皇都太照機導帖

第壱回「血気血気自動車猛競争」

担当:飛鳥つばさ

鉄屑に花を咲かせませう

 梅の島は、明史に入ってから皇都湾岸に急遽築造された人工島である。
 そもそもは御改新が成り、新政府が富国強兵の政策を取って、皇都は急速に「木の文化」から「鉄の文化」へと変化した。
 木は燃えるが、鉄は燃えない。ごみもなにかと仕立て直しながら使い続ける人々の再利用(リサイクル)精神はいまだ健在だが、いよいよどうしようもなくなったら捨てるしかない。
 とはいえ、そこいらに投げ捨てさせて皇都の美観をそこねる訳にも行かず、新政府はこのようなごみの最終処分場を造り上げたのであった。
 そんな訳で、ここには皇都中のごみくずが累々と積み重なっている。訪れたリュリュミアが、
「なんだか、ゴミゴミとした殺風景なところですねぇ」
 と感想を漏らしたのも無理からぬところであった。
 さて、そのリュリュミア。明るい緑色の目でしばらく荒涼たる風景を見渡していたかと思うと、にわかに腰の小袋に手を突っこみ、何やらあたりに撒き始めた。
「♪枯れ木に 花を咲かせましょう〜」
 ……どうやら何かの種を蒔いているらしい。しばし楽しげに農作業を続ける彼女を、にわかに剣呑な声が呼び止めた。
「こら! 不法投棄は法令違反よ!」
 リュリュミアがのんびりと振り返ると、髪の毛を左右にまとめ、猫っぽいつり目に眼鏡をかけた少女が、掬鋤(スコップ)をかつぎ荷車をがらがらと引いてやって来るところだった。
「そう言うあなたは、何をしにいらしたんですかぁ?」
「知れたこと!」
 リュリュミアの問いに、少女は胸を反らした。こうしてみると、背丈はないが胸はなかなか豊かなようだ……いや失礼。
「あたしの超素晴らしい発明のために、資材を調達に来たのよ!」
「勝手に捨てるのは駄目だそうですがぁ、勝手に持って行くのはいいんですかぁ?」
「何をゆー!」
 リュリュミアの反問にも、少女はひるんだ様子もなくびしっと掬鋤を突き付けた。大型の掬鋤を苦もなく振り回す辺り、腕っぷしもなかなかのようである。
「あたしは資源再利用に貢献してるのよ! むしろ感謝してもらいたいくらいだわね!」
「はぁ……。それでぇ、発明って何を創るんですかぁ?」
「よっくぞ聞いてくれました!」
 少女の表情がにわかに満面の笑みに変わり、眼鏡の下の瞳がきらきらと輝いた。あ、この表情は。小説なんかではよくある……。
「今度、皇都から函根まで走る自動車競走が開かれるのよ! そりゃもう、優勝すれば賞金がっぽり! ここは是非とも勝利すべく、皇都の最新技術力を総投入した最速の自動車を創ろうってわけ! で、その自動車なんだけど、まず動力はもちろん内燃機関ね。それもただの内燃機関じゃないのよ。この立花真由が、試作壱號機から伍號機までの貴重な経験をもとにした、画期的な新発想の」
 すぱぁん。
 リアの最後までこの調子で発明品解説が続くかとマスターも危機感を抱いたその時、絶妙なタイミングでツッコミが入った。こっ、これは、浪速名物張り扇。
「ごめんなさぁい、マユっでばぁ、発明のことを話し出すと止まらなくなっちゃうからぁ」
 きゅうとのびた発明家少女の背後から、張り扇を振り切った少女が姿を現わした。薄い金色の髪はゆるやかに波打ちながら肩までのび、肌は陶器のように白く、瞳は透き通るように青い。どうも大和人という容貌ではない。
「あ、自己紹介がまだだったかしらぁ? この子が立花真由でぇ、アリサは亜梨沙
「リュリュミアですぅ」
 のんびり口調の少女二人は、至ってほのぼのと挨拶を交わしあった。
「それでぇ、リュリュミアはなにをしてるのぉ?」
「種をまいてるんですぅ。この島をぉ、お花でいっぱいにしようと思ってぇ」
「まぁ、それはすてきねぇ」
 亜梨沙はぱっと顔を輝かせ、掌を打ち合わせた。首から下げた青い宝石がしゃらん、と揺れた。
「それなら、アリサもお手伝いしてあげるぅ」
「まぁ、ありがとうぅ。えっと、でもぉ、資材調達はいいんですかぁ?」
 リュリュミアは、張り扇を喰らってごみの山に埋もれている真由をちらりと見た。このまま放っておいたら、真由まで埋め立てられてしまうかも知れない。
「大丈夫大丈夫ぅ。いつものことだからぁ、すぐに起きるってぇ。それまでぇ、ね?」
 こうして、二人の少女は、その日が暮れるまで(結局真由は復活しなかった)、種を蒔き続けたのだった。

 さて、自動車製作のために梅の島へ資材あさりに来ているのは、真由たちばかりではない。
「鉄は強度はいいんだが、重量がな……。必要な強度と軽量さを両立するには、やはり……」
 掘り出した鉄屑の山を前に、しばし腕組みするのは武神鈴。やがて彼は懐から一枚の札を取り出すと、印を結び口訣を唱えた。
 ぼぼぉん。
 鉄屑の山がくぐもった煙を吐き出し、煙が晴れると、そこには明るい銀色に輝く金属の板があった。
「ふぅ。今日はこの辺までだな。一度にあまり大量に変換すると、こちらも『持って行かれる』……」
 印を解いた鈴は、急にずいぶんと消耗した風情で大きなため息をついた。
 と、そこに。
「にいさん、不思議な術を使ってくれるねぇ」
 背後からあだっぽい女の声がかけられて、鈴は内心飛び上がった。
(見られた?)
 まずい。この世界の人々が魔法に対してどんな反応を示すのか、まだ把握していない。
「ああ、そんなびびらなくたっていいよ」
 ぎぎぃと軋むように振り返った鈴に対し、着流しに黒髪を結い上げたその女は、泰然と笑ってひらひら手を振った。
「確かに、大っぴらにやっちまうと事だけどね。そういう術が使える輩がいるってのは、みんな口に出さずとも知ってるさ。ましてや、異世界からのお客さんとくりゃ」
「……分かるのか?」
「こんな見たこともない金物をこさえてくれるようじゃ、ね」
 先ほど鈴が創り上げた金属板に目を流しながら、女はぷかりと煙管を吹かした。
「自動車競走に出る気だね?」
 出し抜けに、女は聞いてきた。いや、決めつけた。
「ああ、そのつもりだが」
「だったら話が早い。あんたの車をこさえるついでに、あたし達の車もこさえてくれないかい? もちろん、お代は払うよ」
「……そういう用件なら、立花真由とかいう娘に頼んでみたらどうだ?」
「おや、あの小娘を知ってるのかい。だったらなおさら話が早いってもんだ」
 女は意を得たりとばかり、にんまり笑った。
「あたしらは今度の自動車競走で、あの小娘をぎゃふんと言わせたいのさ。だから向こうに頭下げて車こさえてくれたぁ、言えるわきゃない。そこ行くと、その板切れを見る限り、あんたの世界の技術はこの皇都より上みたいだ。あたしにも手下はいるんだけど、どうにも体力ばっかでおつむの方がねぇ」
 女が一瞬振り返った視線の先では、ちびでぶとがりがりのっぽ、対照的な二人組の男が資材あさりにいそしんでいた。
「……断る。真っ当に戦う気のない人間に、俺の手を貸す気にはなれない」
 鈴はくるりと背を向け、拒絶の意志を示した。
「別に、あんたにあの小娘をつぶせってんじゃないよ?」
「……それに、術は精神力を消耗する。正直、人の自動車まで創っている余裕はない」
「そうかい。そりゃ口惜しいねぇ」
 言葉と裏腹にさばさばとした調子で、女はきびすを返し、二人の手下のところに帰って行った。
「あたしはおみつ。太っちょが有造で、のっぽが無造。ま、気が変わったら声かけとくれ」
 去って行く女の足音を、鈴はしばし背中で聞いていた。

 そんなことがあってから、一年の後。
 リュリュミアと亜梨沙の蒔いた花の種は成長が早く、梅の島はその名の通り梅の名所として皇都臣民の憩いの場となるのだが、これはほんとの後日談である。


こだわりの二台

「皇都〜函根間自動車競走大会」を間近にひかえたある日。トリスティアは期待半分、不安半分の面持ちで、「立花科学技術研究所」を訪れていた。
 これに先立つこと二週間前、彼女はやはり真由のもとを訪れ、競走用の車両を造ってくれるよう依頼していた。それも、ありきたりの自動車ではない。

「なるほど二輪車か。面白そうじゃない」
 トリスティアの注文を聞くなり、この発明狂娘はらんらんと目を光らせたものである。
「機関の力だけじゃなくて、蹴りの力も活かしたいんだ……けど」
「ふふふ、まっかせなさ〜い! このあたしの持てる知識を総動員して、最っ高の二輪車を仕上げてみせるわ! ……だから、もし勝ったら賞金分けてね☆」
「うん、そのつもり……だよ」
 真由のやる気は妙に高い。思いのほかとんとん拍子で話がまとまったことに、彼女は安心よりも、なんだか得体の知れない不安を覚えたものであった。

 というわけで、本日の完成予定日である。
 トリスティアはたっぷり三十分、その場で迷ったあげく、ようやく意を決して電信式呼び鈴の釦(ボタン)を押しこんだ。
「はぁ〜い〜」
 月地(つきじ)の河岸に水揚げされた鮪(まぐろ)を連想させる返事がして、重い鉄の門がぎぎいと開いた。
「あ〜、トリスティア〜。出来てるよお〜。てか、早く入って〜。お日さまの光が〜、灰になる〜」
 目の下にでっかい隈をこさえ、謎の橙色の強壮剤をちうちうとすすりながら出てきた真由が、たぶん十日ぶりくらいの太陽光直射を喰らってよろめいていた。
「寝てないみたいだけど、大丈夫?」
「平気平気〜。〆切前は毎度こんなもんだからね〜」
 心配そうなトリスティアの問いかけに、真由はややふらつきながらうつろな笑いを返した。……身につまされる話だ(この一文、担当マスターの私見)
「ふふふ、これ〜」
 〆切直後で怪しさ極大状態の真由は、にまにまと無気味な笑みを絶やさぬまま、作業場に二つかぶせてあった覆い布のうち小さい方をひっぺがした。
「こっ、これは……」
「それ」を目にした瞬間、さすがの元気なトリスティアも絶句した。
 確かに二輪車ではある。小振りな車体で軽量そうだ。だが車両全体が弾丸を思わせる先鋭的な外殻(カウル)に覆われ、座面(シート)は高く、反対に舵(ハンドル)は低い。これに乗るとなると、相当上半身を伏せた格好になるだろう。さながら乗り手と車両が一体となり、ひとつの弾丸となったような姿になるに違いない。
「えっと、もっと乗りやすそうな形でも良かったんだけど?」
「何言ってるの!」
 二本目の強壮剤を一気飲みし、ようやく人心地ついたのか真由はいつもの勢いを取り戻した。……でも、注意書きに「一気飲みはお控え下さい。拒絶反応の恐れがあります」とか書いてあるんですけど。
「いい? 競走に出るからには勝利あるのみよ! 少しでも楽をしようなんて思っちゃだめ! 全ての苦難を乗り越えて、人も車もただ勝利を求めてひた走るの! この子を乗りこなせないと言うなら、今から特訓よ!」
「えーと、そのへんは自分で何とかするから」
 どうやら悪い予感は当たったみたいだ。このまま特訓モードになだれ込まれたりしたらたまったものではない。トリスティアはさりげなく、話題を変えることにした。
「とにかく一生懸命造ってくれたのは分かった。でも、自分の車は大丈夫?」
「ふっふっふっ、よっくぞ聞いてくれました! もちろんそっちも抜かりなし。見よ、立花真由一代の力作を!」
 眼鏡を怪しくきらめかせて、真由はもうひとつ残っていた大きい方の覆い布を一気にひっぺがした。
「こっ、こここ、これはっ……!」
 その車両を目にした時のトリスティアの動揺は、自分用の二輪車を見た時以上だったかも知れない。
 形状は、今までの競走用車両の葉巻型の形とも、もちろん道路を普通に走る自動車とも明らかに違う。先端は鋭く尖り、中央部から左右に張り出しが出ている。上から見たら、葡萄酒瓶に似た形になるのではないだろうか。そしてもうひとつ特徴的なのは、車体の前と後ろに翼とおぼしき部品が付いていることだった。
「……羽根なんか付けて、空でも飛ぼうって気なの?」
「逆よ!」
 よくぞ聞いてくれましたとばかり、真由は胸を張った。くいっと天井から吊るされていた紐を引っぱると、特大の車体構造解説図面が展開する。
「いい? 翼で空を飛べるのは、翼の上と下で気流の早さが違うから。すなわちこの図を裏返しにすれば」

(中略)

「……と言うわけ。空気力学による接地力と運動性能の向上は分かった?」
「は、はひ」
 いつの間にやら机に座らされたトリスティアは、ほうほうの体でどうにか返事を返した。これで「分からなかった」と正直に答えたが最後、今の長ったらしくくそ難しい講議を繰り返し聞かされる羽目になるのは目に見えている。
「よろしい」
 真由のこ微笑みは慈母のようだと、このとき彼女は思った。
 まだまだ甘い。
「じゃ、次はこの車の最大の特徴、『回転式内燃機関(ロータリーエンジン)』の解説ね」
「ゑ……」
 さあっとトリスティアの顔面が青ざめるのが早いか、二枚目の解説図が展開した。なんだか胴の太い瓢箪の中におむすびがおさまっているような図だ。
「そもそも、内燃機関にしろ蒸気機関にしろ、従来の方式では往復運動を回転運動に変える段階で損失が生じていたのよ。当然、故障の原因にもなる。その問題を一気に解決したのが、『回転式内燃機関』! この中心のおむすびみたいな部品が直接回転運動するから、出力は単純比較しても」

(後略)

 かくしてトリスティアはこの日、新型内燃機関に関する知識をみっちり詰めこまれることとなったのであった。
「ごめんなさいぃ。ああ見えて、マユもけっこう疲れてるからぁ」
 お茶を差し入れてくれた亜梨沙の笑顔は悪魔のようだと、この時彼女は思ったという。


いざ釜鞍(かまくら)、もとい箱根

「『血気血気自動車猛競争』かね」
 ここは横羽、異国人居留地の一角。豪奢な邸宅の豪奢な一室で、西欧軍人の富豪サーペントは、ミズキ・シャモンの持ち込んできた企画書に目を通していた。
「はい。このように、走路上に様々な障害を設置し、突発的要素を演出すれば、車の性能に左右されない激しい競争が実現すると考えるのでございます」
「君の意見は傾聴に値する」
 サーペントは、香り立つ珈琲に一口口を付けた。
「目下の問題は、走路が通常一般道として使われている点だ。君の提案通り障害を設置したとして、競走終了後、即時に元通りに回復する必要がある。その成算はあるかね?」
「おまかせ下さいませ」
 ミズキは、自信たっぷりの笑顔を返した。
「私には式が……、いえ、手伝って下さる方々がたくさんいらっしゃるのです」
「よろしい。君の案を取り入れよう。只今より、本自動車競走は『血気血気自動車猛競争』と呼称する」
「ありがたく思いますわ」
 ミズキは深々と一礼すると、にわかに不安そうに面ざしをあらためた。
「ところで、クレハはどうしたのでございますか? 先ほど、奥に通されたっきりなのですけれども」
「ああ、彼女は実況希望ということなのでな。今、制服に着替えてもらっている。そろそろのはずだが」
 噂をすれば。重厚な木製の扉が開いて、クレハ・シャモンが姿を現わした。いつもの巫女姿ではなく、サーペントの屋敷勤めと同じ女召(メイド)服に着替えさせられている。
「……あのう、この格好、なんだか恥ずかしいんですけど。いつもの格好ではだめなのでしょうか?」
 言葉通りに顔を赤らめながら、クレハはサーペントに抗議した。
「いかん。仮にも私のもとで働くということは、神ではなく人に奉仕するということだ。服装はその現れ。まずは女召服を着用することにより、ご主人様に奉仕する精神の第一歩を踏み出すのだよ」
 なにやらやけに満足そうに、サーペントは珈琲をくゆらせた。
「女召はいい。新人の娘が、まだもの慣れず恥じらう仕草もいい。やがて日々の研鑽によって、身も心もご主人様に奉仕する存在となった娘も実にいい。そうだミズキ君、君も一緒にどうだね?」
 赤毛の短髪、金髪の馬の尾髪、青の巻き髪、茶髪の三つ編み、黒の長髪と、見事に五人そろった女召の給仕を受けながら、ご高説を垂れる西欧軍人を前に、クレハとミズキの双子は顔を見合わせた。
(このオッサン、ヤバイ)
 二人同時に、同じことを思った。

 そんなこんなで、「血気血気自動車猛競争」開催当日。
「えー、本日は選手のみなさま、観客のみなさま、多数のご参加、ご観覧をいただき、ありがとうございます」
 サーペントの一存で女給服を着せられたクレハが、やや緊張した様子で開会式を進行していた。
「発走に先立ちまして、僭越ながら私より、競走の安全と公正を祈願する祈りを捧げさせていただきます」
 一息付くとクレハはにわかに表情をあらため、荘厳なる声音で祝詞を唱え始めた。
 女召服に祓具の組み合わせはなんとも奇妙である。だがこの時、実は個人的に非常に困っている人物が、競走参加者の中にいた。
(……しまった。このような祈りを捧げられては、暗黒の霊力が散ってしまうわい)
 馬車にも自分自身にも色とりどりの紋様と羽飾り。どこぞの未開部族のような出で立ちなのは、エルンスト・ハウアーである。こう見えても、かなり進歩した魔導科学の使い手だ。とはいえこのエルンスト、系統が暗黒魔術であるので、大抵の世界では肩身の狭い思いをしがちである。
 暗黒魔術は、報われない死霊の怨念とか、生きている人々が抱える不満、憎悪とか、とにかくそういう「負の力」を源としている。対してクレハの神への祈りは、そうした負の感情を昇華させ、天上に返す効果を持つ。いかに強力な魔導師といっても、力の源から断たれては赤子同然だった。
(仕方ないわい。かくなる上は、実力で勝負じゃ)
 歯噛みしながら、エルンストは愛馬―これまた「生ける屍体」であったりするが―の首を撫でるのであった。

「お待たせしました。各車発走位置についた模様です。いよいよ『血気血気自動車猛競争』発走です!」
 七台の車両が横一列に並び、ひときわ機関音が高まる。
「さあ、今……緑旗が振られました! 競走開始です! 果たして序盤で先頭に立つのは誰でしょうか?」
 蒸気機関の噴出音と内燃機関の爆音が渾然一体となって、皇都の街並みを駆け抜けて行く。
「まず先頭に立ったのは・・・アクア・マナ選手『魔皇號』! 続いて立花真由・亜梨沙選手『RX−6』、おみつ・有造・無造選手『先進人力車』です! この順位について、解説のサーペント卿はいかが思われますか?」
「選手間に駆け引きが働いたようだな。厳しい終盤に力を残しておきたいとか、潰し合いになる先頭は避けたいとか、そんな心理だろう」
 ぼぉん。
「あぁーっと! 解説の隙に、アクア選手の後方で何かが炸裂しました! 煙幕、いや、霧でしょうか?! これは後続の選手、視界がまったく効きません!」
 にわかに発生した煙幕、もとい霧幕に包まれ、二位以下の車は動きが取れない。この間に先頭のアクアは順調に差を広げた。
「まずはうまく行きましたねぇ。この間に、突っ走らせていただきましょうぅ」
 してやったりと笑いながら、アクアは順調に走り続けた。
「コース標識どおり」に。
「ちっくしょ〜、いきなり一本取られたわね!」
 混戦の中から二位で抜け出した真由は、鋭い目を前方に向け姿を消したアクアを追っていた。
「相当差が付いちゃったけれどぉ、大丈夫ぅ?」
 後部助手席の亜梨沙が、やや心配そうに真由をうかがう。
「なんの! この程度はいいハンデよ! これから『RX−6』の超絶性能と、このあたしの華麗なる運転技術を見せつけてやるわ!」
 回転式内燃機関の甲高い音を響かせながら、真由たちもペースを上げ皇都の道を突っ走っていった。
「コース標識どおり」に。
「ふふん、あの小娘、まんまと引っかかったみたいだねぇ」
 そのころ。先頭二人からさらに離れた「先進人力車」の後部座席にふんぞり返って、おみつは満足そうに煙管を吹かしていた。
「姐御、こんなにのんびりと走って大丈夫なんざんす?」
 舵を握るがりがりのっぽ……ええと無造の方か。が、さすがに不安そうに胃弱っぽい顔を主人に向けた。
「いいんだよ。この仕掛けじゃ、なるべくあの小娘『だけ』を引っかける必要があるんだ。あたしらの目的は勝つことじゃない。あの小娘をぎゃふんと言わせることさ。分かってるかい、野郎ども?」
「合点だべ、姐御」
 人力車を引くちびでぶ、つまり有造が意気揚々と答えた。
「そろそろ後ろも追い付いてきたみたいだねえ」
 おみつは泰然と後ろを振り返ってきた。四位のエルンスト「暗黒馬車」以下、後続の選手が迫って来ていた。
「それじゃ、そろそろ行こうかい」
 おみつが煙管の灰をとん、と落とし、「先進人力車」は後続に見せつけるようにくるりと角を曲がった。
「コース標識の向きをくるっと変えて」。

「おおーっと、これはどうしたことか? 三位の『先進人力車』以下の選手が、次々とコースを外れて行きます! 少々お待ち下さい、ただいま状況を調べています……」
 困惑するクレハのもとに、サーペントお抱えの女召が地図とおぼしき書類を差し出した。
「情報が入って来ました! どうやら事前に何者かの手により、コース標識が細工されていた模様です。つまり、先頭二選手が通ったのは誤りのコース! 三位以下の選手が通った道が本来のコースとなります!」
「単純な妨害では反撃の恐れも高い。なかなか考えた作戦だな」
 サーペントが女召の入れた珈琲を口に付けながら解説を加えた。
「これで順位が大きく入れ替わりました! 一位『先進人力車』、二位『暗黒馬車』、三位リュリュミア選手『フラワー・バスケット』。『魔皇號』『RX−6』は本来のコースに復帰しなければなりません。大きく順位を落としました!」

「今、三位ですかぁ。ついてますねぇ」
 リュリュミアは「フラワー・バスケット」を走らせながら、のんびりとつぶやいた。
 彼女の車は蔦を編んで造った籠状の車体にぜんまい動力と、なんともおとぎ話のようなつくりである。ところがどっこい、これがなかなかあなどれない速さを持っていた。
「このまま頑張りますよぉ」
 快調に飛ばし、目の前の角を曲がろうと舵を切った、その瞬間。
 つるんと何の前触れもなく、「フラワー・バスケット」の車輪が滑った。
「え? あ、きゃあぁあぁあぁ」
「フラワー・バスケット」はそのまま、独楽のようにくるくる回転しながら走路外の壁に突っ込んで行く。すわ走行不能(リタイア)第一号か。
 ぽよん。
 しかし寸前、「フラワー・バスケット」を風船のような透明な幕が覆い、激突の衝撃からやわらかく車体と乗り手とをまもった。
「ふう、『しゃぼんだま』を用意しておいてよかったですぅ」
 ほっとするリュリュミアの頭上に、クレハの実況が重なった。
「申し遅れました! 皇都〜横羽の区間には、競走運営委員ミズキ・シャモンの手によって、要所に油がまかれ大変滑りやすくなっています。走行には充分ご注意下さい!」
「油か。それなら」
 序盤抑え目のペースで走っていた「音速剛轟号」武神鈴は、クレハの実況を聞くと運転席操作板に並んだ七つの釦のうち、“E”を押した。すると「音速剛轟号」の車輪からにょっきりと釘(スパイク)が生え、がりがりと火花を散らしながら油まみれの路面を捕らえた。
 悪路走行機能によりペースを上げた「音速剛轟号」は、油に難儀する「フラワー・バスケット」を尻目にs着実に順位を上げて行った。

 そのころ、ずっと後方に下がって、ようやく走路復帰した二台。
「油をまいて後続を妨害しようと思ったんですがぁ。もうまいてあったとは誤算ですねぇ」
 つるつると滑りまくる「魔皇號」の制御に苦労しながら、アクア・マナは落ち着きなくちらちらと後方をうかがっていた。
「後ろは……だんだん迫ってきますぅ。滑るのは同じはずなのにぃ、どうしてぇ?」
「魔皇號」の後方では、真由駆る「RX−6」が、激しく車体を横滑りさせながら、見る見るうちにその差を縮めつつあった。
 しかしその「RX−6」、勝負を焦ったのか、明らかな速度超過で曲り角に突っ込んで行く。実況クレハの声が裏返った。
「ああーっ! 立花選手、その速さはいくらなんでも無謀です! それとも、制動装置の故障か? 万事休す! えっ、あっ、いえ! 曲がったぁーっ! これは奇跡か? それともトリックなのでしょうか?!」
「いや、走路の端を見たまえ」
 解説のサーペントが、一人冷静さを保った声で中継画面を指差した。
「走路の端は溝になっている。おそらく彼女は、この溝に車輪を引っ掛け、軌条(レール)を走るようにしてあの速度で角を曲がったのだろう。欧米の超一流選手にはこうした技を使いこなすものがいる。しかし、この皇都で同じ技を見れるとは思わなかった」
「つまりはぁ、操縦者としても一流ってことですかぁ」
 解説を聞いたアクアは、気を取り直し「魔皇號」の操縦に神経を集中させた。
「それならぁ、相手にとって不足なし! 抑えるだけ抑え切って見せますよぉ!」
 ……そして、皇都〜横羽間のアクア対真由の激闘は伝説の名勝負として語り継がれ、競走を収録した録画テープは「油中の死闘! 魔皇號対RX−6」と題され、世の車好きの間で大人気をはくしたと言う。


海道を往く

「さあ、各選手序盤の区間を抜け、横羽からの高速区間に入りました! ここで横羽の通過順位をお知らせしましょう。一位おみつ他二人『先進人力車』、二位武神鈴『音速剛轟号』、三位エルンスト・ハウアー『暗黒馬車』。以下リュリュミア『フラワー・バスケット』、トリスティア『ジャイロスター』、立花真由・亜梨沙『RX−6』、アクア・マナ『魔皇號』となっています!」
「なお大田原までのこの区間は、やはりミズキ君の尽力により、海風が強められている。車両故障にはいつも以上に注意すべきだな」
 急造のわりにやけに息が合っている実況解説を聞いているのかいないのか。競走参加の各車両は、いよいよ海沿いの高速区間に入った。
「ようし。有造、足をゆるめるんだよ」
 先頭「先進人力車」のおみつは、相変わらず悠然と煙管を吹かしながら手下に呼びかけた。
「いいんだべか、姐御?」
「いいんだよ。いくらあんたが体力馬鹿だっても、この先函根の山まで全力で走る気かい? 力を残しといて、大田原でうまいことあの小娘の後ろに付けるのさ」
 そして、先頭に立った「音速剛轟号」の後ろ姿を見送りながら、皮肉な笑いを浮かべた。
「それに、『ここ』は実はあたしもよく覚えてないからねぇ。真っ先に突っこんで、真っ先にはまっちゃあ馬鹿らしい」
 さて、一方先頭に立った鈴は、不審そうな目を後方の「先進人力車」に向けていた。
「しょせん人力では、ここまでが限界か? いや、あの女のことだ。何か仕掛けているな」
 三人組ペースダウンの裏に何かあると読んだ鈴は、ペースを落とし「音速剛轟号」七つの釦の“B”を押す。すると小さな鳥のような偵察機が次々と飛び立って行った。
「む、ペースを落とした。先頭に出る好機じゃ」
 この機を逃さず、エルンストが「暗黒馬車」を走らせ一気に先頭に立つ。
「ふはははは、我が屍体(ゾンビ)馬は疲れを知らぬ。このまま勝利はいただきじゃ〜」
 後続を振り返ったエルンストが、いかにも悪役っぽい高笑いを響かせた、その直後。
 ずぼ。
 突然、足元の地面が焼失し、「暗黒馬車」は路のど真ん中に出現した穴にみごとにのみ込まれてしまった。
「ぬ、ぬわんと! これは一体?!」
「あ、ただいま情報が入ってまいりました!」
 例によってタイミングがいいんだか悪いんだか分からない、クレハの実況が入る。
「何者かが横羽〜大田原間の走路に、多数の落とし穴を設置した模様! 選手のみなさん、走行には充分ご注意下さい!」
「なるほど、そう言うことか」
 エルンストの落とし穴落下と偵察機の情報を見届け、クレハの実況を聞いた鈴は、慌てずさわがず“F”釦を押す。すると「音速剛轟号」の車体側面からにょっきりと翼が生えた。
「短距離を滑空する程度の代物だが、落とし穴くらいなら余裕で飛び越えられる。もらったな、この競走」
 かくして翼を得た「音速剛轟号」は、落とし穴をものともせず、海道を突き進んで行くのであった。

「ここまで抑え目に来たけど。そろそろ勝負かけないとね」
 四番手を走る「ジャイロスター」のトリスティアは、じりじりひろがる先頭との差に、そろそろ我慢の限界に来ていた。もともと積極的な性格の彼女は、後方でじっくり機会をうかがうなんて作戦は苦手である。意を決し、トリスティアはスロットルを力強くひねった。
「ヒートナイフ発動! 緊急加速モード!」
 たちまち真由印の内燃機関に組みこんだヒートナイフが爆炎を発し、追加出力を得た「ジャイロスター」は甲高い音を響かせて急激に加速する。走路に設置された落とし穴もひらりひらりと華麗にかわし、落とし穴にはまってはしゃぼん玉で浮かび上がる「フラワー・バスケット」、ペースを落とした「先進人力車」を次々と抜き去った。
「よっし、このまま函根まで突っ走るよ!」
 さらに先頭を狙うべく、トリスティアがスロットルをあおった、その時。
 ばすん、ばすん、ばすばす。
 それまで快調に駆動していた内燃機関がにわかにくぐもった音と黒っぽい煙を発し、みるみるうちに「ジャイロスター」の速度が落ちて、ついに止まってしまった。
「しまった、故障?」
 トリスティアはあわてて「ジャイロスター」から降り、煙を吐く愛車を困惑の目で見る。しかし製作のほとんど全てを真由にまかせていた彼女には、どこがどう壊れたのやらさっぱり分からない。
 このまま棄権(リタイア)か。トリスティアが途方にくれていると、聞き覚えのある甲高い機関音が近付いて来て、「RX−6」が目の前で止まった。
「故障? そんな、どうして?!」
 車から飛び降りるなり、真由が尋常ならざる勢いで聞いてくる。
「いいから、真由。キミは先に行って」
「そんなわけに行かないわ!」
 さっそく工具を取り出しつつ、真由は力一杯反駁した。
「『ジャイロスター』の基本設計はこのわたしなのよ! それが壊れたとあっては、立花科学技術研究所の沽券に関わる! 祖父さまの名にかけて、この車は必ずわたしが直してみせるわ!」
「ええとぉ……」
 トリスティアが止めるより早く、真由は故障した「ジャイロスター」に取りついた。なおも何か言おうとする彼女を、おだやかに亜梨沙が制する。
「う〜ん、こうなっちゃうとマユは見さかいないからぁ。好きなようにさせてあげてぇ」
「でも!」
 二人が言い合っている間も、真由は「ジャイロスター」の故障状況を手早く見立てて行く。
「問題はこの海風が運んで来た砂ね。吸気系から砂を吸い込んじゃって、気筒内の密封を傷付けた。それで燃料と潤滑油が混ざっちゃって、異常燃焼……。原因は分かったけど、機関を分解修理するにはまず冷やさないと。ああもう、時間がないのに!」
「おやおや、大ごとだねぇ」
 出し抜けに声がかかった。見れば、再び追い付いたおみつ達三人組が、そのまま走り去ることなくただ面白そうにトリスティア達の状況を見ている。
「見てないで、手伝ったら?」
 トリスティアの皮肉も、おみつは涼しい顔で受け流した。
「何言ってるんだい。このあたしに内燃機関なんか分かるもんか。どうしても手を貸せってなら手伝ってやってもいいけど、ますます壊れたってこっちは知らないよ」
「だったら、さっさと行ってよ。関係ない人間に見られても邪魔なだけだわ」
 高熱を持った内燃機関をなんとか車体から取り外そうと悪戦苦闘しつつ、真由が悪態をついた。それにもこたえず、おみつはこれみよがしに煙管を吹かしてみせる。
「馬鹿な娘だねぇ。あたしらの目的は、競走に勝つことじゃない。あんたをぎゃふんと言わせることさ。こうしてあんたが困り果ててるってのに、見物しない手があるかい。それに、ちょうど有造も疲れて来てるしね。函根にそなえて、ここらで一服させてもらうよ」
「こんのぉ……」
 真由はさらに言い返そうとするが、言葉が続かず修理作業に戻る。作業は進まず、この間に「フラワー・バスケット」と「魔皇號」にも抜き去られてしまう。苛立たしげに「ジャイロスター」をいじくりまわす真由の肩を、亜梨沙がそっとつついた。
「マユぅ、ほんとに時間がないぃ」
「分かってる!」
 叩き付けるように叫び返した真由を、亜梨沙はおだやかにさとした。
「マユぅ、気持ちを落ち着けないとぉ、このコも直ってくれないよぉ。ちょっとまってぇ。アリサがこのコと『話して』みるからぁ」
「話すって……?」
 いぶかしげに問いかける真由とトリスティアの前で、亜梨沙は静かに目を閉じ、首から下げた青い宝石に手をかざした。
 すると、にわかに宝石からまばゆく涼しげな青い光が発し、亜梨沙と「ジャイロスター」とを包みこんだ。
「これは……」
 呆然と見守る一同の前で、光は強さを増し、脈動し、一瞬弾けたかと思うと、幻のように「ジャイロスター」の中に吸いこまれて行った。
「……もう、大丈夫ぅ」
 やがてゆっくりと目を開いた亜梨沙は、優しげな微笑みを浮かべそう言った。
「えっと、大丈夫って?」
 トリスティアが、呆然としたまま問い返す。
「このコが機嫌を悪くしていた原因の砂は、もう取ったからぁ。でもぉ、海風はおさまらないからぁ、大田原までは緊急加速はやめた方がいいと思うのぉ」
「あ、うん」
 まったく合点が行かないまま、すすめられるままにトリスティアは「ジャイロスター」にまたがり機関を始動する。すると先ほどの故障が嘘のように、快調そのものの音を立てて「ジャイロスター」は動き出した。「さぁ、マユも早くぅ、競走に戻らないとぉ」
 再発進したトリスティアを見送ると、亜梨沙はいまだ工具をぶら下げたまま呆然としている真由を「RX−6」に押し込む。なかば反射的に機関を再始動させながら、しかし真由は呆然とした思考で考えていた。
(今の、一体何? アリサ、あなたって何者?)

 さて、この一部始終は、当然ながら中継を介して実況解説の二人にも伝わっていた。
「ええと、トリスティア選手、どうやら車両故障から復帰した模様です。しかし、今の現象は一体? 通常の修理作業とは思えませんが?」
「私にも不明だ。鍵は亜梨沙嬢の持っている宝石にありそうだが。しかし、うむ、興味深い」
 解説のサーペントの瞳は、復帰した「RX−6」を追っていた。


函根の山は天下の嶮

「各車、大田原を通過しました! 先頭は『音速剛轟号』、『暗黒馬車』を相当引き離し独走体勢です! 果たしてこのまま勝負が決まってしまうのでしょうか?」
「函根までの最終区間には、ミズキ君が落石の仕掛けを施している。予告なく落下して来る岩石をどう回避するのか、見ものだろう」
 例によって実況解説コンビの漫才が披露される中、いよいよ最終の登攀区間に差しかかった選手達は、最後の勝負をかけるべく己の愛車に鞭を入れていた。
「落石か、ならば」
 先頭「音速剛轟号」を駆る鈴は、例によって慌てず騒がず釦“A”を押した。すると見る見るうちに「音速剛轟号」の車体が分厚い鋼板に覆われ、流麗な車体はいかにも頑丈そうな装甲車へと姿を変えた。
 その「音速剛轟号」を狙ったように、落石が転がってくる。
 ごおぉん。
 しかし強固な装甲は巨大な落石をもものともせず跳ね返し、「音速剛轟号」は何ごともなかったかのように函根の山を登り続けるのだった。

 そのころ、後方集団。
「だいぶ遅れちゃったわね。でも皇都高速で鍛えた腕前にかけて、必ず追い付いてみせる!」
 ……毎晩どっかに姿を消すと思ってたら、そんな事をやってたんですか立花真由さん。ともかく、追い上げを開始した「RX−6」の前に、アクア・マナ駆る「魔皇號」が姿を現わした。
「むむぅ、また追い付かれて来ちゃいましたぁ。かくなる上はぁ、氷水魔術『路面凍結』ですぅ」
 アクアの魔術が炸裂し、身を切るような吹雪が吹き荒れたかと思うと、函根の曲がりくねった登攀路がたちまち氷に覆いつくされた。「RX−6」の前を走っていた「ジャイロスター」がたまらず巻き込まれ、くるくると回転し、激突寸前でどうにか体制を立て直した。
「くっ、この凍結路面は二輪にはキツい……真由、後はまかせた!」
「まかせて!」
 代わって前に出る「RX−6」。滑りまくる路面を序盤同様路肩溝引っかけであざやかに曲がり切ると、アクアが次なる魔術を使うより早く、後部助手席の亜梨沙が大砲らしき武器を構えた。
「おいたはだめ〜、なのぉ」
 ぼすん、と鈍い音と共に大砲が発射される。弾丸は狙いあやまたずアクアに命中し……ぱっ、と編みのように広がった。生け捕り用の網発射中だったのだ。
「そ、そんなぁ〜」
 網にからめ取られたアクアは身動きが取れない。さらにミズキの落石がとどめを刺し、「魔皇號」は哀れ函根の山の塵と消えた。
「ようし、これで一気に大逆転……」
 目前の脅威を排除し、いよいよ真由が最後の追い上げ体制に入った、しかしそのとき。後方からひょいと鎖が投げかけられ、「RX−6」の車体にぐるぐるとからみ付いた。
「悪いねぇ。終点まで引っぱっていただくよ」
 おみつ他「先進人力車」の面々だった。自分より早い真由達に鎖をつなぎ、引っぱってもらうと共に、余計な負担をかけて出足を鈍らせようと言う、なんとも悪知恵の働いた作戦である。
「くっ、こんな鎖、すぐに切っちゃる! 亜梨沙!」
「ごめん〜、マユぅ。これけっこう頑丈ぅ〜。切れないよぉ」
 言われる間でもなく車載工具のペンチやら金のこやらをとっかえ引っかえ悪戦苦闘していた亜梨沙が、やがて半泣きの顔で答えた。
「ぬぬぅ、姑息なり三人組! かくなる上は、お荷物ごと順位を上げるまで! 今のこいつらに、最後で先頭に出る力はないわ!」
 ここまでの道のりを走り続けて行きも絶え絶えな様子の動力担当:有造の様子を見届けると、真由は覚悟を決めスロットルを踏み込む。前方を走る「暗黒馬車」、そして「音速剛轟号」が見えて来た。だが三人+人力車の余計な重量を抱えこんだ「RX−6」は速度がのびない。そして……
「終〜着! 優勝は武神鈴『音速剛轟号』です! 続いてエルンスト・ハウアー『暗黒馬車』! 驚異的な追い上げを見せた『RX−6』、しかし届かず三位に終わりました!」
 脚乃湖に歓声が響く中、勝者と敗者が、次々と戦いの終えて行った。


◎最終結果

○総合優勝:    武神 鈴「音速剛轟号」
○第弐位:     エルンスト・ハウアー「暗黒馬車」
○第参位:     立花真由・亜梨沙「RX−6」
○第四位:     おみつ・有造・無造「先進人力車」
○第伍位:     トリスティア「ジャイロスター」
○第六位:     リュリュミア「フラワー・バスケット」
○第七位:     アクア・マナ「魔皇號」 ※走行不能、棄権

○区間賞(横羽): おみつ・有造・無造「先進人力車」
○区間賞(大田原):アクア・マナ「魔皇號」
○区間賞(函根): 立花真由・亜梨沙「RX−6」
○撃墜王:     ミズキ・シャモン(笑)
○公正賞:     リュリュミア「フラワー・バスケット」
○技術賞:     武神 鈴「音速剛轟号」


そして少女は借金に喘ぐ

「車両制作費……壱千圓?」
「血気血気自動車猛競争」終了から数日後。優勝した武神鈴は、回って来た請求書を見て目を丸くしていた。「ちょっと待て、材料は自分で調達して費用を抑えたはずだぞ?」
 ええ、確かにそうですけれどね武神さん。あなた七つの危機回避釦とか、リア本文には結局書かなかったけど自動運転装置とかには全く何もおっしゃってないでしょう。それとも、そこまで全部お一人で創られるとでも? 申し訳ないが能力はともかく、そんなことをする時間の余裕まではマスター許可しませんよ。なにしろ他の選手と比較したら、勝って当たり前って仕様ですからね。その分の費用はきっちりご負担いただきますとも。
「すると、技術賞を加えても手元に残るのは百圓か。もくろみよりだいぶ少なくなってしまったが、仕方ない」
 鈴は残金百圓を握りしめると、早速立花科学技術研究所を訪れた。残金を真由に譲るためだ。もちろん、無償の好意ではない。
「代わりに、あんたが祖父さまから受け継いだ超科学の遺産を見せてくれないか? 少しだけでいい」
 鈴の言葉に、真由はしばしうつむいたまま押し黙り、やがて真剣な瞳でまっすぐ鈴を見すえた。
「ごめんなさい。その条件だけは、どうしても呑めない」
「皇都の人々に秘密を明かすことはしない。信じてくれ」
「それでも、よ」
 真由はゆっくりと、しかしきっぱりと首を振った。
「あなたのことを信用しないわけじゃない。でも、あなたの世界と比べても、超科学の水準は進み過ぎてる。進み過ぎた科学技術がどれほど危険か、あなたも科学者なら分かるはずよ。『その時』が来るまで、超科学の遺産は外に明かすべきじゃないの」
「何やらもめてるみたいだねぇ」
 世間ずれした声が響いて、おみつ達三人組が呼び鈴もなく、ずかずかと入りこんで来た。鈴をきれいに無視して、これ見よがしに真由に煙管の煙を吹きかける。
「なんだか格好いいことを言ってたけど、借金はどうするのさ借金は。結局今度の競走じゃ、大した賞金は入らなかったんだろ? それじゃあ、とても返済金に届かないねぇ。こちとら待つのにも限度があるんだよ。今度こそ担保を差し押さえさせてもらおうかね」
「ふん、あんたたちの思い通りにはさせないわよ!」
 真由はたちまちいつもの勝ち気な態度を取り戻すと、一枚の広告を三人組の目の前に突き付けた。

「皇都湾飛行機大会」

 今度は飛行機の大会告知らしい。先日の自動車競走同様、サーペントが提供者となっている。
「これで勝負よ! この飛行機大会に優勝して、今度こそ借金を返して見せる!」
「おやおや、活きがいいこと。じゃ、精々頑張ってもらうとしようかね」
 思いのほかあっさりと、おみつ達三人組は引き下がった。鈴を半ば引きずるようにして、立花(中略)研究所を後にする。
 帰り際、おみつは鈴にささやきかけた。
「どうだい、まともに当たっても、あの小娘が首を縦に振るはずないって分かったかい? 超科学の遺産とやらを拝みたけりゃ、あたしらと組むんだね。こっちには借金って切り札があるんだ」
「俺にどうしろと?」
 いぶかしげに聞き返す鈴に、おみつは含みのある笑いを返した。
「あんたの技術は大したもんだよ。その技術で、今度の飛行機大会、あたしら用の飛行機も創ってくれないかね?」

 さて、所変わって。 先の「血気血気自動車猛競争」にて実況と走路設営を担当したクレハとミズキのシャモン姉妹は、サーペントの邸宅に招待を受けていた。
「君達の力を見こんで、今度の飛行機大会でやってもらいたいことがある」
 前置きもそこそこに、サーペントは本題を切り出した。
「先日の自動車競走、中盤の区間で不思議な現象があったことは、君達も覚えているかね?」
「亜梨沙さんの、不思議な車両修理ですね」
 クレハの確認に、サーペントは無言でうなずいた。
「私としては、あの少女が発揮した不思議な力の正体を是非知りたい。恐らく今度の飛行機大会にも、立花真由嬢、そして亜梨沙嬢も出場するはずだ。君達はそれとなく彼女達の身辺を調査して、亜梨沙嬢の力の手がかりを見付けて欲しい。返事は今すぐとは言わない。考えてくれたまえ」
 ……やがてシャモン姉妹が館を去り、夜の帳が皇都の空に降りる頃、サーペントは静かに立ち上がり、館の奥深く隠された一室に足を踏み入れた。
 暖かみのない石壁に囲まれた部屋には窓がなく、深い闇がわだかまっている。その闇に向かって、西欧軍人はなだめすかすように呼びかけた。
「『片割れ』が見つかった。これで『計画』が完成するよ。私のいとしい娘……」
 闇の中で、小さな気配が、怯えるように震えた。

以下次回


【今回登場のNPC】

立花真由(たちばな・まゆ)

 借金まみれの少女発明家。さのやさんのイラストに騙されてはいけない。中身は発明オタク、発明狂そのものである。

亜梨沙(アリサ)

 身元不明の真由の親友。いざ本編書いてみたら、なにげに黒いかも。

おみつ・有造(うぞう)・無造(むぞう)

 はぐれ侍三人旅。色々悪だくみを働くが、実は人情派?

サーペント

 西欧軍人の富豪。女召マニア。巫女さんは駄目らしい。

女召(メイド)

 サーペント卿お抱えの女召。赤毛の短髪、金髪の馬の尾髪、青の巻き髪、茶髪の三つ編み、黒の長髪の五人が主な面子。


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