みを浮かべる。エウリュスがそっと背中を抱いて、ぽんぽんと軽く叩いた。ローダーはその温もりに励まされて、深呼吸するとしっかりうなずいた。 「うん。僕はいつだって、兄様たちの役に立ちたいと思っていたんだ。それはこれからもかわらないよ。だから大丈夫。一緒にいられるよね。母様は僕のために悪いことをしてしまったけれど、それで僕のことを嫌いになったりしない……よね?」 最後は少しだけおそるおそるといった風に、ファリッドたちを見回しながら聞く。ファリッドが近づいてローダーの頭を撫でた。 「当たり前じゃないか」 「うん」 ようやくほっとしたように明るい笑顔を浮かべて、ローダーはエウリュスと笑顔をかわした。 ○ 密かにマーヤの身柄が移送されるその前日。落ち着かない思いでいたのはミルルだった。否定したかった真実が明らかにされて、落ち込まずにはいられなかったのだ。自室にこもっていると、リオル・イグリードが訪ねてきた。戸惑いながら室内に招き入れたミルルは、わざと平気な顔で仮装パーティーの話などで明るく振る舞った。それが返って痛々しく見えて、リオルはせわしなく歩き回るミルルを引き留めた。 「泣いてもいいんだよ」 ミルルがぎくっと顔を固くした。リオルは優しい、けれど真剣な表情でミルルを見つめていた。 「今ここには守るべき家族はいない。それに泣いた姿を僕は笑ったりしない。誰にも、笑わせたりしないよ。だからその胸にある痛みと悲しみを、涙と一緒に流してしまいなよ。そうしないと君がつぶれてしまう。……僕にはその方が辛い」 そっと抱き寄せられて肩口に顔を押しつけられる。髪を撫でる感触と温もりが心に柔らかく触れて、張りつめていたミルルの気が一気にゆるんだ。初めは小さな嗚咽だったのが、だんだんに大きくなる。泣きじゃくる体をリオルはしっかり支えていた。 「気が済むまで泣けばいい。そうして、また家族と笑いあおうよ。ミルルならできるよ」 「うん……うん……」 ミルルは何度も何度もうなずいて泣き続けた。 対照的に大らかでいたのはチルルだった。マーヤのことにショックを受けていないわけではなかったが、あるがままに事態を受け止める性格と、兄弟の仲が損なわれなかったことにたいする安堵がチルルの心を平穏に保っていた。いや、別の件で乱れてはいた。 メイドとしてまだ働いていたクレハ・シャモンは、チルルの部屋の前でうろうろしている妹のアオイ・シャモンを見つけて駆け寄った。 「アオイ、どうしましたの?」 「姉ちゃんたちはあの女でええんやな?」 館内を巡回していたミズキ・シャモンもやってきて話に加わった。 「兄さんが選ばれた方ですもの。性格も悪くはないようですし、家柄も申し分ありませんし。兄さんにきちんと好意を持って下さっているようですしね」 「あーもう、運の良さはぴかいちって感じやよなぁ。妨害しても返ってくっつけるような方向に行ってしまうんやもん」 「妨害するなって」 話題の主であるホウユウ・シャモンも現れた。ホウユウはむすっとしているアオイに苦笑して見せた。 「チルルと一緒になるからと言って、おまえたちとの絆が断たれるわけではないだろう。ないがしろにするつもりもないぞ」 「当たり前や!」 「アオイはチルル様では嫌?」 クレハに問われたアオイは、大きくため息をついた。そしてきっと頭を上げた。 「あの女はどこにおるやろ」 クレハがチルルの気配を探った。チルルは自室でくつろいでいるところだった。 「お部屋にいらっしゃるようよ」 「よし、行くわ」 「行くって、なにをしに」 「裸の付き合いをしてくるわ。あんちゃんが選んだんやったら文句は言えへんもんな。けど言いたいことは言っておかな気がすまへん」 だだーっと駆けだしたアオイの後ろ姿を、クレハとミズキがやれやれといった顔で見送った。 「人一倍お兄ちゃん子のアオイが認めるならば、支障はもはやないと思って良いですわね」 「チルル様のお返事待ちのようですけど、断られるような雰囲気はありませんし。めでたいことがあるのはこの家にとってもよろしいのでは」 話がまとまれば、チルルはシャモン家に嫁ぐことになるだろう。返事は確かに保留されていたが、断られる感じはホウユウにもなかった。多少は複雑そうなクレハとミズキをよそに、ホウユウはチルルの笑顔を思い浮かべて気をよくしていた。表に出したつもりはなかったが、気配を感じたミズキに突っ込みを入れられた。 「にやけているのは次期当主としてふさわしくございませんわよ」 「幸せはいいもんだろう」 軽く返されて、クレハとミズキは無言のまま館内の巡回に戻った。 チルルの部屋に向かったアオイは、驚いているチルルの腕を掴んで言った。 「一緒に風呂に入ろうやないか」 「え?ええ、かまわないけれど……」 チルルの部屋には浴室が隣接して備え付けられていた。白い肌が湯煙に浮かび上がる。嬉しそうにアオイの背中を流しているチルルにアオイが言った。 「あんちゃんはな、あたいにとって世界一のあんちゃんや!あんたのことはその嫁と認めたる。あんちゃんがあんたを選んだんやからしゃあないわ。でもな、あんちゃんを不幸にしたらあたいが許さへんで!」 それを聞いてチルルがにっこり微笑んだ。 「家族にそれだけ思われるって素敵ね。その素敵を私も広めて行きたい……あなたのお兄さんと一緒に。できると信じてね」 石けんの甘い香りに包まれて、アオイはふんと小さく鼻を鳴らした。 エウリュスはローダーの部屋を訪れていた。 「エウリュス、この間はありがとう」 魔法で気持ちを支えてくれたことには気づいていた。ローダーが礼を言うと、エウリュスは笑いながら首を振った。 「気にしないで下さい。ウチがやりたくてやったんですもの」 「でもあのあと具合悪そうにしていただろ?大丈夫なの」 「もう大丈夫です。ローダーさんは?大丈夫ですか?」 ソファの上でひざを抱えて座っていたローダーは、くすぐったそうに笑った。 「僕は大丈夫だよ」 「……生きてさえいれば、また分かり合え、笑いあえる日が来ます。そう信じて下さいね」 「ありがとう。母様にはきっと思いは届いていると思うから。会えなくても気持ちは繋がっている。だから寂しくはないよ」 エウリュスを呼び寄せて、自分の隣に座るよう促す。素直に座りながら、エウリュスは言葉を探してしばらく黙っていた。ローダーもなにか考えているようで黙っている。そして言葉を発したのは同時だった。 「あの……」 そして顔を見合わせ2人ともぷっと吹き出した。 「なに?」 「ええと、あの、ですね」 「うん?」 一呼吸置いて、赤くなりながらエウリュスが一気に言った。 「お願いがあるんやけど!その……使用人としてでも、友達としてでもええですから……ウチを側に置いて欲しいんです」 言い終わってエウリュスがますます赤くなる。しばらくは返事が返らず、エウリュスはそっと上目遣いにローダーを見上げた。視線があって、ぼーっとしていたローダーが嬉しそうな顔になった。 「もちろん喜んで。ずっと仲良くしてくれるかな」 手を握られてぶんぶんと振られる。エウリュスもほっとしてその手を握りかえした。 「あたりまえやわ。仲良しでいような」 それは恋と言うには淡い思いだったけれど、お互いの胸に暖かなものが広がっていく。と、ローダーがふと思いついたかのように手を離し、引き出しの中から銀色に輝くチェーンを取りだしてきた。それをエウリュスの首にかけてくれた。エウリュスが指先でその細いチェーンをいじった。 「約束の証にそれを上げる。父上からもらった物なんだけど、なんでも少しだけ魔法の手助けをしてくれる効果があるそうだよ。エウリュスにちょうど良いかと思って」 「ほんと?ありがとう」 チェーンはきらきら輝いて、2人を祝福しているかのようだった。 ○ そして長く続いた豊穣祭のしめである仮装パーティーの日がやってきた。短い秋の終わりを告げるこの行事では、人々は思い思いの扮装をして町の大通りを練り歩く行列を作っていた。 その日、いつものように宿を出たアリューシャ・カプラートは、出たとたんにアゼルリーゼ・シルバーフェーダに捕まった。アゼルリーゼは町の雰囲気に乗せられたのか、すでに趣向を凝らしていた。銀の長髪は漆黒のシルクハットにしまい込まれ、服装も光沢を放つ漆黒のタキシードでぴしりと決まっていた。長身と相まって、アゼルリーゼの男装は不思議な色香を醸し出していた。腕を掴まれて有無を言わさず歩き出されたアリューシャが、とととと半分駆けるようについて行きながらアゼルリーゼに問いかけた。 「どちらへ行かれるのですか」 「いいところ。まさかその格好でパーティーに参加するつもりじゃないでしょうね」 腰の大きなリボンが揺れている。アリューシャはそのつもりだったのだが、アゼルリーゼには何か思惑があったらしい。連れて行かれた衣装屋であれよあれよという間に着替えをさせられた。 「うん、似合う似合う」 「そ、そうですか?ありがとうございます」 おとぎ話に出てくるような純白のロングドレスにガラスのハイヒール。少しばかり足が痛かったが、アゼルリーゼが嬉しそうなので、アリューシャも痛みをこらえて微笑んだ。アリューシャの可憐な姿にアゼルリーゼも満足したのか、嬉しそうな顔のままアリューシャを店から追い出した。 「さあ、行列が来ちゃうわよ。行ってらっしゃい!」 「アゼルリーゼさんは行かないのですか?」 「あたしはもう一つ用事をすませてからね。楽しみに待っていて」 「?はい」 なにが楽しみなんだろうと思いつつアリューシャが遠ざかる。見送ったアゼルリーゼは衣装屋からやはり漆黒のスーツを選び出すと、手紙を添えてそれを弟のアルヴァート・シルバーフェーダの元へ送りつけた。 アルバートが受け取った手紙にはこう書かれていた。 『裏方の演奏ばかりしてないで、たまにはあんたもパーティーを楽しみなさい。彼女にはおめかししておいたんだから。あんたもそれ相応の格好をしなくちゃね』 「でもこの格好で出歩くのはちょっと目立つかな」 アルヴァートはスーツの上にマントを羽織り、仮面を付けて素顔を隠した。 行列は日中町中を練り歩く。アゼルリーゼは弟の首尾を願いつつ陽気に踊りながら行列に参加していた。しかし今ひとつ陽気になれないでいる者もいた。恋煩いに思い悩んでいたジュディ・バーガーは、陽気な喧噪を耳にし、覚悟を決めて勝負服のユニフォームに着替え町に繰り出していった。そして雑踏の中、必死になってホウユウを探した。ホウユウは雅やかなキモノにハカマといった出で立ちでたたずんでいた。ホウユウも人を待っているようだった。それがチルルだろうことはジュディにも察しが付いて、胸がつきんと痛んだ。その痛みを振り払って、ジュディは華麗なフットワークで人混みをすり抜けながらホウユウの前に立った。 「ハイ!ForYou、ちょっとイイですか?」 「ジュディ?ああ、すまない。人を待っているのだが」 「すぐにすみマス。ちょっとダケ、ネ?」 大柄なジュディに手を引かれて、ホウユウが苦笑しながら従った。ジュディは横道に入って人目がなくなると、くるりと振り返り、言葉を発しようとした。しかしすぐには言えなかった。いざとなると胸が詰まってしまったのだ。困惑しているジュディをホウユウが見つめている。しばらくして決心が付いたジュディは、はっきりした声でホウユウに告げた。 「ジュディ、ForYouが好きネ。愛してマス。ForYouはジュディのコト、どう思いマスか」 突然の愛の告白にホウユウが戸惑う。しかし真剣なジュディの表情に、ホウユウもまじめな顔になった。そして深々と頭を下げた。 「ありがとう。気持ちは嬉しい。しかし、俺には愛している人が他にいる。君の気持ちには応えられない」 「ソウ……ソウですネ。ハッキリ言ってくれて、こちらもありがとうデス。ForYouのことはイイ思い出にします。出会えてよかったネ。じゃあ」 ジュディは涙は見せまいと胸を張って背中を見せた。そして大広場の鐘楼目指して歩き出した。 いつも以上の人出、それも普段なら見かけないような扮装の人たちの群れに、マニフィカ・ストラサローネはすっかり興奮していた。 「親方さん、親方さん。今日はなにがあるんですの。すごい人ですわね」 呼ばれれてふりかえった親方は、無邪気な娘の興奮を見るように目元を緩ませた。そして町はずれに高く立っている鐘楼を指さしながら言った。 「今日は仮装パーティーだよ。行列を作って、あの鐘楼がある大広場まで練り歩くんだ。大広場ではお祭り騒ぎになるから、良かったら遊びに行っておいで」 「仮装パーティーですかぁ。クレイお姉様を誘わなくては」 マニフィカの脳裏に思い浮かんだのは、颯爽と凛々しいクレイウェリア・ラファンガードの姿だった。さっそく衣装屋に駆け込み、金色のモールで縁取りされた純白の礼服に着替えた。鏡に映してできばえを確かめる。長い銀の髪がきらきらと陽を弾いて輝く。すらりした貴公子がそこには立っていた。ぐるりとまわって決めポーズを取ると、道に出て気を集中させた。 「神気召喚術『神馬召喚』!」 術を唱えると1頭の美しい白馬が出現した。ひらりと飛び乗り、さっそくクレイの泊まっている宿屋へと向かった。 一方のクレイは、仮装パーティーのことは早くから知っていたのだが、どんな扮装をするかで悩んでいた。お祭りは楽しまなくては損、損!とくに今年の豊穣祭は事件で何かと騒がしかったので、最後くらいは羽目を外したかった。特に会いたい人もいることだし。そして思いついたのは。 思いつくなり仕立屋に飛び込んだクレイは、店のおばちゃんに細かく指示を出し始めた。おばちゃんもクレイの注文に乗り気になっててきぱきと働き始めた。そして仕上がると、髪屋に飛び込み頭をセットしてもらう。町中に出たクレイにはなじみになったちんぴらたちから賞賛の声が寄せられた。そこへ馬に乗ったマニフィカがやってきた。マニフィカはクレイの姿を見て思わず感嘆の声を上げた。 「ふわあ、お姉様。素敵です〜」 豊かな胸が思いっきり強調されたタイトな異国風のドレスは、紫地に金の刺繍がゴージャスに施されたもの。脇には長いスリットが入っており、生足がちらちらとのぞいている。髪がアップにされ、すっきりしたうなじが色っぽい。マニフィカの感嘆に、手にした羽扇子で顔を半分多いながらクレイはぱちりとウインクして見せた。マニフィカも浮かれて馬上からクレイにさっと手を差し出した。 「そこのお嬢さん、キミの艶やかな後ろ姿が瞳の中に飛び込んできたときから、ボクの心は虜になってしまったよ……まさにキミは地上に舞い降りた美しき天使だね!嗚呼、この切ない胸の内をわかって欲しい」 きざな台詞も今のマニフィカの王子様扮装にはどことなく似合っている。照れもせずに言ってのけたマニフィカに笑い返すと、クレイはその手を取った。とんと軽く地を蹴って馬上に上がる。さすがにまたがるわけにはいかなかったが、その代わり横抱きのような体勢でクレイの体がマニフィカに密着した。マニフィカはゆっくり馬を歩かせながら大広場に向かった。 「どうかこのボクと踊っていただけませんか?愛しき人よ」 「喜んで」 のりのりのマニフィカに、クレイもすっかり陽気になっていた。 馬に乗っていたのはもう一人いた。上流階級の出らしく高貴な扮装で白馬にまたがったアルトゥール・ロッシュだった。アルトゥールはいち早く大広場にたどり着くと、人混みの中からミルルを探し出した。 お祭り騒ぎはすでに始まっており、あちらこちらで踊りの輪ができている。短くなった陽はすでに暮れていたが、広場の中央で火が赤々と燃えていて、辺りを明るく照らし出していた。広場の周辺には屋台が建ち並び、リーナに強引に黒ずくめの吸血鬼の扮装をさせられたルークが、落ちかかるマントを払いのけつつマリー相手に飲み交わしていた。マリーは海賊船の船長が着るようなしゃれたスーツに帽子を被っていた。仏頂面のルークになんやかやと話しかけつつかぱかぱと杯をほしている。嫌そうなルークを広場まで引きずってきたリーナは、アルティを見かけてさっさと立ち去っていた。 チルルもホウユウを誘って踊りの輪の中に姿を消していた。ミルルはトリスティアに伴われて広場へと姿を現した。トリスティアは上等な布地で仕立てられた黒いメイド服を決めていた。頭にはレース飾り。胸元にもおそろいのレース。真っ白なエプロンはたっぷりしたスカートのフリルとくっきりしたコントラストを作っており、メイド服と言うよりはお嬢様のドレスのようだった。手を引かれているミルルは、淡いピンクのロングドレスを身にまとっていた。先だってのダンスパーティーのときのものとはもちろん違う。トリスティアのプレゼントだった。たっぷり使われたレースと豊かに波打つドレーブラインが、ミルルをいつになく可愛らしく見せていた。しかしやはりこの手の服装はなじみがないからだろう、ミルルは照れて頬を紅潮させていた。 「ほおら、そんなに照れてないで。大丈夫、可愛いよ!」 「なんか緊張するー」 ミルルがうなっていると、背後からアルトゥールが賛同してきた。 「本当に、すごく可愛いよ。とてもよく似合っている」 「アルトゥール」 馬から降りたアルトゥールは、礼儀正しくお辞儀をすると、うやうやしくミルルにてを差し出してきた。 「踊って頂けますか、お姫様」 「え、ええと」 「いってらっしゃいって」 トリスティアに押し出されてミルルがアルトゥールの手を取る。トリスティアがすかさずムーア花火を打ち上げた。 しゅーどーん、ぱちぱちぱち。夜空にきらめく花が咲いた。連発で咲く花に周囲からも歓声が沸く。アルトゥールは目を輝かせて空を見上げていたミルルの腰に手を回し、ごく自然な動作で踊りに入った。花火で気持ちが落ち着いたのか、ミルルもおとなしくアルトゥールの動きにあわせる。そのまま2人はしばらく黙って踊っていた。楽しげな音楽に気分がほぐれたのか、ミルルが赤い顔をほころばせた。その笑みに見とれたアルトゥールは、踊りながら耳元にそっとささやきかけた。 「君の笑顔をずっと側で見ていたいな」 「え?」 驚いて顔を上げたミルルに、あくまでも優しい声で告げた。 「愛しているよ」 「あ……」 言葉の意味を理解して、ミルルの顔がいっそう赤くなる。その胸をかすめた面影があった。 アルトゥールの思いが真剣なことはミルルにもよくわかっていた。しかしそのかすめた面影が、ミルルの心に水を差した。 「ミルル?」 うつむいて動きを止めてしまったミルルに、アルトゥールが不審そうに声をかけた。ミルルは固まっていた体を無理に動かして顔を上げると、アルトゥールの体を引き離して勢いよく頭を下げた。 「ごめんなさい!あ、あの……嬉しくない訳じゃないのよ。気持ちはすごく嬉しいんだけど、でも……ごめんなさい!」 「ミルル!」 伸ばしたアルトゥールの手は駆け去っていくミルルには届かなかった。 走りにくい服装に悪戦苦闘しながら足を動かしていたミルルの体が、どしんと誰かにぶつかった。 「ミルル、どうしたんだい」 「リオル……」 リオルの顔を見て、ミルルがうるっと瞳を潤ませる。リオルはさすがに慌ててミルルの肩を抱くと、人波をかき分けて広場を抜け出した。 「大丈夫?落ち着いて」 「ここから離れたい」 「わかった」 行列は続々と広場に向かっていた。その流れに逆行するように進みながら、リオルはミルルがいつも鍛錬を行っている岩場に向かった。さすがに人気はない。涙をこらえていたミルルは、人目がなくなるとためていた息を大きく吐き出した。 「落ち着いた?」 「うん、ありがとう」 遠くのざわめきはここまで届かない。ミルルは取り乱したことと、胸をかすめた面影の主が側にいることが急に気恥ずかしくなって、リオルに背中を向けると小石を蹴り始めた。リオルはそんなミルルの姿を何とはなしに眺めていた。いつもは男っぽい格好をしているミルルの、柔らかな優しい雰囲気。そうしてみると女の子らしい姉のチルルと双子だと言うことがよくわかった。可憐な背中に触れると、一瞬びくっとしたが逃げようとはしなかった。リオルはミルルを向き直らせると、はっきりした声で言った。 「一度しか言わないからちゃんと聞くように……。僕は君とこれからも一緒にいたいと思う。誰よりも君が好きだよ、ミルル」 ミルルは黙ってリオルを見つめていた。その手がリオルの頬を撫でる。リオルも黙ってミルルの好きにさせていた。やがてミルルが顔を寄せてきて……静かに唇が重なった。 「ミ、ミルル?」 「あたしもあなたが好きよ、リオル」 さすがに赤くなったリオルにミルルがにっこり笑いかける。そして満天の星の下で2人は固く抱き合った。 仮装行列の中には正装したファリッドが黒のドレスに身を包んだアクア・マナと並んでいた。2人の近くにはアルティとリュリュミアもいた。リュリュミアは七色に塗り分けられたくじらの着ぐるみを身にまとっていた。潮の代わりに華やかな花びらを吹き出している。ファリッドが楽しそうにそれを見つめていた。 「えへへ〜」 ファリッドの笑顔にリュリュミアも嬉しそうに笑う。そしてまた花を吹き出した。と、どおんと花火が上がる。それに気を取られたリュリュミアがはたと気づくと、ファリッドとアクアの姿が消えていた。 「あれれ〜?ファリッドさんたちがいなくなっちゃった?」 「本当だ、どこへ」 アルティも一瞬焦る。2人して辺りを見回したが、ファリッドとアクアはどこへ行ったのか人混みの中に紛れてすっかり行方がわからなくなっていた。 「あーん、鐘が鳴ったときに2人に好きって言おうと思ったのにぃ」 リュリュミアの声にアルティががくっとこけた。 「『2人』に?」 言い伝えを思い浮かべてアルティが悩む。リュリュミアはあっけらかんと答えた。 「だってわたし、2人とも好きなんだもの。だからこれからも仲良くして下さいねって言おうと思っていたのに。どこに行っちゃったのかなぁ」 「アールティさん、どうしたの?」 近づいてきたのはリーナだった。アルティがファリッドが居なくなってしまったことを告げると、リーナは笑いながらアルティの不安を吹き飛ばした。 「大丈夫でしょ。ファリッド様を狙う奴はもう居ないんだし、アクアも一緒なんでしょ」 「ああ、多分。そうか、そうだよな。いちいちそこまで干渉してはだめだな」 「そうそう。恋路は邪魔しちゃいけないんだよ」 いつもの癖で心配してしまった自分に苦笑したアルティとリーナの視線が合う。アルティが思い出して言った。 「そういえばこの間はありがとう」 「この間?あー、あはは。変なとこ見られちゃったな。……わたしね、実は8歳くらいまでの記憶がなくって。ほんとの家族の顔とかも覚えてないんだけど、拾ってくれた人がほんとの家族みたいに接してくれたんだ。だから家族の大切さはわかるつもり。ファリッド様たちはほんとにいい家族に見えたの。アルティさんもファリッド様たちを本当に大切にしていたでしょ。だから余計に壊されていくのが我慢できなくて。……わたしはアルティさんが好きだから。だから守ってあげたかったの。アルティさんの大切にしている人たちを。ね、アルティさん。お仕事は終わりだけど……これからも側にいていいかな」 それはリーナの精一杯の告白だった。しかしアルティの答えは、リーナの思いとは少しずれていた。 「もちろんかまわないさ。リーナは、なんていうかな。リーナも家族みたいなものだからな。妹がいたらこんな感じかなと思う」 「……はい?」 笑みが顔に張り付いたまま、リーナが固まる。そんなリーナの反応には気づかずに、アルティが人混みの先に視線をやって小さく声を立てた。 「あ、あれは……」 「アルティさん!?」 「じゃあ、また」 手を上げそそくさとアルティが立ち去る。取り残されたリーナは呆然と立ちつくしてしまった。 アルティが見かけて追いかけたのはセサ・カルサイトだった。セサは黒いドレスに三角帽子、片手にはタケボウキといった出で立ちで人混みをすり抜けるように広場へと向かっていた。むろんアルティが追って来ていることにはすぐに気づいた。リーナが取り残されたことにも。リーナの思いには気づいていたが、今はアルティが自分を追ってきてくれたことに喜びを感じているセサだった。 「セサ、待ってくれ」 「追ってきてくださったのね」 「……約束しただろう。一緒に踊ると」 アルティにもセサを追いかけた衝動の正体はよくわかっていなかった。それでいささか態度がぶっきらぼうになってしまったが、セサはお見通しだというようにその手を取った。 「では踊って頂けます?」 「喜んで」 軽やかなステップで何曲か踊り続ける。曲調が替わったところでアルティがセサを誘って踊りの輪からはずれた。 「色々とありがとう」 輪からはずれたところで一息つくと、なにを話したらいいのかわからずアルティはとりあえずそう切り出した。セサは軽く目を見張ってからふうと吐息をこぼした。 「わたくしは貴方の心の負担を軽くしてあげられたことを誇りに思っているわ」 それを聞いてアルティも目を見張った。セサはいつもの妖艶な笑みではなく、心から愛しさがあふれるような自然な笑みをいつしか浮かべていた。 「わたくしは仕事上、あんまり愛とか信じていなかったわ。けれど……貴方の誠実な態度を見て接しているうちに惹かれていったのだと思う。貴方が他の誰かのところに行くなら言うつもりはなかったけれど……」 「他の誰か?」 やはりどこか鈍いアルティの様子に、セサはくすくすと声を出した。 「けれど貴方はここにいる。だから言うわね。……わたくしは、アルティさんのことが好きよ」 今までのようにふれあえるような位置で言うのではなく、少し体を離し、まっすぐな視線と笑みで思いを伝える。その素直な思いがアルティの心をくすぐった。 「俺も君のことが好きだ……と思う」 恋に鈍感なアルティの精一杯の告白に、セサは染みいるような幸せを感じていた。 「本当に正直な方ね。そうね、思いはゆっくりはぐくんで行きましょう。色々話したいこともあるし」 照れ隠しに視線を泳がせていたアルティは、さまよわせていた視線がとまった物に歩いていった。 「アルティさん?」 「こんなもので悪いが。良かったら受け取ってくれ」 それはサナテルでは割に有名な名産品の繊細な装飾のイヤリングだった。それが目にとまったのは、中央にセサの額にはまっているのと同じブラックオニキスがはまっていたからだろう。垂れ下がるデザインのそのイヤリングはセサによく似合っていた。 ファリッドたちが行列から姿を消す少し前。フレア・マナは道化師に扮して行列に加わりながらファリッドの身辺を警戒していた。 「にしてもアクアは目立つなぁ」 ファリッドの隣にいるアクアは、黒のドレスを着ていたが、それに長いとんがり帽子を被り、雰囲気はコケティッシュな魔女だ。ファリッドもそれに合わせたのか、黒の長いマントを羽織っていた。それが寄り添い合いはじけるように笑い合っている。特に注意してみているせいではあったが、割り込めない雰囲気を感じとっていた。が、双子の幸せそうな顔はフレアには悪いものではなかった。 「あれ?どこへ……」 行列が広場に達しようとした直前、アクアがファリッドの腕を掴んで人波から離れていった。見失わないように焦りながら、フレアも急いで後を追った。背後ではにぎやかな花火の音が響いていた。 アクアはファリッドの腕を掴んだままどんどん町の中心部から離れていった。町人のほとんどが広場に向かっているのだろう。離れれば離れるほど人気がなくなっていく。いくつかの路地を過ぎゆき、やがて小高い丘に出た。遠方に大広場の灯が見える。アルティなどが付いてきていないことを確かめて、アクアはようやく足を止めた。 「アクア、どうしたんだい。もうじき広場だったのに」 「鐘の音の言い伝えは覚えていますけどぉ。私の思いが届くなら、言い伝えとかに頼りたくなかったんですぅ」 アクアは僅かに目を伏せて、ファリッドに身を預けた。ファリッドはアクアが何か言いたいことを察して、そっとその体を抱きしめて促した。やがてアクアは静かに語り出した。 「聞いて下さいますかぁ。こんなおとぎ話があるんですぅ……あるところに、魔女がいました……最初魔女は、お家騒動にわく領主の息子をたぶらかし、玉の輿に乗ろうとしました……」 「うん、それで」 ファリッドの声音も優しい。その優しさに勇気づけられてアクアは言葉を続けた。 「けれど彼と接しているうちに、魔女は彼を心から、本当に好きになってしまいました。意を決した魔女は、彼にすべてを打ち明けることにしました。その思いも……」 背伸びするようにファリッドの耳元に口を近づけると、アクアはささやいた。 「好きです……」 高台に立っている木にもたれかかるようにしていたファリッドは、アクアの体をぎゅっと抱きしめ直すとささやきかえした。 「じゃあ俺からも一つ話をしようか」 「話?」 「そう。自分の背負う物から目を背けていた愚かな男の話。そいつはね、大切な人たちがひどい目に遭うまで、自分の責任から逃げていた。けれど、支えてくれた魔女の魔法が心の迷いという霧をはらしてくれたんだ。そしてすべてが落ち着いたとき、心の中にその魔女のための部屋が出来ていたんだ。そして男は魔女に、ずっとそこに住んでいて欲しいと願ったんだ」 ファリッドはアクアの頬を両手で支えると、有無を言わさずきついキスを与えた。アクアの体から力が抜けてぐったりとファリッドにもたれかかる。唇が離れると、ファリッドはアクアを抱きしめなおして問いかけた。 「魔女は男の願いを聞いてくれるだろうか?」 「もちろんですぅ!」 アクアが歓喜に満ちた声で応じる。ファリッドはアクアの体を離すと、懐から指輪を出してアクアの手にはめた。 「これは約束の証。一生側にいて欲しい。好きだよ」 指輪にはアクアの名を頂いたアクアマリンがはまっていた。きれいにカッティングされた石が僅かな光を弾いて輝く。アクアは手を上に掲げて指輪を見つめた後、嬉しそうにファリッドの腕の中にもう一度収まった。 『良かったね、アクア』 その様子を見ていたのは後を付けてきたフレアだった。アクアの邪魔にならないように木陰に隠れていたのだが、ファリッドとアクアが抱き合っているのを見て、爆炎珠・改を攻撃用に用意していたスリングで天高く打ち上げた。2秒……3秒……セットしておいたタイミングで大爆発がおき、ファリッドとアクアを照らし出した。 「な、なんだ?」 「フレアぁ?」 「おめでとう!」 姉の祝福を受けて、アクアがさすがに赤くなった。 行列の最後が広場に入り、踊りもたけなわになった頃。鐘楼にはジュディの姿があった。鐘をつく役を担っていた老人と交渉して変わってもらう。胸はまだ痛かったけれど、それを振り払い鐘を打ち鳴らすための紐に手をかけた。 「そろそろいいじゃろう」 「ハイ」 思いを浄化させようと力一杯紐を引く。カラーンカラーンと鐘が高らかに鳴り響いた。 「お姉さま、鐘の音ですわ」 「きれいだね」 クレイが鳴り響く鐘の音になぞらえてマニフィカをほめながら、その額にそっとキスを落とす。 「愛の形も本質も一つじゃない……マニフィカとはこころとこころでつながり愛たい」 「わたくしもですわ。大好きです、お姉さま」 マニフィカが大きく何度もうなずいた。 鐘の音は何時やむとも知れず広場に鳴り響く。ホウユウと踊っていたチルルは、足を止めホウユウをじっと見つめた。ホウユウも期待に満ちた顔でチルルを見つめ返した。 「あなたを愛しています。どうか私を妻にして下さい」 「共に幸せになろう」 チルルが小さな鈴をホウユウに差し出した。 「これは?」 「我が家に伝わる魔よけのお守りなの。いろいろ危険な所に行ったりするのでしょう。どこへ行ってもそばにいられるよう、どうか持っていてくださいな」 ホウユウは左手でその鈴を受け取ると、チルルに宣言した。 「右手に刀を、左手に君を」 「はい。ずっと、そばにいます」 そして2人は幸せいっぱいの気持ちで寄り添った。 アルヴァートは行列が広場につくまで、後方で曲を奏でていたが、まもなく広場と言うあたりまで来て、動物楽団を呼び出し前のほうに進んでいった。やがて広場の中で竪琴を奏でているアリューシャを見つけた。純白の衣装がまさに歌姫といった雰囲気をかもし出している。広がる音色に誘われるように近づいたアルヴァートは、突然立ちはだかった人物に驚いているアリューシャの前でさっと仮面をとった。見知った顔にアリューシャが警戒を解く。アリューシャは竪琴をおいてアルヴァートに近づくと、痛む足をこらえつつアルヴァートに手を差し伸べた。アルヴァートはその手をとり、踊りへと誘った。 楽しい曲が続き、宴もたけなわになる。広場に鐘の音が高らかに響き渡った。アリューシャはアルヴァートがなにか言いかけた瞬間に、それをさえぎるように言った。 「また一緒に演奏してくださいね」 「もちろんだよ!」 出鼻をくじかれながらも、無邪気なアリューシャの問いにまじめに答えた。周囲は響き渡る鐘の音を聞きながらささやきあう人たちであふれかえっていた。和やかな暖かな雰囲気で一杯になる。アリューシャはにこにこと笑っていた。鐘の音に後押しされながら、アルヴァートはアリューシャの目をまっすぐに見て思いのたけを打ち明けた。 「いきなり言われても混乱するだけかもしれないけれど、言わないと一生後悔すると思うから……。アリューシャ、君が好きだ!俺のお嫁さんになってください!!」 告白どころかプロポーズになってしまい、アリューシャが一瞬きょとんとする。アルヴァートもすぐに自分の言ったことに気づいて、真っ赤になった。 「いや、そういうことじゃなくて……って、好きなのは本当だし、結婚したいとも思っているけれど、別に今すぐにとは言わないけれど、ええと……」 焦りのあまりしどろもどろになっているアルヴァートに、アリューシャは赤くなりながら小さく、それでもはっきりとうなずいた。瞬間その意味を理解しそびれたアルヴァートも、アリューシャが受け入れてくれた事実にぱあっと顔を明るく輝かせた。そして衝動的にぎゅっと小さな体を抱きしめていた。 「アルヴァートさん?」 「本当に?オレでいいんだね?」 「……はい。アルヴァートさんだからいいんです」 抱きしめるアルヴァートの手はかすかに震えていた。しかしその力は緩まない。アリューシャはますます赤くなりながら、大人しくその腕に身を任せていた。 かなわなかった恋の代わりに、他の人の思いが叶うようにとのジュディの願いをこめた鐘の音は高く広く広がっていく。広場にいる者にはもちろんのこと、離れた場所にいるファリッドたちやミルルたちにもその音は届いていた。清らかな音が秋の終わりを告げる。始まる冬は寒いだろうけれど、心は温かに。 思いが届かなかった者にもどうか祝福がありますように。 |
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