皇都太照機導帖

第弐回「君よ、空飛ぶ鳥に成れ」

担当:飛鳥つばさ

梅の島緑化計画・其の弐

 皇都湾岸に位置する梅の島は、ご改新後の文明開化で急激に増した廃棄物を処理するために築造された、人工島である。
 したがってその光景は各所に廃材が山をなし、錆と油を含んだはなはだ健康に悪そうな空気が沈澱する、荒涼としたものであるはずだった。
 のだが、この二ヶ月というもの、梅の島は急激にその景観を変え、地に滋味溢れる土が広がり、天に清澄にして適度な湿気を含んだ空が広がる、豊かな農園風景が見渡す限り続いていた。
「よいしょっ、と……なんだって、こんなこと」
 来る飛行機大会に備え資材漁りに来たはずが、なぜか鍬を振るい畑を耕しながら立花真由が文句を垂れる。
「ちゃんと耕してあげないとぉ、野菜さんも果物さんも育ってくれませんよぉ」
 こちらは嬉々として農作業にいそしみながら、リュリュミアが呑気な声で真由をうながした。
「あのね」
 さすがに己の本業を思い出したのか、はたまた単に飽きたのか、とうとう鍬を放り出して真由は眉を吊り上げる。
「あたしはここに、今度の飛行機大会のための資材を取りに来たの。畑を耕しに来たんじゃないのよ」
「あらぁ、なにごとも労働なくして報酬なしって言うじゃないぃ」
 だっだっだっ、と内燃機関の駆動音がして、自分はちゃっかり立花真由謹製の自動耕耘機に乗った亜梨沙が現れた。確か真由の内燃機関は試作伍號機まで爆発続きだったはずだが、先日の自動車競争を機に一挙に技術的熟成を見たらしい。やはり必要は発明の母であるのだろう。
「そんなこと言ったって、普段使わない筋肉使うから、もう体の節々が。あぁ、耕耘機弐號造ろうかな……って、それじゃ肝心の飛行機が大会に間に合わないじゃないのー!」
 切羽詰まって、思考が変な方向に向かっているらしい。真由は一人見当違いな発想を繰り広げると、その壮大なる馬鹿馬鹿しさに、天に向かって吠えた。
「まあまあ、真由ぅ、こんなのも見つけたからぁ」
 亜梨沙は相方をなだめながら、耕耘機の後ろに牽引していた荷車を押しやる。がしゃん、と重く固い響きがした。
「これって……亜梨沙、いつの間にこんなに?」
 真由は目を丸くして荷車の中身をのぞきこむ。そう、それは山と積まれた鉄、樹脂その他の廃材であった。
「やっぱりぃ、土がまだ薄いからぁ。耕しているとぉ、色々とこういうのが掘り出せるのねぇ。おかげで耕耘機の刃がだいぶ欠けちゃったぁ」
 亜梨沙は罪のない笑いを浮かべながら、己の収穫物について解説する。この娘のことだ、他意はないのだろう、多分。だが世の中には、他意がないだけに余計厄介な事がある。
「……汗水たらして鍬振り回したあたしの苦労って、一体何?」
 真由はげっそりと疲れた表情で、耕耘機の上の亜梨沙を見上げた。その視線に気づいているのかいないのか、亜梨沙は良い事を思い付いたと、はたと手を打つ。
「そうだぁ、リュリュミアさんにぃ、この耕耘機をあげちゃおうよぉ。それでぇ、代金がわりに掘り出した廃材をもらうってことでぇ」
「あ、それはありがたいですぅ」
 リュリュミアも喜色満面で手を合わせる。のんびり少女二人の間で話がまとまりかけたその時、地の底から真由の声が響く。
「あのねぇ。あたしがこれを造ったのはあくまで技術力の証明のためであって、こんな原始的労働に供するためじゃないん」
 すぱぁん。
 亜梨沙の電光石火張り扇が炸裂し、発明少女は大地に沈んだ。
「それじゃぁ、リュリュミア。この子ぉ、大事に使ってあげてねぇ」
「はいぃ。がんばってぇ、梅の島を立派な畑にしますぅ」
 かくして皇都史上発の自動耕耘機は、梅の島開拓の大計画に用いられる事となった。

「う〜ん、今回は自分で飛行機を造らないといけないんですかぁ。どうしようかなぁ」
 真由がのされた頃。アクア・マナは、飛行機大会に出場する機体の発想を求めて梅の島近辺を徘徊していた。
 今回、皇都で翼による飛行機の技術が確立されていないということで、各参加者はそれぞれ自作の機体で大会に臨まねばならない。しかしアクアは資材は一通り揃えたものの、まずどのような飛行機を製作したものか、その入り口のところで躓いていた。
 見れば遠目に黒々とした豊かな畑が広がり、内燃機関の力強い駆動音と共に耕耘機が土を耕している。この島もずいぶん様変わりしたものだ。
 そんな訳で、それまでは人の寄り付かなかったごみ捨て島に、最近急に人が集まるようになった。
 あちらでは子供達が、元気に遊び回っている。この季節には蜻蛉も飛び交う。子供もそれを真似してか、手に手に竹を削り竹蜻蛉を作って、それを飛ばし競い合っていた。
 アクアの脳裏に、俎板の上に乗った平目の映像が不意に浮かび上がった。
「……これですぅ!」
 一声叫ぶと、アクアは自らの発想を形にすべく、急ぎ足で工房に戻って行った。

 その後、梅の島には毎年季節の野菜果物が豊富に実り、ことに夏場の西瓜は絶品であるとの評価をはくする事になるのだが、それは本当の余談である。


或る修羅場の光景

 飛行機大会まで残り三日に迫り、「立花科学技術研究所」では、大会出場に向けた機体製作がいよいよ大詰めを迎えていた。
 陽光や外気は精密機器に悪影響を与えるとの理由で窓が閉め切られた作業場には、澱んだ、そして殺気立った空気が充満している。
 壁には「眠るな、眠ると死ぬぞ」といささか状況を勘違いした標語が張り紙され、部屋の隅には利き目ばっちりの栄養飲料の空き瓶が、うず高く山をなしている。
「うう……翼の付け根が、設計図と合わないぃ……」
 製作途中の機体にへばりついたまま、トリスティアが死にかけたうめきを発した。
「だからぁ〜、設計図と合わないことなんてしょっちゅうだってば〜。結局現物合わせでやるしかないの〜。ほら、工具〜」
 こちらも自分の機体に掛かり切りの真由が、どっか妙な世界にいっちゃった声で工具を投げてよこした。
「ありがと……でも、発明ってけっこう体力勝負だったんだね……」
「そうだよ〜」
 真由の瞳は、何やら怪しい輝きを放っている。
「追い込みに入ったら〜、最後にものを言うのは体力なんだから〜。どんな仕事も、けっきょく体力勝負よ〜」
 まだ多少理性と言うか、ともかく正常な感覚を残しているトリスティアは、しばし手を休め真由の機体をしげしげと眺める。
「ところで、翼が見当たらないけど……気球は駄目だし、どうやって飛ぶの、これ?」
「うふふ〜、よくぞ聞いてくれました〜」
 真由は異様な微笑みを口元に浮かべ、「自慢の発明品解説モード(※修羅場猛怒付き)」に入った。
「これこそ画期的な飛行機、『回転翼機(ヘリコプター)』よ〜」
 例によって解説スクリーンを出しながら、巨大な竹蜻蛉の羽根に似た部品をごそごそと、資材ともごみとも付かない混沌とした山の中から取り出した。
「普通の飛行機は翼が固定されているから〜、滑走してある程度速度を付けないと飛べないわけ〜。でも〜、こうやって翼自体を回転させて揚力を得れば〜、滑走なし、その場で離陸できるのよ〜。この方式の利点は〜」

(略)

 この数日間の共同製作で多少は知識が付いたのか、それともすでに追い詰められた精神状態のせいか、トリスティアは抵抗もなく長々しい解説を聞き入れる。
 ひとしきり愛機の自慢を終えた真由は、瞳をさらに爛々と光らせるとトリスティアを、正確にはその後ろの彼女の機体を熱っぽく見つめた。
「それより、『オーニソプター』だったよね〜。あなたの機体も〜、ずいぶん独創的じゃない〜?」
「まあ、ね」
 さすがに彼女は、真由のように長々しく愛機の講釈を行なう性癖は持ち合わせていない。疲れすぎて逆にやけに活発になった頭をふるって、自機の構造を説明した。
「鳥みたいに羽ばたきで飛べればって、発想は本当に単純だよ。工夫と言えば、機体をなるべく軽く造って滑空も可能にしたことくらいかな」
「いや〜、羽ばたきで飛ぶって発想は〜、この天下でもあったんだけれどね〜。どうしても翼の付け根で強度が足りなくて〜、結局どの技術者もさじ投げたのよ〜。それを実現するなんて〜、すごいじゃない〜?」
 ちかちかと白熱灯の灯りが照らす作業場で、妙な情熱を燃やす少女二人は怪しげな会話を弾ませた。
 そんな余人の立ち入りがたい領域に、よほど神経が太いのか、それとも全然空気を読んでいないのか、亜梨沙が夜食を持って踏み込んでくる。
「おつかれさまぁ。お夜食よぉ」
 真由とトリスティアの少女二人は、しばしほかほかと湯気を立てる太華麺を見つめた後、互いの顔を見合わせ、そしてため息をついた。
「……なんだかお腹が空きすぎて、逆になんにも入らない感じ……」
「追い込みは毎度こうよ〜。でも体力は持たせないといけないから〜、これ〜」
 真由は再び混沌の山をごそごそと探ると、愛用の強壮剤を二本取り出した。……あ、さっきまで「強烈」だった表示が「過激」になってる。
「そうだね、締切までがんばろう」
 トリスティアはすっかり慣れた仕草で強壮剤を一気に飲み干すと、再び機体製作にかかった。
「がんばってねぇ」
 よほど心が優しいのか、やっぱり場を分かってないのか、亜梨沙はにこにこと笑って夜食を下げて行った。
 ……そして、東の空にお日さまがよっこらしょと顔を出すころ。
「終わった……なにもかも……」
 ぎりぎりで完成した「オーニソプター」の機体にもたれかかり、トリスティアは黄色い太陽を見ていた。
 隣では回転翼機「ツイン・ジャイロ」の前で、真由が月地(つきじ)の魚河岸の鮪のように転がり、ひたすら眠りをむさぼっている。
 少女たちが心身を削って造り上げた機体は、どうにか今回も〆切、もとい納期に間に合ったようである。


動き出す陰謀

 大会を二日後に控えた、横羽外国人居留地の一角。
「そうか、やってくれるかね」
 今回の飛行機競争も提供する西欧軍人の富豪、サーペント卿は、クレハ・シャモンミズキ・シャモンの双子姉妹を前に満足そうにうなずいていた。
「『血気血気自動車猛競争』に引き続き、亜梨沙さんと立花真由さんはご参加されるとのお話ですから、大会運営を手伝うかたわら、彼女の持つ石の力について調べるのがよろしいと思います」
 ミズキの提案に、サーペントは珈琲の湯気をくゆらせながらうなずく。
「私は多少、常ならぬものを感じる力が備わっていますから、大会前に参加者の皆さんに抱負を聞いて回り、その時に亜梨沙さんの石の力を感じ取ってみたいと思っています」
 クレハに続いて、ミズキも自らの案を披露する。
「大会の盛り上げも必要ですわ。私には多少術の心得がございますので、競技中に突風や雷を起こし、飛行困難な状況をつくり出すと共に、亜梨沙さんの石の力の発動を誘ってみたいと思っております」
 ミズキの提案を聞き届けるとサーペントは珈琲碗(カップ)を机に置き、やや表情を引きしめた。
「まず忠告しておこう。君達がそのような力を持つ事、あまり大っぴらにしない方が良い。皇都では……いや、この『天下』では、人智を超えた力の持ち主は何かと忌み嫌われる傾向にあるからな。それと」
 サーペントは机の上に紙の束を放り出した。先月の「血気血気自動車猛競争」の報告書類だ。
「君達姉妹は二人とも、亜梨沙君が持つ石の力に注目しているようだが、私は彼女自身にも何か特別な力が備わっているのではないかと見ている。先月の不可解な現象の際、彼女は呪文も唱えていなければ印も結んでいない。大もとが石だとしても、そのような手順なしに力を発現させるには、持ち主にも相当の素質があると見るのが妥当だ。君達にはその点にも留意して調査を進めてほしい」
「了解いたしましたわ。……ところで」
 ミズキはかしこまって一礼すると、急に恥ずかしげにほおを赤らめた。
「やっぱり、女召服を着なければいけないのでございましょうか?」
 そう、先月のクレハに続き、今回はミズキまでサーペント卿支給の女召服を着せられていたのである。
「無論だとも。仮にも私のもとで働いてもらうからには、まず姿形から主人への奉仕の精神を身に付けてもらわねばならぬ。そうそう、衣服ばかりではないぞ」
 サーペントはやけに嬉しげに、机の下から三種類目の物品を取り出した。
「これは……」
 差し出されたものを見て、姉妹共に絶句する。
 クレハには犬、ミズキには猫。それぞれ耳と尻尾をかたどったと思しき装飾具の揃いが用意されていたのだ。
「今回は調査任務だから、互いの連絡を密にしなければな。そのための機器だ」
「……どうしても身に付けなければ駄目でしょうか?」
 さしもの大人しいクレハも、耳尻尾揃いを手にし散々葛藤したあげく、ついにその言葉を口にした。
「無論だとも。君達が恥ずかしがる気持ちも分かる。だがこの試練を乗り越えてこその女召だ。見たまえ、見事試練を乗り越えた彼女達の姿を」
 言うなり、サーペント卿は高らかに手を叩く。開いた扉の向こうに広がる光景を目にして、シャモン姉妹は石になった(※精神的に)。
 赤毛の短髪が鼠、金髪の馬の尾髪が狐、青の巻き髪が兎、茶髪の三つ編みが羊、黒の長髪が熊。見事に耳尻尾装備を追加した女召五人組が立ち並んでいたのである。
(このオッサンに関わったのが、そもそもの間違いかも知れない)
 薄れゆく意識の中で、姉妹はそんな事を考えていた。

 明けて「皇都湾飛行機競争大会」前日祭。
 クレハは前日の自らの提案通り、出場者を取材して回っていた。もちろん、サーペントから支給された女召服と、犬耳尻尾の通信機器も身に付けている。最初はたいそう恥ずかしかったが、会場を駆けずり回っているうちになんだか慣れてきた。ただその分、自分が大切な何かを失ってしまったような気がしなくもない。
「それでは、最初の試技者となるアクア・マナさんです。えーと、機体は飛行の瞬間まで極秘とのことですが?」
「はぁい、今回は『空を飛ぶ』ということでぇ、特にお子さん夢をあげたいと思いますぅ。きっとびっくりしますよぉ」
「分かりました、楽しみにしてますね……続いてトリスティアさん。えー、お疲れのところすみませんが?」 完成した「オーニソプター」のかたわらでは、トリスティアが大台場の強烈な陽光を受けて灰になっていた。
「ああ……お日さまの光が肌に刺さる……」
「えー、機体製作の大変な苦労がうかがえるお言葉でした。次は、リュリュミアさん。これはなんとも、ほほえましくなるような機体ですねえ」
 籐の骨組みに紙の翼を張った滑空機「サンフラワー」の前では、リュリュミアがのんびりにこにこと笑っていた。
「滑空機ですからぁ、距離はどれだけ飛べるか分かりませんけれどぉ、軽いから滞空時間は長いと思いますよぉ」
「ありがとうございました。不利と言われる滑空機での健闘を期待しています。続きましておみつさん、有造さん、無造さんの三人組。人力駆動機での挑戦とのことですが?」
 いかにも低予算で無理やり作りました的な木製飛行機の前で、おみつは不敵に笑った。
「まあそう簡単に勝てるとは思っちゃいないけどさ。あたしらなりに面白くさせてもらうよ」
 取材に答えながら、目はちらりと真由達をうかがう。
「なんだか色々作戦を練っていそうですね。では」
 クレハは真由に向かいながら、意識はその横の亜梨沙に集中させて行った。
「立花真由さん。今回も非常に画期的な機体を開発されたとのことですが?」
「まあ見てなさい。皇都の科学力は世界一ィィィであることを、満天下に知らしめてやるわ!」
 誇らしげに胸を張る真由を、クレハはすでに見ていない。意識はすでに、亜梨沙が大事そうに首から下げる宝石に集中し切っている。
(治癒、修復、再生……そんな系統の力を感じますね。そしてこれは……『二つに分かれた片割れ』?)
「どうしましたぁ? なんだかぼうっと、アリサを見てますけどぉ? アリサ、そういう趣味はないから困っちゃうぅ」
 意味が分かっているのかいないのか、例によって天然風味に照れる亜梨沙に、クレハは思わず膝の力が抜けた。ついでに集中も解けてしまった。
「えーと、すみません。ちょっと日ざしにあてられたみたいです。次はっと……エルンスト・ハウアーさん」
 話がややこしくなる前にそそくさとその場を離れたが、クレハはひとつ大事なことを失念していた。すなわち、この場に「問題のない人物」などいない、と言うことだ。
 元の世界から持ち込んだ愛機「リーデンベルグMk-III」号を前に、エルンストはなんだか無駄に燃えていた。
「あの戦いは帝国が劣っていたわけではない! 連合の物量に押し切られたに過ぎんのじゃぁ! わしはこの『リーデンベルグMk-III』で、帝国の優秀さをこの世界に見せつけてやるのじゃあ! そもそも我が帝国は」
「は、はい、大変なご自信ですね。がんばって下さい。最後に前回の自動車競争優勝者、武神鈴さんです」
 長々と続く老人の演説に危険な気配を感じたクレハは早々に取材を打ち切り、さながら金属でできた巨大な鷹のごとく洗練された姿を持つ「14式戦乙女号」とその主、武神鈴に向かった。
「これはまた、大変先進的な技術がうかがえる機体ですね。前回は圧倒的な勝利でしたが、今回もやはり自信がおありでしょうか?」
「正直、請求書が回ってくるのが怖いが……優勝できなければ大赤字くらいの危険がなければ、面白くないからな」
「ありがとうございました。私が取材する限り、今回も優勝候補の筆頭と言えるのではないでしょうか。以上、大会を明日に控えた選手達の言葉でした!」
 様々な思惑をはらみつつ、大会前日の日は傾いて行く……。

 夜。
 闇にまぎれて、真由の機体「ツイン・ジャイロ」に忍び寄る、女、ちびでぶ、がりがりのっぽの三人の影があった。
 いやまあ、今さらだが順におみつ、有造、無造の三人組である。これまた説明せずとも読者諸子には自明だろうが、三人組は真由の大会参加を妨害すべく、機体を破壊せんと夜陰に乗じて忍び寄っていたのだった。
「姐御」
 無造が遠慮がちに声をひそめる。
「こんなこそこそした真似をしなくたって、今回も妨害可なんざんすから、堂々と空中戦で小娘を墜とせばいいじゃないんざんすか?」
「考えが浅いねぇ」
 おみつの言葉には、怒りや呆れよりも、むしろいささか血の気の多い手下二人をなんとかなだめようとする響きがあった。
「空中戦であたしらが勝てるとは限らないだろ。こうして前もって細工しときゃ、そもそも飛べなくなるって寸法なんだよ」
「あっしらの腕は信用してもらえないんざんすか?」
「そうじゃないったら」
 おみつはなおも根気よく、手下を説得する。
「今の技術で、飛行機なんてまずまともに飛ばないんだ。最後はいずれ墜ちる。余計な怪我はしてもらいたくないんだよ、あんたらにも、小娘たちにも」
「姐御の考えも分かりますけどね」
 無造がなおも反論しようとした、その時。
 闇の向こうで、不意に影が動いた。
「……伏せな!」
 おみつがとっさに、有造と無造の頭を下生えに押し込む。草ががさりと揺れ、その音に影は敏感に反応した。身をひるがえし、脱兎の勢いで逃走する。
「行っちゃったよ……。なんだい、ありゃあ?」
 まさか自分達以外に夜中動き回る者がいるとは思わず、冷や汗をかいたおみつは胸をなでおろしていた。
「なんだか変な格好だっただ。背格好は人間だども、獣みたいな耳と、尻尾生やして」
 そろそろと首を上げながら有造が言う。目は三人の中で一番いいらしい。
「追いますかい、姐御?」
 無造の問いに、おみつは首を振った。
「好き好んでやばそうなヤマに首を突っ込むことはないだろ。それに、あたしらにはもともとの目的もあるからね」
 そう言うとおみつは手下二人をうながし、再び影が現れないか十分気をくばりながら、「ツイン・ジャイロ」の機体へと迫って行った。

 出し抜けに耳障りな金属の不協和音が鳴り響いて、真由は跳ね起きた。
「まさか?!」
 そのままの勢いで天幕から飛び出し、苦労の末完成させた愛機に駆け寄る。そこでは、とっさに浮かんだ最悪の想像が現実になっていた。
「ツイン・ジャイロ」の二対の回転翼はいずれも無惨にへし折られ、鋼鉄の機体もぼこぼこにはぎ取られ、へこまされ、曲げられていた。
「こんな……あたしの『ツイン・ジャイロ』が……」
 汗と涙と情熱の結晶の変わり果てた姿を前に、発明に情熱を賭ける少女は力なくへたりこむ。
「きっとあの借金取りの仕業だよ。今からでもとっちめてやらなきゃ」
 やはり夜中の騒音を聞き付け駆け付けたトリスティアが真由を励ます。
「……それは意味がないわ」
 なんとか立ち直ったのか、涙をぬぐいながら真由は首を振る。
「あいつらを捕まえても、借金は消えないもの。なんとかこの子を直して、大会に出るしかない。でも、これじゃとても間に合わない……」
「弱気なんてらしくないよ。修理するならボクも手伝う。それでぎりぎりまでがんばろう」
 死線(?)を共にくぐった戦友の叱咤に、真由もどうにか身を起こした。
「……そうね。とにかくやってみないと。工具を取ってくる」
 身をひるがえした真由の前に、ようやく目が醒めたのかねぼけまなこの亜梨沙がやってきた。
「あれぇ、どうしたのぉ、マユぅ?」
「見てのとおりよ。誰かに機体を壊されたの。間に合うか分からないけど、今から急いで修理するわ」
 言うなり天幕に向けて駆け出した真由の手を、亜梨沙が意外にもすばやい動きで捕まえた。
「まってぇ、アリサが何とかしてみるからぁ」
「何とかって……」
 真由が言いかけるより早く、亜梨沙は壊れた「ツイン・ジャイロ」のそばに寄り、冷たい鋼版に額を当ててなにやらひとしきりつぶやいた。
「……うん、痛いよねぇ。待っててぇ、今直してあげるからぁ」
 亜梨沙はそれだけ言うと、左手で胸のペンダントの宝石を握りしめ、右手は「ツイン・ジャイロ」の機体に当てた。
 ふいに掌の中の宝石が、清らかで暖かな光を発した。光はどんどん強まり、亜梨沙の全身を多い、右手を伝って壊れた機体に及び、鋼鉄の巨体を包み込み、なおも輝きを増してあたりを輝きで満たした。
 あまりの輝きの強さに、真由とトリスティアは目を開けていられない。しばしまぶたをつぶり、やがて光がおさまったのを感じ取っておそるおそる目を開くと、そこには信じられない光景が展開していた。
「ツイン・ジャイロ」の機体は、完全に修復されていた。それどころか機体は破損前よりなおつややかに月の光を映し、さらに新しく力強そうな雰囲気さえただよっている。
「これって……」
 絶句する真由を見て、亜梨沙は満足そうに息をつきにっこりと微笑んだ。
「マユたちはすっごくこの子を可愛がってるからぁ、この子もがんばってくれたみたいぃ」
 その言葉を聞いているのかいないのか、しばしやや呆然として修復された「ツイン・ジャイロ」の機体をなで回していた真由は、ふいに険しい表情を浮かべ金髪巻き毛の少女を振り返った。
「こんなのって……どこか変だよ、亜梨沙!」
「えぇ、変ってぇ?」
 親友の反応が予想外だったのか、ぽかんとする亜梨沙に、真由はさらに言葉を叩き付ける。
「うまくいえないけど、こんなのって普通じゃない! こんな簡単に、何かが出来るなんてことがあっちゃだめなのよ! だって」
「よしなよ」
 なおも言いつのろうとする真由の肩をトリスティアが引き止めた。
「真由がまず言わなくちゃいけないのは、そんな事じゃないだろ? 亜梨沙は機体を直してくれたんだ」
 意識して抑えたトリスティアの口調に、真由も我に返ったようだった。
「……そうね。ありがと」
 ややぎごちなく頭を下げる。
「……うん。明日もがんばろうねぇ」
 亜梨沙も少し悲しそうな光を瞳に浮かべながらも、優しく親友に返した。
「そうね。あの連中ももう来ないだろうし、今夜はもう寝よう」
 そう答えながら、真由はなぜか姉妹とも慕ってきた親友の顔を見ることができなかった。


飛行、墜落、空中戦

 突き抜けるような青空が、大台場の岸と海の上に高く高く広がっていた。
「さあ、お天気にも恵まれ、絶好の大会日和となりました『皇都湾飛行機競争大会』、いよいよ開幕です!」
 実況クレハの第一声に参加者と観客の歓呼が応え、大会の幕が開かれた。
「まずは第壱試技者、アクア・マナさんです。機体は飛行のその時のお楽しみとの事で厳重に伏せられておりました。大いに期待が持てますが……ええっ、これは?!」
 クレハの驚きの声は、アクアの姿を目にしたすべての観客の気持ちの代弁だった。
 アクアは巨大な回転翼を取り付けた保護帽(ヘルメット)を装着し、さながら人間竹蜻蛉とでも言うべき姿になっていたのだ。
 そればかりではない。首から下の服装がまたふるっていた。青を貴重に腹部と両手足を白く染めた、ゆったりとしたつなぎは、何かの扮装だろうか。腹にはなんに使うのか、大きな隠し(ポケット)を縫い付けてある。
「これはずいぶん可愛らしいと言うか、人目を引く格好をされましたね。『お子さまに夢を与える』との前日のコメントでしたが?」
「こんにちはぁ。わたしぃ、マナえもんですぅ」
 アクアは謎の未来型自動人形の扮装で、謎なだみ声をつくり、謎な名乗りを上げた。
「ここまで引っぱっただけあって、つかみは万全でしょうか。審査員への印象も強そうです。では飛行に入ってもらいたいと思います」
「はぁい、『ヒトコプター』〜」
 マナえもんが右手を高々と上げると、控えていたサーペント卿の女召伍人組が総がかりで、「ヒトコプター」に巻き付いている綱を引っぱり始めた。独楽のような要領で翼に回転力を付けるらしい。
 ぶうん、と風を切り裂く音と共に頭上の回転翼が勢いよく回り、マナえもんの足が発進台から離れた。
「♪あんなことぉ、いいなぁ♪」
 マナえもんがさも楽しそうに歌い出す。すかさず女召伍人組が控えに戻り、それぞれ太華から調達した楽器を構えて伴奏を始めた。古風な太華楽器の音色と軽快な音程が、奇妙な調和をかもし出す曲だ。
「しまった……」
 完全にマナえもんワールドに引きずり込まれた会場の中で、ただ一人真由だけが、真剣な瞳で上昇する「ヒトコプター」を見つめていた。
「どうしたの?」
 トリスティアの問いに、真由は伴奏を引き連れて滞空する謎の未来自動人形を指差した。
「あの『ヒトコプター』よ。あたしと同じ回転翼型じゃない。同じ仕組みが二機あったら、独創性は大きく下がっちゃう。こんなのを思い付くのはあたしだけだと思ってたけれど、天下はやっぱり広いわね」
「いや、そんな真面目に検討するものじゃないんじゃ」
 どこまでも発明一直線な少女と、空中のなんともほのぼのした光景とを、トリスティアは当惑した顔で見比べていた。
「♪空をぉ、自由にぃ♪」
 空中で歌を歌うマナえもんだったが、彼女は重要な事をひとつ忘れていた。
 そう、この手の試技では、最初の挑戦者はたいてい悲惨な結果を迎える運命にあるのだ。
 頭上の回転翼が、空気抵抗に負けて止まった。
「え? あれれぇ? 電池切れぇ〜? そんなぁ〜」
 ひゅるひゅる、ばしゃーん。
 マナえもんはまっ逆さまに墜落し、盛大な水柱を上げて大台場の海に呑み込まれた。
「ただいまの記録は、飛距離拾伍米、滞空時間壱分参拾秒です」
 妙に事務的に、クスハが試技結果を実況する。時間のわりに距離が伸びなかったのは、推進を考慮しなかったためだろう。

 ところで、読者諸子はこの手の大会のお約束を、もうひとつご存じだろうか。
 それは、本命対抗と色物以外の試技実況は、あからさまに端折られるという事である。
 そんなわけで。
 第弐試技者、リュリュミア、機体は滑空機「サンフラワー」。
 滑らかな離陸から、機体上部に取り付けた落下緩和の回転板によって安定した姿勢の飛行を披露したものの、やはり動力なしでは上昇はかなわず弐百米、参拾秒。
 しかし滑空機での参加は彼女一人のため、試技成功の時点でリュリュミアの滑空機部門優勝が決定した。
 第参試技者、トリスティア、機体は「オーニソプター」。
 鳥のように翼の羽ばたきで揚力と推進力を得るこの機体は、順調に距離と時間を稼ぎ、距離五千米、滞空時間拾分に達した。
 しかしこの機体は構造上、翼の付け根に弱点を抱えており、長時間の飛行に耐えられずこの箇所が破損。ここで力尽きるも、記録はこの時点での首位に躍り出た。
 続いて、おみつ・有造・無造、「人間鳥」
 無造の人力によりプロペラを回転させて飛行する、人力機としてはごく基本的な機体である。記録は壱千米、参分。余裕を残した様子で、着水もきれいに決めた。
「あたしらの目的は、大会に勝つ事じゃないんだよ」
 回収された小舟(ボート)の上で、おみつは不敵な微笑みを浮かべた。
 と、言うわけで、荒編集に当たってしまった参加者諸子には大変失礼した。いや、ぶっちゃけ締切も押してるもので(私情)

「次は『立花科学技術研究所』立花真由さん、亜梨沙さん。機体は『ツイン・ジャイロ』です」
 すっかり事務的口調が板に付いたクレハの呼び出しと共に、修復された「ツイン・ジャイロ」の機体が発進台の上に引き上げられた。
「……修理を間に合わせるとはね。ちょっとあの小娘を見くびっていたかい」
 着水してびしょぬれになった体をぬぐいながら舌打ちするおみつは、もちろん昨夜のその後の事情を知らない。
「なお、ここからの試技者はいずれも好記録が期待されるため、特別な条件下で飛行していただきます」
 クレハの補足と共に、一点にわかにかきくもり、空に雷鳴とどろき風は気まぐれに向きを変え吹きすさぶ荒天と化した。サーペントの助言により身を隠しているが、ミズキの五行術による天候操作だ。
「なかなか、やってくれるじゃないの」
 びゅうびゅうと音鳴る風に身をさらしながら、真由は唇の端を吊り上げた。どうやら彼女は、困難な状況に直面するとかえって闘志をかき立てられる性格らしい。
 前席に真由、後席に亜梨沙が乗り込むと、ほどなくばらばらと爆音を立てて内燃機関が始動し、弐対の回転翼が空気を切り裂いて、「ツイン・ジャイロ」はふわりと宙に浮き上がった。
 その瞬間、狙いすましたように(実際狙いすましているのだが)横なぐりの突風が吹き、機体が大きく傾く。
「なんの!」
 真由は素早く操縦桿を倒し、乱れかけた姿勢を立て直した。
 ゆっくりと上昇し、前進する「ツイン・ジャイロ」に、さらに雷が襲いかかる。
「どっこい!」
 真由はきわどく雷の直撃をかわし、さらに前方へと機体を進めた。
 さらにさらに、大台場の砲台から弾丸、に見せかけた実は岩が飛んできて、双発式回転翼機に迫る。
「あたしの腕を、なめてもらっちゃ困るわね!」
 真由は華麗に操縦桿とペダルをさばき、次々襲いかかる岩弾丸を右に左にかわして行った。
 数々の妨害をくぐり抜けて、「ツイン・ジャイロ」は確実に飛行距離と滞空時間を稼ぎ、やがて大台場の観客席からはその姿が小さくなりただの点になった。
「操縦者の技量で避けられてしまうとは。もくろみが外れましたわね」
 五行術と式神を用いこれらの妨害を演出したミズキは、大会会場からやや離れた物陰で唇をかんだ。
 彼女の目的は、真由達を墜とすことではない。競技困難な状況の演出もサーペントからまかされた仕事ではあるが、それ以上に彼女達を危機的状況に陥れ、亜梨沙の持つ力の発動を誘うのが狙いだった。
 しかし今、「ツイン・ジャイロ」は以上なく飛行を続けている。
「仕方ありませんわ。もうひとつの役目を続けましょう」
 ミズキは気を取り直し、精神を集中し直した。

「立花真由さん、亜梨沙さん組の飛行途中ですが、円滑な大会進行のため次の参加者の飛行を開始します。エルンスト・ハウアーさん、機体は『リーデンベルグMk-III』です」
 複葉の翼に内燃機関、そしてプロペラと、ごく基本的な姿をした動力飛行機に乗って、死霊魔術師の老人が姿を現わした。
「♪行け〜・ブラックバロ〜ン♪ 飛べ〜・ブラックバロ〜ン♪ 戦え〜・ブ・ブ・ブ・ブラックバロ〜ン♪」
 やけにのりの良い歌とともに内燃機関が始動し、「リーデンベルグMk-III」は素早く空に舞い上がった。もとの世界では飛行機技術が確立されているだけあって、安定度はこれまでの参加者の一枚上を行っている。
 そのエルンストにも、突風と雷が襲いかかるが。
「なんの! 連合機の機銃掃射、連合艦船の対空砲火に比べれば、こんなものは温いわい!」
 戦争経験もある老兵は、堂に入った操縦桿さばきで危なげなく妨害を乗り越えて行く。
 飛行速度は「リーデンベルグMk-III」が「ツイン・ジャイロ」をはるかに上回る。ほどなく前方を行く回転翼機に追い付いた。
「むぅ、万が一妨害されては、この芸術的名機の勇姿を見せられんからのう。ここは先手を打っておくか」
 エルンストが言うなり、機体から多数の鳥が飛び立つ。しかしこの鳥、よく見ると羽毛がなく、その上首もちょん切れている。市場で締めたての鶏を仕入れてきて、死霊魔術でかりそめの命を吹き込んだのだ。
 迫りくる死霊鳥の集団を、真由もしっかり捕らえていた。
「うーん、鳥かぁ。吸気口に突っ込まれると厄介ねぇ。しかしいちいち避けるには数が多すぎるわ」
「それじゃぁ、まかせてぇ」
 後席の亜梨沙がにっこり笑うと、胸のペンダントに手を添えた。
 たちまち清らかであたたかな白い光が満ち、それは死霊鳥の集団を包みこんで、そして光が消え失せた時、死霊鳥はもはや動かぬ単なる鶏肉と化して海面に落下した。
「どういう理屈じゃ?」
 エルンストには状況が呑み込めない。ただ自分の持つ力が眼前の相手には通用しないことだけは分かった。
 しかしこちらから攻撃をかけない限り、「ツイン・ジャイロ」から仕掛ける気配はない。
「やむを得ん。先に行かせてもらうぞ」
 エルンストは内燃機関を吹かし、あっという間に真由達を後方に置き去りにし、さらに飛行を続けて行った。
 この空戦の一部始終は、中継で大台場の実況観客席にも伝えられていた。
「前回の自動車競走に続き、今回も不思議な現象が起きました、立花真由さん、亜梨沙さん組。どういう理屈なのでしょうか、解説のサーペント卿?」
 クレハに話を振られて、サーペントは珈琲を一口すすり、中継画面をじっと見つめた。
「詳細は不明だな。彼女自身にも分かっているかどうか」
 順調に飛行を続ける「ツイン・ジャイロ」の画像を見ながら、クレハは昨日の調査を思い出し、自分なりに推理を固めていた。
(再生の力。と言うことは、『負の生命力』が零に『再生』された、ということでしょうか)
 一方、「ツイン・ジャイロ」操縦席内部。
「……あのね」
 前を見すえたまま、真由はつとめて抑えた声で親友に呼びかけた。自分が今どんな顔をしているか、見られたくなかったからだ。
「なぁにぃ?」
「その力、あんまり気軽に使わない方がいいと思うよ……ばれたら、変な奴らに狙われるかも知れないし」
 亜梨沙の返答には、やや間があった。
「……そうねぇ、そうするぅ」
 亜梨沙もまた親友の姿を見れず、計器板に目を落としていた。

 そして発進台上には、最後の機体、武神鈴の「14式戦乙女号」が登っていた。
 全身を白く輝く金属で覆い尽くしたその姿は、これまで登場したどの機体よりも、群を抜いて先進的である。
 甲高い音を立てて、機関が始動する。これも内燃機関などではない。排気をそのまま推進力に用いる、噴射式機関(ジェットエンジン)だった。
 轟音と共に、弾丸のごとく「14式戦乙女号」は発進し、またたく間に妨害を突破し、距離を伸ばしてあっという間に海の向こうの点になる。
 ものの数分も経たないうちに「ツイン・ジャイロ」に追い付き、すれ違うように追い抜き、さらに速度を上げて「リーデンベルグMk-III」に迫る。
「ぬぅ、物量にものを言わせた愚物めが。これをくらえ!」
 エルンストが死霊鳥を放つ。「14式戦乙女号」は稲妻のような鋭い動きで障害物をかわし、驚いたことに空中で姿を変えて半ば飛行機、半ば人のような形態に変化した。これが「14式戦乙女号」の最大の特徴、可変機構である。この「翼人」形態と発進時の「飛翼」形態、それから完全な人型となる「闘士」形態がある。
「翼人」と化した「14式戦乙女号」は、機首の自動銃で応戦する。
「ちょこざいな! 狙いが甘いわ!」
 エルンストはすかさずかわし、自らも機体に装備した機銃でさらなる応射をした。その狙いには甘さがない。「14式戦乙女号」は間一髪、容赦のない反撃から逃れた。
 自動操縦機能をはじめ、技術の粋を尽くした「14式戦乙女号」。操縦士の技量で勝負する「リーデンベルグMk-III」。時代を超えた二機の戦いは不思議な均衡を見せ、対照的な二つの機体はしばし皇都湾上で空中戦を繰り広げた。
 しかし、決着は思いもよらぬ形で訪れる。
 操縦席の武神鈴は、不意に鳴り響いた警告音に慌てて計器を見直し、愕然とした。
「しまった!」
 そこでは燃料計の針が、見る見る間に零に近付きつつあった。
 金属で固められた重い機体を高出力の機関で飛ばす「14式戦乙女号」は、当然ながら燃費が悪い。ただ真っ直ぐ飛んでいるだけならまだ消費は抑えられるが、このように急上昇、急降下、急旋回をくり返す空戦となるとさらに燃料消費は悪化する。
 ぴー。
 非情な警報とともについに「14式戦乙女号」の燃料は尽き、噴射式機関は沈黙した。
 なおも惰性で飛び続ける「14式戦乙女号」だったが、速度は次第に殺され、とうとう機体の姿勢が崩れる。独楽のように回転しながら海面に突っ込み、ちょうど水面に投げ込んだ石のように二度、三度、四度と海面で跳ね返され、その度に金属で構成された機体はばらばらに分解して行った。
 ……生きてるだろうな、武神鈴。

 苦戦の果て雄敵を撃墜した「リーデンベルグMk-III」は、その後順調に飛行し裏賀(うらが)水道に至っていた。
 空中のエルンストに、小舟に乗ったサーペントの女召が拡声器で通達をする。
「大会会場は皇都湾内です。裏賀水道を越えると失格となります。手前で着水して下さい」
「むう、正直まだまだ余裕なのじゃが、規則では仕方あるまいな」
 エルンストは女召の指示に従い、愛機の高度を下げる。
 ちょうど目の前には小島がある。老パイロットはそこを着陸地点に決め、慎重に着陸姿勢を整えて行く。ほどなく「リーデンベルグMk-III」は、裏賀水道に浮かぶ小島に華麗な着陸を決めた。
 それからしばらくたって、真由達の「ツイン・ジャイロ」もやはり裏賀水道に近付く。もちろん、真由にも同じ指示が女召によってもたらされた。
 真由も機関出力を絞り、エルンストとは別の小島を目指し、そしてゆっくりと着陸する。
「立花選手、ハウアー選手、共に大変素晴らしい記録が出た模様です! 只今計測を行ないます。しばらくお待ち下さい」
 クスハの実況の後、しばらく緊張の時間が過ぎる。そして、計測結果が出た。
「『ツイン・ジャイロ』、飛距離四萬米、滞空時間六拾分。『リーデンベルグMk-III』、飛距離四萬壱千米、滞空時間参拾分」
 会場がどよめいた。飛距離ではエルンストがわずかに上回っている。しかし滞空時間では真由が倍の時間をたたき出していた。
 引き続きクスハの実況が続く。
「計測の通り、飛距離と滞空時間の再優秀者が異なっています。これより審判団による審議に入ります」
 再び会場が静まり返り、しばし緊張の時間が流れる。そして静寂を切り裂いて、クレハの声が響いた。
「着陸状況から、両者の飛行能力にはまだ余裕があったと判断します。よって滞空時間を優先し、優勝は立花真由・亜梨沙選手、『ツイン.ジャイロ』に決定しました!」
 わき起こる歓呼。遠く海上の小島にもそれが届いたのか、真由とエルンストはそれぞれの感慨を胸に、天を仰いだ。


<競技結果>

○総合順位
優勝: 立花真由・亜梨沙「ツイン・ジャイロ」       四萬米/六拾分
第弐位:エルンスト・ハウアー「リーデンベルグMk-III」 四萬壱千米/参拾分
第参位:トリスティア「オーニソプター」          伍千米/拾分
第四位:武神 鈴「14式戦乙女号」            壱千米/拾伍分
第伍位:おみつ・有造・無造「人間鳥」           壱千米/参分
第六位:リュリュミア「サンフラワー」           弐百米/参拾秒
第七位:アクア・マナ「ヒトコプター」           拾伍米/壱分参拾秒

○飛距離部門:   エルンスト・ハウアー「リーデンベルグMk-III」 四萬壱千米
○滞空時間部門:  立花真由・亜梨沙「ツイン・ジャイロ」       六拾分
○滑空機部門優勝: リュリュミア「サンフラワー」       弐百米/三拾秒
○技術賞:     トリスティア「オーニソプター」
○特別賞:     アクア・マナ「ヒトコプター」
 なお、技術部門の審査において、武神鈴「14式戦乙女号」も有力候補として上がっていたことを補足しておく。
 技術の粋に加え多彩な変形機能を備えた「14式戦乙女号」は審査団の評判も高かったが、最終的には「飛行機としての本来の機能が独創的であること」との判断が示され、僅差で「オーニソプター」の受賞となった。


残る借金、生まれる借金

「皇都湾飛行機競争大会」から数日後。真由は研究所の自室で、お手製の自動計算機をいじくり回しながら難しい顔をしていた。
「うーん、制作費がかれこれ参百圓かあ。意外とかかったわね〜」
 お忘れかも知れないが、真由が大会に参加した理由は、賞金で借金を返済することである。努力と幸運により優勝を得て多額の賞金を手にしたものの、機体製作にも費用がかさみ、残り賞金全額をつぎこんでも巨額の借金にはまだ残りがあった。
「早いとこ残額を返さないと、また利息がふくらむし。何かいい話ないかなあ」
 と、そんな愚痴をこぼしている頃。いい話、つまり周囲の人間にとってはろくでもない話は、すでに起こっていたのである。
 再び、舞台を皇都湾洋上に戻す。
「こねえだの飛行機大会はてえした騒ぎだったが、俺らはいつも通り魚捕るだけだぜえ」
 一獲千金を狙うはなはだ不純な発明少女とは対照的に、今日も日々勤労にいそしむ漁師の方々が、漁船の上で網をたぐっていた。
「しっかし、今日の網はやけに重いぜえ。こりゃ相当な大漁だな」
 軽口をたたきながら、額に汗し作業に没頭する。皇都湾に張られた網が、今日の収穫を包み込みながらゆっくりとすぼまりつつあった。
 そんな彼らの眼前で、もごり、と海面が盛り上がった。
「なんだあ?」
 いぶかしむ漁師達の前で、七色の巨大な肉の塊が海面を割って跳び出し、そして激しい水しぶきを上げて再び懐中に没した。
「鯨だあ! でけえぞ!」
 たちまち漁師達に緊張が走る。
「慌てるな、相手は鯨だ、こっちにゃ襲ってこねえ」
「しかしよう、どんどん近付いてくるぜえ!」
「くそっ、舵切れ、よけろ! あんなのにぶつけられたらこっちゃひとたまりもねえ!」
「駄目だ、間に合わねえ……うわあ!」
 悲鳴の直後、どおん、と鈍く重い音が響いて、ささやかな漁船は巨大な生物によって真っ二つにへし折られた。

「と、いうわけで、次はこれよ!」
 翌日。
「皇都湾に七色鯨出現」の速報を伝える新聞記事を机に叩き付けて、真由は吠えた。
「えぇとぉ、七色鯨ってぇ?」
 当惑した表情の亜梨沙に構わず、真由はまくしたてる。
「もちろん、鯨を狩って賞金をもらうのよ! 今回もうまく行けば、借金は全額返せる! もう、あのやかましい三人組に付きまとわれることもないわ!」
「船はぁ?」
 亜梨沙の次なる問いに、真由は胸を張った。しつこいが胸は意外としっかりある。
「もちろん! 我が科学技術の粋を集めて、最強の戦闘船を造り上げるのよ! 今回は妨害もあるだろうから、そっちの対策も練っとかないとね」
 例によってと言うか、真由は早くも狩りそのものより、戦闘船建造の方に意識が行ってしまっているらしい。そんな発明少女を、亜梨沙は珍しく、もの問いたげな視線で見ていた。
 真由は親友をちらりと見やると、なぜか虚空を見上げ拳を握りしめた。
「……あいつには片足を奪われた恨みがあるのよ……」
「マユぅ、ちゃんと両足そろってるけどぉ?」
「鯨狩りの時は、こう言うのがお約束なのよ」
 なんだか良く分からないが、彼女なりに親友の様子を気づかったらしい。しかしその冗談も通じず、亜梨沙はあいかわらず真由に対し何か言いたそうだった。
 けれど心の中の問いかけは、どういう訳か口を開いて出ることはなかった。
 姉妹とも慕ってきた親友相手に、言いたいことが言えない。こんなことは、亜梨沙にとって初めてだった。

「いちまんえん……」
 機体製作費の請求書を握りしめて、武神鈴は真っ白になっていた。
 あのね、武神さん。可変機構なんてさすがに無茶ですよ。今回さすがに却下しようかとずいぶん悩みましたもの。勝つために資金を惜しまない姿勢は認めますけれど、少しは身の丈経営という言葉を学んでおいた方がいいですよこの際。
 それも機体が残ってればまだ報われたんでしょうけれども。海の藻屑と消えてしまいましたからねぇ。ご愁傷さまです。
「さて、どうしてくれようかねえ?」
 膨大な借金の取り立てに現れたのは、もちろんおみつ率いるはぐれ侍三人組である。
「待ってくれ、なんとか返すから」
 どうにか真っ白状態から復帰し、鈴は必死に弁明する。しかしおみつはにべもなかった。
「壱萬圓だよ? 一人の力でどうにかなる額だと思ってるのかい?」
「うう……」
 力尽き、がっくりと膝を付いた鈴におみつは歩み寄り、一転してなれなれしい態度で肩を抱き、煙管を吹かした。
「そんなあんたに、いい話があるんだよ」
「……話とは?」
「あの小娘さ。七色鯨騒動は聞いてるかい? あの小娘、性懲りもなく今度も出ばる気みたいだよ。けどあたしとしちゃ、なんとかしてあの小娘をぎゃふんを言わせてやらないと気がすまないのさ」
 よほど腹に据えかねているのだろう。おみつは「あの小娘」を三回もくり返した。
「なにをしろと?」
「簡単なことさ。あの小娘を邪魔してくれりゃいい。うまく立花の超科学の遺産が手に入れば、それで借金は帳消しにしようじゃないか。あぁ、嫌なら別にいいんだよ。骨までしゃぶり尽くして、子孫代々かかっても、壱萬圓とその利息、きっちり返していただくだけさね」
 異世界で巨額の借金を負った青年に、裏社会の甘く危険な誘惑がささやいていた。

 同じころ、横羽外国人居留地、サーペント邸。
「七色鯨の捕獲、ですか?」
 なりゆきで女召服を着ることになったミズキは、当惑した表情で現在の主人を見ていた。
「あくまで西欧の伝承なのだがね。虹の色をした鯨の肉は、若返りの妙薬になると言い伝えがあるのだよ」
 サーペントは珈琲を軽くすすり、そう言う。
「だから私としては、大和政府より先に七色鯨を手に入れたい。無論難しい仕事だから、報酬ははずもう」
「亜梨沙さんの力を調べるという使命もあるのですが」
 控えめに反論したミズキに、サーペントは寛大なうなずきを返した。
「もちろん、そちらの仕事も続けてもらいたい。真由と言ったかな、あの少女は。なかなか好奇心旺盛のようだから、きっと今度の騒ぎにも関わってくるだろう。ならば一石二鳥だと思わないかね?」
 ミズキは軽くうなずいた。確かに筋は通っている。しかしこの西欧軍人にこれ以上関わるのは、色々な意味で危険な気がした。ええ、そりゃもう色々な意味で。
「少し、考えさせて下さい」
「うむ。危険な役目でもある。良く考えて結論を出してくれたまえ」
 サーペントはあくまで鷹揚にシャモン兄弟の返答を許可し、退出を許した。
 ……やがて部屋から余人の影が消えると、彼はひとり地下に降り、暗い石室に足を踏み入れる。
「七色鯨が現れるとは、望外の幸運だな。これで良質の『素材』が手に入る」
 灯りを消した暗い部屋の中で、西欧軍人は一人つぶやいた。
 暗がりの中、彼は二通の紙束を探り出した。自動車競走と飛行機大会。先に行なわれた大会二つの報告から、亜梨沙に関する内容を抜き出したものだ。
「そして『片割れ』も見つかった。道楽もやってみるものだな。思わぬ拾い物がある」
 サーペントはひそやかに笑うと、暗闇の向こうに声をかけた。
「もうすぐ、全てが『完全』になる。楽しみだな、私の愛しい娘よ……」
 闇の中で、おびえたように何かの気配が動いた。

以下次回



【今回登場のNPC】(担当マスターが実際に執筆しての雑感)

立花真由(たちばな・まゆ)

 発明少女。ある意味分かりやすい娘ではある。コンプレックス上昇中。

亜梨沙(アリサ)

 天然なんだか演技なんだか。色々な意味で謎が多い。

おみつ・有造(うぞう)・無造(むぞう)

 はぐれ侍人情派。身内に優しく、外にもやっぱり今一つ甘い。

サーペント

 謎の底無し資本。重症。

女召(メイド)

 女召伍楽房。装備追加。


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